[ Fri ] の記事一覧

2019.07.19

冷やし足りない。。。

こんにちは、というかこんばんは、嶋村です。相変わらず走っています(今日の写真)。なんやかんやで忙しく、この時間になってしまいました。すみません。で、何か書くことがあるのかというと特にありません、いつも通り(笑)。


なので、今日は最近思ったことを書きます。皆さんは undercoolded という曲を知っていますか?かの有名な世界の Ryuichi Sakamoto (坂本龍一)が作った曲で、ギターには元 Flipper’s Guitar の小山田圭吾が参加してます。ってこれは Rock’in on Japan の記事かというツッコミもありそうですが、まあ文化系の邦楽好きにはウケる曲なんですね(多分)。undercooled は、ちょうどアメリカがあの大きなテロの後でその報復で戦争をしている時に出た曲で、その歌詞もそう言った背景を受けた内容でした。まあこのブログで政治の話をするのはあまり適切ではないので、これ以上は書きませんが、undercooled というのは「冷やし足りない」という意味だそうです。つまり「もっと冷静になろう」とか「クールダウンしよう」的な意味らしいです。


さて今日本はお隣の国とあまり仲がよろしくありません。僕自身もそういう歴史的問題に関しては評価できる立場にないので、よくわかりませんが、undercooled は実は韓国人のラッパーと中国の二胡という楽器を演奏する人が参加しています。なので、ある意味日韓中の合作です。別にだからどうというわけではないですし、歴史問題に関して日本は毅然とした立場をとるべきだと思いますが、我々一般的なレベルで考えればもう少し冷静なって欲しいなと思います。ちなみに来月出張で韓国に行くのですが、まあ韓国人の友達もいるし、僕はなんとも思ってないんですよね。


今の時代は極端な考え方をする人がいるし、そういう人が自由に匿名で自分の意見を発信できる時代になりました。ちょっと頭を冷やした方がいいようか気がしますが、こんなこと書いたらネットのコメント欄で**(自粛)な連中に叩かれますね(笑)。けど僕は冷静でフェアでいたいとは常に思っています。


ではまた。

2019.07.12

P の発表が終わりました。

こんにちは、嶋村です。なんか最近は微妙な天気が多いですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?


先週のブログに関して何人かの人から「相変わらず舌鋒鋭いね」的なことを言われたので、やっぱり結構キツめに書いちゃったかなって反省してます(笑)。まあこのスタイルを変える気はありませんが。


さて今週で P の発表が終わりました(一部残っていますが)。まあ頑張っている人は頑張っていたし、そうではない人はイマイチな発表をしていました。こういった感想を書くときは大体以前に書いたものと同じになってしまうので、あまり細かくは書きませんが、結局のところ英語云々の話をする以前に、論理的な思考ができるか、客観的に自分の議論を構築できるかどうかだと思います。もちろんこういった力を学生が身に付けられるようにするのが教員の仕事の一部ではありますが、学生自身に関しても、これまでどれだけ本を読んできたか、どれだけしっかり勉強してきたか等の要因によって素養が違ってきます。まあ授業中でも夏休みに読んで欲しい本や英語の参考書を紹介したので、それらをうまく活用して勉強し、前期上手くいかなかった人は後期に挽回して欲しいですね。


まあしかし僕自身も前期は自分のことで忙しく、学生さんの面倒を丁寧に見てあげることができなかったこともあったので、後期はもう少し時間を取ってあげれたらと思っています。後期も学会や論文なんかはいろいろあるんですけど。。。


とりあえず、試験にレポートと学生も採点する教員もこれから夏休みに向けてラストスパートですね。お互い頑張りましょう。ではまた来週。

2019.07.05

先週の続き

みなさん、こんにちは、嶋村です。さて今日は前回の引き続き、「なぜ単位の取得が怪しい学生はギリギリまでほったらかして相談に来ないのか」という疑問について考察したいと思います。前回は言語学的な(笑)観点からお話ししました。今日は先週思いついた3つ目の理由を書きたいと思います。


