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  • ISSUE 27:
  • 記憶と記録

私たちは同じ世界を見ているのか

知覚心理学から考える「記憶」と「記録」

高橋 康介総合心理学部 教授

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同じ場所で同じ時間を過ごした友人と、後になって思い出話をすると、話が食い違うことはないだろうか。どちらかの記憶が間違っているのかもしれないし、同じ出来事でも感じ方が人によって違うからかもしれない。しかし、そもそも私たちは本当に同じ体験をしているのだろうか。知覚心理学を専門とする高橋康介は、その答えをさまざまな方法で研究している。

身近で不思議な「知覚」の探究

生物は生きのびるために、外界の環境を捉える器官を発達させてきた。ヒトであれば目は光を、耳は音を、鼻はにおいを、皮膚は触覚や温度を感知する。こうした感覚器官が刺激を受け取る働きを「感覚」という。その感覚情報を脳が整理し、意味のあるものとして経験する過程が「知覚」である。

脳は体中に張り巡らせた神経を通して、感覚器官からの報告を受け、全体像を把握し、次に何をすればいいのかを判断する。つまり、知覚というのは、脳が判断を加える認知の前段階であり、外界の情報をそのまま伝えるシンプルな役割のように見える。

しかし実際はそうではない。知覚というのは脳によって作られたものだと知覚心理学の研究者である高橋康介は説明する。

「知覚は、外の世界をそのまま伝えるコピーのようなものだと思われていますが、実際にさまざまな現象を見ていくと、かなり作られたものであることがわかります。例えば視覚にしても、私たちは目に入った情報、つまり網膜に映った像をそのまま認識しているわけではありません。カメラがレンズで捉えた光を記録する以上に、視覚は能動的な処理を行っています」

そう言って高橋は、私たちの知覚が「作られている」ことを示す例を見せてくれた。

「2016年に私が発見して『曲がり盲』と名付けた錯視は、カクカクした折れ線となめらかな波線が交互に並んでいるように見えますが、実際にはどちらも同じカーブの波線で、明暗の境界によって形が変わって見えます。さらに同じ曲線なのに、白背景と黒背景では、折れ線に見えていた線が曲線に見えると思います」(図1)

図1「曲がり盲」高橋康介 制作(2016年)

また図2は、エーレンシュタイン効果と呼ばれる現象を利用して高橋が作った錯視で、静止画であるにもかかわらず、放射状の線に囲まれた円盤がチカチカときらめいて見える。

図2「放射状の線によって誘発されるきらめく光沢」高橋康介 制作(2026年)

大阪いばらきキャンパスには、このような錯覚を体験できる「ふしぎな錯覚体験ラボ」があり、誰でも自由に入ることができる。ラボには、視覚の錯覚はもちろん、聴覚や触覚の錯覚が体験できる仕掛けも用意されている。頭の後方で鳴らされていると思った音が目の前で鳴らされていたり、明らかに重いと感じた筒が、軽いと感じた筒と同じ重さだったりという、不思議な体験ができる。そんな経験をすると、もはや自分の五感を無条件に信じることができなくなる。確固とした唯一の現実など存在しないのだと思えてくる。

経験や常識が知覚を変化させる

このような錯覚が起こる原因はケースによってさまざまで、完全には解明されていないものも多い。しかし多くの場合、私たちがこれまでに経験してきた世界の知識や常識が、無意識のうちに知覚を補正していることが関係している。

例えば光源は上から差すことが多いという経験は、図3の「クレーター錯視」の凹凸の見え方を決める。「チェッカーシャドー錯視」では、影が落ちている部分は本来もっと明るい色であるはずだという常識の影響で、Bは実際より明るく知覚され、Aと同じ色であるとは感じられなくなってしまう。「シェパード錯視」では、机の角は直角であるという前提をもとに視点の位置を推定するため、本当は同じ形であるにもかかわらず、左の天板は右より細長く見える。どうしても同じに見えない人は、紙を当てて形をなぞり、それを重ねてみてほしい。

図3 有名な3つの錯視。上からクレーター錯視、チェッカーシャドー錯視(オリジナルはEdward H. Adelson氏作)、シェパード錯視。出典:『なぜ壁のシミが顔に見えるのか』高橋康介・著(共立出版、2023年)

「錯覚を体験すると、知覚の体験は人によって異なるだけでなく、同じ人の中でも変化することがわかります。世界そのものは変わっていないのに、自分にとってのリアルな世界が質的に変わってしまう。知覚心理学の研究はある意味、自分自身のことを知ることでもあると考えています」

