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2019.05.24

∃ > ∀ か ∀ > ∃ の話

どうも、金曜担当の嶋村です。さて先週は色々書いたわけですが、僕の(しょうもない)ブログの読者の一人からデータを多角的な観点から評価するとはどのようなことか具体的に教えて欲しいと言われたので、今日は言語学の例を出しながらその辺の話をしたいと思います。


その前になんですが、実は先週タイポがありました。しかも英語で(笑)。実は、future のスペルが間違ってました。”u” が抜けていましたね。あはは。。。「弘法にも筆の誤り」ですね(笑)。まあイチローも三振してたし、僕もぱぱぱっと書いているとミスぐらいしますわ、そりゃ。。。まあ、以後気をつけます。


というわけで、今日の話ですが、具体的な事例として数量詞の解釈の話をしたいと思います。数量詞ってご存知ですか?いや言語学をやってない人は知らなくて当然ですが、皆さんは日常的に使っていらっしゃいます。例えば:


(1) Some boy loves every girl.


という英語には2つの解釈があると言われています。一つは「誰か一人男の子がいて、彼が(文脈上明確な誰かが分かる)全ての女の子を愛している」という解釈です。論理学・数学では「誰か」のような存在を表す(存在量化)記号を∃と書きます。それに対して「全て」を表す(全称量化)記号を∀と書きます。なのでこの読みは∃ > ∀と書くことができます。> は当該数量詞の作用域(スコープと言います)が広いことを表します。つまり、「全ての女の子」に対して「誰か男の子」は一人しかいないという読みです。


もう一つの解釈ですが、「全ての女の子」が「誰か男の子」よりも広い作用域を取る読みです。つまり、全ての女の子には彼女たちのことが好きな男の子が別々にいるという解釈です。これを∀ > ∃と表します。この読みは (1) の文の語順を反映していません。つまり some boy > every girl ではなく every girl > some boy なんですね。このように語順と違う数量詞の解釈を出せるのが英語の一つの特徴だと言われています。ちなみに今日の写真はこのような語順に合わない解釈がどう派生されるか言語学的にをぱっぱと書いてみました。写真がないのでこれでご勘弁。。。TeX で綺麗でしょ(笑)(Word なんかやめてみんな TeX にしたらいいのに)。


翻って日本語はどうでしょうか。(2) を考えてみましょう。


(2) 誰か男の子がどの女の子も愛している。


語順通りの解釈、すなわち∃ > ∀は簡単に出るような気がします。人によっては∀ > ∃も可能でしょうか???とりあえず、僕がやっている言語学の文献によれば、∃ > ∀しかないということだそうです。まあ確かに語順はと逆の解釈、「全ての女の子には彼女たちのことが好きな男の子が別々にいる」というのはなかなか難しいように感じます。


というわけで、日本語は英語のような数量詞の曖昧性はなく、語順通りの作用域関係しか出せないというのが共通の理解として今のところあります(間違っているかも知れませんが)。


このような言語現象を考えるときにやってはいけないことがあります。それは以下のような例です。


(3) 全ての男の子が誰か女の子を愛している。


この場合語順は∀ > ∃ですので、女の子を全ての男の子に分配する解釈が出来ますね。つまり愛すべき女の子が各男の子に一人いるという解釈です。さて日本語話者の皆さんの中には「いや、待って!∃ > ∀も出来るよ!」って人がいるかも知れません。つまり愛すべき女の子はどの男の子にとっても同じ人物であるという解釈です。これを証拠に日本語でも語順とは違う数量詞の作用域の解釈でるんだって主張したい人がいるかも知れませんね。しかし、これは間違いです。なぜかというと∀ > ∃は∃ > ∀を含意しているからなんですね。つまり、全ての男の子が好きな女の子がたまたま同じである場合です。この場合、女の子は全ての男の子に分配されて解釈されますが、現実世界ではそれは同一人物なので、結局解釈上∃ > ∀となります。なので、数量詞の作用域を見る場合必ず語順は存在量化が全称量化に先行していないといけません。というのも∃ > ∀は∀ > ∃を含意しないからです。


というわけで言いたいことは分かりましたか?重要なのは「含意」という概念ですね。しかしそれを知らずに (3) を解釈すると間違った方向に向いてしまいます。文法的(統語論的な)語順だけではなく「含意」という意味論的な要因が大事であることに気づかされます。


まあこんなミスは普通の言語学者ならしないと思いますし、これはあまりにも基本的なのですが、しかしこれと同じ種類のミスを犯して書かれているペーパーが割と(日本語研究関係では)あるように感じます。まあ今となっては統語論も意味論もバランスよくやっててよかったも思うし、このバランスの良さがアメリカの大学院プログラムの素晴らしさでもあります。本場で勉強するって大事ですね。


