【知の拠点を訪ねて】デザインサイエンスをリードする壮大な実験場 デザイン科学研究センター
世の中には、正解のない課題が数多く存在する。社会の構成メンバーが多様化する中、誰にとっても納得のいく答えを見出すことは難しく、変化のスピードの速い時代には今日の正解が明日の正解でないこともある。
こうした厄介な問題に対処するには、自然現象や社会現象など「あるもの」を認識・理解しようとする従来の科学だけでなく、目的や価値を実現することを目指す、新たな科学が必要だと考えられるようになった。それが、「あるべきもの」を探求する科学、デザイン科学というアプローチである。
2013年、デザイン科学の拠点として立命館大学デザイン科学研究センターが設立された。その目的や活動内容、ビジョンについて、本センターのセンター長である後藤智先生(経営学部 経営学科 准教授)にお話を伺った。
社会はどうあるべきか。目的や価値のための学問
後藤先生は、まず、デザイン科学とは何かから説明してくれた。
「コミュニティで問題を解決するためには、答えがあっているかどうかがわからなくても、どうありたいのか、どうあるべきなのかを議論し、合意を取りながら自分たちで答えを定めていくことが必要です。デザイン科学はそういう問題を扱う学問です」
自然科学に代表される従来の学問では、事実→仮説→検証→理論という方法論が一般的だ。これに対して、デザイン科学の研究法は、価値→命題→最適化→実現→検証のループを回し、全体最適に近づけていく。あるべきものが何か、価値をどこに置くのか、考えはみな同じではないため、さまざまな考えを持つ人の利害を調整に導く相互理解や連携が必要となる。また、一部の人だけが得をするような部分最適に終わることなく全体最適に向かっていくためには、従来の学問領域の垣根を越えた学際的な観点で議論することが不可欠だろう。こうしたプロセスや方法論を含めた問題解決に向かう営みのすべてがデザイン活動であり、そこに普遍的な知を見出すのがデザイン科学である。
「だからこそ、私たちは調査分析だけでなく、企業や自治体などと協働して新たなコミュニティの形成や社会課題の解決につながる手段を創造する活動を重視しています。学術的な視点を持ちながら実際に課題解決にあたることと、それを理論的に検証して新たな学術的知見を構築することを並行して進める、つまり社会実装と学術の両輪を回すことが私たちのミッションです」
本センターでは、2022年3月に紀要『デザイン科学研究(ジャーナル・オブ・デザインサイエンス)』を創刊し、デザイン科学に関する研究成果を発表している。国内では同誌のほかにデザインサイエンスというタイトルのついた文献はほとんど刊行されていないといい、まさにこの学問は始まったばかりなのだ。本センターは開拓者的存在として、「デザイン科学という謎を追いかけ、ずっと走りながら考えている」のだと、後藤先生は説明する。やるべきことはわかっているが、結果的に何がでてくるかわからない現在進行形の学の構築に向けた、革新的で挑戦的な試みを続けている。
未来社会を創造する巨大な研究ラボとして
本センターでは、所属するメンバーそれぞれが、自分に関心のあるテーマで特色のある研究会を立ち上げているという。
たとえば、フューチャーモビリティ(FM)研究会は、自動車や鉄道などに限らずロボットやモバイルなども含めた移動システムの未来を考える研究会である。モビリティに関わる最先端技術の現状を調査・分析から民間企業だけでは対応することが難しい課題を抽出。組織的に対応していくことが求められる課題について、産官学の連携を進めて共同研究や受託研究、セミナー・研究会、大学生とのプロジェクトベースドラーニング(PBL)などを通じて解決を図っている。
FM研究会の活動がベースになってスタートしたのが、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の「産業DXのためのデジタルインフラ整備事業/複雑なシステム連携時に安全性及び信頼性を確保する仕組みに関する研究開発/SoS時代のシステムの安全性・信頼性とイノベーションの両立に向けたデジタルインフラ整備及びガバナンスのあり方に係わる研究開発」として採択されたプロジェクトである。大阪いばらきキャンパス(OIC)を舞台に、自律移動ロボットと人との共存に必要なシステム技術や運用のあり方を検証するというものだ。
「OICは学生、教職員のほか、広く一般市民も行き来する空間です。ここをリビングラボ、つまり人々の生活空間の近くで研究開発を行うラボと位置付けて、技術だけでなく法律や社会制度まで含めた実験をしようというプロジェクトです」と後藤先生。人の安全を担保するデータの収集・管理・共有のためのシステムを開発し、キャンパス内での運用を通して有効性を検証していく。また、複数のロボットや異なる管制システムを統合するSoS(System of Systems)の技術的な検証も行うという。
「今、世界ではCPS(Cyber-Physical System)の構想が進んでいます。CPSとは、センサーネットワークで収集した実世界の多様なデータをサイバー空間で分析し実世界にフィードバックすることで、社会問題の解決や産業の発展をめざそうという考え方です。
CPSでは複数のシステムが稼働し、それらがSoSとして統合されます。さまざまなシステムや機器が動く世界で、たとえばもし何か不具合や事故が起こった場合に誰が法的な責任を負うのか、制度や法律はまだ未整備です。
そのようなまさにこれからの技術を社会実装するために社会や人に何が求められるのか。システムや法、市場、インフラなど多様な社会課題に、政府、企業、個人、コミュニティなど幅広い立場のステークホルダーがどう対応していくべきかを探っていきます。これは一つの学問分野だけで到底対応できるものではありません。本センターでは、情報理工学部、法学部などさまざまな学部に所属する研究者たちに関わってもらっています」