ところで、みなさんはガンダムはお好きですか?僕は結構好きです。昔はプラモデルやおもちゃを集めていましたし、今でもガチャガチャを買ったりします。まあおっさんがガチャガチャする姿は情けない気もしますが、最近は娘のプリキュアのガチャガチャに付き合う体で自分もたまにガンダムのガチャガチャをします(笑)。この前はなんとν(ニュー)ガンダムが当たりました!僕はアムロ vs. シャアの話(あと F91)で終わっているので最近のガンダムは知りませんが、アムロが乗った最後のモビルスーツのνガンダムは結構好きなので、嬉しかったです。ガンダムに興味のない人、すみません。。。


で、ガンダムは非常に深い物語で登場人物に多くの興味深いセリフがあります。その中でアムロの「殴ったね!オヤジにもぶたれたことないのに!」というのがあります。このセリフは一番最初のシリーズのガンダムで出てきます。この時のアムロはまだ子供でたまたまガンダムをうまく操縦できただけの民間人で成り行きで連邦とジオンの戦争に参加するんですが、出撃したくないと駄駄を捏ねるシーンがあるのです。それで、上司にあたるブライト艦長からビンタされるんですが、当該のセリフとなるわけですね。その後、2発目を喰らい、ブライト艦長は「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」と続きます。まあ現代ではこのような根性論は通用しませんが、なんとなくわかるところもあります。


閑話休題。それで思うのですが、やはりギリギリまで自分のすべきことを放置するのはやはり「誰かがなんとかしてくれる」、「先生に叱られたくない」という甘さからくるのではないかと思います。ただスポ健の場合は、「先生に叱られたくない」という感情は、甘さに加えて「無駄なプライドの高さ」に由来する場合もあるように思います。まあ、スポーツで頑張ってきてある程度の自信があって、例えば「オレは試合ではヒーローなのに、なんでこんなヒョロヒョロの大学教員にボロカスに言われないといけないんだ」っていう感情ですね。ただこれは完全なお門違いで、僕がスポーツの為に大学に来たと言う学生によく言うのは「君らのスポーツの経歴なんて大学の成績には何の関係もないよ」ってことです。大学は研究・勉強するところで、スポーツするところではないと僕ら教員は考えていますし、まともに研究している大学教員ならみんなそう思うでしょう(クラブ活動はあっていいですが、それは大学の存在意義の中心ではありません)。もちろん、入学方法は様々でいろいろな制度があるのは認めます。しかし入ってしまった以上は大学の原則に従ってもらうことになります。つまり勉強してもらいます。それを理解せず、謙虚になって勉強に勤しむことができなければいろいろ困ったことになるということを理解しておくべきですが、どうやらそうではない人が散見されますね。アムロはこれまで経験してこなかった世界に突然放り込まれてそこでもがきながら成長していきます。いかなる制度で大学に入ったとしても、大学に来た以上、勉強するのが当たり前だし、研究して論文が書けないなら卒業ができないことを知るべきですね。僕が手を差しのべるのは、こういったことがわかって努力しようとする人のみです。


という厳しい話を書いたところで、また来週。

2019.06.28

Procrastinate と P

みなさん、こんにちは。嶋村です。相変わらず忙しいので今日もさっくり行きたいのですが、まあ2週連続で内容が薄いのもアレなんで、少しだけちゃんと書きます。。。


僕が担当している P は来週から発表になります。というわけで最近学生さんが僕の研究室によく来ます。授業の最初の方でも言ってたんですが、「ギリギリになって持ってこられても困るよ~」という人が結構います。あれだけ、「早め早めの行動を!」って言っていたのに何なんでしょうかね?それで今回は(忙しい中 笑)3つほどその理由を考えていました。1つ目は単純に他にクラブなど優先することがある場合です。まあここは大学なんで、僕としては到底受け入れられませんが、まあ理解できなくはないです。あとの2つはちょっと長めに書きます。それで今日は「その2」を書きたいと思います。


