近年の「昭和レトロ」ブームの背景には、単なる懐古趣味ではない社会の“物語化”がある。日高勝之は、「昭和ノスタルジア」の研究を通して、なぜ「あの頃はよかった」と語られるのかを探る。さらに「反原発」運動の言説研究などとも結びつけながら、日本の民主主義やメディア文化の特徴を読み解く。
「昭和ノスタルジア」とは何か
昭和が始まってから今年で丸100年。そんな今、昭和の文化や風俗を再現した商品やエリアなど、いわゆる「昭和レトロ」がブームになっている。黒電話、ラジカセといった家電類や、喫茶店のクリームソーダ、あるいは駄菓子屋を再現した商店などが注目を集める。実際に当時を知る中高年世代にとっては懐かしむ対象として、昭和を知らない若い世代には見たことのない新鮮なものとして関心を持たれていて、「空前の昭和レトロブーム」という語もメディアでは見られるほどだ。
しかしこうした動きは、決して昨今急に始まったことではない。21世紀に入ったころから、「昭和」は様々なメディアで取り上げられるようになっていた、と日高勝之は言う。2000年代前後から、とりわけ昭和30年代前後を舞台とした映画やテレビ番組が作られるようになり、その代表的な存在としてよく名が挙がるのが、2005年に公開された映画『ALWAYS 三丁目の夕日』である。200万人以上の観客を動員し、興行収入32億円を超える大ヒットとなったこの作品は、貧しくともみなで助け合いながら懸命に生きる当時の人たちの姿を描いたものとして多くの肯定的な評価を得た。そしてそのヒットと前後しながら、「昭和」に焦点を当てた映像作品や雑誌、さらにはテーマパーク的な空間も登場するようになったという。
日高は、このような現象全体を「昭和ノスタルジア」と呼び、その背景や現象自体を多角的に研究してきた。なぜこのような現象が起きるのか。なぜ昭和30年代前後の時代が21世紀に入ってから脚光を浴びるようになったのか。そしてこの現象はメディアでどのように語られてきたのか。
「過去を記憶し懐かしむ、いわゆるノスタルジアという感情は人間にとって大切なものです。しかし、例えば『ALWAYS 三丁目の夕日』といった作品についてメディアなどで語られる時、昭和の時代がただ『古き良き時代』として懐古されることが少なくありません。あまりに美化されているのではないかと感じ、違和感を覚えました。昭和は実際にはただよかったとだけ言える時代ではなく、負の部分も様々にあるからです。にもかかわらず、よかったとされる側面だけが単純化して語られる。それはいったい何を意味するのか。そうしたことを掘り下げて考えるべく、研究を重ねてきました」
なぜ「あの頃はよかった」と語られるのか
「昭和ノスタルジア」が目に見える形で始まったのは2000年代前後である。ただしそこに至るまでにはステップがあり、その機運の始まりは1970年ごろまで遡れると日高は言う。
「高度経済成長期に全国的に開発が進むと、かつての村や田園風景が失われていきました。そうした中で、例えば国鉄は1970年、『ディスカバー・ジャパン』と題して日本各地への個人旅行を促すキャンペーンを始め、話題を呼びました。かつての風景を懐かしむ気持ちが当時すでに人々の中にあり、そこに訴えかけたのです。そして80年代、90年代の消費の時代に入ると、昭和の古いものを珍しがって収集するといった人が増える。そうした下地があったうえで2000年代に、映画やテレビ、音楽、食べ物、ファッションなど、様々な分野で昭和ノスタルジア的な現象が広がっていったのです」
なぜ2000年代に入って広がったかと言えば、一つには、昭和の当時を知る人たちが中高年になり、マーケットにおけるターゲットになったからだろうと言う。またその際になぜ、とりわけ昭和30年代ごろがブームの中心になったかと言えば、それはその時代が高度経済成長期の真っ只中だったからだと考えられる。その当時、日本は一気に豊かになった。食べるものも着るものも多様になり、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が普及して人々の生活は急激に変わった。そのような変化があったゆえに、「今日より明日の方が良くなると信じられたいい時代だった」と語られれば、中高年には「確かにそうだったかもしれない」と、そして当時を知らない若い世代には「そうだったのか」と、それぞれに受容されていったのだろう。
しかし、本当にただ「いい時代」だったのだろうか。決してそんなことはないはずだ。労働時間は今よりも長かったし、雇用などにおける女性差別も公然とあった。若者の犯罪率は現在と比べて高かったし、公害も深刻だった。そして実際、先の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』でも、必ずしも当時を肯定的にばかりは描いていない。日高は言う。
「例えばこの映画の登場人物は、誰一人として劇中で夢を実現しません。作家を志す主人公は、目指す賞の受賞は最後まで叶わず、貧しい暮らしからは抜け出せません。自動車修理販売業を営むもう一人の主人公も、夢を叶えることはないままに物語は終わります。制作者がどこまで自覚的にそうしたのかはわからないものの、おそらく作り手の感性のようなものとして、ただ、『あの頃はよかった』とだけ描くことはせず、当時への不満や反省も表現して、愛憎が混在した時代として描いている。昭和ノスタルジアの作品には、そのようにその時代への複雑な感情を踏まえているものも少なくありません」
