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丸山眞男・加藤周一 映画関連著作

加藤周一 映画関連著作

:『加藤周一自選集』岩波書店、:『加藤周一著作集』平凡社、:『加藤周一対話集』かもがわ出版、:『夕陽妄語』ちくま文庫、
:『丸山眞男座談』岩波書店

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収録 初出 タイトル 取り上げられている
主な映画・演劇
『向陵時報』
1936年12月16日付
「映画評「ゴルゴダの丘」」 『ゴルゴダの丘』ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1935年、フランス
自1 『向陵時報』
1937年2月18日付
「映画評『新しき土』」 『新しき土』アーノルド・ファンク、伊丹万作監督、1937年、日本・ドイツ
『向陵時報』
1938年2月1日付
「(映画評)鎧なき騎士」 『鎧なき騎士』ジャック・フェーデ監督、1937年、英国
『向陵時報』
1938年10月18日付
「映画『冬の宿』について」 『冬の宿』豊田四郎監督、1938年、日本
『東京大学新聞』
1948年2月12日付
「〔映画評〕悲恋」 『悲恋』ジャン・ドラノワ監督、1943年、フランス
『展望』
1949年3月号
「世界の窓 戦後のフランス映画」 『美女と野獣』ジャン・コクトー監督、1946年、フランス
『海の牙』ルネ・クレマン監督、1946年、フランス
『文学界』
1950年3月号
「サルトルと映画「賭はなされた」を繞つて」 『賭はなされた』ジャン・ドラノワ監督、1947年、フランス
『文藝』
1950年10月号
「河出通信 ボヴァリー夫人――映画と小説」 『ボヴァリー夫人』ヴィンセント・ミネリ監督、1949年、アメリカ
著11 『展望』
1951年1月号
「映画の問題――『無防備都市』について」 『無防備都市』ロベルト・ロッセリーニ監督、1945年、イタリア
『夕刊西日本新聞』
1951年3月15日付
「ウの目タカの目 映画博物館」
『三田新聞』
1951年4月20日付
「映画批評の在り方」
『夕刊西日本新聞』
1951年6月7日付
「ウの目タカの目 懐しの日本映画」
『西日本新聞』
1952年3月19日付
「フランス映画の一面――経営難から美術作品の製作へ」
『西日本新聞』
1952年4月15日付
「映画に現われたジイド――文学的生涯の再構成」 『Avec André Gid』マルク・アレグレ監督、1952年、フランス
『東京タイムズ』
1953年6月7日付
「映画にも冷戦」 『恐怖の報酬』アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 監督、1953年、フランス・イタリア
『西日本新聞』
1953年7月18日付
「五所平之助氏の意見――エキゾチズムで映画を売りたくはない」
『西日本新聞』
1953年11月28日付
「似て非なる二つの映画――サロメとリュクレース・ボルジァ」 『ボルジア家の毒薬』クリスチャン=ジャック監督、1952年、フランス・イタリア
『情炎の女サロメ』ウィリアム・ディターレ監督、1953年、アメリカ
『西日本新聞』
1954年5月1日付夕刊
「もめる映画“洪水以前”」 『洪水の前』アンドレ・カイヤット監督、1954年、フランス
『日本経済新聞』
1957年5月18日付
「映画の古典主義」 『抵抗―ある死刑囚の手記より―』ロベール・ブレッソン監督、1956年、フランス
著11
自1
『映画芸術』
1957年7月号
「映画における古典主義の成立」 『オルフェ』ジャン・コクトー監督、1950年、フランス
『無防備都市』ロベルト・ロッセリーニ監督、1945年、イタリア
『抵抗―ある死刑囚の手記より―』ロベール・ブレッソン監督、1956年、フランス
『オルフェ』ジャン・コクトー監督、フランス、1950年
『禁じられた遊び』ルネ・クレマン監督、1952年、フランス
著11 『映画評論』
1957年11月号
「「宿命」とよばれた映画」 『宿命』ジュールス・ダッシン監督、1957年、フランス
『映画評論』
1957年7月号
「座談会 映画について――ブレッソンから狸御殿まで」(岩崎昶・原田義人他)
『映画評論』
1958年1月号
「《座談会》新しい戦争の寓話――「戦場にかける橋」」(松山善三・菊村到) 『戦場にかける橋』デヴィッド・リーン監督、1957年、英国・アメリカ
対2
座2
『映画評論』
1958年3月号
「〔対談〕『眼には眼を』に見るアラブ対西欧」(丸山眞男) 『眼には眼を』アンドレ・カイヤット監督、1957年、フランス・イタリア
『芸術新潮』
1958年6月号
「記録映画の効用――映画「法隆寺」をめぐって」 『法隆寺』羽仁進監督、1958年、日本
著10 『毎日グラフ』
1963年8月
4・11・18日号
「パリの芝居・パリの映画」 『Les Abysses(深淵)』ニコス・パパタキス監督、1963年、フランス
『Mourir à Madrid(マドリッドに死す)』フレデリック・ロシフ監督、1963年、フランス
『Joli Mai(美しき五月)』クリス・マルケル監督、1963年、フランス
著11 『展望』
1972年2月号
「紅色娘子軍、ゴダールおよび仏像」 『紅色娘子軍』1970年、中国
『中国女』ジャン=リュック・ゴダール監督、1967年、フランス
著7 『毎日新聞』
1972年3月7~8日付
「さらば藤純子」 『関東緋桜一家』マキノ雅弘監督、1972年、日本
自6 『毎日新聞』
