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「第48回:漠然とした考えを言語化する」山田 希 先生(法学部)

インタビュー:学生ライブラリースタッフ 時實

山田 希 先生
山田 希 先生の研究概要

―― 先生の研究分野について教えてください。

私の専門は、民法の債権法と契約法です。中でも最近特に関心を持って研究しているのは、生命・身体の安全に関わる契約上の義務についてです。皆さんも卒業したら会社に就職しますよね?就職するということは会社と雇用契約を結ぶということですが、雇用契約を結ぶと、会社は、契約上の義務として皆さんの生命・身体の安全に配慮しなければならないという義務を負うことになります。仕事中に怪我をしたり、忙しすぎて病気になったり、過労死・過労自殺が起きないように、適切な措置を講じなければならないという義務です。もっとも、契約のなかにそのような義務が明記されていればよいのですが、それはめったにありません。

それではなぜ、会社は契約書に明記されていない義務を負うのでしょうか。明確に約束していない義務を会社に課すためには、その義務を正当化しうる根拠が必要になります。これと同じことは、他の契約でも問題になります。たとえば、旅行代理店に海外旅行を申し込み、その旅行先で旅行代理店が手配した現地のバスが崖から転落し旅行者が亡くなったという場合に、現地のバス会社と運転手を訴えることは、(外国で裁判を起こさなければならないので)現実にはとても難しいことです。だから、そういうバス会社を選んだ日本の旅行代理店に対して損害賠償を求めたいところなのですが旅行契約のなかには旅行代理店が旅行者の安全を確保する義務を負うとは明記されていません。にもかかわらず、旅行代理店に義務を課すためには、その義務を正当化できるだけの根拠が必要なのです。就職した会社の義務も旅行代理店の義務も、人の生命・身体が対象となっているという点で共通しています。

生命・身体は人間が持っている色々な価値の中でもっとも重要なものですので、当然にそうした義務が課せられるだろうという言い方も出来るのですが、では旅行代理店は、事故が0になるようにコストを掛けなければならないのでしょうか。一万回ツアーを開催して、一回も事故が起きないように膨大な費用を掛けなければならないのか。他方で、就職先の会社はどうかといえば、旅行代理店よりはコストを掛けなければならないような気がいたします。旅行契約と雇用契約の違いは、仕事をしなければ、たべなければ、生きていけないため、だれもが雇用契約は結ぶのに対し、旅行は生活を豊かにするための娯楽なので、絶対にそれをしなければならないわけではないという所にあるのではないでしょうか。とすると、掛けなければならないコストに違いがあっても、もしかしたら許されるのかもしれません。このような感じで、義務を正当化する色々な根拠を考えながら、どれだけのコストを掛けるべきなのかといったことを研究しているわけです。

―― その分野に興味を持ったきっかけはなんですか。それは社会人入試に関係しているのですか。また、なぜ社会人に一度なってから大学に入りなおしたのですか。

興味を持ったきっかけに社会人入試はまったく関係ありません。実は私は家庭の事情もあり、高校を卒業してすぐに市役所に就職しました。でも大学には行ってみたいという思いもあって、夜間大学に通うことにしたのですが、昼間働いているということもあって、あまり大学にも行かず、勉強もそんなにはしませんでした。ただ、機会があればまた大学に行きたいという気持ちはもち続けていましたので、同じ職場で働いていた夫と結婚したときに、昼間の大学に行かせてほしいと頼んだところ、それがかなえられることになりました。ただ勉強したいというだけでしたので、学部はどこでも良かったのです。地元の大学が法学部だけ社会人入試を実施していたので、三年次から編入学しました。編入当初は、卒業後にもう一度、市の職員になろうと考えていました。しかし、実際に学んでみると法律がとても面白かったのです。論理的なものの考え方も自分に合っていたし、法律を通して社会を見るということにすごく魅力を感じ、法律を活かした仕事をしたいと思うようになっていたところ、授業でお世話になった教授からの誘いもあり、研究者を志して大学院へ進学しました。

―― 研究分野についておすすめの本を教えてください。

今回は次の二冊をおすすめします。一つめは筏津安恕先生の『失われた契約理論』(昭和堂、1998年)です。本書の内容は、プーフェンドルフの契約理論(カントやサヴィニーの理論とは一線を画し、ヘーゲルの理論へとつながる理論)の特徴を明らかにして、大陸契約法史におけるその重要性を再評価する、というものです。著者は、私の大学院生時代の恩師なのですが、本書は、筏津先生が文字通り「命」を削って執筆なさったものです(筏津先生は2005年に急逝されました)。二つめは加藤雅信先生の『「所有権」の誕生』(三省堂、2001年)です。「所有権」という概念が、どのような条件のもとで社会に発生したのかを解き明かそうとするものですが、文化人類学的な見地からアプローチしている点に特徴があります。ちなみに、著者の加藤雅信先生は、私の大学・大学院時代の指導教官(師匠)です。

―― 研究分野以外でおすすめの本を教えてください。

どんな本でもいいと思いますが、内容が難しい本を、ちょっと背伸びして読んでみるのもいいのではないかと思います。そういう意味では、内田義彦先生の書いた『社会認識の歩み』という岩波新書の本がおすすめです。この本の中で私が一番印象に残っているのは“参加する”ということの意味です。日本人はよく「参加することに意味がある」といいますが、ここでいう「参加」がどのような態度をいうのかが問題です。ゼミで議論するときにまったく発言をしない人がいますが、それで本当に参加していることになるのでしょうか。内田先生は、「参加」は英語では “take part”、つまり、「~の一部になる」ということだから、何にも言わないでそこにいるだけではだめで、議論に加わらないと、何か意見を言わないと、参加していることにはならない、と書いておられます。まあそのことがいちばん言いたい本ではないのですが、そういう面白い記述もあるし、教養を身につけるという点でも有益なので、特に社会科学系の学部に所属している人たちには、是非読んでもらいたいと思います。