しかしそれでもなお、この映画の批評に「貧しくても希望に満ちあふれていた時代」「企業が家族のようだった時代」といった言葉が並んだように、様々なメディアにおいて、昭和30年代ごろは「いい時代」としてばかり語られるようになっていった。なぜなのか。
「メディアは事実をそのまま伝えるのではなく、物語化します。作り手の価値観や考え方によって、同じことでも全く違って伝えられる場合があります。私は、20代から30代にかけてNHKでディレクターとして番組を作ってきたので、そのことを肌で知っています。つまり作り手側に、『あの頃はよかった』と伝えようという意思があるのであり、それは突き詰めて考えれば、多くの日本人が、そうした物語を求め、受け入れる素地があるということになるのでしょう。そこには日本の文化や国民性が深く関係していると思います」
昭和ノスタルジアと「反原発」運動の共通点
日高は、昭和ノスタルジア以外にも、メディアが社会をどのように記憶し、物語化しているかについて研究を重ねており、そのテーマの一つに、「反原発」を巡るメディアや言論の分析がある。
2011年3月11日に福島原発事故が発生すると、それまで世論もメディアも大半が原発推進か容認だったのが一気にひっくり返り、「反原発」、「脱原発」がマジョリティになった。そうした変化が起きていく中で、新聞やテレビ、映画が反原発の議論をどのように取り上げたか、また科学者やいわゆる知識人がどのような言論を展開したかを日高は分析し、2021年に『「反原発」のメディア・言説史、3.11以後の変容』(岩波書店)を上梓した。
その中で日高が問うたことの一つは、そのような世論の大きな変化が起きたにもかかわらず、なぜ日本は、政治が脱原発へと舵を切ることができなかったか、という点である。
というのも、この事故の4か月後にはドイツが脱原発へと踏み切った。イタリアやスイスでも同様な方針が決定するに至った。しかし当事者である日本は、そうはならなかったのだ。そこには様々な要因があろう。加えて、原発を推進する人たちの立場も理解できるとした上で、日高はこう話した。
「日本では、原発推進だったメディアも手のひらを返したように主張を変え、『反原発』を唱える声はとても盛り上がりました。しかし、いろんな人が別々の形で主張を展開したため、運動が連携できませんでした。その結果、政治的に有効な力を持つことができなかったのです。一方、例えばドイツでは、脱原発の運動に加えて、フェミニズムや学生運動など、様々な市民運動が繋がることで脱原発が実現しました。その違いはつまり、一言で言えば、日本の民主主義の弱さであり、それが原発問題において浮き彫りになったと私は考えています」
そしてその日本の状況は、昭和ノスタルジアが一面的に語られて受容される現状と決して無関係ではないだろうと日高は言う。政治的に有効な力を持てない、とは、情動的である、ということと表裏一体だとも言える。日本ではそのような、はっきりとは言葉にせずに気持ちで通じ合おうとする文化があり、情動的なものが大きな力を持つ。それが、『あの頃はいい時代だった』といった一見美しい物語が語られる時、その物語がそのまま受け入れられてしまうこととつながっているのではないか。
「ひとことでは語れない奥の深いテーマです。ただ、どちらの問題も、日本の民主主義がどう成熟していくのかという、日本人にとっての大きな宿題と関連しているのだろうと私は考えています」
物語を一歩引いて見ることの大切さ
日高はまさに今、その日本の民主主義が抱える“宿題”とはいったい何なのかを問う本を、カタストロフィ(大惨事、悲劇)を切り口として書いているところだという。福島の原発事故というカタストロフィで浮き彫りになった日本の弱さは、決して福島の事故に限ったことではない。阪神・淡路大震災やコロナ禍においてもやはり通じる点があった。そこにある日本の文化やメディアの問題とは何なのか。どんな脆弱性や課題があるのか。そのことを明らかにしたいという。
「福島の事故で一夜にしてメディアも世論も意見を翻したように、カタストロフィによって社会は大きく変わり、その際には物語が作られます。ノスタルジアとカタストロフィは、一見全く違うように見えるかもしれませんが、物語を作り出すという点ではとても強くつながっています。人間は、大きな過去を受け入れつつも前に進んでいくためには、どうしても物語を必要とするからです」
ただそうした物語は、時に政治などに利用される。例えば故・安倍晋三元首相が、自らが掲げた「美しい国」というイメージを『ALWAYS 三丁目の夕日』に重ねることで共感を集めようとしたように。それゆえに私たちは常に、物語を一歩引いた視点で眺め、それが持つ意味を考えるということをしなければならないのだと日高は強調する。
「過去を記録し、記憶することは大切であり、また、私たちが生きていく上でノスタルジア的なものも必要です。ただその際に、記憶をどう相対化していくか、ということは常に意識しなければなりません。物語というものの役割や大切さを強く感じているからこそ、そのことをこれからも問い続けていきたいです」