その2:単純な Procrastinate

Procrastinate の意味は「引き伸ばす」ですが、我々言語学者(生成文法家)はしばしば「先延ばし」の意味で使います。というのも僕がやっている生成文法の 90 年代の理論的枠組みで Procrastinate という名前の原理が文法モデルで使われていたからです。具体的には、「統語操作において顕在的 (overt) な素性照合 (feature checking) は、 照合される素性に随伴 (pied-pipe) して XP 全体の Agr などの機能範疇 F の指定部 (Spec-FP) への移動を誘発するため、非顕在的 (covert) に XP の素性のみを移動させて素性照合した方が経済的である。よって、素性照合はできるなら構造は音声的に排出(Spell-Out)する後まで先延ばしにして、非顕在的に実行する方が経済性の原理 (Economy Principle) に合っている」というものです。何のこっちゃ?(笑)


まあとりあえず、統語(文法)操作はあとの方がいいよって話です。こんなこと言うと他の研究者に怒られそうですが、このブログを読んでる言語学者なんて多分いないので、こんな感じでいいです。1995 年当時のチョムスキーという言語学者の文法モデルでは(今日の写真)、辞書 (Lexicon) で単語を選んできて統語(文法、Syntax)部門で構造を作って、Spell-Out という操作でそれを PF(音、つまり発話)と LF(意味、つまり解釈)に送るって感じです。ここでのミソは LF へ送ってもその後音には反映されない文法操作ができちゃうってことです(LF は統語の一部と考えられているので)。でさっきの話はなるべく発話では表現されない文法操作をしましょうっていうことなんですが、つまり、実際に我々が耳にする発話とは合わないとような文構造を Spell-Out 後に何かしらの文法操作で作っても大丈夫なんです。で、90 年代に(今でもですが)、「まあね僕の理論は言語現象を解釈をうまく説明できるけど、実際の発話の語順とはあわないんだよね。だから LF やってんじゃね?」的な仮定が様々な論文で乱発し、LF(PF も)は分析でうまくいかなかった部分のゴミ箱的な存在になってました。。。まあ今はもう少しマシだと思います。


それで、まあ以上のことを P 風に言うと「P の研究内容や英語を先生に見てもらうのは、先生に見てもらう原稿とともに自分の身体を随伴した先生の研究室への移動を伴うため、メールで見てもらうファイルを送った方が経済的である。さらに細かく分けて送るよりも最後に一気に送った方が、オレさま(アタシ)の手間が省けてより経済的である」的な原理が働いているのでしょうってことですね(笑)。ただし、これは僕の負担がすごく大きなって大変困ります。


ちなみに先ほどのゴミ箱の話にもつながりますが、「やはり統語構造の派生(derivation)が経済的と言っても、LF や PF で修正してくれるって仮定すること自体がまずいんじゃないの?」って、だいたい 2000 年代になって研究者が気づいたので、大きく文法モデルが変わりました。で大雑把にいうと「構造を細かく分けて LF/PF に送ろうぜ!」ってことなんですが、その細かい単位を位相 (phase) と言います。なんで、P も derivation by phase でやって欲しいですね(笑)。


