命を使い、命を救う

2019.03.06 TOPICS

命を使い、 命を救う 株式会社クロスエフェクト
代表取締役 竹田 正俊さん(1996年経済学部卒)

 京都市伏見区にある株式会社クロスエフェクトは、開発試作品製作や臓器シミュレーターの開発を主な事業にしている。2013年、内腔まで忠実に再現した世界初のオーダーメイドの心臓シミュレーターで「ものづくり日本大賞内閣総理大臣賞」を受賞した。
 代表取締役の竹田正俊さんに、ものづくりに懸ける思いを聞いた。

 中高生のとき、将来は自分で会社を起こすと決めていたので、その基礎づくりのため経済学部へ進みました。起業に興味を持ったのは、僕の父親が京都で町工場を経営し、その姿に憧れたからです。
 立命館大学を卒業後、アメリカのシリコンバレーにあるコミュニティーカレッジに留学しました。アメリカの学生は、新しいことを起こそうという起業家精神(entrepreneurship)が日本の学生より強いと感じました。全米の大学ランキング上位に入るスタンフォード大学の卒業生は、優秀な人材ほど起業をし、その次はベンチャー企業に勤め、その次は規模の小さい会社に入り、あまり優秀でない学生が大手企業で働くという感じで、当時の日本における就職状況とはまったく逆でした。また、コミュニティーカレッジの先生に言われて印象に残っている言葉に「人間は『じりつ』するために生きている」というものがあります。「じりつ」という言葉には「自立」と「自律」があります。自ら立って、自分を律する。大手企業に属するより、街角で屋台を引いて花を売っている青年のほうがよっぽど「じりつ」していると言われ、なるほど、と納得しました。
 自分も「じりつ」し何かを始めたいと、帰国後、マンション1室を借り、開発工程で使われる試作品のデザインや設計の事業を1人で始めました。ものづくりは川の流れに例えられ、上流は製品開発を、下流は大量生産を指します。ものづくりをしようと思ったのは父の影響ですが、京都で下流の大量生産を続けるのは難しいと思い、上流の開発を選びました。父は反対していましたが、「まあ、勉強や。3年やってみろ。絶対無理やろうけど」と言いながら、許してくれました。それを聞いた僕は「死んでも実家には帰らへん!」という意気込みで仕事を始めました。が、案の定、お金が足りない、回らないという状況になり、泣きながら父親に電話をしたことを覚えています。もちろん父親には「たんかを切って、やるゆうたんやないんか!」と激怒されました。

突然の父の他界

 そこから踏ん張り、なんとか事業を軌道に乗せられたかなと思い始めたころ、父が事故で即死しました。80名の社員と会社を残したまま、突然の他界。青天のへきれきでショックのあまり腰が抜けました。もちろん、肉親を亡くしたという悲しみもありましたが、なによりも父の会社と社員をどうしよう……と青ざめたのです。病院で社員に囲まれ、「今から代表取締役をお願いします。息子さんなんですから、責任を取ってください」と言われました。次の日、僕は社員を全員集め「会社はつぶします」と伝えました。それが30代前半のこと。これまで父の下で働いてくれた社員を全員解雇し、会社を畳むというのは苦渋の決断でした。ですが、会社を続けると僕まで共倒れになるほど追い込まれていたのです。債務整理に1年半かかり、その間は自分の会社をほったらかしにせざるを得ない状況でした。このとき、生きながら地獄を見ましたが、その経験で腹が据わったのか、その後やることなすこと全てうまくいくようになりました。

変な客こそ、本命

 僕が起業したばかりのころ、中小企業の経営者である恩師に出会いました。営業先で出会って早々、2時間の説教を受けました。「ピーター・F・ドラッカーは知ってるか?」と聞かれ、「名前を聞いたことはあります」と答えました。「だまされたと思って、ドラッカーの経営理論を学べ。先生を紹介してやるから」と言われました。面白い社長やなと思って、その方を信じ、勉強を始めました。ドラッカーは、「経営者は営業でも、ものづくりでもなく、経営をするように」と言います。その「経営」とは「未来と事業」をつくることです。ドラッカー・マネジメントに基づき、愚直に経営を始めてから、僕の会社はどんどん成長していきました。基本と原則を押さえた経営は行き当たりばったりではなく、科学と同じで再現性があることも学びました。そして、当社の転機は2009年ごろのこと。当時はリーマンショックの影響で日本経済は冷え込み、ものづくりの業界が干上がっていました。そんな中でもドラッカーの経営理論によると、会社は新しい事業をどんどん起こしていく必要があります。なぜなら、事業は時とともに腐っていくからです。腐らないのは、人材だけ。そして、新しい事業のチャンスはとんでもないところに隠れていて、「変な客こそ、本命」といいます。「変な客」とは「いつもと違う客」ということですが、それを念頭に置き、仕事をしていました。そして、大阪にある国立循環器病研究センターの白石公医師から「赤ちゃんの命を救いたい」と連絡が入りました。僕は「あ、変な客が来たぞ」と思いました。

