立命館大学図書館

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金丸 裕一 先生(経済学部)②

 


(1)
毎年4月になると、900名くらいの新しい人々が経済学部のメンバーに加わり、連休あたりまでは、広からぬキャンパスが俄かに活気付き、気分も昂揚する。 在校生を含んでの話だけれども、あなたがたはいま、立命館大学をいう「場」で学んでいる。この学校が如何なる理念の下に生きてきたのかを知ることは、即ち学園の正負の伝統を理解する作業となるであろう。
その意味においても、末川博『彼の歩んだ道』(岩波書店、1995年復刻)は、戦後に「戦争協力大学」として廃校直前の惨状から蘇った立命館精神の原点がどこにあったのかを雄弁に記録する。先ずは一読を推薦したい図書である。

(2)
猫も杓子も「国際化」だと騒ぎ出してから久しい。最初の頃は、世界を駆け巡る仕事に従事する人など、しょせんは同世代人口の5%くらいなのだから、実効的意味が無いお題目だと考えていた。しかしこれは私の的外れであり、結果的には英語や中国語などを駆使して仕事をする卒業生が輩出している。しかし彼らと卒業後にお話していると、実務的なやりとりはなんとか出来るが、相手が何を考えているのか良くわからないという声を多く聞く。超能力者などは存在しないのだから、他人の頭の中を覗くことはできない。けれども、彼ら彼女たちのある種「共有する価値観」であるならば、若い内に知っておいた方が良い。
『新共同訳 大型引照つき聖書 旧約聖書続編つきNIO53DC』(日本聖書協会)は、ユダヤ教とキリスト教(カトリックもプロテスタントも東方正教会も)の聖典であるが、値段は高いので、個人では『新共同訳 小型聖書/旧約続編つきNI44DC』(日本聖書協会)くらいが適切か。
現代国際社会の矛盾を、「イスラム対キリストの現代史」などと大袈裟な表現を好む国際学者(文明学者)を見たら、「偽者学者」と即断しても構わないだろう。なんとなれば、イスラム教の正典である「クルアーン」を読めば、二つの宗教が兄弟関係にあることは一目瞭然なのだから。しかも、「クルアーン」は極めて賢明な方針として、翻訳が教義で禁止されている。日本人ムスリム(イスラム教徒)の場合、『日亜対訳聖クルアーン』(日本ムスリム協会:〒151-0053 東京都渋谷区代々木2-26-5 バロール代々木1004号:℡03-3370-3476)を用いており、3000円程で頒布してくれる。『コーラン』上・中・下(岩波文庫)ならば生協でも直ぐに買えるから、これを読まずに中東や東南アジアを語ること勿れ。
日本人の人生観や世界観について、海外で質問されることも多い。仏教については沢山の本があり選択に往生したが、『仏教聖典』(仏教伝道協会)ならば、500円で読める上に、わかりやすい。神道については、自然宗教的性格も強いためか概要を理解するのは難しいが、鎌田純一『神道概説』(学生社、2006年)あたりには目を通しておこう。
無論、個々人の世界観や人生観・価値観は百花斉放であるから、これで世界の全てがわかるわけではない。また、「儒教」やインドの宗教については、わたくしはまだ、他人に推薦できる程度にまでは学んでいないから、ここでは割愛する。しかし少なくともこうしたマトモナ「心の営み」について謙虚に耳を傾ければ、「スピリッチャルなんとか」であるとか、「前世療法」あるいは、「オーラ」や「チャクラ」などといった、偽の「癒し」に嵌まり込み、生の時間を浪費する危険性は激減するだろう。