ここまで書いて「僕、何やってんだろう?」ってなったので、これでやめます。多分疲れてますね。じゃ、自分の論文に戻ります、てか家に帰ります。。。

2019.06.21

ちょっと忙しいです。。。

みなさん、こんにちは、嶋村です。さて今日もしっかりブログを書きたいのですが、今ちょっとやらないといけない事が溜まってまして、今日は簡単に済ませたいと思います。


今週は水曜日に東京の大学に勤める友達に頼まれまして、出張授業と研究発表をしてきました。このためのスライド作りでめちゃくちゃ時間かかって結局色々な事ができておりません。ただし最近新しく始めたトピックで話してきたんですが、割とウケが良かったのでこれから論文を書いたり学会で発表したりするのが楽しみです。まあしかし、それで全ての学校関係の仕事を Procrastinate していたので、先ほども研究部から早く書類を出せとのメールが来てました。。。そして明日も学会で研究発表であるのですが、そのスライドを今作っております。一応共同研究なので他にもメンバーがいるのですが、僕が一人でスライドを作ってます。。。 P の授業でグループのみんなで協力してやるべきなのに何もしてくれないヤツがいる、なんかそんな気分ですが、僕が「ダサい PPT は使いたくない。Beamer (LaTeX) じゃないと嫌だ!」とゴネたのでこれはこれで仕方ありません。まあ、発表は他に任せて僕はゆっくりしておきます。


まあこんな感じで忙しいんですが、なんとメインで使っていた MacBook が故障しました。。。今日は旧型 MacBook Pro を持って大学に来ております。15 インチで **(自粛)重たい(笑)。


とりあえず今日はこんな感じでご勘弁。。。来週の日曜日も研究発表があるのですが、来週はちゃんと書きます。あと写真も特にないので、二条城で(笑)。


ではでは。

2019.06.14

先週の問題の答え

こんにちは、嶋村です。なんか最近曇りの日が多く、さらにやることがたくさんあって気分も沈んできそうですが、この前何と初めてドクターイエローを見ました!!新幹線電気軌道総合試験車のことですが、いつどこを走っているのか知られていないので見ると幸運が訪れるなんて言われたりもします。まあ全体を見たのではなく、チラッと一部を見ただけですが、何かいいことがあればいいなあ。。。


さて先週は、「現在のフランス国王はハゲである」が偽であるか、あるいはそもそもそんな人物はこの世に存在しないのでこの命題は何も意味をなさないのか考えてください、っていう無茶振りで終わった気がします(笑)。しかしこれは論理学・言語哲学にとって重要な問題で、真であるか偽であるかの2値に依拠する意味研究では、排中律が前提となっていて、「現在のフランス国王はハゲである」はこの考え方にとってちょっとした脅威なんです。排中律は、Law of Excluded Middle と言いまして、要は真か偽の真ん中はないってことです。もう少しフォーマルに言うと、ある任意の命題 P はそれが成り立つか成り立たないかのどちらかしかない 、P ∨ ¬P (P or not P) だっていうことなんですね。 例えば、「立命館大学スポーツ健康科学部は BKC キャンパスにある」という命題は真ですね。その否定は「立命館大学スポーツ健康科学部は BKC キャンパスにはない」は偽ですので排中律を満たしています。そうすると「現在のフランス国王はハゲである」は何が問題なのでしょうか?この世の中にフランス国王は存在しないので仮にこれを偽であるとしましょう。さてその否定形はどうでしょうか。「現在のフランス国王はハゲではない」は真ですか、それとも偽ですか?真と言えないですよね、だって「現在のフランス国王」は存在しないのですから。。。とういうことは偽になってしまい、排中律にとっては問題となるわけです。論理学者・言語学者たちは「えらいこっちゃ」となるわけですね。


上述の問題に関して「現在のフランス国王はハゲである」は「現在のフランス国王」という確定記述(definite decription のことで、要は定冠詞が付くような指示対象が一つに決まる名詞表現)を持っていますが、これに関して哲学者のバートランド・ラッセルは当該命題は以下の三つの意味を表していると言いました。


(1) フランスの国王が少なくとも一人存在している。

(2)   フランスの国王が多くても一人しかいない。

(3)   フランスの国王であるものは全てハゲである。


ということなんですが、以前存在を表す記号を紹介した時に ∃ と書いたと思います。「~が(少なくとも)一つ・一人存在する」という意味ですが、この存在をたった一人(一つ)にすることで確定記述を表現できます。 三つの意味を論理式で書くと:


(4)    ∃x[KF(x)]

(5)    ∀x.∀y[KF(x) ∧ KF(y) x=y]

(6)    ∀x[KF(x) B(x)]


