立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
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2013.09.01
「今日は何の日」9月 かつて立命館衣笠球場があった
現在の衣笠キャンパスの中央広場あたりには球場がありました。
正式には「立命館衣笠球場」と言い、1948(昭和23)年9月15日に竣工しています。
球場は中堅112m、両翼82mで、約27,000人が収容できる観客席がありました。一般にも開放されプロ野球公式戦や社会人野球でも使用、市民に親しまれた球場でもあったのです。
完成記念大会では、新制高校秋のリーグ戦、立命神山-同志社、立命-平安、洛南-條商、西京-西陣の4試合が行われ(注1)、大学の硬式野球部、準硬式野球部も使用し立同戦や総合体育定期戦なども行われていました。
プロ野球の阪神で活躍し監督も務めた吉田義男さんなども立命館大学1回生のときこの球場で練習をしています。
プロ野球の使用としては、1949(昭和24)年に大陽京都ロビンス(翌年松竹ロビンスに)がフランチャイズ球場として使用し(注2)、1948(昭和23)年から1951(昭和26)年まで66のプロ野球の試合が行われました。1950(昭和25)年には、女子プロ野球結成記念試合の京都・ヴィナス軍対東京・エーワン軍戦が行われています。
しかし1967(昭和42)年に柊野グラウンド野球場が完成し、1969(昭和44)年に体育館が出来ると球場は中央グラウンドとなりその使命を終えました。現在はキャンパス周辺の電柱に「衣笠球場」の名が残っているだけとなっています。
注1:條商は市立四条商業高校、西陣は市立西陣商業高校、洛南は府立洛南高校(旧二中)と思われ、現在の洛南高校ではない。
注2:大陽京都ロビンスは前年太陽ロビンスだったが、点を取る球団に、ということから太陽から大陽となる。

立命館衣笠球場。現在の中央ひろばあたりにあった。立同戦やプロ野球も行われた。
正式には「立命館衣笠球場」と言い、1948(昭和23)年9月15日に竣工しています。
球場は中堅112m、両翼82mで、約27,000人が収容できる観客席がありました。一般にも開放されプロ野球公式戦や社会人野球でも使用、市民に親しまれた球場でもあったのです。
完成記念大会では、新制高校秋のリーグ戦、立命神山-同志社、立命-平安、洛南-條商、西京-西陣の4試合が行われ(注1)、大学の硬式野球部、準硬式野球部も使用し立同戦や総合体育定期戦なども行われていました。
プロ野球の阪神で活躍し監督も務めた吉田義男さんなども立命館大学1回生のときこの球場で練習をしています。
プロ野球の使用としては、1949(昭和24)年に大陽京都ロビンス(翌年松竹ロビンスに)がフランチャイズ球場として使用し(注2)、1948(昭和23)年から1951(昭和26)年まで66のプロ野球の試合が行われました。1950(昭和25)年には、女子プロ野球結成記念試合の京都・ヴィナス軍対東京・エーワン軍戦が行われています。
しかし1967(昭和42)年に柊野グラウンド野球場が完成し、1969(昭和44)年に体育館が出来ると球場は中央グラウンドとなりその使命を終えました。現在はキャンパス周辺の電柱に「衣笠球場」の名が残っているだけとなっています。
注1:條商は市立四条商業高校、西陣は市立西陣商業高校、洛南は府立洛南高校(旧二中)と思われ、現在の洛南高校ではない。
注2:大陽京都ロビンスは前年太陽ロビンスだったが、点を取る球団に、ということから太陽から大陽となる。
立命館衣笠球場。現在の中央ひろばあたりにあった。立同戦やプロ野球も行われた。
2013.08.04
「今日は何の日」8月 立命館中学校・高等学校の拡充移転と男女共学化
1988(昭和63)年は、立命館中学校・高等学校にとって大きな変化の年でした。
それまで男子校として66年の期間を北大路学舎で過ごしてきましたが、同年4月からは男女共学化が始まり、中学校に男子162名、女子66名、高等学校に男子300名、女子67名が入学しています。さらに8月には、北大路学舎から深草学舎に移転することとなったのです。
深草学舎は、開設時には校地75,646㎡、校舎延べ床18,330㎡で、北大路の校地の約7.7倍、校舎約1.9倍の規模となり、快適な学習・教育環境となりました。
立命館中学校・高等学校では、7月16日に「さよなら北大路」閉校式典、感謝の集いを開催して北大路学舎に別れを告げ、7月22日には深草学舎竣工・開設記念式典を挙行、続いて8月29日に開校式と二学期始業式を新校舎の記念ホールで行っています。9月10日には近隣の学校や人々を招き、PTAと合同で記念行事、施設びらきを開催し新キャンパスの披露をしました。
立命館中学校・高等学校はその前身である私立清和普通学校が1905(明治38)年に広小路学舎で開校し、のちに私立立命館中学に改称され、1922(大正11)年に北大路学舎に移転し、1988(昭和63)年には深草へ移転してよりよい教育環境を目指してきました。現在は、さらなる教育環境を目指して長岡京キャンパスへの移転が2014年9月に予定されています。そしてその翌年の9月10日には、創立110周年を迎えます。

