山口菜摘さん

 日本人の死亡原因4位である脳血管疾患。そのなかで、脳の血流が途絶えることで、脳細胞が死んでしまう脳梗塞は、その後遺症により、日常生活に支障をきたすケースが多い。脳梗塞によってダメージを受けた機能を回復させるため、リハビリテーションが果たす役割は死活的に重要となる。
 山口菜摘さん(生命科学研究科博士後期課程3回生)は、脳梗塞後のリハビリテーションによって機能回復を促進するメカニズムを研究している。小さい頃からの疑問を研究テーマにし、日夜研究に邁進する山口さんに迫った。

目次

リハビリテーションによる回復メカニズムの解明に向けて

 まずは、脳血管疾患について整理しよう。脳血管疾患のなかでも普段よく耳にする“脳卒中”は、脳出血、クモ膜下出血、そして脳梗塞に分けられる。脳出血は、脳内にある細い血管が何らかの原因で破れることで脳内出血してしまう疾患であり、クモ膜下出血は、脳を養う大きな血管にできた動脈瘤や動静脈奇形が破裂し、脳の表面に出血する疾患である。そして、脳梗塞は、脳の血管が突然つまって血流が途絶え、脳組織が壊死に陥る疾患だ。
 脳と脊髄からなる中枢神経組織は再生能力に乏しく、この領域が障害を受け、担っていた機能が失われると、運動麻痺、感覚障害、高次脳機能障害、意識障害などの後遺症が残ってしまう。
 後遺症が残ってしまった場合、身体機能低下の防止や日常生活を問題なく送れるよう、さまざまなリハビリテーションが行われるが、その回復効果のメカニズムは未だ解明されていない部分が多い。山口さんは、「C.B-17/lcr-+/+Jcl マウス」を用いることで、脳梗塞に隣接した生き残った脳領域に着目し、リハビリテーションの要素の一つである運動が機能回復を促進させるメカニズムに迫っている。
 「C.B-17/lcr-+/+Jcl マウスは、血管走行の差が個体間で非常に小さいという特徴を持っています。どの個体に対しても同じ場所に同じ大きさの脳梗塞を誘導することができるため運動による微細な変化も正確に比較・評価できるようになります。そして、このマウスを使って、リハビリテーションの回復メカニズムを研究している事例は少なく、ここが私の研究の強みです」と話す山口さん。
 この研究の結果、脳梗塞後の運動によって機能回復が促進される際、脳梗塞に隣接する運動を担う領域において神経細胞の活動に不可欠となる樹状突起スパインの減少が緩和されること、そして神経細胞の環境や機能を支援するグリア細胞の一つであるアストロサイトが多く残存していることを突き止めた。これらは微細な変化ゆえ、個体差に埋もれて顕在化しづらかったが、山口さんの研究により、より正確に把握できる道筋が生まれたのだ。現在は、運動によるアストロサイトの機能変化を解明し、これが樹状突起スパインの減少緩和と機能回復促進に与える効果について明らかにしようとしている。

子ども時代の興味を抱いて

 山口さんが、リハビリテーションによる機能回復メカニズムの研究に取り組むことになったきっかけは、中学生の頃に見たテレビ番組だったという。
 「あるテレビ番組で、懸命なリハビリテーションを通じて、機能を回復していく人を見たとき、『損傷を受けた脳は再生が難しいのに、失われた機能がなんで回復するの!?』と子どもながらにものすごく興味を持ったのを今でも鮮明に覚えています。その興味を持ちつづけ、今日に至ります」。
 子どもの頃から好奇心旺盛で、「なぜ」「分からない」と思ったことに興味を持ち、とことん向き合ってきたという山口さん。その持前の積極性を発揮し、研究室での脳梗塞とリハビリテーションに関わる研究環境整備に携わったという。
 「現在所属している研究室は、脳のなりたちや機能、病態、神経細胞の性質を観察し、解明することを目指しています。ただ、私が院生になるまで、脳梗塞の後遺症とリハビリテーションによる回復メカニズムの研究が扱われたことがありませんでした。それでも学部生時代から所属する研究室で、子どもの頃からの興味を本格的に研究したいと思っていたので、『それであれば、これらの研究に必要な知識を学び、今の研究室でできるようすれば良い』と思いました。必要な研究設備などについて、外部の研究機関を訪問するなどして徹底的に学び、研究環境を整備しました」。

観察している様子

フラットな感情で研究結果に向き合う

 山口さんは、研究を進める上で大切にしていることがある。研究結果に対してフラットな感情でいることだ。実験結果の良し悪しに関わらず、それを淡々と受け入れ、前に進むことを心がけている。
 「私の研究室では、博士課程後期修了の条件として、海外の査読付きジャーナルに複数アクセプトされる必要があります。そして、アクセプトされるためには、新規性があり、仮説を裏付ける複数の実験結果が求められます。そうしたなかで、予測していなかった実験結果が出たとしても、なぜその結果が出たのかをフラットな気持ちで分析し、次につなげるよう心がけています。逆に期待通りの結果が出たとしても、喜びすぎることなく、得られた事実を論理的に組み立てるようしています。研究結果に対して、真摯に向き合うよう、いつもフラットな感情でいることを大切にしていますね」。
 昨今のアカデミズムの世界は、短期間に多くの研究成果が求められる厳しい環境にある。それゆえによい結果を出したいという思いや焦りなどから、研究不正や論文不正に手を染めてしまう研究者の存在を、我々は報道などで見聞きする。山口さんは、研究者として純粋に「興味」を大切にし続けているからこそ、研究に対する熱い思いを秘めながらも、淡々と研究に向き合う。そこに彼女の強い意志を感じた。

山口さんの作業風景

さまざまな分野の人と関わる喜び そして新たなステージへ

 そんな山口さんは、現在「RARA学生フェロー」に選出されている。RARA学生フェローは、個々の研究力を向上させ、分野の異なる国内外の研究者と交流するなかで、国際性と学際性、さらに複眼的視野を兼ね備えた次世代の研究者として活躍することが期待されている。
 「RARA学生フェローになる以前は、研究に関して別分野の研究者と接する機会はほとんどありませんでした。しかし、RARA学生フェローになると、定期的に別分野の院生とコミュニケーションする機会が設けられるようになりました。これまでにはなかった角度からの質問をたくさん受けるので、それが今の研究に生きています。生命科学以外の理系分野の院生からも、今までにはなかった斬新な質問が寄せられることも多く、いつも新鮮な気持ちで研究に臨めています」。
 異分野の院生との切磋琢磨を通し、広い視野を得た山口さんは、企業の研究職に内定している。
 「博士課程後期の院生の就職活動は、正直大変でした。研究活動を止めて、就職活動に専念できないため、就職活動と研究を両立させる必要があります。それでも、希望していた企業への研究職が決まり、本当によかったです。これまでに培った技術や経験を生かし、今後は企業の研究職として、さまざまな商品を世に送り出したいと思っています」。
 最後に研究の魅力を聞くと、山口さんらしい答えが返ってきた。
 「神経細胞の形態を観察すると、本当に綺麗なんです。よい結果が出たときよりも、普段見ることができないものを可視化して観察しているとき、『ああ、研究していてよかったな』と思うんです」。
 子どもの頃から抱き続けた興味を胸に、研究に真摯に取り組んできた山口さんの挑戦はこれからも続いていく。

山口さん

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