となります。KF は「現在のフランスの国王」を表し、B は「ハゲである」を表します。ということで (4) は「 KF である個体 x が(少なくとも一人)存在している」を意味し、(5) は、「全ての個体 x と y に関して、x が KF でありかつ y も KF であるならばは x = y は同一である」を意味し、全ての個体(人間)について検討しています。そしてどんな全ての個体も KF であるならそれは全て同じであるということで KF が一人しかいないことを表現しています。そして最後に (6) ですが、「全ての個体 x に関して、x が KF ならば、x はハゲである」を表しています。これらを全て合わせると:


(7)    ∃x[KF(x) ∧ ∀y[KF(y) x=y] ∧ B(x)]


みたいな感じになります。なぜかは説明しませんが、こうなります(笑)。さて (7) は 「ある個体 x が(少なくとも一つ)あって、x は KF であり、かつ全ての 個体 y に関して、y が KF なら x と y は同一であり、かつ x はハゲている」と読みます。それが「現在のフランス国王はハゲである」の意味です(笑)。日々私たちは「現在のフランスの国王」みたいな表現をこのように解釈しているんですね(笑)。これがラッセルの確定記述なのですが、これのエラいところは排中律に合うというところです。つまり、(7) を否定すると:


(8)    ¬∃x[KF(x) ∧ ∀y[KF(y) x=y] ∧ B(x)]


となりますが、これは x の存在を否定しているので真になり、排中律が保たれるのです。このラッセルの考え方とは違った考え方もあります。ストローソンという哲学者は「現在のフランス国王はハゲである」はそもそも前提がおかしいから真偽値を持たない文であると言っています。まあどっちも正しいと思いますが、どっちかというと僕はストローソン派です。皆さんはどっち派ですか?(笑)


というわけで、もう今日は十分だと思うので続きはまた来週。

2019.06.07

雨ですね。。。

こんにちは、嶋村です。今日は結構な雨ですね。。。今朝娘を保育園に送って行ったんですが、長靴を履いた時はやたらと水たまりに入りたがるのでかなり面倒です。


さて、あいにくの雨ですが今日はいろいろやることがあるので大学にいます。このブログも含めて。。。しかし特に何か書くこともないんですよね。まあこれから学会にちょこちょこ行ったりするのでまたその報告もできたらいいんですが、今のところのその準備や論文を書いたり読んだりなどで忙しくしています。まあとにかく書くことがないので、今日は前回に引き続き意味論の話をしたいと思います。今日のテーマは態度動詞にしましょうかね。態度動詞というのは「言う」や「思う」などの話者や主語がどのような信念を持っているかを表すために使います。例えば「太郎は、神が存在すると思っている」のような文の意味は、先週話した形式意味論的な考えに則れば太郎がそう思っているなら真ですし、そうでなければ偽となります。ところが、例えば、「山田さんが僕にご飯を作ってくれた」は、山田さんが存在して、彼が僕にご飯を作ってくれたという事実がある限り真ですが、「神が僕にご飯を作ってくれた」は突然胡散臭い文になります。もちろん奥さんのことを「神」と読んでいれば別ですが(笑)。この胡散臭さはどこから来るかというと、この文は「神」の存在を前提としているからなんですね。これは指示性の問題なのですが、「神が僕にご飯を作ってくれた」みたいな文を発する時に、名詞の指示対象は現実世界の中で評価されます。ところが、態度動詞の選択する文は、事情がちょっと変わってきます。すなわち、これらの動詞は可能世界への扉を開くことになります。このへんの事扱う意味論を可能世界意味論なんて言ったりしますが、クリプキやヒンティッカみたいなえらい哲学者によって考え出されました。話を「太郎は、神が存在すると思っている」に戻すと、この命題が真であるのは、現実世界の太郎が置かれている状況や彼の信念にとって「神が存在する」という命題が成立する世界に必ずアクセスできるようであれば、真となります。このため、命題はその命題が成立する世界の集合だということが出来ます。可能世界は様々です。例えばみなさんは今日どのような夜を過ごすでしょうか?晩御飯は唐揚げかも知れません。ブリ大根かも知れません(季節的にはどうかと思いますが)。タコライスかも知れません。いろんな可能性があるわけですが、どの世界でも「神が存在する」が太郎にとって成立する命題なら「太郎は、神が存在すると思っている」という文は真になります。


