立命館大学図書館

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ごあいさつ

立命館大学加藤周一現代思想研究センターと東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センターは、2017年12月に研究提携協定を結びました。この研究提携協定に基づいて、これまで二回、両研究センターによる共同展示を企画し、両大学キャンパスで同時に公開してまいりました。両センターが保有する資料やアーカイブを利用した企画として立案し、研究成果よして学生や市民に公開し、社会還元することを目的としてきた活動であります。

その第1回は「君たちはこれからどう生きるか:丸山眞男と加藤周一から学ぶ」(2018年)、第二回は「〈おしゃべり〉からはじまる民主主義」(2019年)と題した共同展示を開催いたしました。

今年第三回は「我を人と成せし者は映画:加藤も丸山も映画大好き!」と題した展示を開催することといたしました。加藤や丸山は少年時代から映画に親しみ、映画とともに成長し、その後も映画に関心を寄せています。彼らの少年時代は、日本社会に映画が普及する時代に重なり、新しい表現方法として映画の人気が高かったこともあるでしょう。しかし、それだけではないと思います。映画は総合芸術であり、映画が描く世界にはあらゆるものが表現されることが与っているに違いありません。

風景や暮らしぶり、言葉やしぐさはいうに及ばず、映画には製作者の思想や時代精神までもが映し出されます。それゆえ、加藤は映画を「西洋の窓」(『羊の歌』)といい、丸山は「我を人と成せし者は映画」(「映画とわたくし」)と述べたのです。

本展示では、加藤と丸山が、どんな映画を観たのか、どんな感想を抱いていたのか、映画から何を学んだのかを読みとれるように構成しました。

加藤と丸山が学んだのは書物ばかりでなく、映画からも大いに学んでいます。この展示が映画の可能性について再考する機会となれば、企画者としてこのうえない喜びであります。

2020年10月
立命館大学加藤周一現代思想研究センター長
 鷲巣力
東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センター長
 和田博文

丸山眞男文庫について

丸山眞男、1959年、『丸山眞男集』第8巻
(岩波書店)より

丸山眞男文庫は、東京女子大学の図書館内にあります。20世紀を代表する知識人の一人、丸山眞男(まるやま・まさお、1914~1996)が遺した蔵書や様々の草稿などを所蔵しています。これは、1998年9月に、丸山家から東京女子大学に寄贈されたものです(2011年には、丸山の著作の一切の著作権も遺贈されました)。

所蔵資料の内容は、約18,000冊の図書(その内、約5,800冊には、丸山自身による書き込みがあります)、約6,200件の草稿類、約18,000冊の雑誌、そして丸山に宛てられた書簡類(段ボール26箱分)などです。さらに、丸山が深くかかわった「平和問題談話会」関係資料(吉野源三郎の整理による)も、岩波書店から寄贈され、丸山文庫の所蔵となっています。まさに、丸山の学問と思想の全体像を知ることができる網羅的な構成です。

丸山眞男文庫は、所蔵資料の調査・整理を続け、まず2005年に、書き込みなどの無い図書を、開架図書として東京女子大学図書館内で公開しました。ついで、草稿類(2009年)、閉架図書(2010年)、雑誌(2012年)、楽譜類(2014~2015年)を、順次公開してきました。

この内、図書は、インターネット上に表現した「丸山眞男文庫バーチャル書庫」(2015年公開)によって、丸山宅での配架の様子を閲覧できるようになりました。閲覧すると、まるで、東京女子大学のすぐ近所にあった丸山の書斎にもぐりこんで、本棚を眺めているような気分になります。また、草稿類は、「丸山眞男文庫草稿類デジタルアーカイブ」(2015年公開)によって、文庫を訪れなくとも、インターネット上で閲覧できるようになりました。

丸山に宛てられた膨大な数の書簡などについては、現在、なお調査中です。

本文庫がさらに多くの方に利用され、丸山眞男の学問と思想を今後に活かしていくことに貢献できるよう、今後も努力してまいります。

丸山眞男文庫顧問
 渡辺 浩
(東京大学名誉教授・日本学士院会員)

加藤周一文庫について

加藤周一、1979年、加藤周一文庫蔵

加藤周一文庫は、2010年に加藤の御遺族から寄贈された書籍・雑誌類と手稿ノート・資料類とを所蔵しています。立命館関係者だけではなく、一定の手続きをしていただければ、広く市民も閲覧することができます。