(3)
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(コヘレト 12.1)とか言われても、ピンと来る若者は少ないと思う。元気で順風満帆ならば尚更だ。しかし、チョッとした出来事で「キレ」てみたり、考えられないような行動をとる在学生も着実に増加しているから、困ったものである。 世の中の価値観が揺らいでいる。「真面目に頑張れば将来は明るい」などとは、教師として口に出来なくなった。人生の究極的な目標を「発財」だと公言して、銭稼ぎに血眼になるような「教育者」も登場しているのだから、若者だけを責めるわけには行かないだろう。
わたくしたちが生きていく中で、普段はあまり意識しないのだけれでも、「生きる」とは何か?あるいは「死」や「愛」とはなんだろうか?などと、ふと考えることもあるだろう。小学生などでは、太陽がやがて赤星巨星となる過程で地球もこれに飲み込まれ、人類は当然死滅するといった科学本を読み、真っ青になっている純な子供も少なくない(貴方ももしやそうだったのでは?) こうした漠然とした問題は、どうしても言葉を媒介にしないと思考することができない。そして言葉は「身につける」ものである。そのためには読書という方法が、語彙を獲得する唯一の手段である。
宮田光雄『生きるということ』(岩波ジュニア新書、1987年)は、高校生向けに書かれた新書であるけれども、21世紀の「ゆとり」大学生にとっては格好の入門書である。また、竹田青嗣『自分探しの哲学』(主婦の友社、2007年)は、「子どもの哲学」「若者の哲学」「大人の哲学」の3部からなり、②日常のふとした「想い」に素材を求めたもので、これも電車の中で読める一冊。しかし、こういった簡単系の文庫や新書は、帰宅後にきっちりと語句の意味を調べたり、脚注などに登場する参考文献に再度あたる作業によってこそ、その「簡単」が持つ本当の意図が理解できる。BKCであるならば、メディアライブラリー2階にあるレファレンスを活用してほしい。
この他にも、橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、あるいは池田清彦『科学とオカルト』(講談社学術文庫)などなど、レベルが高い教養書は多くある。特に池田の本を読んだ後で、「なんとか霊感商法」に引っかかるのは、救いようが無い馬鹿。

(4)
人間が生きている過程で、どんなことに遭遇するかは、被造物の誰一人として予測することは不可能である。
佐藤優『獄中』(岩波書店)は、日本の外交政策転換というよりは、小泉純一郎政権成立後の「劇場政治」の巻き添えをくらい、勤務先の外務省からも裏切られ、小菅の東京拘置所に長いことぶち込まれていた人物が、獄中で記した読書日記を中心としている。佐藤優『国家論』(NHKブックス)などにおける、「ブレのない世界観」の根源が何処にあるのか、そしてまた、苦境から個は如何にして脱出するのか、これほど見事な手本はないと思う。
就職活動に夢中になっている4回生には申し訳ないが、客観的な事実として現代の若者の3割は3年で離職するという。そして、その中のかなりの部分が「自分探し」だとかなんとか理由をつけて、海外逃亡したりするのであるが、雨宮処凛『プレカリアート』(洋泉社新書)を読んでからでも逃げるのは遅くないだろう。彼女は元々「愛国ロックバンド」とかで頑張っていた変な右翼少女だとは思っていた。実際にフリーター生活を体験してみて、社会に対する見方は、180度転回したのではないだろうか。
ベンチャーでも起業でも夢はなんでも構わないが、雨宮が警告する陥穽に落ち込む比率が圧倒的に高いと考えるのは、小生だけではあるまい。

(5)
どうも今回は、即効性がない、役に立たない教養書に終始して紹介した感がある。ここで列挙した本を幾らか読んでみたところで、「資格試験」にも合格しないし、将来の世俗的な立身出世が約束されるわけでもない。
でも、こういった「雑学」的な思考に慣れているかどうかが、ある意味で「教養性」を計測するモノサシになっていることは、経験上からも断言しておきたい。役にはたたないが、「生きる力」は着実に強められるだろう。
最近は故あって、都内の大学生や大学院生の指導をする機会も多いのであるが、所謂「一流大学」の学生や院生は、専門分野以外においても、かなり私たちの世代と共通した「術語」を使いこなしているんだなと、実感させられている。翻ってわが立命館学園を見ると、大変失礼な言い方であるが、「コンビニ」的な知識の羅列が教養だと勘違いしている学生の比率の高さを感じてしまう。

最後に、ちかごろ読んだ軽めの本を2冊紹介する。
金益見『ラブホテル進化論』(文藝春秋)、もうひとつが粉雪まみれ『チャイニーズ・シネマ・スター・オデッセイ‐恋愛的中華電影明星誌』(集英社)である。
二つの本の作者はいずれも女性で、なかなか面白い視点から纏められた書物である。しかし一読した後、一つは中味を更に発展させれば立派な「研究」に進化していくが、もう片方は、単なる「物好き」程度に留まるように思えてならない。
いったい、どちらが「研究」でどちらが「物好き」なのか?是非ともあなた方自身の眼で確認してほしいと願う。一読した後で、感想文などを書いてくれたら、いつでも添削しますからご遠慮なく!