さて上で見たように、態度動詞を使わない環境ではデフォルトで現実世界が真偽の評価の場になるので、存在しないようなものに言及すると意味がおかしくなります。例えば「現在のフランスの王様はハゲだ」という言語学・哲学ではよく使われる例文があるのですが、これはそもそも「現在のフランスの王様」が存在しないので、へんな文だと思います。さてここで質問です!この文は偽でしょうか?それともそもそも存在しないものを語っているのでナンセンス(意味がない)なのでしょうか?ちょっと考えてみてください。


続きはまた来週。

2019.05.31

(言語学的に)ドラえもんは22世紀にできるのか?

みなさん、こんにちは、嶋村です。突然ですが最近とっても忙しいです。。。しかもメバチコ(ものもらい)ができて痛い。。。ストレスですかね。頼まれていた論文やら6月の学会の予稿集の原稿やらその他諸々の書類関係やら授業やら。。。他にもありますが、どうしてもやらなければいけない研究関係以外の事を後回しにするクセがあるんですがそれ自体も後になってストレスのもとになります。というわけで3週間前に預かっていた宿題を来週返すことになっております(あくまでも予定 笑)。結局のところ一番時間を忘れて没頭できるのが論文を書いたり読んだりするのなんで、どうしてもそうなってしまうんです。。。


まあというわけで、このブログも自分の研究関係をやっている最中に気分転換で書いています(笑)。そして特に何も書くことがないので今日は人間の言語(自然言語)の意味について書くことにします。僕がやっている言語学の意味研究は形式意味論と言われるのですが、その理論は集合や関数など数学的概念に依拠しております。まあこれまで何度かご紹介したかも知れませんが、そういうことなんです。以前機械学習の研究を紹介した時に、機械が利用するデータが形式意味論的に表現されているという話をしました。というわけ、形式意味論はその性質上工学分野との親和性も高いのですが、ある意味形式化され過ぎて実際の人が使う言語の意味を表現できていないことがあります。というのも(原則として)言語の意味というのは形式意味論では二値なんですね。つまり真か偽であるかということです。「太郎が本を読んでいる」という命題が真であるのは現実世界で太郎が本を読んでいる場合のみでそれ以外は偽です。しかし、言葉の意味はというのはなかなか不思議で、人は「花子のことがめっちゃ好き過ぎてもう憎たらしい!」という複雑な感情を持つことができますが、これを表現するのに「花子のことが好きだけど嫌いだ」と発したら機械はどう判断するでしょうね?さらに「時計持ってる?」も文脈によって「何時?」という意味になりますよね。こういう文脈依存性もなかなか難しいところです。これに関して「言われていること」と「暗に意味されていること」が違うというのもあります。つまり「太郎が来やがった」というのは命題的には「太郎が来た」と同じですが、前者はさらに別に意味を暗に表しています。つまり「太郎が来た事を発話者はよく思っていない」という意味です。このような意味を習慣的含意(conventional implicature)というのですが、この意味は命題レベル(二値)ではないので、命題を否定するような否定表現、たとえば「それは嘘だ!」のようなもので否定することはできません。例えば A さんが「太郎が来やがった」と発し、B さんが「それは嘘だ!」と言うと「太郎が来た」ことは否定できても「太郎が来た事を A はよく思っていない」という意味は否定できません。このように自然言語の意味は複雑です。私たちにとっては当たり前のことだけど、いざ機械に学ばせるとなると大変そうですね。今は21世紀、あと82年ほどで22世紀になります。ドラえもんが誕生するってことになっているのが22世紀なんですが、どうなんでしょうね?(笑)


