立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
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2013.03.03
「今日は何の日」3月 附属校(宇治・慶祥・守山・小学校)の開校
1994(平成6)年3月、立命館は宇治学園と法人合併の調印をし、同年9月に校名を「立命館宇治高等学校」として第二の附属校がスタートを切りました。
宇治学園の前身は1946(昭和21)年に遡りますが、宇治高等学校は1965(昭和40)年に開校しています。合併後は英語教育やIT教育などに高い到達を築き、またスポーツ分野でも様々な実績を残しています。2002(平成14)年9月には新キャンパスに移転し、翌年4月に「立命館宇治中学校」を開校しました。
1995(平成7)年12月、立命館は北海道の慶祥学園と法人合併し、学園の札幌経済高等学校を「立命館大学慶祥高等学校」として第三の附属校が誕生しました。
そして1997(平成9)年4月、江別市に新しいキャンパスが完成し、札幌市から移転しました。2000(平成12)年4月には、「立命館慶祥中学校」を開校し、同時にそれまでの立命館大学慶祥高等学校を「立命館慶祥高等学校」と改称しました。慶祥は、学内進学のみならず難関国公立大学進学も目標にしています。
更に2006(平成18)年4月、滋賀県守山市に「立命館守山高等学校」を開校し、翌年4月に新キャンパスを開設、合わせて「立命館守山中学校」を開校しました。
立命館守山高等学校は、それまでの守山市立守山女子高等学校が守山市から移管されるという、全国的にほとんど例のない公立から私立への移管となりました。守山は開校当初からBKCとの結びつきを重視し、文理融合教育や科学技術教育を重視しています。
同じ2006(平成18)年4月立命館は、北大路キャンパスに校舎の装いも新たに「立命館小学校」を開校しました。
初年度は1年生から3年生までの368名の児童で第一歩を踏み出しました。校門の石碑には学祖西園寺公望の筆になる「培根達支」が刻まれ、児童の成長が願われています。小学校の開校により、大正時代前期には既に構想されていた小・中・高・大一貫教育の学園が実現しました。

2006年、北大路学舎に立命館小学校を開校。入学式に先立ち開校式が行われた(初年度は3学年)。
宇治学園の前身は1946(昭和21)年に遡りますが、宇治高等学校は1965(昭和40)年に開校しています。合併後は英語教育やIT教育などに高い到達を築き、またスポーツ分野でも様々な実績を残しています。2002(平成14)年9月には新キャンパスに移転し、翌年4月に「立命館宇治中学校」を開校しました。
1995(平成7)年12月、立命館は北海道の慶祥学園と法人合併し、学園の札幌経済高等学校を「立命館大学慶祥高等学校」として第三の附属校が誕生しました。
そして1997(平成9)年4月、江別市に新しいキャンパスが完成し、札幌市から移転しました。2000(平成12)年4月には、「立命館慶祥中学校」を開校し、同時にそれまでの立命館大学慶祥高等学校を「立命館慶祥高等学校」と改称しました。慶祥は、学内進学のみならず難関国公立大学進学も目標にしています。
更に2006(平成18)年4月、滋賀県守山市に「立命館守山高等学校」を開校し、翌年4月に新キャンパスを開設、合わせて「立命館守山中学校」を開校しました。
立命館守山高等学校は、それまでの守山市立守山女子高等学校が守山市から移管されるという、全国的にほとんど例のない公立から私立への移管となりました。守山は開校当初からBKCとの結びつきを重視し、文理融合教育や科学技術教育を重視しています。
同じ2006(平成18)年4月立命館は、北大路キャンパスに校舎の装いも新たに「立命館小学校」を開校しました。
初年度は1年生から3年生までの368名の児童で第一歩を踏み出しました。校門の石碑には学祖西園寺公望の筆になる「培根達支」が刻まれ、児童の成長が願われています。小学校の開校により、大正時代前期には既に構想されていた小・中・高・大一貫教育の学園が実現しました。
2006年、北大路学舎に立命館小学校を開校。入学式に先立ち開校式が行われた(初年度は3学年)。
2013.03.02
「今日は何の日」3月 神山学舎の開設と上賀茂グラウンド
1942(昭和17)年3月、上賀茂グラウンドの地に神山(こうやま)学舎が開設されました。
神山学舎は、前年4月に立命館第二中学校が設置され北大路学舎を仮校舎としていましたが、旧校舎を移設・改修してスタートしました。
学舎はもともと1928(昭和3)年にグラウンド用地として取得、1929(昭和4)年に完成し10月20日に完成記念全学大運動会を開催し、以降グラウンドとして使用していた場所でした。
立地は、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の北、神山を望む地にあり、市バス御園橋から25分、京福二軒茶屋から20分という場所で、約8,000坪の地は「仙境ともいうべき閑静の地」(元立命館高等学校長・野崎龍吉先生)であったということです。
第二中学校は戦後の学制改革とともに1947(昭和22)年に立命館神山中学校となり、翌48年に立命館神山高等学校も設置されました。
神山中学校、神山高等学校はその後1952(昭和27)年に廃止され、立命館中学校・高等学校に統合されます。
卒業生は、第二中学校が1945(昭和20)年から1948(昭和23)年までで422名、神山中学校が1949(昭和24)年から1951(昭和26)年までで345名、神山高等学校が同じ期間で324名でした。
神山学舎は1952(昭和27)年から京都市に貸与され、市立本山中学校(のち洛北中学校と改称)が使用しましたが、1957(昭和32)年6月に返還され、以降立命館のグラウンドとして使用しました。
課外活動としてはアメリカンフットボール、サッカー、陸上ホッケー、弓道部などが使用しましたが、柊野グラウンドの開設により順次移転し、1982(昭和57)年4月に京都産業大学に売却することになり(弓道部は9月まで使用しましたが)、50余年の歴史を閉じました。

