虐待やDV、貧困などの幼少期の逆境的体験(ACEs)は、成人後のメンタルヘルスにも影響を及ぼすといわれている。石田賀奈子は、「子どもの声を聴く」ことに注目し、ACEsからの回復支援について研究している。
幼少期の逆境的体験が成人後のメンタルヘルスにも影響する
虐待やDV、貧困、親の病気や不在、離婚など、家庭の中で辛い経験をして深く傷つく子どもたちがいる。そうした保護者の下で暮らせない子どもを、公的な責任として社会的に養育する社会的養護という仕組みがある。しかし「保護者から子どもを離せば、それでケースワークが終結するわけではありません。重要なのは、むしろその後です」。そう語るのが、石田賀奈子だ。石田は、幼少期に逆境的な体験(Adverse Childhood Experiences:ACEs)をした子どもの回復支援に関する研究を行っている。
石田は2022年の研究で、児童養護施設に入所していた経験のある若者834人にアンケート調査を実施し、ACEsをもつ人の多さを浮き彫りにしている。坪井による日本版ACEs尺度の10項目のうち、いくつ当てはまるかでACEsの高さを調べたところ、ACEsスコア4点以上の人は実に55.3%にのぼったという。4点以上は人口の1%ほどとされる中で、児童養護施設に入所経験のある半数以上が、幼児期に複数の逆境を経験したということだ。とりわけ女性(女児)、施設への入所年齢が高い子どもは、ACEsのスコアが高い傾向にあることも明らかになった。
「ACEsは、その後大人になってもメンタルヘルスに甚大な影響を及ぼす可能性があります。先行研究でも、ACEsが成人の主要な死因の複数の危険因子と強い相関があることが示されている他、特に母親のACEsの悪影響が、子どもの思春期の問題行動や抑うつ症状に影響を与える可能性も指摘されています。つまり成人期の回復のためには、こども期の支援にリソースを集中させることが極めて重要です」と強調する。
乳児院の絵本の読み聞かせ
言葉かけについて調査
子どもの回復支援において、石田が特に関心を持っているのが、「子どもの声を聞く(アドボケイト)」ことだ。
これまで児童福祉では、大人である専門家が子どもの措置を決めることが当然とされてきた。発達途上にある子どもの真の意思を理解するのが、難しいことも理由の一つだ。しかし今、さまざまな意思決定場面に当事者である子どもの声を反映することが重視されるようになってきているという。「傷つき体験をもつ子どもの声を聴きとり、『私をわかってもらえた』という経験を積み重ねていくこと。それが子どもの回復において非常に大切だと考えています」と言う。
そのための研究の一つとして、2023年に石田は、NTTコミュニケーション科学基礎研究所との共同研究で、全国の乳児院に対し、絵本の読み聞かせや乳幼児への言葉かけに関する調査を行った。
事前調査では、乳児院の子どもは特に感情語、気持ちを表す言葉の発達にやや遅れがあることがわかっていた。「絵本の読み聞かせは、学力や情緒・感情の発達に良い影響を与えることが先行研究で明らかになっています。絵本の読み聞かせや乳幼児への言葉かけの実態を詳らかにし、乳児院の子どもの感情語の発達に寄与するヒントを見つけたい」と目的を語る。
調査の結果、多くの乳児院で非常に丁寧に読み聞かせを行っていることや、忙しい中でも意欲を持って取り組んでいる実態が見えてきたという。また本の選定においても、保育の専門家である施設職員が、子どもの発達に応じた適切な選定を行っていることがわかった。「考察は、分析結果を待たねばならない」としながらも、「研究で得た知見を臨床現場に役立てたい」と語った。
子どもの意見表明支援
ヒントは幼少期のポジティブな経験
今、「子どもの声を聴く」仕組みが整いつつある。2022年の児童福祉法の改正により、2024年4月1日、意見表明等支援事業がスタートした。これにより新たに導入されたのが意見表明等支援員だ。社会的養護の環境下にある子どもに対し、自らの処遇などについての意見を聴きとり、行政などに伝える役割を担う。
しかし事業は始まったばかり。子どもの真の声を聴きとる技術の向上・確立など、課題は少なくない。石田は、そのための知見の提供や情報発信にも力を注いでいる。「子どもの意見表明を支援するためのヒントになると考えているのが、ACEsを持つ子どもたちの『幼少期のポジティブな経験(Positive Childhood Experiences:PCEs)』です」。先行研究でも、幼少期のポジティブな経験は、ACEsとは別に、成人期の精神および人間関係の健康と関係があることが報告されている。「私が行った複合的なACEsを持つ人に対するヒアリング調査でも、二人以上の信頼できる大人との出会いをPCEsとして挙げる人が多くいました」と言う。
心理的支援においては、セラピストとクライアントが一対一の信頼関係(ラポール)を築く重要性が指摘されてきた。「しかしACEsを持つ子どもの支援、アドボケイト(意見表明支援)においては、専門職や特定の個人だけでなく、多様な大人との関わりを増やすことが重要だと考えています」と提案する。
今後も研究を通じて知見を増やし、子どもに関わる多様な専門職の領域横断的な連携にむけた支援、さらには子どもを育む社会に発信していくことにも情熱を注いでいく。
