立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
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2017.06.13
平井嘉一郎記念図書館ギャラリーで 中原中也 生誕110年記念「中也が学んだ立命館中学 大正期の自由教育」展 開催のお知らせ
平井嘉一郎記念図書館では現在、「中也が学んだ立命館中学 大正期の自由教育」を開催しております。
2017年は中原中也が生誕して110年を迎えます。中原中也は1922(大正12)年4月に立命館中学に転入学(3年生)しました。立命館中学では、「ダダ新吉の詩」に出会い、感銘をうけ以後中原中也の詩のスタイルを形付けました。中原中也の詩的活動への萌芽期には、冨倉徳次郎(立命館中学講師)、詩人永井叔、長谷川泰子、正岡忠三郎など詩の理解者が周縁を形成しており、その後、東京へ上京し本格的に詩人として文筆活動に入りました。展示においては、立命館中学における大正期の自由教育の姿の理解とそのなかで中原中也が育ったことや、また闊達な課外活動を紹介しています。
企画名 :中也が学んだ立命館中学 大正期の自由教育
主催 :立命館史資料センター
協力 :中原中也記念館
展示場所:平井嘉一郎記念図書館1階 ギャラリー
展示期間:2017年6月12日~7月7日
※本展示は、図書館入館ゲート外で開催するため、どなたでも自由にご覧いただけます。
※ギャラリーの公開時間は、平井嘉一郎記念図書館の開館時間に準じます。
開館スケジュールは、立命館大学図書館ホームページをご確認ください。
※駐車場はございませんので、ご来館の際は公共交通機関をご利用ください。2017.06.13
<懐かしの立命館>衣笠キャンパスに初めて設置された学部は理工学部であった!
2017年6月7日 教職員を対象とする立命館の歴史を訪ねるフィールドワークを実施しました。
第2回目にあたる今回は、「理工学部発祥の地」の石碑から「立命館日満高等工科学校」時代に植樹された修学館南の銀杏並木道をとおり、等持院墓地にある創立者「中川小十郎の墓」を巡りました。
当日配布資料(一部)「立命館日満高等工科学校校舎配置図」
※画像をクリックすると別ウィンドウで大きな画像がご覧頂けます。
6月7日(水)11:30~12:30のお昼休み、第1回目を上回る26名の職員が参加しました。史資料センター調査研究員の久保田謙次さんより、衣笠キャンパスに初めて設置された学部である理工学部の前身である「立命館日満高等工科学校」設立に至る経過や当時の学科内容、現在の中央広場に自動車運転練習場や馬房、馬場があったことの説明を受けました。
立命館日満高等工科学校の歴史については、以下もご参照ください
<懐かしの立命館>相訪会『会員名簿』(昭和14年)と立命館日満高等工科学校
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=119
「理工学部発祥の地」の石碑
修学館南の銀杏並木
修学館南から等持院墓地へ向かって通路上にブロック石が埋め込まれています。当時、立命館と等持院が参拝者のための参道として使うことを合意したことにより設置されたものです。
2017.06.01
<懐かしの立命館>立命館衣笠球場のホームベースはここだ!
2017年5月31日 教職員を対象に立命館の歴史を訪ねるフィールドワークを実施しました。
これは、現存する立命館のキャンパスでは最も歴史ある衣笠キャンパスの歴史を、現場に足を運んで体感で研修するもので、「衣笠キャンパス事務課」(衣笠キャンパスの教育・研究条件整備や地域協働を担う部署)と史資料センターの共同で「立命館と歩く京都」と題する連続企画です。
第1回にあたる今回は、1948年から1968年まで現在の「中央広場」にあった「立命館衣笠球場」(以下「衣笠球場」と書きます)の事跡を辿りました。
「衣笠球場」の図面を現在のキャンパス平面図に重ねたもの。これを資料にして現地を巡る。
※衣笠球場の歴史は「<学園史資料から>衣笠球場ものがたり」をご覧ください。
https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=43
5月31日(水)11:30~12:30のお昼休み、15名の職員が参加。概説を聞きながら昼食をとった後、「平井嘉一郎記念図書館」入口付近に向かいます。当日は晴れ。初夏なのに真夏のような天気です。
「平井嘉一郎記念図書館」前での説明。1948年誕生した衣笠球場のホームベースはこの位置にありました。解説したのは史資料センター調査研究員の久保田謙次さん。
ありし日の「衣笠球場」を想像しながら、「ここに記念碑を埋めるといいな」「記念式典には校友の野球選手に投げてもらおう」「ピッチャーマウンドは創思館の入口のとこ?」「三塁ベースは南に位置するので、もちょっと本塁の角度はこうだ」などの話に花が咲く。文書で見るのと体感するのとではやっぱり違う。
次に向かったのは、唯一「衣笠球場」の名残を残すNTTの電柱表示。「衣笠球場」の表示版が残っている場所はたくさんあるが、一番近いところでは「衣笠キャンパス」から大学院棟である「究論館」へ抜ける通用路に。これ以外にもカタカナ表記で「キヌガサキュウジョウ」という電柱もある。
昼休みの時間はあっという間に過ぎます。最後にキャンパス内に戻って、末川名誉総長の言葉「未来を信じ 未来に生きる」の碑と「立命館その由来の碑」の解説を聞いて、終了しました。日頃何気なく見ている石碑も実物の前で説明を聞くと理解が深まります。
2017年6月2日
立命館 史資料センター奈良英久