―― 学生時代に読んで、印象に残っている本というのは何か覚えていらっしゃいますか。

学生時代には、なぜかロシア文学にはまりました。登場人物が多すぎて誰が誰だかわからなくなることもしょっちゅうでしたが、『罪と罰』や『戦争と平和』なんかは、(ベタですが)何度も読みました。日本の作家では、これも今にして思えば、どうしてかわからないのですが、三島由紀夫が好きでした。とくに『豊饒の海』が印象に残っています。

私は小説がすごく好きなんですけれど、その話をしてもいいですか?

―― ぜひお聞きしたいです。

小説が好きなのは、自分の経験できないような世界をその本で経験させてくれるからです。自分では考えつかないようなストーリーに接すると、すごく感銘を受けるんですね。それから、私は心に深い闇を抱えている人の行動や物の考え方などに興味があって、そういう人が出てくるような話が好きです。最近の本では、天童荒太『永遠の仔』、西加奈子『サラバ!』、湊かなえ『母性』が印象に残っています。

話は少し変わりますが、専門書も含め、ちょっと難しい本を読むメリットのひとつは、自分でその本に書かれていることを調べようと思ったら、膨大な時間と費用がかかるところを、せいぜい2、3千円程度で勉強させてもらえるということだと思います。もうひとつは、なんとなく自分が漠然と思っていることを、本を読むことで言語化できるようになることだと思います。学生のときって、いろんなことを考える時期ですよね。社会を意識し始めて、たくさんの考えに接して、なんとなく自分なりの考えを持つ、けれどもそれをはっきり言葉にすることができない。それが、本を読むことで、あっ、自分があの時考えたことは、こんな言葉で表すと相手に伝わりやすいなとか、もっといえば、言葉にされてはじめて、自分の考え自体がはっきりすることってあると思うんです。だから、ちょっと難しい本でも、積極的に挑戦してみてほしいと思います。

私が大学院生のときに感銘を受けた専門書を二冊だけ紹介させてください。一つは加藤雅信先生の『財産法の体系と不当利得法の構造』(有斐閣、1986年)。これは、大学院に進学して最初に格闘した本(千頁近い)です。論理が明快なので、すんなり頭には入るのですが、これほど頭脳が明晰でなければ研究者にはなれないのだろうかと、当時の私の自信を根本から揺るがした本です。もう一つは大村敦志先生の『公序良俗と契約正義』(有斐閣、1995年)です。これも大学院に進学してすぐに読んだ専門書です。暴利行為論を扱ったものなのですが、「意思」か「正義」かという、契約法の核心をめぐる議論に初めて直面させられた書物です。

―― 学生時代に図書館をどのように利用されていましたか。

いちばん図書館を利用したのは、大学院の受験勉強のときです。この大学でもみなさん図書館で勉強をなさっておられますが、私も同じように、受験勉強のために利用しました。図書館に行くと、大学院を受験するライバルがたくさんいるんですね。「これは負けちゃいられない」と思うじゃないですか。だから結構、勉強がはかどりましたよ。

―― 自習に使うにはいい場所ですよね。

―― 最後に、立命館の学生と、特に法学部生に向けてのメッセージをいただきたいのですが。

法学部で法を学ぶことの意味は、法を通して社会をみることにあると思います。社会に関心を持つためには、第一に新聞を読むこと。新聞を自分で取るのは新聞代がかかるから大変だけど、せっかく図書館にあるのだから、読む習慣をつけてもらいたいと思います。このようにいっても、なかなかみなさんに新聞を読んでもらえないのですが、ちょっとおすすめの読み方としては、まず見出しを見て、どういう内容かを推測するんですね。そのようにすると、結構集中して読めます。想像してたのとぜんぜん違う内容だったなとか、逆に、ほとんど同じだったなとか。だんだん慣れてくると、自分の推測と実際の記事の内容とが、ほとんど変わらなくなっていきます。原発事故や過労自殺などの社会問題について書かれている本をたくさん読むことも必要です。そして、そこで取り上げられている問題を法的に考える習慣をつけてほしいと思います。

―― 本日はありがとうございました。

今回の対談で紹介した本

『失われた契約理論』/ プーフェンドルフ・ルソー・ヘーゲル・ボワソナード / 筏津安恕著 昭和堂 1998
『「所有権」の誕生』/ 加藤雅信著 三省堂 2001
『社会認識の歩み』/ 内田義彦著 岩波書店 1971
『罪と罰』/ ドストエフスキー著 岩波書店 1999
『戦争と平和』/ トルストイ著 岩波書店 2006
『豊饒の海』/ 三島由紀夫著 新潮社 2000
『永遠の仔』/ 天童荒太著 幻冬舎 2004
『サラバ!』/ 西加奈子著 小学館 2014
『母性』/ 湊かなえ著 新潮社 2012
『財産法の体系と不当利得法の構造』/ 加藤雅信著 有斐閣 1986
『公序良俗と契約正義』/ 大村敦志著 有斐閣 1995