ではでは。

2019.05.17

「ゴマをする」ことに関して

遅めの更新、すみません。嶋村です。ちょっと色々忙しくてこの時間になりました。


まあしかし書くこともないので、最近思ったことを1つ。


「ゴマをする」って表現ありますよね。人に気に入られるようにおべっかを使うということです。現在僕が担当している P3 は中間発表中ですが、まあお勉強が得意でなくそれほど努力もしない連中で、割と僕にゴマをする人はいます。そういう人はこちらとしても分かっているので、ドラえもんのジャイアン風に言うと「ギタギタのメロメロのボコボコにしてやる」ということで、質疑応答で僕に詰められることになります(笑)。


まあ、それで思ったんですが、僕って人生においてあんまりゴマをすることがなかった気がします。先輩や上司に気に入られようとかいう機会は一回もなかったような気がします。先輩の言うことは絶対である(と勝手に思っているんですが)体育会系のクラブに一回も所属したことはないし、完全な文系人間です(言語学の研究では数学的な概念も使いますが)。なのでたぶん僕はゴマをすりられ慣れていないのではないのかと思いました。割と正直に生きてきて、目上の人であろうが研究に関しては「バーカ」というニュアンスで「それは違うんじゃないすか?」って言ってきたので、自分も変に褒められることに慣れていないんですね。うちの親も僕をほとんど褒めなかったし(笑)、そういうわけで僕に変にゴマをすらないでください。。。


なんでこんな話をしたかと言うと、僕の研究している言語学でもなんというか「大御所が言っているから」とか「最近これが流行りの理論・研究だから」とかがあるんですよね。みなさん言語学者と思うといろんな言語に精通している人を思い浮かべると思います。実際はそうではないことも多くて、例えば日本語のデータだけで理論的に大きなことを言う人もいます。当然私たちの言語学は言語の普遍性を捉えたいわけですから日本語をもとに提出した理論は他の言語でも適用可能であるべきですが、とりあえず日本語ではうまくいくし、あの大御所も言っているしだからこれはいい分析だ!ってことを言う連中が結構いるような、いないような。。。


で何が言いたいかと言うと、研究者はどこまで自分の研究に誠実にいられるのでしょうかってことです。よく言語学の論文はその見せ方だと言われますが、自分の理論をサポートするデータばかり出して、あるいは大御所や先行研究が出している都合のいいデータばかり出して、その妥当性を多角的に検証せずに無責任に自分の分析が正しいと言うことがあります。これは言語学というか僕がやっている生成文法理論の癌みたいなもんで、こんなことをしていたらたぶんいつか生成文法がなくなってしまうのではないかと思います。僕はこんな状況を selective fact と言うようにしたいと思います。まあ確かに個々のデータは本当なんだけど、反例は脚注にちょっとあって I will leave this for my futre research みたいな(笑)。これはある意味先行研究や大御所の論文への「ゴマすり」ですね。研究とは批判的な精神から発展すると思うのですが、どうなんでしょうね。


ちなみに今週からオフィス鴨川がオープンしました(写真参照)。とりあえず今日はこの辺で。また来週。

2019.05.10

GW 終わりましたね。。。

みなさん、こんにちは、嶋村です。GW のお休み中はどうお過ごしだったでしょうか。


僕は友達に会ったり奈良の実家に帰ったりと特に何かしたというわけではありませんでしたが、まあのんびりと過ごさせてもらいました。奈良の実家に帰っているときに久しぶりに 20 km 走りました。今日の写真は奈良公園内にある浮見堂です。最近花粉症で外に出るのが億劫になっていて全然走れてないのですが、今月からまた頑張って距離を稼ぎたいと思います。ちなみに僕の京都でのランニングコースは鴨川や二条城や嵐山方面などいろいろあるのですが、奈良も走っていて楽しいところがあります。それに京都ほど観光客もおらず、ストレスなく走れる気がします。それでも最近奈良も観光客だらけですけどね。


さてみなさんもご存知のように、先日大津市で自動車事故があり小さいお子さんが2人お亡くなりになられ、今でも事故で大きな怪我をして辛い時期を過ごしている子供さんや保育園の先生がいらっしゃるそうです。僕にも保育園に通う娘がいるのでとってもつらいニュースでした。まあ、いろいろマスコミの連中は彼らが報道したいようにしているし、事故を起こした当事者は法の下に裁きを受けるわけですが、自分としては短い間しか生きられなかった2人のことを思うと本当につらいですね。。。