1942年、上賀茂グラウンドの地に神山学舎を開設。最初は立命館第二中学校、のち神山中学校・高等学校となった。
神山学舎は、前年4月に立命館第二中学校が設置され北大路学舎を仮校舎としていましたが、旧校舎を移設・改修してスタートしました。
学舎はもともと1928(昭和3)年にグラウンド用地として取得、1929(昭和4)年に完成し10月20日に完成記念全学大運動会を開催し、以降グラウンドとして使用していた場所でした。
立地は、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の北、神山を望む地にあり、市バス御園橋から25分、京福二軒茶屋から20分という場所で、約8,000坪の地は「仙境ともいうべき閑静の地」(元立命館高等学校長・野崎龍吉先生)であったということです。
第二中学校は戦後の学制改革とともに1947(昭和22)年に立命館神山中学校となり、翌48年に立命館神山高等学校も設置されました。
神山中学校、神山高等学校はその後1952(昭和27)年に廃止され、立命館中学校・高等学校に統合されます。
卒業生は、第二中学校が1945(昭和20)年から1948(昭和23)年までで422名、神山中学校が1949(昭和24)年から1951(昭和26)年までで345名、神山高等学校が同じ期間で324名でした。
神山学舎は1952(昭和27)年から京都市に貸与され、市立本山中学校(のち洛北中学校と改称)が使用しましたが、1957(昭和32)年6月に返還され、以降立命館のグラウンドとして使用しました。
課外活動としてはアメリカンフットボール、サッカー、陸上ホッケー、弓道部などが使用しましたが、柊野グラウンドの開設により順次移転し、1982(昭和57)年4月に京都産業大学に売却することになり(弓道部は9月まで使用しましたが)、50余年の歴史を閉じました。
1942年、上賀茂グラウンドの地に神山学舎を開設。最初は立命館第二中学校、のち神山中学校・高等学校となった。
2013.03.01
「今日は何の日」3月 卒業式は3月だけど、日はいろいろな変遷があった
3月は卒業式。その式日はいろいろと変遷しています。
新制の立命館大学は1948(昭和23)年4月に発足しましたが、旧制からの移行期であったため1949(昭和24)年度には新制大学法学部・経済学部・文学部を合わせ197名の卒業生を送り出しました。
1950(昭和25)年度の卒業式は1951(昭和26)年3月21日、春分の日に行われ、3学部合わせて992名の卒業生となっています(1949(昭和24)年度に発足した新制理工学部の卒業生は1951(昭和26)年度からです)。
1959(昭和34)年度は1960(昭和35)年の春分の日が3月20日であったため、あらためて卒業式を春分の日に実施することとし、1960(昭和35)年度以降も「春分の日」とすることを決めています。
この卒業式の期日は1984(昭和59)年度に、他の学年暦との関係(主に再試験制度)で3月25日とすることになりました。春分の日ではなく、また曜日に関わらず3月25日と固定し、1989(平成元)年度まで続きました。
しかし、この再試験制度もなくなるなど卒業式前後の諸日程との関係で、1990(平成2)年度以降再び「春分の日」となりました。そして1994(平成6)年度にびわこ・くさつキャンパス(BKC)が開設され立命館大学が二つのキャンパスになると、卒業式も春分の日を含めて2日で実施されることになりました。
ちなみに立命館大学の前身である京都法政学校の第1回卒業式は1903(明治36)年7月12日で、卒業生は55名です。今でも第1回卒業生の卒業証書が保存されています。

衣笠キャンパス第一体育館で挙行された卒業式
新制の立命館大学は1948(昭和23)年4月に発足しましたが、旧制からの移行期であったため1949(昭和24)年度には新制大学法学部・経済学部・文学部を合わせ197名の卒業生を送り出しました。
1950(昭和25)年度の卒業式は1951(昭和26)年3月21日、春分の日に行われ、3学部合わせて992名の卒業生となっています(1949(昭和24)年度に発足した新制理工学部の卒業生は1951(昭和26)年度からです)。
1959(昭和34)年度は1960(昭和35)年の春分の日が3月20日であったため、あらためて卒業式を春分の日に実施することとし、1960(昭和35)年度以降も「春分の日」とすることを決めています。
この卒業式の期日は1984(昭和59)年度に、他の学年暦との関係(主に再試験制度)で3月25日とすることになりました。春分の日ではなく、また曜日に関わらず3月25日と固定し、1989(平成元)年度まで続きました。
しかし、この再試験制度もなくなるなど卒業式前後の諸日程との関係で、1990(平成2)年度以降再び「春分の日」となりました。そして1994(平成6)年度にびわこ・くさつキャンパス(BKC)が開設され立命館大学が二つのキャンパスになると、卒業式も春分の日を含めて2日で実施されることになりました。
ちなみに立命館大学の前身である京都法政学校の第1回卒業式は1903(明治36)年7月12日で、卒業生は55名です。今でも第1回卒業生の卒業証書が保存されています。
衣笠キャンパス第一体育館で挙行された卒業式
