2013.05.06

「競技とスポーツビジネスの勝負は科学的根拠」

スポーツ健康科学セミナーⅡのゲスト講師として、株式会社ブルーミング 高尾憲司氏にお越し頂き、表題のタイトルにてお話ししてもらいました。以下その講演要旨です。

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小学校の頃は、走りも遅く、勉強もあまりできなかった。中学校の頃から少し早く走れるようになり、長距離が楽しくなってきた。中学3年生の時に、大切な仲間が交通事故で亡くなる経験をした。「彼の分まで」と思い、府下大会(駅伝)で活躍することを胸に走るが、1区で大ブレーキを起こす。陸上を続けるかやめるか、1度目の転機を迎える。大いに悩んだが、『命があればやり直しができる』と思い、自分の好きな陸上競技を目一杯やりたい、という思いで宇治高校(現、立命館宇治高校)に入学。しかし、名門チームでは、周りは早い選手ばかり。当時のルールでは、一番遅い選手がマネージャーになる、と決められていて、マネージャー候補の一番手。せっかく好きな長距離をしたいと入学したので何とか強くなろうと、走るときは、余分に1周多く走り、補強運動などでは、1回余分にやるようになり、そのおかげか半年後に芽が出る。そして、高校時代の後半では、全国高校インターハイ1500m2位 10マイル日本高校記録を樹立するまでになった。そのまま、大学で陸上を続けることが決まっていたが、入学直前の大会で惨敗。日本代表になれず。ここで2度目の転機が訪れる。 思いっきり競技できるのは、30歳ぐらいまで。人生は一回しかない、後悔したくない、いましかできない競技力を高めたい、との思いから、大学入学を辞退(もちろん、親からは強い叱責を受けたが・・・)。縁あって、旭化成に入社して、陸上競技部でアジア大会優勝、世界選手権2度出場など順調に記録、成績を上げてきた。しかし、その一方で、2001,2004年に2度のアキレス腱手術を受け、この頃から科学的データの重要性を感じ、以降データを活用するようになる。その後、旭化成を退職し、貯めた貯金を使って、大阪産業大学で「スポーツ健康科学」を学ぶ。3度目の大きな転機といえるが、講義を聴くときは、いつも最前列の真ん中。『この話、この内容はどのように生かせるか』を常に意識して講義を受けていた。4度目の転機は、大学2回生のときに、現在の会社を起業、大学で得た知識を活用して、ランニングサポート、選手指導、メーカーのアドバイザーなどの業務で活躍している。現在、展開している『フルマラソン完走力テスト(登録商標)』は売れ筋商品となっている。もとは大学で学んだことをアレンジして商品としたものである。

大学の卒論では、「一般ランナーの傷害」を取り扱い、今月の「ランナーズ」に掲載される。

座右の銘 「勝つためには勝つ方法がある!」

 お話しを聴いていて、今何をすべきなのか、という目標が常に明確で、その目標達成のために科学的根拠をベースに方策をしっかりと創り出し成就した上で、次のチャレンジへと進んで来られたことを感じました。『かけがえのない今、この瞬間に成すべきをなせ!』と穏やかな語り口の中で熱を込めてお話しいただきました。

 

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<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>先週はOBOGの訪問が沢山あり、教員としては教え子の成長と発展をみることができ非常に嬉しい時間でした。理工研究科出身の市河君と奥さん、スポーツ健康科学研究科2期生、中塚君、サービスインス卒業で、銀行づとめのさち、スポーツメーカーのあっこ、消防士のしょうた。皆さん、訪問ありがとう!

【忠】