立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2014.12.09

<懐かしの立命館>学生自治組織・女子学生会の誕生―22年前まであった女子学生会―

「たしかに1992年まではありました。翌年の1993年には解消されました。その理由は立命館大学女子学生の数が1980年代後半から急増したことを背景に学友会全体の運動の中で実現していくことになったからです」と語るAさん。

それが22年前まで存在していた学生自治組織・女子学生会でした。



 

女子学生会(発足当時は女子部)は、今から66年前の19484月に立命館大学が新制になった翌年(1949年)に誕生しました。

その目的は、「本学は女子学生が少ないが学生生活には種々の問題をはらんでいる。係る問題を少しでも改善し女子学生の福祉「幸福」をはかり、また教養を高める」(『1959年立命館大学1部学友会案内』)ことにあったのです。

 

女子学生に対象を絞った学生自治組織ができたのは、男性中心の社会構造が敗戦後大きく転換し、大学教育にも反映したという背景があります。

戦後、1945124日の閣議は「女子教育刷新要綱」を了承し、男女間に於ける教育機会均等及び教育内容の平準化並びに男女相互尊重の風を促進することを目的に、女子に対する高等教育機関の解放、大学教育における男女共学制の導入を大学に求めました。

立命館大学も応えます。「大学もまた、教育の機会均等は男女共学の面でもあらわれねばならない。そこで本学は女子学生の教育にも重点をおいている。(中略)女子学生は学友会各部の研究会やサークルにも加わり女性としての教養や学問的識見をたかめることにつとめ、学園も便宜をはかっている」(『入学案内』1952年)   



 

敗戦後の立命館大学の女子学生数は、秋房麻里氏の調査(百年史紀要第5号「研究ノート立命館大学における初期の女子学生について」)によれば、

敗戦の翌年、1946年は旧制大学3名、専門学校1名の計4名、

1949年には新制大学13名、専門学校13名の26名、

1950年全学生数9,283名の内女子は新制大学34名、専門学校13名の47名、

1951年全学生数9,541名の内、新制大学24名、専門学校6名の32名、

であり、ほぼ30名前後、全学生に占める割合では0.3%程度でした。

 

当時の女子学生に対しては偏見も根強くあって、

「授業が始まると前に座るんです。そしたら後ろの方で<ようこんな男ばっかりのところへ(来るわ)、心臓の強い人やねんな」(新制大学第1期卒業生)

「道を歩いていると石を投げたり奇声を発したり、階段の上から唾をかけたりする学生がいた」1954年当時在学の女子学生)

など苦労も多かった様です。

とはいえ、この30名前後の女子学生は同時に全国の女子学生を牽引する重要な役割も担っていました。




 

1953(昭和28)年122日、全国から56校、2百数十名の女子学生が東京・赤坂公会堂に集まり、最初の日本女子学生大会が開催されます。

大会では、女子学生に対する就職差別、課外活動の制限(学生新聞を発行させない、学校外活動の禁止など)撤廃、女子大の講義内容改善、共学大学の女子寮建設など多くの問題解決を全国の女子学生が協力して努力することを決意表明しています。(朝日新聞1953123日朝刊 女学生は何を考えているか。初の全日本女子学生大会から)

この大会後、全国各大学に燎原の火のごとく女子学生会が誕生し、女子学生の要求実現に奮闘することになるのです。

木下恵介監督の「女の園」(1954年)が創作されるのもこの頃です。




 最近新たに見つかった1952年発行の女子学生会機関誌「ふかみどり」(第二号)(残念ながら第1号は保存されていません)の巻頭言に女子学生会の意気込みが謳われています。

 

 装を新たにして、此の稿を上梓するに当たり巻頭の言を共に聲高らかに謳わん。

 若き日の魂、若き日の智恵によりて、人生の実相を把握し、最も厳粛にして幽玄なる人生の詩と哲学に生き、吾人の青春をして悔い改めべからしめん

  易手の水逝いて再び還らず、

  ああ!我等 若き日の感激と情熱を全世界に迄、否、星の世界にまで昴揚すべき時、

今をおいて他にあるべき。

  共に進まん 真理探究の道を!

  共に進まん 真理探究の道を! 