命を救える技術が必ずある

 白石先生の依頼は、「オーダーメイドの心臓シミュレーターをつくってほしい」ということでした。白石先生によると、100万人の新生児に1%の割合で心疾患があるそうです。その1%の1万人のうち3,000症例は手術が必要で、うち1,000人は複雑な心疾患で執刀医にとっても極めて難しい手術になるとのこと。事前にCTスキャンをしたデータを見ながら、手術のシミュレーションや術式の検討をするそうですが、当時普及していた医療用の臓器モデルは硬い樹脂製や木製で、実際に曲げたり、切ったり、縫ったりすることは不可能でした。柔らかい素材を使ったフルオーダーモデルのシミュレーターがあれば、手術トレーニングに使うことができ、多くの命が救えると考え、当社に相談されたのです。「予算はない」ということで、正直、受けるか迷いました。しかし、「中小企業に埋もれている技術で、命を救える技術が必ずあるはずだ」と言われ、引き受けることに決めました。ビジネスは、お客さまに感謝されることや社会貢献が大前提で、人の命を救えるのなら最大の社会貢献だと考えたからです。

 僕は何かアクションをするとき「使命の明確化」を最優先にしています。使命とは「命を使う」ということです。経営者は社員の命を預かって、仕事をしてもらっています。だから、会社経営において使命が最優先で、その定義づけは創業者の役目です。心臓シミュレーターの事業を始める際、「自分たちの命を使って、人命救助の一端を担おう」と使命を社員に伝えました。当初、既存事業の仕事で手一杯で、社員は乗り気ではありませんでした。それでも私は説得し、社員はしぶしぶ取り組み始めました。
 しかし、ある晩のこと。医師から急ぎで心臓シミュレーターをつくってほしいと依頼がありました。非常に難しい心臓の形で、社員は夜遅くまで残って製作していました。そして、完成したばかりの心臓シミュレーターを見せながら、僕にこう言ったのです。「社長、見てください。このシミュレーターの製作は本当に難しかった。こんなに小さいんですよ。見て分かるとおり、中も複雑でぐちゃぐちゃ。でも、『これを使えば絶対助かるからな、がんばれよ』って思いながらつくったんです。だから、この子、絶対助かります」。
 それまでは、仕事をやらされているという姿勢でしたが、この日以降、彼は文句を言わず仕事に取り組むようになり、今では最高の技術者になりました。使命の浸透に時間はかかるものですが、このころから、社員の意識が変わり始めました。心臓シミュレーターの事業は使命を感じやすい、恵まれた事業だと思います。社員37人の当社のような中小企業でも、人の命を救える可能性がある。命を懸けて取り組むに値する事業だと僕は思っています。

 そして2013年に「第5回ものづくり日本大賞」の内閣総理大臣賞を受賞しました。安倍晋三総理から「世界に向けて技術を発信してほしい」と言われましたが、僕らが目指しているのは「世界標準:de factostandard」です。われわれの術前シミュレーションモデルで練習しないと手術ができないなど、術前シミュレーション事業で世界へ事業展開を図っていきたいと考えています。まずは日本国内で実績を積んで、アメリカやドイツなどの医療先進国に進出していきたい。もちろん、医療先進国に通用する品質の自信はあります。日本らしい緻密なものづくりで世界に認められたい。そう思っています。

出典元:校友会報「りつめい」No.274(2018年10月号)

PROFILE

竹田 正俊さん
1996年経済学部卒
株式会社クロスエフェクト代表取締役

1996年経済学部卒業、 米国カルフォルニア州に留学。
2000年クロスエフェクト創業。 2011年京都試作ネット代表理事就任。
同年、 (株)クロスメディカルを設立し、 代表取締役に就任。
2013年には第5回ものづくり日本大賞内閣総理大臣賞を受賞。
京都試作センター (株) 代表取締役、学校法人京都学園大学 理事、
(公財)京都産業21理事などを歴任。

写真撮影:平林義章

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