高橋は、知覚を能動的にコントロールする可能性を探る研究も行っている。研究対象は将棋の棋士だ。棋士たちが対局中に盤面を見つめてじっと動かないでいるとき、脳内では何が起こっているのか。高橋は研究室に所属している女流棋士でもある研究員に、動かない将棋盤を見つめて何をしているのかを尋ねた。すると返ってきた答えは「動きますよ」という意外なものだった。

「将棋では、頭の中で盤を動かすことを行います。これを『脳内盤』と呼ぶことがあります。頭の中に盤面を思い描き、それを動かしながら先の展開をシミュレートしているわけです。ただ、何人かの棋士に話を聞くと、それだけではないようでした。実際に駒が動いて見えるというのです。動かない将棋盤の上に、自分の中から駒を出して置いたり、消したりしている。ある意味、自分の知覚のあり方そのものを能動的に変化させているような行為だと言えるかもしれません」

こうした能動的な「見え」の変化は、棋士だけの特殊な能力ではなく、私たちの誰もが多かれ少なかれ持っているのではないかと高橋は考えている。身近にその感覚を体験できる例として、高橋は瞑想を挙げる。自分の身体の内部感覚に注意を向けていくことで、普段とは異なる知覚の状態が生じることは、さまざまな研究でも報告されている。

知覚のあり方がこのように変化しうるものであるならば、その知覚を材料として形づくられる記憶もまた、個人ごとに異なるものになるだろう。私たちの記憶は、世界をそのまま保存したものではなく、知覚を通して個人的に編集された結果なのである。

高橋の研究場所は、大学の研究室だけではない。フィールド調査による研究も行っている。フィールド調査とは、調査対象の現場に赴き、観察やインタビューなどを行う研究手法である。民族文化の研究や動植物の生態調査などでよく用いられる方法だが、心理学ではどのような研究が行われるのだろうか。

高橋はその一例として、タンザニアで行った顔と絵文字のフィールドワークについて説明してくれた。

「知覚、そしてそこに解釈が加わった認知は、生まれ育った環境によって大きく変化することが知られています。そこで、タンザニアに滞在して野生のチンパンジーの研究を行っている帝京科学大学の島田将喜教授、カメルーンで人類学や地域研究を行っている東京外国語大学の大石高典准教授らと協働し、タンザニア、カメルーン、日本の人々に絵文字の見え方を答えてもらう実験を行いました」

写真であれば、笑顔と悲しい顔の表情判定に3つの国の間で大きな差は見られない。だが、絵文字になると事情が異なってくる。日本では約80%が笑顔だと判断する絵文字でも、タンザニアやカメルーンでは笑顔と判断する人はかなり少なかった。

「私たちは「☺︎」のような絵文字を笑顔の象徴として当たり前のように受け入れていますが、世界中の誰もがそのように見ているわけではなかったのです。さらにフォローアップで調べてみると、私たちが口だと思っている線を鼻など口以外のパーツだと捉える見方もあることがわかりました」

記録を通して見える、個人の知覚世界

高橋は笑顔を図式的に描いてもらう実験も行った。すると日本では目と口だけで顔が表現されることが多いのに対し、タンザニアやカメルーンでは鼻や眉など、目や口以外の部位も多く描かれた。(図4)

図4 様々な地域で描いてもらった実際のイラスト(左からタンザニア、カメルーン、フィンランド、日本)

私たちが身を置いている社会で当たり前とされていることや、望ましいと思われていること、つまり社会的規範は、無意識のレベルで認識や知覚の形成に大きく影響していると高橋は説明する。

「このような思考や判断の偏りをバイアスと呼びますが、私たちはその影響から逃れることはできません。ただ、自分が見ているものや認識しているものが絶対的なものではないと知ることは可能です。こういう研究をしていると、見え方が違うのだから、人によって考え方が違うのはむしろ当然だと思えてきますね」

本記事で紹介した高橋の研究では絵を描いてもらうことで、見えている世界の違いが明らかになった。しかし、このことは絵だけに限らない。彫刻や文章など、何かを作り出す過程には、その人の思想や、その文化が共有する世界観や価値観が現れる。そうした表現の中には、人がどのように知覚し、どのように認識しているのかが刻まれている。

人の身体を通して生み出される「記録」は、いったい何を記しているのだろうか。そこには、その人が生きてきた文化や経験、環境、そして知覚や記憶が織り重なっている。そうして生まれる記録は、一人ひとりの身体と経験に根ざした固有のものであり、機械には持ちえない種類のものなのだろう。

高橋 康介TAKAHASHI Kohske

総合心理学部 教授
研究テーマ

1. 知覚、錯視、錯覚
2. 顔と身体
3. 認識の多様性と柔軟性

専門分野

知覚心理学、認知心理学、認知科学