naoです
第98回全国高校野球選手権京都府大会準決勝の応援に行ってきました。
立命館宇治高校が準決勝まで残ったこともあり、久々に高校生らの熱い夏を感じてみようと思いました。
第一試合からほぼ満員で、小学生からお年寄りまで多くの方が暖かく応援していました。
私も高校生の応援席付近に席を確保し、高校生らの元気な応援の様子を観ていました。
まず、感じたことはベスト4に進むチームの部員の数です。
最低でも60名以上在籍しているように見えました。
野球人口が、サッカー人口に抜かれたとはいえ、まだまだ多い状況です。
しかし、メンバーが集まらなくて試合に出場できないチームもあると聞いています。
応援していて、チームにはいろいろな心があるなと感じました。
チームが強くなれば、部員の数も増え、そして沢山の心がチームに存在しているように見えます。
強豪校には、少なくとも六つの心があるように思います。
第一:レギュラーの心
このメンバーは1番から9番までの背番号を付けています。
[彼らの気持ちは、試合に出場でき楽しい。そして活躍をしたい。レギュラーとしてチームのために役割を果たしたい。という心だろうと思いました。]
第二:準レギュラーの心
ベンチには入っていますが、控えの選手です。10番から20番の背番号を付けています。
主にレギュラー選手のサポートに回っています。
例えばコーチャーボックスに入り、ランナーへ指示を出すなどの役割を担っている選手もいます。三塁コーチをする場合は、得点に関わる指示を出すことから、責任は重大です。
あるいは、2番手ピッチャーの球を練習場所でひたすら受けるキャッチャーは、勝つためにリリーフピッチャーの体調を整えるという大役を担っています。
[彼らの気持ちは、サポート役は重要だから精一杯頑張る。でも一瞬でも試合に出たい。といった心を持っているでしょう。]
第三:補欠の心A
もう少しで、ベンチ入り出来た選手。
21番目、22番目・・・とベンチ入りできる20名枠から外れてしまい、野球部のユニフォームは着ているけど、応援団の一員として観客席で応援しなければならない。
[彼らの気持ちは、勝った時は、俺でもあの程度の活躍はできる。負けた時は、俺が出ていれば勝ったのに。と素直に応援できない妬みを持った自分と精一杯応援するといった自分と葛藤しているように思います。]
第四:補欠の心B
ベンチ入り選手と比べ技術や体力レベルでかなり劣っている選手。
公式戦では、完全に応援団の役割を担う。
[特にこの3年生の気持ちは、所詮俺たちは永久補欠。でも父母会の指示で両親が毎試合応援に動員され、本当に申し訳ないな~頑張ったのにチャンスすらもらえなかった。と思っている選手がいるように想像しました。]
第五:ボールボーイの心
審判にボールを届けたりする。
または、スタンドに飛び込んだファウルボールを回収する役割を担う。
[彼らの気持ちは、次は俺が試合に出る。ここで負けてはならない。と思っているのかな?]
第六:雑用係の心
試合応援ができないスタンド裏で、様々な役割を担っています。
例えば、チーム全員のバックを一か所に集め、その場所の見張り役をする仕事などがあります。
[彼らの気持ちは、試合も見させてもらえない。負けているのか?勝っているのか?もわからない。皆と一緒に応援したい~と不満を持っているように感じました。]
上記の六ケの気持ちは、私の勝手な想像ですが、少なくともベンチ選手と補欠選手の心は違います。
指導者は、そういった選手の心の違いを理解し対応しなければならないと思いました。
試合が終わって、負けたチームの応援席にいた教員だと思う方が、もっと応援すれば勝っていた!と補欠選手に言われた様子を見て、私は違うと思いました。
私も大学スポーツに関わっている者として、補欠選手に対して「皆の応援に元気をもらった。その皆の期待に応えることができず本当に申し訳ない・・・・・。」と補欠選手のベンチに入れない「悔しさ」、観客席で応援する「恥ずかしさ」いった気持ちに向き合うことが大切だと思いました。
[nao]