教員紹介
- 日本文化
日本史のなかで、室町時代はもっとも人気がありません。でも、国内外の観光客が京都を訪れると、金閣や銀閣を拝観し、禅寺の庭園を 散策し、お茶や生け花を体験するのが定番です。これらは全て室町時代の建築や発祥です。文化には詳しいのに、この時代の歴史を私たちはよく知りません。当時の京都は貴族だけでなく、武士や僧侶や商人達が一体となって政治・経済・文化を動かしていました。 そうした新しい社会がどのように構築されたのかに関心があり、とくに宗教の役割に注目しています。宗教研究というと、信仰や経典のイメージが強いですが、私の場合は宗教と政治・社会の関わりに重点を置きながら室町時代史を考えています。
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今様や蹴鞠、猿楽といった芸能はもともと庶民の芸能でした。しかし、それらが流行すると関心を示す貴族や武士が増え、彼らの好みに合わせて芸の中身も変わりました。また、そうした芸能を専門とする芸能者たちが優遇されるようになると、彼らの芸や仕事の方法、組織・集団も変わっていきます。このような芸能の流行が人々にもたらす影響に関心があり、芸能を通じた文化的ネットワーク、身分を超えた交流を可能にする空間や場のしくみ、芸能実践の思想的背景などについて研究しています。芸能の流行と階層間移動に着目することで中世文化を動態的にとらえ、なぜ中世の人々が文化や芸能に熱中したのかを解き明かすことができるのではないかと思っています。
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幕末政治が専門ですが、英雄による国家建設の成功譚には興味がありません。昔からある日本が危機を克服したのではなく、一九世紀に近世の〈自己完結の世界〉が近代日本に変貌したのであり、それは単に美しいだけの話でもなかったからです。その時、人々は他者をどう捉え(直し)たのか、それとの対比で自己をどう位置づけたのか、そして両者が織りなす〈世界〉はいかなる形をとり、国家や人々の意志決定を特徴づけたのか。今の社会にも繋がるこの大問題に、㋐人々の意識の構造(変革期には心のあり様が力をもつ)、㋑徳川政権=「負け組」の視座(政争の勝者だと自らの特徴を自覚できない)、㋒明治以降の神話化(近代の出発点ゆえ後の時代に脚色が重ねられる)に注目しつつ迫っています。
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伝統的な神祇信仰に依拠した権威を基盤とする日本の王権は、国家統治の手段として仏教の導入と興隆を図りました。一方で、政治的な目的とは別に、仏教のさまざまな効果に期待が寄せられました。病の治療や死者の追善、また仏教の付随した新たな知識や技術の導入などです。当然そこには、在来の信仰との調整が必要となり、特に王権を構成する人々が積極的にその効果を求める場合には、そのための新たな論理の構築が求められることになりました。このような経緯で奈良時代以後見られるようになったのが、神仏の混淆、さらには習合という現象です。私の研究は、その過程とそれぞれの段階での意義を究明することを目的としています。
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平安時代後期から鎌倉時代まで、一貫して朝廷、あるいは貴族社会から日本の歴史を見ている点だと思います。この時期には、平氏政権、鎌倉幕府という武家政権が成立したので、政治史が武士に著しく偏って論じられてきました。そのために、どうしても当時の社会の実情とかけ離れたイメージが形成されてしまったのです。実際は、院や貴族などの政治的地位が高く、鎌倉幕府ができても、その状況はそれほど大きく変わらなかったと考えています。そのため、鎌倉時代といっても、京都の重要性は容易に失われなかったのです。
COLUMN
日本の歴史に底流し続けた「貴族文化」の影響力
日本史学専攻
美川 圭
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私の研究の要点は、日本古代における文化の受容と選択にあります。たとえば、ある書物が中国から伝来したとします。それは史実ですし、歴史の一側面です。しかし、それが日本社会にとってどのような意味を持ったか、というのは別の問題です。その書物が果たして読まれたのか、読まれたとしたらなぜ読まれたのか、どのように読まれたのか、読まれなかったとしたらなぜ読まれなかったのか、そういった問題を問うことが重要なのです。文化が伝来し、受容し、取捨選択する際の軋轢・ズレこそが、双方の社会の様相をあぶり出し、東アジア文化の共通性と日本古代社会の独自性を明らかにするきっかけになると考えています。
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地中に埋没した遺跡(遺構・遺物)などの考古資料は、確かに文字資料(文献史料)には及ばないほど、歴史的事象を表すには多弁ではありません。しかし地中に刻まれた遺跡は歴史的な重要性の多寡に関係なく、歴史的な事実の反映であることに疑いはありません。この点が考古資料における最大の利点であると言えます。こうした物質資料から歴史的な重要性を導き出す学問研究分野が考古学です。
日本列島には、3~4万箇所もの中世の山城などの城郭遺跡があります。既に文字資料が存在していた時代でも、これらの膨大な数の構造物の比較検討を通していくことで、文字資料だけでは解き明かせない中近世史の解明を目指しています。
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「土器」と聞いて思い浮かべるものは何でしょうか?縄文土器や弥生土器、あるいは古墳時代の土師器や須恵器を思い浮かべるのではないかと思います。実は土器の生産は昭和中頃まで続き、中世には人々の生活に深く根付いていました。物質資料を研究対象とする考古学には、研究対象とする時代の制約はなく、私は中世の土器を主な研究対象にしています。土器からは当時の人びとの暮らしや往来、文化の広がりなど、文字資料には残らないような、あるいは文字資料を残せなかった人々の様々な情報を引き出すことができます。何より、数百年前を生きた人々が作り、使った土器に触れるという経験は、当時を生きた人々と今を生きる私たちがモノを介して対話するという、他では得難いものとなるはずです。
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