立命館あの日あの時

「立命館あの日あの時」では、史資料の調査により新たに判明したことや、史資料センターの活動などをご紹介します。

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2014.03.10

<懐かしの立命館> 味の記憶・顔なじみであった「芋がゆ」



「まだ余寒の去らぬ冷え冷えとした旧講堂(兼道場)に、担任を中心として級友一同が車座になって、赤飯の折詰め弁当のはしをとったのは、卒業式の終った直後の昼頃であった。

その折詰めの表紙に祝卒業・立命館清和会とあった。

禁衛隊(注)の芋がゆと、祝祭日の紅白の大きな立命のまんじゅうは、顔なじみであった私達に折詰めとは異例のことで大変印象深く、記憶に強く残っている。[中略] 昭和十三年の三月のことであった。」

これは、1981(昭56)年6月の『清和会報』で、1938(昭13)年に卒業された方が自身の思い出を綴られたなかの一節です。

卒業式に「紅白まんじゅう」「赤飯の折詰め」は今ではなじみの光景ですが、当時の生徒達にとって「芋がゆ」が「顔なじみであった」というのはどういうことなのでしょうか。 

『立命館百年史』(通史第一巻)や史資料センター所蔵の写真を調べてみますと、当時、禁衛隊の服務(大学部隊では剣道隊、柔道隊の服務日割等の記録が残されています)が終わった後、構内に設営された給養テントでかゆの馳走を受けていたようです。 

なるほど禁衛隊の服務に従事していた生徒達にとっては、「芋がゆ」は服務後ほっと一息ついて口にした、顔なじみの味だったというわけですね


服務後にかゆを食べる立命館中学校の生徒、昭和初期(写真:史資料センター所蔵資料より)

 

 

ではその「芋がゆ」は、どういうお味だったのでしょう。

残念ながら、史資料センターには、味を再現する資料は残っていませんでしたが、「こういうものだったのでは?」と再現したものがこちらです


お粥にサツマイモの色合いが素朴ながらも鮮やかです。

作り方はいたって簡単なもので、米1:水6の配合に塩を少々入れ、30分ほど弱火で炊き、粥になったところに水にさらしておいた一口サイズのサツマイモを入れ、さらに10分ほど炊き込めば完成です。

塩加減の調整として、ごま塩を振ってもおいしく召し上がって頂けます。 

できあがった芋がゆを、往時の生徒達への想いを馳せつつ、口にしましたところ、体が温まり、なおかつサツマイモの優しい甘みが、ほっこりした心持ちになるお味でした。

年代を問わず召し上がって頂ける優しいお粥です。

肌寒い日、体調の優れない日、ちょっと疲れたとき、ぜひお作りになってみて下さいませ。

注:禁衛隊 1928(昭和3)年昭和天皇即位大礼の際、御所を警備するために立命館独自に創設された軍事組織を模した組織。立命館は当時御所の東隣に学舎(広小路学舎)があった。当時の隊旗は「立命館大学国際平和ミュージアム」に展示されている。

2014.02.25

<学園史資料から>立命館創立35周年記念事業『国宝 御堂関白記』複製刊行について

 2013618日、ユネスコにおいて陽明文庫所蔵の国宝『御堂関白記』が世界記憶遺産として登録され、この登録を記念して東京国立博物館、京都文化博物館などで一般公開が行われました。

立命館は今から80年ほど前の1936(昭和11)年、この『国宝 御堂関白記』を創立35周年記念事業として複製・刊行しています。

以下に、立命館の『国宝 御堂関白記』複製・刊行事業の概要を紹介します。

 

1.『国宝 御堂関白記』複製・刊行の概要

 1935(昭和10)年、立命館は1900(明治33)年の創立から35年を迎え、また創立者で総長であった中川小十郎の古稀を記念し、創立35周年記念事業を行いました。その記念出版事業として、翌1936年に、『国宝 御堂関白記』『立命館三十五周年記念論文集』文学篇・法経篇、『美妙選集』などを相次いで刊行しました。

