立命館あの日あの時
「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。
最新の記事
2013.12.03
<学園史資料から>大学紛争時 1968年度期末試験中止のハガキ
大学紛争さなかの1969年、立命館大学は期末試験が実施できず、レポート試験に変更しています。
期末試験は、当初1969年1月24日から開始の予定でしたが、1月21日には二部の期末試験を延期、1月23日には一部の期末試験を延期する判断をしています。
その後も事態は好転せず、2月18日以降の学内の状況を判断した大学は、語学試験を除き一部全学部で試験をレポート提出に切り替えることとし二部のみ試験を実施することとなったのです。
写真のハガキは、1969年2月8日付 経営学部卒業該当回生(4回生以上)にあてて送られた期末試験をレポートに切り替える案内です。
このようなハガキで、当時の学生には連絡されていました。
また、当時4回生であった方の回想によれば、朝日放送の深夜ラジオ番組「ヤングリクエスト」の放送で「立命館大学文学部事務室のテスト用紙が全共闘に奪い去られ、明日の卒業試験は中止です」と聞いたといいます。
経営学部1969年卒業の方より、複写させていただいた資料から
2013.12.03
<学園史資料から>1969年度入学式延期のハガキ
「入学式」は本来ならば4月上旬に挙行され、オリエンテーション期間を経て授業が始まるのですが、大学紛争の影響で、1969年度の入学式は、衣笠学舎と二部全学部は4月14日、広小路学舎(法・文・産業社会学部)は4月21日に延期されました。
1969年3月29日の大学協議会では、教学部長から「昭和44年度入学式については、当初の計画では実施しがたいので、入学式期日を4月14日ないし21日以降とし、開講もこれと同時とし、新入生が在学生とともに登校しうるよう考慮する」旨の提案を受けて、具体化を教務会議(教学を掌る機関会議)に付託し、結果を4月2日新入生に連絡することとしています。
写真は、この入学式の変更を連絡した産業社会学部からのハガキで、4月8日の入学式を4月21日に変更するとともに、一連のオリエンテーションの日程も案内しています。
4月14日の衣笠学舎では、入学式粉砕を叫ぶ学生が会場の以学館前に押し寄せましたが、多くの学生が座り込んで抵抗して式典を守り、経済・経営・理工学部・二部全学部は無事入学式が挙行できました。
しかし、4月21日の広小路学舎(法・産業社会・文)では、入学式粉砕を叫ぶ学生たちが、入学式会場の研心館を守っていた学生たちや出席する新入生に襲いかかり、新入生を含む約30名を負傷させたのです。それでもなんとか式典は挙行されたのです。
史資料センター準備室所蔵資料より
2013.12.01
「今日は何の日」12月 わだつみ像
わだつみ像は、アジア・太平洋戦争の戦場にかり出され生きて帰ることのなかった戦没学生を記念する像として、1950(昭和25)年に彫刻家本郷新により製作されたものです。
像は当初東京大学に設置する予定でしたが認められず、立命館大学に設置されることになりました。像は1953(昭和28)年11月8日に広小路学舎に到着し、11日にわだつみ像歓迎大会が予定されました。この日歓迎大会に参加しようとした京都大学の学生たちが、鴨川の荒神橋で警官隊に阻止され重軽傷を負うという荒神橋事件が起こりました。当時反戦平和の象徴であった像を迎えることは、まだまだ国内外の緊張した情勢のなかでは大変なことだったのです。
しかし立命館は全学をあげて、全国から集まった平和を願う人々とともに除幕式を行い不戦の誓いをしました。第一回の不戦の集いは翌年の12月8日に行われています。
ところが、学園紛争のさ中の1969(昭和44)年5月20日、像は全共闘によって破壊されました。これに対し全国から怒りの抗議が起こり、ただちに再建にむけての活動が始まりました。そして1970(昭和45)年12月8日わだつみ像は再建され、その後一旦中央図書館に再建立されたのち現在は国際平和ミュージアムに設置され、毎年12月8日には像の前で不戦の集いが続けられています。
2013年12月、わだつみ像は建立60周年を迎えます。
広小路学舎研心館前にわだつみ像が建立され除幕式が行われた(1953年12月)。現在は国際平和ミュージアムに第2代の像を設置。