〔書籍・雑誌類〕蔵書数は約20,000点に上ります。そのうち約12,000点は開架式閲覧室にて、自由に閲覧、その一部は貸出を受けることもできます。約8,000点は閉架式書庫にて収蔵、一定の条件がありますが、請求によって閲覧が可能です(貸出不可)。開架式の蔵書は3つのグループに分けられます。①加藤の著書と加藤の著作が載る書籍・雑誌。②加藤について書かれた書籍・雑誌。③加藤が所蔵し利用した参考書籍・雑誌類。①②については、完全に揃っていることが望ましく、現在も補充作業を続けております。

〔手稿ノート・資料類〕「手稿ノート」、来信、写真、手帳、新聞切り抜き、地図などの資料類を収めています。「手稿ノート」の総頁数は10,000頁を超え、大半は加藤自身によって主題別にファイリングされ、一部は加藤周一研究センターのスタッフがファイリングしました(ファイル数は1,000超。両者は区別されています)。これらの「手稿ノート」は主として執筆のために取られ、加藤の著作や思想を精しく研究するためには、欠かすことができない重要な資料です。その他の資料類はまだ整理が終わっていません。

〔デジタルアーカイブ〕「手稿ノート」は、管理保存上、現物をお見せすることができません。そこで「手稿ノート」のデジタルアーカイブ化を進め、インターネット上で公開しています。このアーカイブは「キーワード」検索の機能をもっています。すでに公開されたノートは『青春ノート』、2冊の《Journal Intime》(1948~51年の日記)、日本文学史関連のノート、『Notes onArts』、『1968 1969』、『詩作ノート』など22冊に上り、今後も公開を続けて参ります。

加藤周一の研究と精神とを引き継ぐために、加藤周一文庫が少しでも資するよう、一層の努力を傾けて参ります。

立命館大学図書館長
 重森 臣広
(立命館大学教授)

丸山眞男、加藤周一と戦前の映画体験

丸山眞男と加藤周一、加藤周一文庫蔵

丸山眞男(1914~96年)と加藤周一(1919~2008年)は、共に多くの映画に関わる文章や座談を発表しており、映画に対する強い愛着の念を終生、抱き続けた。なぜ、彼らはこれほどまでに映画を愛したのだろうか。その背景には、彼らの青年期に当たる戦前の映画受容の変遷が深く関わっている。

映画(活動写真)は、1890年代後半に西欧から最新技術として日本に輸入された。以後日本では、無声を補うため映画の内容を説明する活動弁士が登場するなど、独自の発展を歩み始める。また、無声時代に映画館で伴奏を担当した楽団は、軍隊の楽隊と共に、日本における西洋音楽の受容にも重要な役割を果たした。輸入後まもなく日本国内でも映画制作が始まり、1918~23年頃に起こった「純映画劇運動」を契機にして、日本映画は、それまでの活劇を中心とする、伝統演劇の強い影響下にあった「活動写真」を脱し、映像表現の独自性を自覚する「映画」へと自立していく。この頃から次第に「活動写真」にかわり、「映画」という名称が一般化していく。

第一次世界大戦が終結するとアメリカ映画の公開も盛んとなり、1920年代になると、ドイツ表現主義の作品やフランスの前衛映画などヨーロッパ映画の輸入が本格化する。「無声」から「トーキー」への移行期に当たる1930年代には、国内外の優れた作品が数多く生み出される映画の黄金時代を迎え、映画館の入場者数は、1936年の2億5000万人から41年には4億6000万人に達し、戦前最大の伸びを示した。また、当時の大学生の娯楽の筆頭には映画が挙がった。一方で、1936年頃から検閲も厳しさを増し、遂に1939年の映画法の制定によって、映画産業は国家の統制下に置かれ、海外の映画の上映も制限されるようになった。

このように「活動写真」から「映画」へ、「無声」から「トーキー」へと発展した映画の歩みと歩調を合せるように成長したのが、1910年代に生まれた丸山や加藤たちの世代だった。都市中産階級のモダニズム文化の空気をいっぱいに吸って育った彼らは、特に西欧からもたらされた映画から、自由や民主主義といった価値の普遍性、また複雑な陰影を持つ人間の多面性を感じ取った。丸山が「いや影響なんていうのもおかしいくらいぼくは無限の示唆をフィルムの世界から受けたね」(埴谷雄高との対談「文学と学問」)と語っているように、戦前の映画体験は、丸山と加藤の精神史に深く刻み込まれているのである。