 『国宝 御堂関白記』の複製刊行については、立命館総長中川小十郎が「近衛公爵家御所蔵 藤原道長公自筆 国宝 御堂関白記複製頒布趣旨書」で、「立命館大学は今般創立三十五周年に当るを以て此れを慶祝すると共に記念の事業として深蔵の古典籍を複製してこれを世に伝へ、又以て学界の研鑽に資することを冀ひ」複製・刊行したと述べています。

 複製の経過は、貴族院議長(のちに総理大臣)であった近衛文麿氏の特別な厚意によって、19362月に宮内省において撮影を行い、東京帝国大学名誉教授文学博士黒板勝美氏並びに京都帝国大学教授文学博士西田直二郎氏により解題・校訂を行いました。影印複製は当時の最新最高の技術をもって便利堂印刷所が行い、5月に完成、7月より頒布を開始しました。

 『御堂関白記』はもと36巻あったと伝えられていますが、藤原道長の自筆で存するものは14巻で、長徳4(998)年、長徳5(999)年、長保2(1000)年、長保6(1004)年、寛弘2(1005)年、寛弘4(1007)年から寛弘9(1012)年の各年、寛仁2(1018)年から寛仁4(1020)年の各年、計14巻で、そのすべてを現物と違わず再現したのです。



2.複製版の頒布、活字本の刊行

 複製版については、「国宝 御堂関白記複製頒布規定」により、1936(昭和11)7月より頒布を開始し、非売品として会員のみに金500円で頒布をしています。続いて活字本を同年10月に刊行しました。

 頒布先についての記録は残っていませんが、複製版は国立国会図書館、国文学研究資料館、国際日本文化研究センター、同志社大学、関西大学、大谷大学、筑波大学、鶴見大学などが所蔵しています。

 また『立命館学誌』第194(19361115)には、ケンブリッジ、オックスフォード、ソロモン、ローマ、ベルリン(またはライプチヒ)、ハーバード、カリフォルニアなどの各大学に寄贈の予定とあり、コロンビア大学には現在も複製版が所蔵されています。


写真:史資料センター所蔵資料より

3.新聞の報道

 当時の新聞の報道によると、大阪毎日新聞(昭和11522)は、「世界最古の日記 御堂関白記 見事複製成る 昭和の代に匂ひ滾るゝ藤原朝文化の精粋 立命館大学から海外大学へ」の見出しで、宮内省図書寮に所蔵されていた近衛家秘蔵の藤原道長自筆の「御堂関白記」が、立命館大学により現物と寸分の相違を見ないまでの複製品として完成し、海外の大学に寄贈するほか、50部に限り一般有志に頒布することになった、と報じました。

 また京都日出新聞(昭和12622)は、中川総長が滞洛中の皇太后陛下を御所に伺候し、創立35周年記念事業で複製刊行した『国宝 御堂関白記』および『槐記注釈』を献上したことを伝えました。

 

4.世界記憶遺産に登録されて

 世界記憶遺産に登録されて各地の博物館で陽明文庫の所蔵する国宝『御堂関白記』が展示されましたが、立命館が複製した『国宝 御堂関白記』も各地で公開されました。

 複製版の製作にあたった便利堂、長浜市の鐘秀館、東近江市の近江商人博物館などです。

 当時は近衛公爵家秘蔵であった『御堂関白記』と立命館の複製事業に改めて思いをいたしてみてはどうでしょうか。

2014.01.21

<懐かしの立命館>衣笠キャンパスと衣笠山

 1939年より始まった衣笠キャンパスの歴史は、常に衣笠山と共にありました。

春・夏・秋・冬、衣笠キャンパスに季節を告げる山景色。 


 

この衣笠山が、食べられるのはご存知ですか?


亀屋重久の京和菓子、その名も『衣笠』です。

特徴的な柔らかい落雁に、小豆のこし餡が入った美味しいお菓子です。

緑の抹茶は衣笠山の松を、白は衣笠山の雪景色を模しているのだそうです。


とても身近で馴染みの山は食べることもできるのです。

故郷への手土産に、学友との語らいのお供に、衣笠キャンパスを思い出しながら、こんなお菓子はいかがですか。


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