荒木通啓は、AIを用いて生命科学や健康分野のデータ解析に取り組んでいる。その研究の基盤にあるのは、研究者たちが長年蓄積してきた膨大な「記録」である。AIはそれらをどのように読み替え、新たな価値を生み出すのか。データサイエンスの最前線を聞いた。
記録が「動き出す」時代
人工知能(AI)は、大量で複雑なデータの中から類似点を見つけ出し、そこに潜む法則性を発見することを得意とする。現在、AIは多くの分野に浸透している。画像認識や音声認識といった日常的な技術から、金融における市場予測、製造業での品質管理、さらには創薬や医療診断に至るまで、その応用範囲は急速に広がっている。
AIの活用がここまで急速に広がった背景には、長年にわたり蓄積されてきた膨大な記録の存在がある。AIの進歩によって、これまで十分に活用されず蓄積されてきた記録が、新たな意味を帯び始めるようになってきたのである。
これは研究の世界でも同様だ。研究者たちが実験や観察を通じて積み上げてきたデータが、近年ようやく解析可能な規模に達し、それらを処理する計算資源と手法が揃ったことで、AIは一気に実用段階へと進んだ。
生命科学研究の分野では、ゲノムやタンパク質の配列をAIで解析し、予測やシミュレーションを行う研究が盛んである。ATGCの文字列として表される遺伝情報や、アミノ酸配列といったデータは構造が明確であり、コンピュータにとって扱いやすいデータである。
「配列にどういう意味があるのか、そしてどのような機能があるのか。そういうことも推定できるようになってきました」と、荒木通啓は説明する。
2024年にノーベル化学賞の対象となった研究を背景に開発された「AlphaFold」は、アミノ酸配列からタンパク質の立体構造を高精度に予測する技術である。タンパク質はアミノ酸が一列につながった構造を持つが、その鎖が複雑に折りたたまれることで特定の機能を発揮する。そのため立体構造を知ることが重要である。
従来は、対象となるタンパク質を結晶化させ、X線などを用いた構造解析によって、一つひとつ構造を同定してきた。しかし現在では、それらをコンピュータ上で高精度に予測し、機能の理解につなげることが可能になりつつある。こうした進展も、過去に多くの研究者たちが実験を行い、構造データを蓄積してきたことによって支えられている。
このような予測がどのようなことに役に立つのかという一例として、荒木の研究を紹介する。荒木はAIの活用によって、遺伝子を改良した微生物に有用な物質を作らせることに成功している。
「現在、世界中で医薬品原料などの貴重な物質を、遺伝子を改変した微生物に生産させる研究が進んでいます。その微生物が本来作らない物質を細胞内で合成させることは難しい挑戦です。一つの物質を作るには多くの化学反応が関わり、それぞれの反応には特定の酵素が必要になります。私たちは、鎮痛剤の原料となるベンジルイソキノリンアルカロイド(BIA)を微生物に作らせるために、必要な反応をコンピュータ上でシミュレーションし、遺伝子工学によって酵素を設計・導入し、その結果を再び機械学習にフィードバックすることで探索を進めました」
この研究により、荒木はBIAを生産するための代謝経路を構成する酵素を発見することができた。実験とAIを組み合わせることで、大量の試行錯誤を効率的に行い、最適解に近づくことが可能になったのである。実験で得られたデータを利用してAIの予測モデルを立てるといった学習サイクルを開発し、当該分野でその有効性を証明した最初の研究となった。
微生物に目的の物質を作らせるこのような技術は、合成生物学、または応用微生物学と呼ばれ、医薬品の安定供給や新素材開発、さらには石油資源に依存しないものづくりへの応用も期待されている。
健康データが描く未来
一方で荒木は、ヘルスケア分野にも研究の軸足を置いている。
これまでも、健康と病気の関係を調べる研究は数多く行われてきた。例えば、多くの人の生活習慣や健康状態を長い時間をかけて追跡し、「どのような習慣がどのような病気につながるのか」を統計的に明らかにする方法である。食事や運動、喫煙の有無といった要因が、病気の発症とどう関わっているのかを、一つひとつ丁寧に検証してきた研究の成果は、現在の健康増進に役立てられている。
