一枚の薄いシートを引っ張ると、一瞬で色が変わる。まるで魔法を見ているかのようなシーンを実現する、不思議な物質がキラル液晶エラストマー。力やひずみを色で可視化できる素材はいま、多くの企業から注目されている。加えられる力と色の変化の関係性、その精度を高めて革新的な素材をより使いやすくする研究に、堤治は取り組んでいる。
元素の周期表に導かれて芽生えた探究心
水素(H)、ヘリウム(He)、リチウム(Li)、ベリリウム(Be)と順に並んだ元素の周期表を、多くの人が中学時代に理科の授業で一度は目にしているだろう。このアルファベット記号が並ぶ表を見たのがきっかけとなり、中学生だった堤治は化学研究の世界に導かれていった。
「聞けばわずか100種類ほどの元素だけで、宇宙にあるすべてのモノがつくられているという。自分の身の回りにあるもの、さらには自分の体も何もかもすべてが、この元素でできている。それって、一体何がどうなっているのだろうと不思議で仕方がないし、何かとんでもなく凄いことではないのかと思ったのです」
元素に興味を持った堤は、やがて有機化合物に惹かれていく。炭素を骨格として、水素、酸素、窒素などごく限られた元素の組み合わせだけで、何千万もの化合物がつくられる世界。その無限ともいえる有機化合物の可能性に魅せられ、やがて自分でも何か新しい化合物をつくりたいと考えるようになった。
「高専に進んで化学発光を研究し、大学、さらに大学院では高分子材料化学へと研究を進めていきました。高専の頃から興味の核心は光と分子の相互作用であり、化学発光を示す新しい化合物の開発を研究テーマに選びました」
化学発光現象を応用した身近なアイテムとしては、ケミカルライトが知られている。お祭りの屋台などで売られている光るスティックである。スティックを折り曲げると、なかに仕込まれているガラスアンプルが割れ、アンプルから出てきた化学発光材料が混ざり合って光反応を起こす。このように光る現象を引き起こす新しい化合物の開発に取り組むうちに、堤の関心はさらに先へと導かれていき、光と分子集合体すなわち二つ以上の分子からなる構造体との関係を考えるようになった。
光で分子をコントロールする
光と分子の関係を活用する身近なアイテムに調光サングラスがある。このサングラスは、紫外線などの光を受けるとレンズの色の濃さが変わっていく。使われているのはフォトクロミックレンズと呼ばれる特殊な素材でつくられたレンズだ。
「素材のなかの特定の分子が光を吸収すると、光から受け取ったエネルギーにより分子構造が変わります。構造が変わると物性が変わり、ひいては物質の色も変わる。これがフォトクロミズムと呼ばれる現象で、大学院時代に扱っていた材料はフォトクロミズムを示す液晶でした。液晶は分子の集合体ですから、さまざまな光を当てて、集合体の中の分子の並び方を変える研究です」
大学院を終えた堤は、カリフォルニア工科大学(Caltech)でポスドクとなり、今度は二光子吸収性化合物の開発に取り組む。分子が光を吸収する際に、通常は一つの光子(光の粒子)が分子内の電子を励起させる。すなわち基本的には1個の分子は、一つの光子しか吸収しない。けれども分子に特殊な加工を施せば、二光子を同時に吸収できるようになる。より多くの光子を吸収できれば、顕微鏡などを使う観察の際に高い空間分解能を得られたり、生体組織などではより深部まで光を届かせて観察できるようになる。ちなみに空間分解能とは、近い距離にある二つの物体を二つのものとして区別できる最初の距離を表し、この距離が小さいほど、微細な画像を観測できるようになる。留学から帰国後も研究を続けて、2002年には『二光子吸収性フォトクロミック液晶の開発』について報告書をまとめている。
その後、立命館大学に着任した際に堤は、これまでとは異なるテーマに取り組もうと決めた。そこで参加したのが「先端材料に基づくロボティクス・イノベーション」プロジェクトだ。これは理工学部・ロボティクス学科の教員によって立ち上げられた、ソフトロボットすなわち軽くて・小さくて・柔らかなロボットを創製するプロジェクトである。
「当初はソフトロボットの材料、ロボットハンドに使う高分子のゴムの開発などもテーマとして考えていました。プロジェクトが進んで具体的にロボットの腕をつくろうとなったとき、腕を動かすアクチュエーターと腕で掴んでいるものを感じ取るセンサーが必要となりました。いずれも従来は金属でつくられていたパーツですが、それではソフトロボットにならない。そこでまず高分子材料を使ったセンサーの開発に取り組みました」
力がかかると物質の色が変化する。この材料自体は、2001年にドイツの研究グループによって発表されていた。これを活用すれば、力の大きさを色として可視化できるのではないか――そんなアイデアを堤は思いついた。しかし、先行研究で開発された材料をそのまま使えるかといえば、それほど安易な話ではない。ロボットのセンサーとして使うためには、ある程度の大きさが求められる。けれども、従来のやり方ではごく小さなサイズしか作製できなかったのだ。
力により色が変わる素材を突き詰める
力によって色が変わる物質とは、ゴムのように伸び縮みする高分子であるエラストマーに液晶を組み込んだ素材である。エラストマーの化学構造そのものを見直し、必要なレベルの大きさを簡便に作成できるよう化学構造からデザインし直すことで、まずサイズの問題を解消した。しかし、課題はサイズ以外にもいくつもあった。
