教員紹介
- 東洋史
井上 充幸教授
- 所属専攻:
- 東洋史学専攻
- 専門分野:
- 中国近世の文化史・社会史・環境史に関する研究
中国近世、それも明清時代といっても、皆さんにはあまりピンとこないと思います。ですが『西遊記』や『三国志』などの物語をはじめ、私たちが「いかにも中国らしい」と感じる伝統文化や、中国人特有の思考方法・行動様式が生み出されたのは、まさにこの時代だったのです。私は、明清時代に生きた文人たちの日常生活や、彼らを取り巻く社会の様子、さらには当時の文化のさまざまなありようを具体的に明らかにし、それを通じて中国近世という時代そのものの面白さを伝えていきたいと思っています。
COLUMN
400年前の「明末清初」の時代にタイムスリップ。 庶民の日常から現代中国のルーツを探る。
東洋史学専攻
井上 充幸
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私は木簡などを使って中国秦漢時代の法律や制度の研究をしています。秦王朝は苛酷な法律で民衆を支配したと言われますが、木簡に見える法律の多くは役人の職務規定です。例えば、《罰金に処せられた者が貧乏で銭で払えない場合は労働させ、一日八銭を罰金分として受け取る。一日八銭以上を受け取ったり、銭で払えるのに払わせないで労働させた場合は、その役人を罷免する》といった細かな規定が目白押しです。法律でがんじがらめにされていたのは民衆ではなくむしろ役人だったのです。このことから、秦帝国がわずか15年で滅びたのは、法律が細かすぎて役人がそれを守らなくなったためだと最近思うようになりました。じゃあ、この国も危ない?
COLUMN
2200年前の木簡から見える、古代中国人と現代人の共通点
東洋史学専攻
鷹取 祐司
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三国時代から始まる戦乱の世は、軍事・政略に秀でたカリスマ的皇帝の登場とその退場により、国土は統合と分裂を繰り返し、短命な王朝の興亡が相次ぎました。6世紀以降、全土を統一した隋唐王朝も、その余韻が色濃く残り、隋の煬帝・唐の太宗・則天武后など、個性が強すぎる面々が権力闘争の限りを尽くしました。
しかし、唐王朝も半ばごろから、資質の優れた指導者に頼る政治から、制度を固めることによって、安定した国家を維持する方向へ変質していきます。
現在の私の研究は皇帝の御前会議を舞台に、そこで演じられた皇帝・宰相・官僚・宦官達による生々しいやりとりを解明することにあります。
しかし、唐王朝も半ばごろから、資質の優れた指導者に頼る政治から、制度を固めることによって、安定した国家を維持する方向へ変質していきます。
現在の私の研究は皇帝の御前会議を舞台に、そこで演じられた皇帝・宰相・官僚・宦官達による生々しいやりとりを解明することにあります。
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「人が人を支配する」という暴力が最も鮮明に「制度」として表れるのが、近代の植民地支配です。明治維新のあと、日本が近代国家として国際社会に出た陰には、朝鮮や台湾などの植民地支配がありました。しかし、何千万という人を植民地支配することは、それほど簡単なことではありません。どのような制度をつくり、どのような政策を実施したのか。その時、朝鮮の人々はどのように対応したのか。その結果、朝鮮社会はどのように変わっていったのか。当時の史料や証言を分析すると、思わぬ事実や構造が浮かび上がってきます。こうした客観的な分析を通じて、日本と韓国・朝鮮の間で未だに課題となっている植民地支配の問題解決を目指します。
COLUMN
K-POPや「三国志」から、言語、歴史や思想へ、東アジアについて学びが広く・深くなっていく
現代東アジア言語・文化専攻
庵逧 由香
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韓国・朝鮮の宗教について研究しています。朝鮮時代末期から日本の植民地時代にかけて、東学(天道教)・甑山教・檀君教(大倧教)・円仏教など数多くの新宗教が登場しました。これら朝鮮自生の新宗教とナショナリズムの関係について分析するのが研究テーマです。最近は関心の幅を広げて、韓国における最新の宗教事情についても研究しています。制度化されない個人主義的な「スピリチュアリティ」の観点から、現代韓国におけるキリスト教の超教派的な聖霊運動(ペンテコステ・カリスマ運動)や、大衆消費文化として現れている新種のセラピー団体(丹田呼吸による身心修練団体など)について研究しています。
COLUMN
日常に深く根をおろす信仰心。 宗教が分かると、アジアが見える。
現代東アジア言語・文化専攻
佐々 充昭
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近代以降の中国は、革命・戦争・社会主義を経験してきましたが、その時々の指導者は、いかに「国民」を創生し、国家を建設するかを考えてきました。そして、それは確かに中国社会を大きく変化させてきました。しかし、基層社会に生きる農民などの「ふつうの人々」の生活規範や行動様式はそう簡単に変わるものなのだろうか、そんな疑問を明らかにすることが私の関心です。具体的には中国南方の華南地域を考察対象に、当時の新聞や雑誌・民間文書などを利用し、近現代の中国を生きた「ふつうの人々」が、政府の政策をどのように受け入れ、あるいは反発したのかについて考えています。
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一般に「近代」と呼ばれる19世紀から20世紀初頭までの時期に、アジア・アフリカ諸地域で試みられた国家や社会を作り替えるための改革は、往々にして欧米諸国をモデルとする「西洋化」といったような言葉で言い表されます。私の専攻しているイランでもこの時期に軍事面での改革が行われましたが、それは「西洋化」の尺度で見ると「失敗」と評価されかねないようなものでした。ただ、改革の内実を現地の国家や社会のありようと絡めて検討すると、一概にそうとも言い切れない固有の歴史的意味を持っていたことがわかります。このように、単一の尺度では捉えきれない各地域の固有な近代のあり方を想定することで、その延長線上にある現代世界の理解をも刷新することを目指しています。
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