1977年2月23日付夕刊
「真面目な冗談 道化にとって座頭市とは何か」 『座頭市』シリーズ
自6 『毎日新聞』
1977年9月21日付夕刊
「真面目な冗談 淀長流解説『愛のコリーダ』」 『愛のコリーダ』大島渚監督、1976年、日本・フランス
自6 『朝日ジャーナル』
1979年4月6日号
「山中人閒話――〈ホロコースト〉について」 『ホロコースト 戦争と家族』マーヴィン・J・チョムスキー監督、1978年、アメリカ(TV映画)
著21
自6
『朝日新聞』
1980年11月10日付夕刊
「山中人閒話 二つの映画」 『大理石の男』アンジェイ・ワイダ監督、1977年、ポーランド
『影武者』黒澤明監督、1980年、日本
自6 『友 Iwanami Hall』
139、1981年1月
「映画・東京・「岩波ホール」」
著21 『朝日新聞』
1982年10月18日付夕刊
「山中人閒話 映画一つ・小説一つ」 『オブローモフの生涯より』ニキータ・ミハルコフ監督、1981年、ソ連
『朝日ジャーナル』
1983年3月18日号
「外交官モラエスの変身――映画『恋の浮島』を見て」 『恋の浮島』パウロ・ローシャ監督、1983年、日本
著21
夕1
『朝日新聞』
1986年2月21日付夕刊
「夕陽妄語 二つの映画――バルカン半島から」 『パパは、出張中!』エミール・クストリッツア監督、1985年、ユーゴスラヴィア
『シテール島への船出』テオ・アンゲロプロス監督、1983年、ギリシャ・イタリア
著21
夕1
『朝日新聞』
1987年9月17日付夕刊
「夕陽妄語 「自発性」ということ」 『ローザ・ルクセンブルク』マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、1985年、西ドイツ
著22
夕1
『朝日新聞』
1988年12月19日付夕刊
「夕陽妄語 一九八八年の思い出三つ」 『火垂るの墓』高畑勲監督、1988年、日本
著22
自8
夕1
『朝日新聞』
1989年10月16日付夕刊
「夕陽妄語 利休・二つの映画」 『利休』勅使河原宏監督、1989年、日本
『千利休 本覺坊遺文』熊井啓監督、1989年、日本
著22
夕1
『朝日新聞』
1991年7月18日付夕刊
「夕陽妄語 歴史の見なおし」 『安重根と伊藤博文』オム・キルソン監督、1979年、北朝鮮
著22 『朝日新聞』
1993年5月31日付夕刊
「夕陽妄語 映画『ペタン』の事」 『Pétain(ペタン)』ジャン・マルブフ監督、1993年、フランス
『チャップリンの笑い
寅さんの笑い』
童心社、1993年
「対談 笑いの創造――チャーリー・チャップリン」(江藤文夫) チャールズ・チャップリンの作品
著22
夕2
『朝日新聞』
1994年1月20日付夕刊
「夕陽妄語 中国映画三題」 『さらば、わが愛 覇王別姫』陳凱歌監督、1993年、香港
『戯夢人生』侯孝賢監督、1993年、台湾
『青い凧』田壮壮監督、1993年、中国
自9
夕2
『朝日新聞』
1995年1月23日付夕刊
「夕陽妄語 『鷲の指輪』」 『鷲の指輪』アンジェイ・ワイダ監督、1992年、ポーランド・英国・フランス・ドイツ
夕2 『朝日新聞』
1995年3月22日付夕刊
「夕陽妄語 アウシュヴィッツ解放五十周年」 『SHOAH ショア』クロード・ランズマン監督、1985年、フランス
夕2 『朝日新聞』
1995年9月20日付夕刊
「夕陽妄語 『エイジアン・ブルー』の事」 『エイジアン・ブルー 浮島丸サコン』堀川弘通監督、1995年、日本
夕2 『朝日新聞』
1996年3月19日付夕刊
「夕陽妄語 三つの映画――バルカンから」 『ビフォア・ザ・レイン』 ミルチョ・マンチェフスキー監督、1994年、英国・フランス・マケドニア
『ユリシーズの瞳』テオ・アンゲロプロス監督、1995年、フランス・イタリア・ギリシャ
『アンダーグラウンド』エミール・クストリッツア監督、1995年、フランス・ドイツ・ハンガリー
自9
夕2
『朝日新聞』
1998年4月22日付夕刊
「夕陽妄語 サライェヴォと南京」 『パーフェクトサークル』アデミル・ケノヴィッチ監督、1997年、ボスニア・フランス
『南京1937』呉子牛監督、1998年、日本・中国・香港・台湾
自9
夕2
『朝日新聞』
1998年12月16日付夕刊
「夕陽妄語 濃い霧の中から」 『南京1937』呉子牛監督、1998年、日本・中国・香港・台湾
夕2 『朝日新聞』
1999年5月20日付夕刊
「夕陽妄語 「笑う男」再生」 『笑う男』パウル・レ二監督、1928年、アメリカ
夕2 『朝日新聞』
2000年8月25日付夕刊
「夕陽妄語 名優たちの想出」 『マダムと泥棒』アレクサンダー・マッケンドリック監督、1955年、英国
『戦場にかける橋』デヴィッド・リーン監督、1957年、アメリカ
夕3 『朝日新聞』
2002年1月23日付夕刊
「夕陽妄語 日常性と非日常性」 『ウンベルト・D』ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1952年、イタリア
夕3 『朝日新聞』
2003年9月18日付夕刊
「夕陽妄語 「オランダの光」」 『オランダの光』ピーター=リム・デ・クローン監督、2003年、オランダ
夕3 『朝日新聞』
2004年1月22日付夕刊
「夕陽妄語 映画・時間について」 『10ミニッツ・オールダー』ベルナルド・ベルトルッチ他監督、2002年、英国・ドイツ・中国他
自10
夕3
『朝日新聞』
2005年1月24日付夕刊
「夕陽妄語 映画と空間」 『エレ二の旅』テオ・アンゲロプロス監督、2004年、フランス・ギリシャ・イタリア