キャンバス全体をラボ化するとは、壮大なスケールである。世界的に見てもこのような取り組みを進める大学はまだなく、特に人の面からの検証ができる点が注目されているという。
「キャンパス内の人からのデータ収集にあたって、個人情報保護に配慮しつつも、人々が最大限の便益を得ることができるガバナンスについての検討を進めています。今後、いろんな事象を試せる場として整備していくことで、最先端の技術が立命館大学に集まってくる可能性もあるでしょう。学生にとっては、自分たちのデータが社会を変えるのに役立っていると実感でき、学びの刺激に満ちた空間になるのではないかと期待しています」
デザイン科学だから可能になる知の社会実装
産官学・地域との活発な連携も、本センターの特徴である。中でも、デザイン科学の知見を産業界へ応用する特色ある取り組みが、研究会ごとに盛んに進められている。
ものづくりとソリューション研究会では、ものづくりの能力を工学的な技術論だけでなくトータルな事業としてデザインし、ビジネスモデル化することを目的としている。現在、力を入れているのは、建設現場のあらゆるプロセスにICTを取り入れるアイ・コンストラクション(i-Construction)。企業と共同研究し、建設生産システムの革新における問題点を探っている。
DML(Design Management Lab)では、組織の経営戦略やイノベーションに「デザインの知」を活用するデザインマネジメントを研究する。ユーザーやクライアントのニーズから課題を定義しデザインに落とし込んでいく一連のプロセスが「デザイン思考」と称され、近年、ビジネスに応用する動きが活発になっている。「DML」では、このようなデザイン思考のみならず、海外で展開される様々な「デザインの知」の体系化を進め、企業への導入を図る活動を進めている。自治体との共同研究として、中小企業のデザイン経営実践を通した経営革新支援のプロジェクトも実施している。
一方、デザインの本質である「価値」を探索する方法論の確立を目指すのが、革新的意味創出研究会である。人文社会科学系の研究者の持つ価値の探索能力を活用する研究を進めている。近年、文化人類学研究者がフィールドワークによって行動を観察したり対話したりして文化や行動様式を記録に残すエスノグラフィの手法がデザインやマーケティングのリサーチなどにも取り入れられるようになってきた。本センターでは、人文社会科学系のさらに幅広い研究手法に着目しているという。
「たとえば文学研究者は、テキストから文意だけでなく背景も含めた実に多くのことを読み取る研究方法論を持っています。こうした人文社会科学系の研究者の調査能力の高さは、すでに決まっているマーケットのリサーチではなく、広く一般の人々や社会を調査するデザインリサーチにとって大いに活用できる資産なのです」と後藤先生は力をこめる。現在、考古学の研究手法をビジネスに活用する研究も進展中だ。
人々が認めるような優れた価値を持った社会をつくり出そうとするデザイン科学だからこそ、人や社会のあり方を研究してきた人文社会科学系の知見が活用できるのだろう。後藤先生は、少しでも多くの活用事例をつくり、デザインリサーチ手法の確立と普及をめざしたいと話す。
「人文社会科学系の研究が、社会のどこに役に立つのかを多くの人に知ってもらいたい。研究者と一緒に『これができます』と、具体的に示していく必要があると思っています。その意味で、本センターが社会と人文社会系研究者をつなぐプラットフォームとして機能するというビジョンを持っています。研究方法論や事例を蓄積して、さまざまな企業の相談に応えて人材を送り込むなど連携を図りながら課題の解決につなげるような仕組みをつくっていきたいですね」
メタバースでデザイン思考を学ぶ試み
本センターでは、人材育成についても新機軸を打ち出している。「EDGE+R」という学内のアントレプレナーシップ教育を担当し、多様な受講メンバーで構成するチームでPBL(Project-Based-Learning)を行いながら課題解決、価値創造に必要なマインドとスキルを実践的に身につけるプログラムを運営してきた。2023年度からはメタバースのコースを新設し、高校生から社会人ドクターまでバラエティに富んだメンバーでデザイン思考を学ぶプログラムがスタートした。
メタバースでデザイン思考を学ぶ意味を、後藤先生は次のように語る。
「伝統的なものづくりは誰がつくっても同じ品質であること、つまり属人性を排除することが求められました。しかし、デザインは主観がすべてです。ユーザーの主観、デザイナーの主観から始まって、それをどう多くの人に共感してもらうかというプロセスを経て価値を創造していきます。
そこでは自分の主観が重要である一方で、凝り固まった主観から解放されないと柔軟な発想は生まれません。メタバースという年齢も場所も、日常の制約から解放された場所で新しいアイデンティティを持つことで、普段とは違うアイデアが生まれるなどよい影響につながるのではないかと考えました。日本で初めての取り組みなのでやってみないとわからないのですが、何か面白いものが生まれるのではないかと期待しています」
デザインは、身の回りにある2次元、3次元のモノを対象にした活動を超えて、社会やコミュニティを創造する手段として注目されるようになった。人々が豊かさを感じられるサスティナブルな社会をどう構築していくか。デザイン科学の最前線を探求し、「あるべきもの」の姿を描き出す人材を育成する本センターの活動に、社会からの期待が集まっている。