立命館の精神と名称を受け継ぐ

京都法政学校は、1900(明治33)年5月19日に設置が認可され、同年6月4日から元清輝楼での夜学授業が開始されました。開校時の学生数は305名。活気に満ちた授業と清新な学園運営がなされました。
元清輝楼の仮校舎から広小路本校舎への移転、専門学校令による私立京都法政専門学校への改組・改称、新学科の設置、その後の専門学校令による私立京都法政大学の設置認可などさまざまな変遷を経ながらも、その教育の基本精神は一貫して変わらず、優れた人材を世に送り出してきました。
京都法政学校を設立するにあたり中川は、西園寺の精神を継承するとともに、西園寺がかつて開いた立命館の精神も引き継ぎました。
中川は、西園寺に立命館の名称を引き継ぎたいと申し出たところ、快諾を得ます。西園寺は、自ら筆をとって「立命館」の三文字を大書、七十五文字のゆかりを附記した扁額を中川に与えました。
ここに、名実ともに西園寺公望の私塾の伝統を継承した立命館が誕生したのです。それはまた、30年前涙をのんで立命館閉鎖の措置に甘んじた西園寺の再興の情熱が実を結んだものであったのです。
1913(大正2)年、私立京都法政大学は、私立立命館大学に名を改めるとともに、財団法人立命館を設立。法人組織によって大学運営をすることになったのです。さらに1922(大正11)年には、大学令による立命館大学に昇格し、順調な発展を遂げてゆきます。


ページトップへ