丸山眞男 映画関連著作

:『加藤周一対話集』かもがわ出版、:『丸山眞男集』岩波書店、:『丸山眞男座談』岩波書店、別集:『丸山眞男集 別集』岩波書店

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収録 初出 タイトル 取り上げられている
主な映画・演劇
集6 『中央公論』
1956年7月号
「記録映画「夜と霧」について」 『夜と霧』アラン・レネ監督、1955年、フランス
座2 『中央公論』
1957年5月号
「〔座談〕映画・思想・政治」(岡本博、武田泰淳)
座2
対2
『映画評論』
1958年3月号
「〔対談〕『眼には眼を』に見るアラブ対西欧」(加藤周一) 『眼には眼を』アンドレ・カイヤット監督、1957年、フランス・イタリア
座3 『映画評論』
1958年12月号
「〔対談〕映画の思想性と大衆性」(福田定良)
座3 『民話』
1959年1月号
「〔対談〕現代の政治的状況と芸術」(埴谷雄高)
座3 『映画評論』
1959年5月号
「〔座談〕映画・女性・現代――現代芸術に映画は何をもたらすか」(左幸子他)
集9 『人間と政治』
有斐閣、1961年
「現代における人間と政治」 『チャップリンの独裁者』チャールズ・チャップリン監督、1940年、アメリカ
座8 『ユリイカ』
1978年3月号
「〔対談〕文学と学問」(埴谷雄高) 『カリガリ博士』ロベルト・ウイーネ監督、1919年、ドイツ
集11 『'60』10号
1979年4月2日
「映画とわたくし」
別集3 1980年
インタビュー
「『加藤周一著作集』をめぐって――W氏との対談」 『暖流』吉村公三郎監督、1939年、日本
座9 『図書』
1988年4月号
「映画『ローザ・ルクセンブルク』をめぐって」 『ローザ・ルクセンブルク』マルガレーテ・フォン・トゥロッタ監督、1985年、西ドイツ