立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2013.04.02

「今日は何の日」4月 立命館の最初の入学式と授業は?

4月といえば入学式、新年度の開講です。

 さて、昔の立命館の最初の入学式や開講はどのようなものだったのでしょうか?

 1900(明治33)年5月19日に認可された私立京都法政学校(立命館大学の前身)は、6月5日に上京区東三本木丸太町上ルの清輝楼を仮校舎として開校式が行われ、授業が始まりました(注)。入学者は305人、入学金1円、月謝が1円50銭でした。

 開校の頃の教員はほとんどが京都帝国大学の教授で、憲法・井上密教授、民法・岡松参太郎教授、刑法・膳鉦次郎教授、行政法・織田萬教授などでした。

講義時間は午後5時から9時までの各1時間4講時です。

1904(明治37)年1月発行の『私立京都法政専門学校一覧』によると、学年暦は9月11日から12月15日までが秋学期授業、1月11日から6月30日までが春学期授業となっています。当時の学制は高等学校、大学とも3年で、9月入学、7月卒業でした。立命館大学(専門部)の入学時期(学年の開始)が9月から4月に改正されたのは、1919(大正8)年からです。

1948(昭和23)年4月に新制の立命館大学が設置されますが、1950年の学年暦は、4月24日入学式、4月17日理工学部開講、4月25日法・経済・文学部開講です。

    (注) 講義の開始を6月4日とする資料もあります。


京都法政学校仮校舎・清輝楼。1900年6月東三本木丸太町上ルに開校したが、翌年12月広小路に移転



2013.04.01

「今日は何の日」4月 APUは最初の年から春と秋の、2回入学式があった

2000(平成12)年4月、大分県別府市に「立命館アジア太平洋大学」(APU) が開学しました。

 第1回入学式は4月3日にキャンパス内のミレニアムホールで挙行しています。本格的な国際大学を目指したAPUは、28ヵ国・地域から719名を第1期生として迎えました。アジア太平洋学部とアジア太平洋マネジメント学部を合わせて、国内学生469名、国際学生250名の新入生がAPUでの学生生活のスタートを切りました。

 式は開学宣言で始まり、初代APU坂本和一学長の挨拶などののち、両学部の国内学生・国際学生各1名の4名が新入生代表として決意を述べ、日・英2言語で進行されました。

 キャンパスは様々な言語が行き交い、チマチョゴリ、サリー、アオザイなど華やかな民族衣装の国際学生であふれました。

 5月20日には別府市ビーコンプラザおよびAPUキャンパスで立命館創始130年・学園創立100周年記念式典を、また別府公園で別府市民など3万5千人が参加してAPU開学祭が開かれました。

 現在秋期入学が話題になっていますが、APUでは開学1年目から秋期入学が実施されています。2000(平成12)年10月2日、キャンパスのミレニアムホールで秋期の入学式が挙行されました。式には187名の国際学生と20名の国内学生、合わせて207名の新入生を迎え、春季入学と合わせて入学者の出身地は47の国・地域に及びました。

 APUは、日本のどの大学にもない多様な文化が共生する国際的な大学としてスタートし、開学以降毎年春期と秋期の2回入学式を行い新入生を迎えています。



APU第一回秋期入学式(2000年10月)。 APUは開学年度から秋期入学も実施。以降毎年実施している。

2013.03.03

「今日は何の日」3月 附属校(宇治・慶祥・守山・小学校)の開校

 1994(平成6)年3月、立命館は宇治学園と法人合併の調印をし、同年9月に校名を「立命館宇治高等学校」として第二の附属校がスタートを切りました。
 宇治学園の前身は1946(昭和21)年に遡りますが、宇治高等学校は1965(昭和40)年に開校しています。合併後は英語教育やIT教育などに高い到達を築き、またスポーツ分野でも様々な実績を残しています。2002(平成14)年9月には新キャンパスに移転し、翌年4月に「立命館宇治中学校」を開校しました。
 1995(平成7)年12月、立命館は北海道の慶祥学園と法人合併し、学園の札幌経済高等学校を「立命館大学慶祥高等学校」として第三の附属校が誕生しました。
 そして1997(平成9)年4月、江別市に新しいキャンパスが完成し、札幌市から移転しました。2000(平成12)年4月には、「立命館慶祥中学校」を開校し、同時にそれまでの立命館大学慶祥高等学校を「立命館慶祥高等学校」と改称しました。慶祥は、学内進学のみならず難関国公立大学進学も目標にしています。
 更に2006(平成18)年4月、滋賀県守山市に「立命館守山高等学校」を開校し、翌年4月に新キャンパスを開設、合わせて「立命館守山中学校」を開校しました。
 立命館守山高等学校は、それまでの守山市立守山女子高等学校が守山市から移管されるという、全国的にほとんど例のない公立から私立への移管となりました。守山は開校当初からBKCとの結びつきを重視し、文理融合教育や科学技術教育を重視しています。
 同じ2006(平成18)年4月立命館は、北大路キャンパスに校舎の装いも新たに「立命館小学校」を開校しました。
 初年度は1年生から3年生までの368名の児童で第一歩を踏み出しました。校門の石碑には学祖西園寺公望の筆になる「培根達支」が刻まれ、児童の成長が願われています。小学校の開校により、大正時代前期には既に構想されていた小・中・高・大一貫教育の学園が実現しました。



2006年、北大路学舎に立命館小学校を開校。入学式に先立ち開校式が行われた(初年度は3学年)。

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