ではでは。(ちなみに今日も新しい写真がないのでオフィス鴨川でご勘弁)

2019.05.24

∃ > ∀ か ∀ > ∃ の話

どうも、金曜担当の嶋村です。さて先週は色々書いたわけですが、僕の(しょうもない)ブログの読者の一人からデータを多角的な観点から評価するとはどのようなことか具体的に教えて欲しいと言われたので、今日は言語学の例を出しながらその辺の話をしたいと思います。


その前になんですが、実は先週タイポがありました。しかも英語で(笑)。実は、future のスペルが間違ってました。”u” が抜けていましたね。あはは。。。「弘法にも筆の誤り」ですね(笑)。まあイチローも三振してたし、僕もぱぱぱっと書いているとミスぐらいしますわ、そりゃ。。。まあ、以後気をつけます。


というわけで、今日の話ですが、具体的な事例として数量詞の解釈の話をしたいと思います。数量詞ってご存知ですか?いや言語学をやってない人は知らなくて当然ですが、皆さんは日常的に使っていらっしゃいます。例えば:


(1) Some boy loves every girl.


という英語には2つの解釈があると言われています。一つは「誰か一人男の子がいて、彼が(文脈上明確な誰かが分かる)全ての女の子を愛している」という解釈です。論理学・数学では「誰か」のような存在を表す(存在量化)記号を∃と書きます。それに対して「全て」を表す(全称量化)記号を∀と書きます。なのでこの読みは∃ > ∀と書くことができます。> は当該数量詞の作用域(スコープと言います)が広いことを表します。つまり、「全ての女の子」に対して「誰か男の子」は一人しかいないという読みです。


もう一つの解釈ですが、「全ての女の子」が「誰か男の子」よりも広い作用域を取る読みです。つまり、全ての女の子には彼女たちのことが好きな男の子が別々にいるという解釈です。これを∀ > ∃と表します。この読みは (1) の文の語順を反映していません。つまり some boy > every girl ではなく every girl > some boy なんですね。このように語順と違う数量詞の解釈を出せるのが英語の一つの特徴だと言われています。ちなみに今日の写真はこのような語順に合わない解釈がどう派生されるか言語学的にをぱっぱと書いてみました。写真がないのでこれでご勘弁。。。TeX で綺麗でしょ(笑)(Word なんかやめてみんな TeX にしたらいいのに)。


翻って日本語はどうでしょうか。(2) を考えてみましょう。


(2) 誰か男の子がどの女の子も愛している。


語順通りの解釈、すなわち∃ > ∀は簡単に出るような気がします。人によっては∀ > ∃も可能でしょうか???とりあえず、僕がやっている言語学の文献によれば、∃ > ∀しかないということだそうです。まあ確かに語順はと逆の解釈、「全ての女の子には彼女たちのことが好きな男の子が別々にいる」というのはなかなか難しいように感じます。


というわけで、日本語は英語のような数量詞の曖昧性はなく、語順通りの作用域関係しか出せないというのが共通の理解として今のところあります(間違っているかも知れませんが)。


このような言語現象を考えるときにやってはいけないことがあります。それは以下のような例です。


(3) 全ての男の子が誰か女の子を愛している。


この場合語順は∀ > ∃ですので、女の子を全ての男の子に分配する解釈が出来ますね。つまり愛すべき女の子が各男の子に一人いるという解釈です。さて日本語話者の皆さんの中には「いや、待って!∃ > ∀も出来るよ!」って人がいるかも知れません。つまり愛すべき女の子はどの男の子にとっても同じ人物であるという解釈です。これを証拠に日本語でも語順とは違う数量詞の作用域の解釈でるんだって主張したい人がいるかも知れませんね。しかし、これは間違いです。なぜかというと∀ > ∃は∃ > ∀を含意しているからなんですね。つまり、全ての男の子が好きな女の子がたまたま同じである場合です。この場合、女の子は全ての男の子に分配されて解釈されますが、現実世界ではそれは同一人物なので、結局解釈上∃ > ∀となります。なので、数量詞の作用域を見る場合必ず語順は存在量化が全称量化に先行していないといけません。というのも∃ > ∀は∀ > ∃を含意しないからです。


