「人類の農耕の起源は気候が安定してから」福井県・水月湖の堆積物から解明

2021.07.29 TOPICS

「人類の農耕の起源は気候が安定してから」福井県・水月湖の堆積物から解明

 農耕の開始は人類史にとって重要な転換点でした。それ以降の人類は定住生活を始め、世界各地でいわゆる「文明」を発展させていきました。しかし、何がこのような革命的な変化をもたらしたのかについては、議論が続いている状態でした。今回、福井県・水月湖の湖底に堆積する特殊な地層を研究することで、謎を解く鍵が気候の安定性にあるらしいことが示されました。

 農業の起源について広く支持されている説の一つは、紀元前10,900年頃に始まり紀元前9,700年頃まで続いた気候の寒冷化が食糧危機を引き起こし、人類は農耕を始める必要に迫られたというものです。しかし近年、この説の根拠とされた一連の年代測定結果を新しい技術で再検討したところ、寒冷化の時代は農耕や定住生活の始まりではなく、むしろそれらの活動が衰退・中断した時期と一致していることが判明し、仮説の信頼性に疑問が持たれていました。

 最近の考古学の成果、人類は氷期が終了してから数千年以内に、世界各地で独立に農耕を開始したらしいことが分かってきました。このことを根拠に、氷期が終わったことによる気温の上昇が農耕を可能にしたと考える研究者もいます。しかしこの説では、最終氷期の最も寒い時期でもそこまで寒くなかった熱帯地域で、なぜもっと早くに農耕が始まらなかったのかを説明できませんでした。

 この議論に新たな光を当てたのが、水月湖の底に毎年一枚ずつ堆積する特殊な地層「年縞(ねんこう)」の分析です。水月湖の年縞には、500点を越える葉の化石の放射性炭素年代と年縞の枚数によって、世界で最も正確な年代目盛りが与えられています。立命館大学の中川毅教授らの研究グループは、この年縞に含まれる花粉化石の種類を手がかりに、紀元前16,000年頃から紀元前8,000年頃までの気候変動を、およそ10年刻みで詳細に復元しました。その結果、植物の栽培化に成功した時代と、農耕を基盤とした集落の建設が始まった時代はいずれも、気候が比較的温暖で、しかも安定していた時期と一致していたことが明らかになりました。

 研究グループの最新のデータによると、氷期からその後の暖かい時代への移行期には、気候が安定な時代と不安定な時代とが、何度も繰り返し訪れていました。その中で人類による植物の栽培化は、気候が単に温暖になった紀元前13,000年頃には始まらず、温暖な気候がさらに安定化する紀元前12,000年頃まで待たなければなりませんでした。

 農耕をおこなうには計画を立てる必要があり、計画が意味を持つためには、未来がある程度まで予測可能である必要があります。気候が常に激しく変動していた時代には、来年の天候が今年のそれと似ている保証がなく、作物の生育にも不安がつきまとうため、農耕はあまりにもリスクの高い賭けでした。このような条件の下では、(農地とは対照的に)種の多様性が保たれた自然の生態系の中で「何か」食べられるものを探す狩猟採集のほうが、農耕よりも合理的な生存戦略でした。中川教授らのこの発見は、農耕が人類の歴史にとって革命的な進歩であったという一般的な見方を覆すものです。むしろ農耕と狩猟採集はそれぞれ、安定した気候と不安定な気候への適応戦略として、等しく合理的であったのです。

 何万年間もの出来事を年単位で記録した試料はそもそも稀である上に、それを詳細に分析するには膨大な労力が必要です。そのため古気候学者は、これまで気候の安定性についてあまり議論してきませんでした。しかし今回、日本の小さな湖の特殊な堆積物と、それを20年かけて分析した国際チームの努力が、現代人の優越感を打ち砕き、セルフ・イメージの変更をも迫る発見として、ついに結実したのです。

※以上の要約は、論文の内容のごく一部です。この他に本論文では、同じ時代に世界各地で起こった気候変動のタイミングの比較や、そこから浮かび上がる変動のメカニズムなどが議論されています。

論文情報

論文: The spatio-temporal structure of the Lateglacial to early Holocene transition reconstructed from the pollen record of Lake Suigetsu and its precise correlation with other key global archives: Implications for palaeoclimatology and archaeology
(水月湖年縞堆積物の花粉分析と精密対比によって復元された、晩氷期から完新世初期にかけての気候変動の時空間構造―その古気候学的および考古学的意義―)

著者: 中川毅(立命館大学),パヴェル タラソフ(ニューカッスル大学),リチャード スタッフ(オックスフォード大学,グラスゴー大学),クリストファー ブロンク ラムジー(オックスフォード大学),シャルロット ブライアント(グラスゴー大学),マイケル マーシャル(アべリストウィス大学,ダービー大学),ゴードン シュロラウト,アヒム ブラウアー(ポツダム地球科学研究所), ヘンリー ラム(アベリストウィス大学),原口強(大阪市立大学),五反田克也(千葉商科大学),北場育子(立命館大学),北川浩之(名古屋大学),ヨハネス ファン デル プリプト(フローニンゲン大学),米延仁志(鳴門教育大学),横山祐典(東京大学)多田隆治(東京大学,千葉工科大学)安田喜憲(ふじのくに地球環境史ミュージアム),水月湖2006年プロジェクトメンバー(http://www.suigetsu.org/

発表雑誌: Global and Planetary Change
DOI: https://doi.org/10.1016/j.gloplacha.2021.103493
掲載日: 2021年5月1日

【研究資金提供元】
英国自然環境研究会議,文部科学省,ジョン・フェル・オックスフォード大学出版研究基金

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