 発足以降女子学生会は、女子学生にとって大切な独自要求を多々実現させてきました。

 例えば

 ・女子学生が気楽に身体休め談笑できる畳の談話室、

 ・女子トイレの設置、

 ・女子トイレの非常ベルの設置、

 ・生協の女性用品コーナー設置

などです。

 

女子学生会発足当時0.3%であった学生比率(一部昼間部学生に対する女子学生比率)は、

その後1980年代半ばから急上昇し、1990年には22.0%を占めるまでになりました。

学生5人に1人は女子学生という状況の中で、女子学生会は、女子学生の要求は学友会全体の要求として常態化されてきているとの認識に立ち、今後は学友会運動全体の中で取り組むとして、女子学生会を解消することとなりました。

また、学園も急速な女子学生増加や女子学生要求を含んだ学友会との全学協議会議論を経て、1994年には本学の女子学生政策の課題と基本方向が整理されました。その女子学生政策が今日の諸施策に反映しているといえます。

ちなみに女子学生比率(1部)を1970年から10年毎に見ると次のようになります。

1970年  8.2

1980年 12.8

1990年 22.0

2000年 36.3

2010年 35.7

1990年代以降急増し2000年以降には3人に1人が女子学生となっていますね。

 

                            (立命館 史資料センター準備室 齋藤)

 

 

 

 

<参考>

1.1951年度 入学案内パンフ

2.1953年度 入学案内パンフ

3.朝日新聞1953123日朝刊

4.「百年史紀要第5号―研究ノート立命館大学における初期の女子学生について」(『立命館百年史紀要第5号』)

5.パンフ「我らとともに」(1987年立命館大学2部新歓実行委員会)女子学生会の項

6.「本学の女子学生政策の課題整理と基本方向」(答申)


2014.11.20

「資料保存の現場から」モノ資料の写真撮影と帽章・徽章など金小物類の保存



史資料センター開設に向けて、「モノ資料」の写真撮影を順次進めています。

撮影した写真はテーマごとにファイルでカタログ化するなどし、学内からの問合せ等、利活用の依頼があった際に、ひと目見て、その資料がどのような内容のものであるのかや、大きさや形状など資料の概要を把握していただけるよう、できるだけわかりやすいファイル・カタログづくりに努めています。




 

「モノ資料」といっても、史資料センターに保管されている資料には多種多様なものがあり、写真撮影や撮影後の保存も一様には進めることができません。資料に応じて保存方法を考えながら整理を進めています。今回はその一例として、「帽章」「徽章」など金小物類の保存について紹介します。

以前に「学園史資料から」のコーナーで、展示の紹介として「立命館デザインのバッジ」のいくつかを取り上げて掲載しました。

https://www.ritsumei.ac.jp/archives/column/article.html/?id=53

それらはこれまで主に校友(卒業生)の方から寄せられた帽章、襟章、その他の徽章などですが、一つひとつを見てみると、帽章ひとつをとってみても「立命」の下地の上に「大学」(注:「学」の字は旧字体)と入ったものや、「専門」と入ったもの(ご寄贈者の在学年から専門学部のものと判明)、「中学」と入ったもの、「高商」(高等商業)と入ったものなど、学校ごとに作られていたことがわかります。

また、高等商業学校のピンバッジであれば「そろばん」がデザインされていたり、中高のクラス(「A」「B」「C」など)を示すピンバッジや、「立命」の下地に「週番」と入ったものがあったりと、非常に多彩で、学生生活が想像されるようです。

他にも、運動会の記念のバッジや、校友会やクラブ・サークルで折々の記念に作成されたと思われるネクタイピンやバックル、ライターなど様々な金小物類があります。それらはすべて、立命館に通っていた学生・生徒が実際に身につけていたり、記念とされたものであったりと、当時の学生生活を物語る貴重な資料として、後世に残していく必要があるものです。

史資料センターでは、それらの金小物類の写真撮影後、小さな引出し式のプラスチックのケースで保存することにしました。個別の引出しの中にガーゼを敷き、およその種類ごとに資料を分類して入れ、乾燥剤(シリカゲル)を入れて保存していきます。引出しの一つひとつはこのような感じになります。



問合せ等があった際に備え、どこに何があるのかがわかりやすく整理されていくと思われます。

これらの資料が展示などで多くの方の目にふれ、学生生活を思い出していただいたり、学園アイデンティティを感じていただいたりする資料になればと思います。

なお、史資料センターでは今後も引き続き、これらの資料収集に取り組んでいきますので、資料や資料に関する情報をお持ちの方、ご協力いただける方がいらっしゃいましたら、情報をお寄せいただけると幸いです。



2014.11.01

<学園史資料から>学園祭と阿波おどり


立命館 史資料センター準備室の今月の展示をご紹介します。


今月の展示は、学園祭に関わる珍しい資料を展示しています。


学園祭の催しで行われていた阿波おどり用浴衣です。
立命館大学の校章柄です。


こちらは1955年の学園祭プログラムです。
学園祭の催しの中に「阿波踊り」の文字があります。
他にはスペイン闘牛や仮装行列など、楽しそうな催しが行われていたようです。


50・60年代の卒業アルバムから、阿波おどりの様子が分かる写真も一緒に展示しています。


浴衣には立命の文字。
今回展示している浴衣とは別のもののようです。

掲げている提灯には、徳島県人会の文字が見えます。

キャンプファイアーを囲んで、夜にも阿波おどりなどの催しが行われていたのですね。

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