それでふと思ったのですが、日本とアメリカを比べた時、やはり歩行者優先の意識って日本では薄いような気がします。まあ今回の大津市の件はそういう話は関係がないどうしようもなかった事故なのかも知れませんが、例えば日本では信号機のついていない横断歩道や単に住宅街で人と車が鉢合わせになった時の歩行者優先の意識が低いように感じます。僕はアメリカに住んでいた時、どんなにイカつい車に乗った怖そうなおじさんでも歩行者がいようがいまいが信号なしの横断歩道で一旦停止するのを見てきました(もちろんたまに例外はいますが、一旦停止しないところを警察に見られると必ず停められます)。ちなみにアメリカではスクールバスが停車して子供たちが乗り降りする場合は、バスがいる車線も対向車線もスクールバスが再出発するまで全ての車は一旦停止しなければなりません(わざわざ、バスから Stop サインが出てきます)。アメリカは日本以上に車社会ですし、ハイウェイではめちゃくちゃ飛ばすヤツもいますが、歩行者優先に対する意識というのはかなり高いように思います。別にだからアメリカの方が素晴らしいとか言う気はないし日本にもいいところはたくさんありますが、こういうところは日本でも見習って欲しいなあと思います。


まあ自転車にしても自動車にしてももう少し俯瞰的に状況を把握する必要があるのではないかなと思います。たまに自転車で歩道を突っ走って人と人の間のギリギリのところを通っていくバカがいますが、そういうのが事故につながるかも知れないんですよね(そもそも自転車は例外はありますが原則として車道を走るべきなんですがね)。僕は車は運転しませんが、自転車には乗るので改めて気をつけようと思います。


ではまた来週。

2019.05.03

令和になりました

みなさん、こんにちは。今僕はこのブログの原稿を平成最後の日に書いております。そしてこれが掲載されるのは令和になってからです。こんな平成最後の日なんですが、雨だし、寒いし、そして授業です。。。世間はお休みですが。国の元号が新しくなるという日でも授業するなんて、立命館大学の教育に教育に対する強い意気込みを感じますね(笑)。


ゴールデンウィーク中僕は特に予定がなく、街をぶらぶらしたりしているだけなのですが、京都自体が観光地なのでまあなんやかんややっています。この前岡崎公園に行って来たのですが、フリマ+音楽フェス的なことをやっていました。奥さんと娘で行ったのですが、アマチュアバンドがたくさん出演し、フリマでは食べ物やお酒を含めいろいろあって楽しかったです。今週末は実家に帰る予定です。


さて、休みになると保育園がお休みになるので、娘が必然的に家にいることになります。うちの娘は4歳になるのですが、かなり難しい性格です。そして結構攻撃的です。。。最近は公園のブランコがお気に入りで、いつでも「お外に行きたい!」となり、公園に行ったら行ったで今度は先客がいたら力尽くで奪い取ろうとするのでこっちはそれを止めるのに必死です。。。めちゃくちゃ疲れます。まあそんなわけで娘がずっと家にいる休みは休みで結構悩みがあるんですね。まあ小さい子どもを持つ親はだいたい同じような悩みを抱えているでしょうけどね。


まあ元号が変わるくらいで10連休にもするなよって話なのかも知れませんが。。。


というわけで、これ以上書くこともないので、この辺で。というかネタがないので、もしこれを読んでいる人で書いて欲しいことがあれば教えてください。。。

2019.04.26

大学のキャンパスの話

みなさん、こんにちは。お元気ですか。今日はなんだか曇りの天気でこの後雨になるようですね。今日は学生さんとのアポイントメントが何件かあり大学におりますが雨が降る前に大学を出ようと思います。ところでブログのメンバーが新しくなりましたが、実は日曜日も英語の先生が担当なんですよね。。。「ほな僕要らんやん」って思ってるんですが、どうなんでしょうね?


さて僕は今学期から週1回で三重大学に教えに行っています。三重大学は僕がアメリカから帰国して初めて教えた日本の大学で、まああの当時はアメリカから帰ったすぐで今よりも若かったので(って言っても4年前ですが)、結構学生さんにキツめの対応をしていたので、当時の学生さんには悪いことをしたなあと思っております。。。立命に来てからは、まあ根本的な性格は変わってないのですが、多少丸くなったし、フレンドリーな学生さんも多く割と僕と話してくれるので自分もだいぶ変わったんじゃないかなって思っております。「え、ほんまかいな!?」っていう声も聞こえてきそうですが。。。


