ガラスの「⾒えない秩序」がテラヘルツ帯の揺らぎを決める
ガラスは原⼦が無秩序に結びついた構造を持ちますが、X線や中性⼦線を⽤いると、わずかな周期構造が観測されます。本研究は、この隠れた周期性(⾒えない秩序)が、ガラスの物性に影響を及ぼすテラヘルツ帯の揺らぎ(振動特性)を決定する重要な要因であることを明らかにしました。
ガラスは⼀⾒すると無秩序に結びついた原⼦の集合体ですが、X線や中性⼦線を⽤いて観察すると、わずかに周期的な構造「第⼀尖鋭回折ピーク(FSDP)」が観測されます。また、ガラスのテラヘルツ(THz)帯の振動として観測される「ボゾンピーク(BP)」は、低熱伝導性や機械的性質、THz光の吸収特性に影響を与えます。しかしながら、FSDPとBPとの関係は未解明でした。
本研究では、材料の弾性のばらつきを考慮する不均⼀弾性体理論により、BPの発⽣がFSDPと密接に関係することを⾒いだしました。また、理論が予測する最⼩の弾性不均⼀性とFSDPのスケールがほぼ⼀致し、FSDPがガラスのTHz帯振動特性を決定する重要な要因であることが⽰唆されました。本研究成果は、ボゾンピークを制御した新たなガラス材料の開発につながると期待されます。
研究代表者
筑波⼤学 数理物質系 森 ⿓也 助教
東京科学⼤学 総合研究院フロンティア材料研究所 気⾕ 卓 助教
⼤阪⼤学 先導的学際研究機構フォトニクス⽣命⼯学研究部⾨ 藤井 康裕 特任准教授(常勤)
東京⼤学⼤学院総合⽂化研究科 ⽔野 英如 助教
⽴命館⼤学 理⼯学部物理科学科 是枝 聡肇 教授
京都⼤学 ⼤学院⼯学研究科 増野 敦信 教授
研究の背景
ガラスは液体のように不規則な構造を持ちますが、規則性が完全に失われているわけではなく、わずかに擬周期的な構造が潜んでいます。このような「⾒えない秩序(擬周期的構造)」は、X線や中性⼦線を⽤いた実験において「第⼀尖鋭回折ピーク(First Sharp Diffraction Peak, FSDP)注1)」として観測されます(図1)。これは、ガラス内部の原⼦配置にサブナノメートル程度の中距離スケールの周期構造が存在することを⽰唆しています。
⼀⽅、ガラスの特性の⼀つに、テラヘルツ(THz、周波数1THz=1012Hz前後)帯域で観測される特徴的な原⼦の集団振動現象である「ボゾンピーク(Boson Peak, BP)注2)」があります。BPは、ガラスの低熱伝導性や微視的な塑性変形だけでなく、テラヘルツ光注3)の透過特性にも影響を与えます。例えば、携帯電話やラジオなどの電波が窓ガラスを透過できるのは、その周波数がBPの周波数以下の領域だからです。 ⼀⽅、ポスト5G(6G・7G)では、⾼速通信のためにTHz帯(0.1THz〜10THz)の利⽤が検討されていますが、多くのガラス材料では1THz付近から吸収が急増するため、通信への影響が懸念されています。特に、窓ガラスは1THzを超えると吸収が⾮常に強くなることから、THz光の遮蔽材としても利⽤されることもあるほどです。このように、BPのメカニズムを理解し、その制御⽅法を探ることは、次世代の通信技術の実現に向けても重要な課題となっています。
しかしながら、BPの発⽣メカニズムには未解明な部分が多く、FSDPとの関係も明確ではありませんでした。そこで本研究では、ガラス内部のどのような構造がBPの振動を⽣み出しているのかを、特に周期的な構造であるFSDPに着⽬して調べました。この解析には、ガラスの弾性のばらつきを考慮する「不均⼀弾性体理論(Heterogeneous Elasticity Theory)注4)」と、これを数値的に扱うための「コヒーレントポテンシャル近似(Coherent Potential Approximation, CPA)注5)」という⼿法を⽤いました。これにより、ガラス内部で振動がどのように伝わるのかをモデル化し、BPの振動特性を決定する要因を明らかにしました。
研究内容と成果
本研究では、代表的なガラスであるシリカガラス(⼆酸化ケイ素、SiO₂)注6)とグリセロール(Glycerol、C₃H₈O₃)注7)について、BPを定量的に解析しました。その結果、両ガラスに共通して、BPの発⽣には、「弾性不均⼀性の空間相関⻑」と「弾性率の変動の⼤きさ」という2つの因⼦が重要であることが分かりました。すなわち、ガラスの内部では、硬い領域と柔らかい領域が混在しています。この弾性のばらつきが、どの程度のスケールで変化しているか(空間相関⻑)が、BPの周波数を決める鍵であり、FSDPがナノメートルスケールの空間相関⻑と深く関係していることが分かりました(図2)。また、ガラス内部の硬さのばらつき(弾性不均⼀性の⼤きさ)が、BPの強度や周波数に影響を与えます。
この関係を詳しく調べるため、シリカガラスやグリセロールの他にも、さまざまなガラスを解析したところ、理論が予測する「最⼩の弾性不均⼀性のスケール」と、FSDPで観測される擬周期的な構造のスケールがほぼ⼀致することが分かりました。さらに、どのガラスでも、両者のスケールはほぼ同じ⼤きさであることが確認されました。
つまり、「理論が予測する弾性のばらつきの最⼩サイズ」と「実験で観測されるFSDPの周期サイズ」が密接に関係しており、FSDPが弾性不均⼀性の空間相関⻑の起源となっている可能性があることを⽰唆する結果となりました。
今後の展開
