立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
最新の記事
2021.04.30
<懐かしの立命館>【追録】『西園寺公望揮毫の扁額・石碑を訪ねて』
2021年3月に小冊子『⻄園寺公望揮毫の扁額・⽯碑を訪ねて』を改訂発行しました。
その後、新たに判明した石碑を追録します。
小冊子『⻄園寺公望揮毫の扁額・⽯碑を訪ねて』改訂版はこちらご参照ください。https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=245
齋藤翁碑 (齋藤忠次翁碑)
所在地: 茨城県古河市釈迦
建 立: 大正7(1918)年7月
【齋藤翁碑篆額】 【齋藤翁碑】
古河市釈迦に齋藤忠次翁の顕彰碑がある。大正7年7月の建立で、篆額は従一位勲一等侯爵西園寺公望、撰文は衆議院議員従三位勲二等山本達雄、書は北山作治郎とある。建立者は香取村々民一同。山本達雄は第2次西園寺内閣の大蔵大臣で、その後の内閣でも農商務大臣を務めている。
齋藤忠次は、文政4(1821)年11月生まれ、大正4(1915)年3月没。享年95歳。
維新後、明治5年戸長に任命され、その後も連合戸長などを務め、明治22年の市町村制の発布により近隣の村が合併し香取村ができると初代村長に選任された。齋藤は明治政府が進めた戸籍の編成、教育行政、地租改正や勧業政策などに力を尽くし、村長現職中に没した。碑は高さ2m90、幅1m52、仙台石で建立されている。
資料:松本祐快著『香取村初代村長斎藤忠次翁』(2003年)
(注) 西園寺公望の大正7年の位階は従一位ではなく正二位。
2021年4月30日 立命館 史資料センター 調査研究員 久保田謙次
2021.03.31
<学園史資料から>おもいでの卒業記念品
立命館史資料センターの3月の展示をご紹介します。
バッジ【1960年度】
ワインレッドと金色の美しいバッジ。
裏面に「1960 卒業記念 立命館大学 校友会」と刻まれています。
鹿が可愛らしい、青銅製の卓鐸(たくたく)。
彫刻家・村上 丙(むらかみ あきら)氏の作品です。
末川 博先生の「相信未来為未来生(未来を信じ未来に生きるの漢文)」
が刻まれています。
Peer Sticks-ピアスティックス-【2018年度】
経営学部 八重樫 文(やえがし かざる)教授のゼミ生を中心とした
学生たちによって提案企画された品。制作期間一年半の力作です。
立命館大学の各キャンパスの図書館に設置されているラーニング・コモンズ「ぴあら」に
ヒントを得て、様々な使い方ができるよう考えられています。
春は旅立ちの季節。
立命館学園の各校、各キャンパスからも多くの学生・生徒・児童が、
社会に、更なる学問の道に、と巣立っていきました。
みなさんのこれからを祝して末川先生の言葉を送ります。
「理想は高く姿勢を低く いつも心に太陽を持って ゆっくりとがっちりと
一歩ずつ前へ前へと進もう 未来を信じ未来に生きる 君の洋々たる前途を祝福して 末川博」
2021.03.30