「高分子液晶のエラストマーは、力をかけて引っ張ると伸びていき色が変わります。けれども手をパッと離して力を緩めても、ゴムのように瞬時に元に戻ってはくれません。じわじわとゆっくり戻っていくので、完全に戻りきるまでに時間がかかる。これではセンサーとしては使えない。センサーとして求められるのは、力の変化をリアルタイムにセンシングする能力です。そのように材料を改変するのが、第二のハードルでした」
戻りを早くするための工夫は、エラストマーそのものではなくセンサー全体の構造変換によって編み出された。すなわちエラストマーを単体で使うのではなく、その上下に透明の薄い異種材料を制御層として貼り合わせる。制御層は、伸ばされると素早く縮もうとする。制御層が伸び縮みするのに従って、中に挟まれているエラストマーも伸び縮みする。からくりを聞けばなるほどと納得させられるもので、このアイデア『複合構造体、センサー及びセンサーシステム』は特許を取得している。
制御層の間に挟まれたエラストマーの厚みは0.05ミリと薄い。この薄いエラストマーを引っ張ると、エラストマーの厚みがさらに薄くなるため、その中にある分子の並び方が変わる。分子の並び方が変わると、その結果として反射する光の波長が変わってくる。つまり色が変わって見える。これら一連の動きを堤は「分子が勝手に考えて動いてくれる」と表現する。
「色の変化と力のかかり具合には一定の関係性があります。だから色の変化をみれば、どれくらいの力がかかっているのかがわかる。つまりセンサーとして使える。ソフトロボットに使うときには、その指先にエラストマーのフィルムを入れて、ごく小さなカメラを一緒に仕込んでおきます。するとロボットが何かを掴んだとき、つまりロボットが対象物にかけた力によりフィルムの色が変わります。したがって色の変化から力のかかり具合を把握できるようになります」
ロボットがものを掴む際の力のかかり具合を、エラストマーのような柔らかい材料でリアルタイムかつ正確に計測するのは、現状では極めて難易度の高いテーマである。けれども堤の開発した液晶エラストマーを活用すれば、かかっている力を精度高く測定する可能性が出てくる。
センサーとしての製品化に向けた今後の研究課題
次の課題となっているのは、力をセンシングする際の高感度化だ。力がかかって引き伸ばされると、液晶の膜厚が薄くなり、液晶内のらせんピッチが減少する。その結果として液晶の反射する色が変わる。感度を高めるためには、引っ張る力が小さくても、膜厚が大きく変化するような材料が望ましい。
「より感度を高められれば、幅広い用途での活用が考えられるので、感度を10倍以上向上させた材料の開発にも成功しています。高感度化した材料を利用すると、当初のテーマだったソフトロボット用センサーの他にも、たとえば、サッカーボールにエラストマーフィルムを貼り付ければ、ボールのひずみ具合を可視化できるようになります。ボールの空気圧が足りない状態になると、ボールがわずかに変形します。その変形具合をフィルムの色の変化で確認できる。ボールの空気圧を正しく保つことはプレーの質の向上にもなるし、日常のトレーニングを正しく行うためにも重要と考えられます」
他にも活用できる対象はいくつもある。意外な所では橋の点検だ。日本では今後多くの橋が、耐用年数を迎えていく。これを放置しておくと崩落する危険があるため、橋脚の傷み具合を確認しなければならない。そこでこのエラストマーフィルムを活用する。フィルムを橋脚に貼り付けておけば、何か不具合が起きてひずみが生じた場合に色が変わる。色の変わった場所は要注意だから、人がチェックする。それ以外の場所については、現状のような人が高いところに上がり、橋脚を叩いて確認する検査をやらなくてもよくなる。その際にエラストマーフィルムをセンサーとして使う何よりのメリットは、通常のセンサーには欠かせない電気などのエネルギーをまったく必要としない点にある。
「押し付けると色が変わる素材なら、子ども向けのおもちゃに使えるのではないかと、玩具メーカーからも問い合わせが来ています。電源不要で力を見える化できるセンサーには、私たちの想像もつかないような使い道がいくつもあるはずです。今後の製品化を考える前に解決しておくべき課題の中でも、最も重要なのが生産技術の問題です。製品化のためには必要なサイズのフィルムを適切なコストで量産しなければなりません。けれども量産技術を大学の実験室で検討するのは不可能です。量産化は決して簡単なテーマではないのです」
量産化に際しての問題点は、できたフィルムに発生するムラだ。ムラなく均一な品質を保ちながら、大きなサイズのフィルムをつくるにはどうすればよいか。フィルム作成には、事前準備と光を当てて液晶を加工する二つのプロセスがある。ポイントは光の当て方と、光を当てる前の液晶内での分子の並べ方にある。特に分子の並べ方については、実験室内での手作業とは異なり、量産用に新たな技術開発が必要となるだろう。
「産学連携による課題解消が求められるところですが、その前にまずこのような素材を何に使えそうかと、産業界と共に考えていければと思います。電源不要で力を見える化できる、極めてコンパクトなセンサーです。使い道はいろいろ広がっていると期待しています」