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重森 臣広 先生(政策科学部)

2023.10.01


パンデミックのあとで

新型コロナウィルスの蔓延に振り回された期間が終わりつつあり、大学も2023年度はほぼ以前の状態に戻った。この三年間で、多くの人々が様々な希望を捨てざるを得なかったり、それまでの人間関係に変化が生じたりしたことと思う。そこでまずは、パンデミックに関係する本を三冊紹介。そのうちの2点は小説であり、残りの一点は行政文書。妙な取り合わせではあるが。

『ペスト』改版
ダニエル・デフォー著、平井正穂訳(中央公論新社、2009年)

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1665年のペスト大流行を素材にした観察的なフィクション。歴史的な小説でもあれば、小説的な歴史でもある。中国の武漢から始まり、あっという間に世界中に広がった新型コロナウィルスによるパンデミックを経験した私たちにとって、実に生々しくリアリティを感じさせる作品。封鎖や隔離、避難を余儀なくされ、他人との接触に恐怖を覚える人々、このような非常事態に対処しようと努力する役人の姿などは、まるで私たち自身をみているようでもある。目に見えず、それが何であるのかが十分に理解できていない「敵」との格闘を通じて知らされるのは、人知の有限性であり、個人の心性や社会制度の脆さでもある。


『大英帝国における労働人口集団の衛生状態に関する報告書』
エドウィン・チャドウィック著、橋本正己訳(日本公衆衛生協会、1990年)

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チャドウィックは19世紀イギリスの有名な行政官。この『衛生報告』(1842年)は当時の貴族院に提出された答申で、今の分類でいえば行政文書だ。この答申文書は、社会政策分野では古典と位置づけられてもいる。その主題は当時、間欠的に流行していた感染症(コレラ、腸チフス、猩紅熱)への対応なのだが、細菌学成立以前の不十分な知識しかないなかで感染症の流行と格闘せざるを得なかった行政官の姿が浮き彫りになる。彼は感染症の原因が「臭気」にあると断定し、都市域内から悪臭を放つありとあらゆるものを除去するプランを提案した。そして、罹患者の治療ではなく、「予防」こそが感染症対策の柱だと主張し、悪臭の除去のために土木工学の知見を援用して下水システムの再構築を提案する。今からみれば医学的に間違った説に依拠しながらも、結果的に公衆衛生の改善に資する提案をすることになる。


『ペスト』
アルベール・カミュ著、宮崎嶺雄訳(新潮社、1969年)

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『ペスト』
アルベール・カミュ著、三野博司訳(岩波書店、2021年)

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パンデミック小説としてはもっとも有名な作品の一つだろう。おそらくすでに読まれた方も多いのではないかと思う。カミュのこの作品は、厄介な疫病に見舞われて、そこここに訪れる「別離」をきっかけに、人々の感情が変容していく様を描き出す。普段はぞんざいな態度をとっていた者が「誠実さ」を取り戻したり、「母親のそばで暮らしながら。ろくにその顔をながめようともしなかった息子たち」がその顔の皺の一筋に「心惜しみ」を注ぐようになったりもする。だが、それだけではない。残された者からは「恋愛や友情」の能力が奪われる。「愛はいくばくかの未来を要求するもの」であるが、人々にとっては「刻々の瞬間」しかリアリティをもたなくなる、つまり絶望しかもてなくなる。私たちがこの3年間に経験したものもそんな絶望だったといえば、やや大げさであろう。今は大学も街も以前の姿を取り戻しつつある。けれども、私のような年寄はそうでもないが、若い人たちはいろんなことをこの間、諦めてきたのではないだろうか。だから、この絶望の淵くらいは垣間見たのかもしれない。


コミュニケーション力

わりとよく聞くコミュニケーション力というやつ。おそらく、「聞く力」と「話す力」がその中心なのだと思う。ところが、文字ベースで「読む力」や「書く力」は、母語でも外国語でも学校でよく習ってきたけれども、「聞く力」や「話す力」(とくに後者)は、ちゃんと教わった記憶がない。

『弁論術』
アリストテレス著、戸塚七郎訳(岩波書店、1992年)

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多くの人の前で話す、今風にいえばプレゼン。いまは大学の授業でもそういう機会が増えていると思う。社会人になるともっと増えるし、聞き手もクラスメイトみたいな顔見知りばかりではなくなる。多くの知らない人の前で話をしなければならないことも増える。ところが、そういう場面での話し方について、大学を含めて今の学校では教科として教わることがあまりない。ちょっと重量級の本であるが、アリストテレスの『弁論術』は人前で話すときの技法をまとめた教科書のようなものだ。その主題は、「説得力」。聞き手がどのようなスピーチに耳を傾け、その話に納得するかに関する技法だ。倫理的な卓越性、聴衆の情緒、論理的整合性が説得力を獲得する技法の主な構成要素で、倫理学、人間学、論理学の応用的統合の書でもある。


『まくらコレクション:談志が語った“ニッポンの業”』
立川談志著(竹書房、2015年)
※本学所蔵なし
『いちのすけのまくら』
春風亭一之輔著(朝日新聞出版、2022年)

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落語は代表的で伝統的な話芸の一つだ。漫才でいえば「つかみ」にあたるのが、落語の「まくら」である。陸上競技の跳躍系種目の多くは跳躍の前に助走があるが、「まくら」は本編であるネタにとって助走みたいなもの。独演会などに足を運ぶとわかるが、この助走(まくら)がとても面白く、もしかすると本編よりも私は好きかもしれない。で、この「まくら」だけを集めた本がけっこうたくさん出ている。「まくら」は上にあげた弁論術と無関係ではない。弁論術の技法の一つに「トポス(場所)の共有」というのがある。いきなり話者が登場していきなり本編に入ると聴いている側はたまらない(大学の講義はだいたいこんな感じ)。少しずつ聴衆に耳を傾けさせる工夫(助走)があったほうがよい。「まくら」はそのお手本のようなものだと思う。本編とは無関係な時事ネタだったり、本編の主題をわかりやすい実例にたとえたり、内容はいろいろだが、うまい「まくら」は話芸の真骨頂だと思う。機会があれば、これだけでも楽しんでほしい(できれば落語のライブに足を運んでみるとなおよい)。