本研究により、ガラスにおけるBPの発⽣が、「⾒えない秩序」=擬周期的な構造(FSDP)によって決まることが⽰唆されました。これは、BPの起源に関する⻑年の議論に対して、新たな視点を提供する重要な成果です。
今後は、より広範なガラス材料を対象に解析を⾏い、この関係がどの程度普遍的であるのかを確かめることが必要です。また、今回は、弾性不均⼀性の空間相関⻑がFSDPと対応していることを⽰しましたが、弾性率のばらつきの起源については⼗分に解明されていません。そのため、異なる種類のガラスや製造条件を変えた試料を⽤い、弾性不均⼀性の強さがどのように決まるのかを明らかにすることが課題となります。
本研究成果は、BPを制御することでガラスの光学特性を変えられる可能性も⽰唆しています。特に、THz帯の光を透過しやすいガラスの設計や、特定の周波数で光を遮断する新しい光学材料の開発などにつながる可能性があり、次世代の通信技術(6G・7G)の実現に寄与すると期待されます。
参考図


用語説明
- 注1)第⼀尖鋭回折ピーク(First Sharp Diffraction Peak, FSDP)物質の原⼦構造を調べる際に⽤いられるX線や中性⼦の回折実験で観測される特徴的なピークの⼀つ。特にガラスや液体のような⾮結晶質の物質において、原⼦の短距離秩序を反映する重要な指標となる。FSDPの位置や強度は、物質内部の原⼦の配置や結合の特徴を⽰しており、ガラスの構造解析に広く⽤いられている。
- 注2)ボゾンピーク(Boson Peak, BP)ガラスやアモルファス材料に特有の振動現象で、THz領域に現れる余剰の振動状態密度を指す。これは結晶性の物質には⾒られない特徴であり、低温での熱伝導や機械的特性、THz光の吸収特性に影響を与える。ガラス内部の弾性不均⼀性によって⽣じると考えられているが、ガラスの物理の未解決問題の⼀つでもある。
- 注3)テラヘルツ(THz)光周波数が1THz(1012Hz)前後の電磁波を指し、波⻑は0.03mm(30μm)〜3mm程度のサブミリメートル領域にある。遠⾚外線とほぼ同じ範囲にあり、携帯電話などに使われるギガヘルツ帯の電波と可視光の中間に位置する。電波の透過性と可視光の識別性を併せ持つため、次世代通信(6G・7G)、空港のセキュリティ検査、建造物・美術品の⾮破壊検査などに応⽤される。
- 注4)不均⼀弾性体理論(Heterogeneous Elasticity Theory, HET)材料内部の弾性的性質が均⼀でないことを考慮した理論。通常の弾性体理論では、材料の弾性(変形に対する抵抗⼒)が空間的に⼀定であると仮定されるが、不均⼀弾性体理論では、原⼦や分⼦レベルで局所的に異なる弾性を持つことを前提としている。特に、ガラスやアモルファス材料の⼒学的性質や振動特性を説明する際に⽤いられる。
- 注5)コヒーレントポテンシャル近似(Coherent Potential Approximation, CPA)物質の不均⼀性を統計的に扱う理論的⼿法の⼀つ。特に、電⼦やフォノン(格⼦振動)の伝播特性を計算する際に⽤いられ、ランダムな不均⼀性を持つ系において、平均的な(有効な)ポテンシャル場を導⼊することで解析を簡単にする。ガラスのように局所的な構造が乱れた系の物性解析に利⽤される。
- 注6)シリカガラス(⼆酸化ケイ素、SiO₂)ケイ素(Si)と酸素(O)からなる⼆酸化ケイ素(SiO₂)を主成分とする⾮結晶質のガラスで、⼀般に「⽯英ガラス」とも呼ばれる。結晶質の⽯英を溶融、急冷することで得られる。⾼い透明性や耐熱性、化学的安定性を持ち、光学材料や電⼦部品、セラミックスの原料として幅広く利⽤されている。光ファイバーやレンズ、⾼精度な実験機器の素材として不可⽋であり、ガラスの物性研究の対象としても⽤いられる。
- 注7)グリセロール(Glycerol、C₃H₈O₃)無⾊透明の粘性のある液体。⽢味があり、⽔に溶けやすい性質を持つ。化粧品や⾷品、医薬品の添加物として使⽤される。急冷することでガラス状態にすることができることから、ガラス転移に関する研究の⽐較対象として重要である。
- 題名: Relationship between the boson peak and first sharp diffraction peak in glasses.
(ガラスにおけるボゾンピークと第⼀鋭回折ピークの関係) - 著者名: D.Kyotani(筑波⼤学),S.H.Oh(筑波⼤学),S.Kitani(東京科学⼤学),Y.Fujii(⼤阪⼤学),H.Hijiya(AGC株式会社),H.Mizuno(東京⼤学),S.Kohara(NIMS),A.Koreeda(⽴命館⼤学),A.Masuno(京都⼤学),H.Kawaji(東京科学⼤学),S.Kojima(筑波⼤学),Y.Yamamoto(筑波⼤学),andT.Mori(筑波⼤学)
- 掲載誌: Scientific Reports
- 掲載日:2025年3⽉20⽇
- DOI: 10.1038/s41598-025-94454-8
- URL: https://www.nature.com/articles/s41598-025-94454-8
研究資⾦
本研究は、科研費(23H01139,23K25836,23H04495,22K03543,24K08045,20H05878,20H05881)、AGCリサーチコラボレーション、およびガラス基礎研究振興プログラムの⽀援を受けて実施されました。