生きることを最期まで諦めない

2019.03.13 TOPICS

生きることを最期まで諦めない ケアサポートモモ代表取締役 川口有美子さん(2013年先端総合学術研究科修了)

 「自分を産んでくれて、大事に育ててくれた人を殺そうと何度も思いました」と話すのは川口有美子さん。川口さんの実母・島田祐子さんが筋萎縮性側索硬化症(ALS)※にかかったのは、川口さんが33歳のとき。それから12年間、祐子さんの介護に携わった。呼吸器につながれ、日に日に身体が動かなくなっていく祐子さんが唯一動く眼球を使い、50音の文字盤で伝えてきた「し・に・た・い」という言葉。こんな姿で生かすよりいっそのこと、この手で楽にしてあげたい――。「家族だけで母の介護を行い、睡眠時間を確保することも難しい日々。先の見えない介護に疲れ果てた私たちは、母の安楽死のことばかり考えていました」と壮絶な日々を語る。

 現在、訪問介護事業所ケアサポートモモの代表取締役と特定非営利活動法人ALS/MNDサポートセンターさくら会で副理事長・事務局長を務める川口さんは「家族の介護は他人がしたほうがいい」と言い切る。「『親の介護は親孝行』と言われることもありますが、何十年単位の介護は、家族の人生を棒に振ることになる。そうならないように難病専門のヘルパーの育成をしたり、患者さんや家族のニーズを調査し、厚生労働省に提出して政策提言をしたりと、他人に介護を任せられる仕組みを、時間を掛けてつくってきました」。
 祐子さんの介護をしていたころは、適切な介護サービスがなく、家族で介護をするしかなかったという。制度をつくり、周りを動かすことができれば同じ状況で苦しんでいる人たちを救えるのではないかと患者会活動に参加。同じころ立命館大学大学院先端総合学術研究科に入学する。「小泉義之先生や立岩真也先生の本を読んでいて、大切なことをおっしゃっているなと感動して。お2人の経歴を調べたらなんと同じ大学の教授。これは立命館が私を呼んでいるなと思いました」。社会学、人類学、哲学、倫理学、経済学、文学、心理学と横断的に学んだことで、自分の活動を体系立てて立体的に理解でき、同時に社会の仕組みが見えてきた。そして、死を選ぶ前にできることがたくさんあると気付いたという。

 介護に携わる前は夫の転勤でロンドンに住み、子どもたちをプライベートスクールに通わせるほどの熱心な教育ママだったと川口さん。「外で働く気なんて全くなかったのに、それが今では会社を経営し、厚生労働省の人たちと政策をつくる仕事をして、新しい制度について病院のスタッフに指導をしていますからね。価値観が全く変わりました」。今後、全力を傾けるのは後継者の育成だという。
 「本心で死にたいと思う人はいません。元気なときは死ぬことを想像しますが、末期になればなるほど、生に執着するのが人間の性(さが)です。死を選ぶのは、死にたいほどつらい問題があるということ。病気、貧困、人間関係などのさまざまな死にたくなる要因を取り除いて、生きる力を呼び覚ますように、私たちは働きかける。どんな状況であっても患者さんも家族も、生きることを最期まで諦めないでほしいと願っています」。 

※ 手足・のど・舌の筋肉や、呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく難病。1年間で新たにこの病気にかかる人は人口10万人当たり約1 ~ 2.5人といわれる。

出典元:校友会報「りつめい」No.274(2018年10月号)
写真撮影:日岐 百合子

PROFILE

川口 有美子さん
2013年大学院先端総合学術研究科修了
訪問介護事業所ケアサポートモモ代表取締役
特定非営利活動法人ALS/MND サポートセンターさくら会副理事長・事務局長

1995年、実母が筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。12年介護に携わる。2003年に訪問介護事業所ケアサポートモモ、2004年に特定非営利活動法人ALS/MND サポートセンターさくら会を設立。2004年、立命館大学大学院に入学。2010年、ALSの介護家族の葛藤を描いた『逝かない身体―ALS 的日常を生きる』が第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)を受賞。▶訪問介護事業所ケアサポートモモホームページ特定非営利活動法人ALS/MNDサポートセンターさくら会ホームページ

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