というわけで言いたいことは分かりましたか?重要なのは「含意」という概念ですね。しかしそれを知らずに (3) を解釈すると間違った方向に向いてしまいます。文法的(統語論的な)語順だけではなく「含意」という意味論的な要因が大事であることに気づかされます。


まあこんなミスは普通の言語学者ならしないと思いますし、これはあまりにも基本的なのですが、しかしこれと同じ種類のミスを犯して書かれているペーパーが割と(日本語研究関係では)あるように感じます。まあ今となっては統語論も意味論もバランスよくやっててよかったも思うし、このバランスの良さがアメリカの大学院プログラムの素晴らしさでもあります。本場で勉強するって大事ですね。


ではでは。

2019.05.17

「ゴマをする」ことに関して

遅めの更新、すみません。嶋村です。ちょっと色々忙しくてこの時間になりました。


まあしかし書くこともないので、最近思ったことを1つ。


「ゴマをする」って表現ありますよね。人に気に入られるようにおべっかを使うということです。現在僕が担当している P3 は中間発表中ですが、まあお勉強が得意でなくそれほど努力もしない連中で、割と僕にゴマをする人はいます。そういう人はこちらとしても分かっているので、ドラえもんのジャイアン風に言うと「ギタギタのメロメロのボコボコにしてやる」ということで、質疑応答で僕に詰められることになります(笑)。


まあ、それで思ったんですが、僕って人生においてあんまりゴマをすることがなかった気がします。先輩や上司に気に入られようとかいう機会は一回もなかったような気がします。先輩の言うことは絶対である(と勝手に思っているんですが)体育会系のクラブに一回も所属したことはないし、完全な文系人間です(言語学の研究では数学的な概念も使いますが)。なのでたぶん僕はゴマをすりられ慣れていないのではないのかと思いました。割と正直に生きてきて、目上の人であろうが研究に関しては「バーカ」というニュアンスで「それは違うんじゃないすか?」って言ってきたので、自分も変に褒められることに慣れていないんですね。うちの親も僕をほとんど褒めなかったし(笑)、そういうわけで僕に変にゴマをすらないでください。。。


なんでこんな話をしたかと言うと、僕の研究している言語学でもなんというか「大御所が言っているから」とか「最近これが流行りの理論・研究だから」とかがあるんですよね。みなさん言語学者と思うといろんな言語に精通している人を思い浮かべると思います。実際はそうではないことも多くて、例えば日本語のデータだけで理論的に大きなことを言う人もいます。当然私たちの言語学は言語の普遍性を捉えたいわけですから日本語をもとに提出した理論は他の言語でも適用可能であるべきですが、とりあえず日本語ではうまくいくし、あの大御所も言っているしだからこれはいい分析だ!ってことを言う連中が結構いるような、いないような。。。


で何が言いたいかと言うと、研究者はどこまで自分の研究に誠実にいられるのでしょうかってことです。よく言語学の論文はその見せ方だと言われますが、自分の理論をサポートするデータばかり出して、あるいは大御所や先行研究が出している都合のいいデータばかり出して、その妥当性を多角的に検証せずに無責任に自分の分析が正しいと言うことがあります。これは言語学というか僕がやっている生成文法理論の癌みたいなもんで、こんなことをしていたらたぶんいつか生成文法がなくなってしまうのではないかと思います。僕はこんな状況を selective fact と言うようにしたいと思います。まあ確かに個々のデータは本当なんだけど、反例は脚注にちょっとあって I will leave this for my futre research みたいな(笑)。これはある意味先行研究や大御所の論文への「ゴマすり」ですね。研究とは批判的な精神から発展すると思うのですが、どうなんでしょうね。


ちなみに今週からオフィス鴨川がオープンしました(写真参照)。とりあえず今日はこの辺で。また来週。