こうした研究は今も重要な基盤であるが、AIの登場によって、データの見方に新しい変化が生まれている。従来は「こういう関係があるのではないか」と仮説を立ててからデータを調べていたのに対し、AIは仮説に強く縛られすぎることなく、大量のデータの中から思いがけない共通点や関係を見つけ出すことができる。そうして見つかるのは、必ずしも原因と結果として説明できる関係とは限らないが、人の目では気づきにくい複雑なつながりが浮かび上がってくる。
「健康診断の結果やレセプト(診療報酬明細書)のデータをもとに、何年後にどのような疾患リスクがあるかといった予測モデルを作る試みは、すでに実用化に近づいています。ただし、遺伝子やタンパク質の配列データに比べると、健康関連のデータ量は圧倒的に少ないため、データをどう集めて蓄積していくかは今後の大きな課題です」
スマートフォンやウェアラブルデバイスによって個人の行動や生体情報を取得できる環境は整いつつあるが、個人情報保護やデータの囲い込みといった問題が、大規模な活用を難しくしている、と荒木は説明する。
しかし、研究に活用できるのは新たに取得するデータだけではない。これまでも過去の研究データや論文の報告をもとに再解析を行い、新たな知見を導き出す試みは行われてきたが、AIの活用によって、そうした既存データの分析の幅はさらに広がり、新たな関係性を見いだせる可能性が高まっている。
例えば、荒木は国立健康・栄養研究所での研究で、高齢者の健康と要介護の中間状態であるフレイルに関する調査データを解析した。フレイルの予防は、将来的な要介護状態を防ぐ上で重要である。複数の機械学習の手法によって、フレイルの重要な要因を抽出した結果、これまで見落とされていた指標が浮かび上がってきた。
荒木はこのような研究を「データの中から宝を探す」と表現する。
「AIはこれまで研究者が着目しなかった思いもよらない関係性を見つけることがあります。これまで解析に使われてこなかったようなデータの重要性が見えてきて、それをまた解析に加えると新たな関係性が見えてくる。人とは違う視点を持っている、そこがAIの面白さですね」
データの外側を探る
AIの活用が広がる中で、人間の役割はどこにあるのか。荒木自身は「枠組みの外側を探ること」に研究の動機を見出している。
「私としては、既存のフレームの少し外側を探索することに興味があります。AIはデータを網羅的に扱うことが得意です。AIの視点で既存のフレームで考えられることを整理してもらい、そのうえで、その外側に何があるのかを考えていく。そんな研究アプローチをとっています」
かつては、実験科学と情報科学は分断されがちであった。しかし現在では、両者が相互に補完しながら研究を進める体制が一般的になりつつある。AIによる予測と実験による検証を循環させることで、効率的に知見を積み重ねることが可能になっている。
「今後ますますAIが発達していくと、最終的に重要になってくるのは個人の思いつきやちょっとした感覚が大事になっていく気がします。また、『やりたいこと』があって初めてAIを活用できるので、AIを使って研究するには好奇心が必要です。加えて、言語能力も重要です。論理的に考える力、と言ってもいいかもしれません。データを探したり比較したりすることはAIが担ってくれます。アイデアを生み出すことと、それを的確に表現する力が人間には求められると思います」
現在のAIは、人間の主観や感情を十分に扱うことはできないが、今後、主観的なデータと客観的なデータが統合されることで、新たな応用が生まれる可能性があると、荒木は語る。
「個人の体質や行動だけでなく、嗜好や記憶、価値観まで含めた形で健康管理ができれば、より実行しやすい予防につながるかもしれません。AIが主観を扱えるようになったとき、『記憶』もまた解析の対象となるでしょう。そうなれば、自分の分身に働いてもらうような未来がくるかもしれませんね(笑)」
記録はもはや静的なものではない。解釈の仕方によって何度でも意味を変え、新たな価値を生み出す。荒木の研究は、その変化の渦中にある。
過去の記録が再解析によって新たな意味合いを持つ過程は、人間の記憶にもどこか似ている。過去の出来事は固定されたものではなく、思い出すたびに再構成される。AIは今、記録をそのような「動的な記憶」へと変えつつあるのかもしれない。