1988年7月深草移転に先立ち北大路学舎で閉校式典を実施。写真は生徒による人文字「さよならR北大路」
それまで男子校として66年の期間を北大路学舎で過ごしてきましたが、同年4月からは男女共学化が始まり、中学校に男子162名、女子66名、高等学校に男子300名、女子67名が入学しています。さらに8月には、北大路学舎から深草学舎に移転することとなったのです。
深草学舎は、開設時には校地75,646㎡、校舎延べ床18,330㎡で、北大路の校地の約7.7倍、校舎約1.9倍の規模となり、快適な学習・教育環境となりました。
立命館中学校・高等学校では、7月16日に「さよなら北大路」閉校式典、感謝の集いを開催して北大路学舎に別れを告げ、7月22日には深草学舎竣工・開設記念式典を挙行、続いて8月29日に開校式と二学期始業式を新校舎の記念ホールで行っています。9月10日には近隣の学校や人々を招き、PTAと合同で記念行事、施設びらきを開催し新キャンパスの披露をしました。
立命館中学校・高等学校はその前身である私立清和普通学校が1905(明治38)年に広小路学舎で開校し、のちに私立立命館中学に改称され、1922(大正11)年に北大路学舎に移転し、1988(昭和63)年には深草へ移転してよりよい教育環境を目指してきました。現在は、さらなる教育環境を目指して長岡京キャンパスへの移転が2014年9月に予定されています。そしてその翌年の9月10日には、創立110周年を迎えます。
1988年7月深草移転に先立ち北大路学舎で閉校式典を実施。写真は生徒による人文字「さよならR北大路」
2013.08.02
「今日は何の日」8月 昔の夏休みは何日までだった?
2012(平成24)年度の夏期休暇は、8月3日から9月25日(54日)まででした。
この夏期休暇期間も昔から変遷があります。
戦前の旧制の立命館大学の頃は7月11日から9月10日(62日)でした。
1937(昭和12)年6月発行の『立命館学誌』には「暑中休暇に於ける読物に就いて」という記事があり、当時の教授による夏休みの読書の薦めが掲載されています。
末川博先生は『寒山詩』『国際問題研究』など、吉川大二郎先生は河合榮治郎著『学生生活』、瀧川幸辰先生は『福翁自伝』『寺田寅彦全集』などを薦めています。もっとも末川先生は「何を読むべきかということよりも如何に読むべきかということのほうが大切」と言っています。
新制大学になって間もない1950(昭和25)~1955(昭和30)年度は、7月1日~8月31日(62日)。
1956(昭和31)~1985(昭和60)年度は、戦前と同じ7月11日~9月10日(62日)。
1986(昭和61)~1993(平成5)年度は、7月25日~9月20日(58日)となりました。
これ以降は、その年度の学事日程により多少変更されています。

祇園祭鉾引きのアルバイト(7月)北観音山を曳く立命館大学学生
この夏期休暇期間も昔から変遷があります。
戦前の旧制の立命館大学の頃は7月11日から9月10日(62日)でした。
1937(昭和12)年6月発行の『立命館学誌』には「暑中休暇に於ける読物に就いて」という記事があり、当時の教授による夏休みの読書の薦めが掲載されています。
末川博先生は『寒山詩』『国際問題研究』など、吉川大二郎先生は河合榮治郎著『学生生活』、瀧川幸辰先生は『福翁自伝』『寺田寅彦全集』などを薦めています。もっとも末川先生は「何を読むべきかということよりも如何に読むべきかということのほうが大切」と言っています。
新制大学になって間もない1950(昭和25)~1955(昭和30)年度は、7月1日~8月31日(62日)。
1956(昭和31)~1985(昭和60)年度は、戦前と同じ7月11日~9月10日(62日)。
1986(昭和61)~1993(平成5)年度は、7月25日~9月20日(58日)となりました。
これ以降は、その年度の学事日程により多少変更されています。
祇園祭鉾引きのアルバイト(7月)北観音山を曳く立命館大学学生