厄介な「自由」

ブラック校則のことをニュースでやっていた。髪型、靴下の模様、登校時の靴、果ては下着まで事細かく規則化されているのだという。生徒が不満をもつのも無理はない。こんな窮屈な学校生活は好きではない。その一方で、なにか社会的に不都合なことが起こるたびに、法律による規制が必要だという論調が多くなったように感じる。そんなことをしていたら、規制する法律だらけで、どんどん社会は窮屈になっていく、つまり自由の領分が狭くなっていくのではないか。しかもだ、その不都合は誰かの「自由」な(勝手な)振る舞いによって生じることが多いから厄介だ。改めて「自由」について考えてみるために。


『人間不平等起原論』
ジャン・ジャック・ルソー著、本田喜代治・平岡昇訳(岩波書店、1972年)

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『人間不平等起源論』
ジャン・ジャック・ルソー著、中山元訳(光文社、2008年)

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『人間不平等起源論:付「戦争法原理」』
ジャン・ジャック・ルソー著、坂倉裕治訳(講談社、2016年)

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『社会契約論』(桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫)で有名なルソーによる文明史。人間はもともと誰にも依存せず、平等で自由な存在だった。森の中の自然人である。ところが、やがて人間は定住するようになり、安全や便宜をもとめて相互に依存するようになる。その結果、私有財産の観念が生まれ、婚姻や家族の制度を発明する。自由で平等な自然人は過去のものとなり、人々のあいだに不平等な関係が生まれ、誰もが誰かに依存したり、服属するようになる。ルソーに言わせると、文明の歴史は、不平等、依存や服属(不自由)の関係が精緻化されていくプロセスである。安全と便宜を享受する一方で、かつて人間がもっていた自由や平等が失われる。自由と平等の喪失は文明の対価だと。


『自由論』
ジョン・スチュアート・ミル著、斉藤悦則訳(光文社、2012年)

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『自由論』
ジョン・スチュアート・ミル著、関口正司訳(岩波書店、2020年)

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自由社会を論じた古典的著作で、おそらくこれからも読みつがれるにちがいない名著。逆説的な感じがするが、自由社会は自由を制限することでしか維持できない。社会は野放しの自由を許容しない。問題は、どのようなときに個人の自由を制限することが許されるかだ。どのような髪型にしようが、どんな服を着用しようが、どんな思想をもとうが自由である。これが自由社会の基本原則だ。しかし、その自由が誰か他の人に「危害」をもたらす場合、その自由を法的・社会的に制限することが許される。これを他者危害の原則という。とてもわかりやすい。だが、問題は「危害」が何を意味するかだ。おそらくミルの時代とこんにちではその意味するところは大いに異なっているだろう。そんなことを考えながら読んでほしい一冊。


『自由からの逃走』
エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳(東京創元社、1965年)

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近頃の大学、とくに学際系の学部は、必修科目がずいぶん少なくなって、選択科目が大幅に増えているように思う。自由な選択の余地が増えたのだからけっこうなことだ。けれども、膨大な数の科目群を前にして自由に選択してくださいと言われても、途方に暮れてしまう人もいるかもしれない。どれを履修してよいのやら…。友人や先輩の情報を集めてなんとか対処しているのだと思うが、自由であるがゆえに途方に暮れる感覚、フロムがこの本の主題の一つにあげている近代的個人の自由が生み出す無力感、孤独感はこれに近いかもしれない。フロムによると、人々はこうした無力感、孤独感に耐えられず、自ら自由を放棄して、やがて権威主義的な全体主義に服属する結果となるという。恐ろしい分析だ。近代的個人のこの不幸な運命はどのようにすれば回避できるのか。無力感や孤独感から逃れるために自由まで放棄してしまうのか。そんなことを考えながら読んでもらいたい一冊。


汝自身を知れ

青春は密である―どこかの野球の監督がそう言っていた。大学の4年間は、それまで以上に行動範囲が広くなり、それまで以上に多彩な経験をするだろう。ということは、実にさまざまな人たちと出会うことを意味する。出会って親しくなる人もいれば、そうでない人もいるだろう。素晴らしい人、尊敬できる人に出会うこともあれば、素晴らしくない人、軽蔑すべき人と遭遇することもあるだろう。誰かを手本にしたり別の誰かを反面教師にしたり、そんなことを繰り返しながら、自省を深めていく。最後に私が大好きな一冊を。


『ラ・ロシュフコー箴言集』
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー著、二宮フサ訳(岩波書店、1989年)

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『箴言集』
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー著、武藤剛史訳(講談社、2019年

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17世紀フランスの文人による人間観察の集成で、賢人の知恵の書といえば、なんとなく全体像がつかめるだろう。その(自省を含めた)人間描写は皮肉に満ちていて、諧謔的でもあれば、警句的な部分もある。その焦点は、私たちの胸中に去来するさまざまな感情の交錯に据えられていて、とても教訓的なものが多い。「少ない口数で多くを理解させるのが大才の特質なら、小才は逆に多弁を弄して何一つ語らない天分をそなえている」(142)。そのほとんどが、このように、わずか数行の格言形式で書かれているので、通学のお供に、就寝前のひとときに最適だと思う。