まあとにかくそんなわけで三重大に週一で通っているんですが、やはり国立と私学は雰囲気が違いますね。まあ国立でも色々あると思うんですが、三重大はその立地もあってなんというか全体的にゆったりとした感じです。もちろん学生さんは活気に溢れているのですが、なんというかキャンパスの雰囲気なんですが、広い土地に割と素朴(笑)な建物が点在している感じで、海沿いということもあり時間があればゆっくり散歩したくなる感じです。実際三重大にいた時は散歩してました。キャンパス内に緑も多く僕はあの雰囲気が割と好きです。僕は大学生時代は京都御所の横にある京都の割と中心にある私学に通っていたのですが(立命のライバルなんですかね?笑)、大学院(修士)は豊中にある阪大に行ったので、その時も雰囲気の違いに最初戸惑った記憶があります。私学 vs. 国立という簡単な図式で語ることはできないんでしょうが、大学のキャンパスにはそれぞれカラーがありますよね。まあ実際阪大に入った時は「なんだこのイケてないキャンパスは?」と悪態をついていたわけですが、アメリカの大学院に行ってさらに田舎のキャンパスになったし、まあ BKC もアレなんですが(笑)、通っていれば愛着も湧いてきます。阪大の豊中キャンパスでは、同じ研究をする仲間が結構できたし(あと奥さんとなる人にも会ったし)、結構いい思い出があります。アメリカの時は勉強だらけで辛かったですが、友達もできたし研究さえしておけばよかったのでいい思い出です(ちなみに今日の写真はコネチカット大学時代の言語学科が入っている建物です)。BKC も多分僕が立命を去る時には楽しい思い出に詰まった名残惜しい場所になるのではないかと思っております。で、個人的には大学時代の今出川キャンパスにはあんまり行きたくないんですよね(笑)。ま、人生ってわかりませんね。


というわけでまた。

2019.04.19

ミニプレゼンの様子

こんにちは、嶋村です。今週からブログ担当が新しくなりましたが、今年度も僕は引き続きブログを担当します。。。


授業も2週目ということで、今週の P の授業では学生さんにちょっとしたプレゼンをやってもらいました。今日の写真はその様子です。僕が前期に担当している P3 の授業では、ディベートとパネルディスカッションの二つの討論の仕方を学びます。論文を引用したり、データを提示したり客観的に自分の主張をサポートできるかが大事になってきます。学生の皆さんには頑張って欲しいと思います。


僕はと言えば、最近心身共に体調があまりよろしくなく、持病の病院もサボっていたりするのでそろそろ真剣に自分の健康というものに向き合わなければならないなあと感じております。スポーツ健康科学部にいるのに不健康な私です(笑)。最近ちょっとイライラしちゃって周りにきつく当たってしまったんじゃないかなと思って反省中です。あと、ジョギングの花粉症のせいでサボり気味。。。まあ季節の変わり目は色々不安定になりますが、皆さんも体調には気をつけてお過ごし下さい。


こんな話で終わるのもなんなのですが、これと言って特に書くことがないので、今週はこの辺で。。。来週から頑張ります。

2019.04.12

ブログを書くということについて

みなさん、こんにちは、嶋村です。4月になり暖かくなってきたかなと思えば、今週は寒の戻りなのか寒い日が続いています。新学期も始まり僕も今週から授業ですが、みなさんはどうお過ごしでしょうか。僕は先週末友達とお花見に行ってきました。場所は奈良の某所でお祭りが開催されていました。京都ほど人も多くなくいい感じの混み具合で良かったです。一緒に行った友達は高校からの付き合いで、まあそんなに頻繁に会うわけでもないし会わない時期もあったんですが、なんだかんだで 20 年以上の付き合いです。みんなそれなりに歳をとりました。


さて、先週までは英語教育について言いたい放題書いたので、今週からはもうちょっとライトな感じにしたいと思うのですが、適当なネタがありません。ところで、僕はこのブログをイヤイヤ書いている風の感じを醸し出しているのですが、そうは言いつつも実は一番長いブログを書いているんじゃないかという気がしてきました。。。まあ理由としては書くんだから内容に責任を持って書きたい(文責というやつですね)、それからきっちりとした内容で何かを伝えて納得してもらいたい、あるいは理解してもらいたいと思っていて、そうすると割と長くなるわけです。いや別に他の先生のブログがそうじゃないと言っているわけではないですよ(笑)。ただ僕は他の先生ほどこのブログを読んでくれるであろう人達と共有する素敵な(スポ健関係の)イベント事がないので、そうすると自分の考えを伝えたりすることが多くなるのですが、その時にいちいち事例を出してサポートしないといけないし、何かしらの文献を引いてきたりすることもあるので、そうやって文章を作っていくと長くなってしまうんですよね。。。まあ僕の博論も 200 ページ以上あるし、人文学系の性なのかも知れません(笑)。けど、自分の考えたことを文章にするのっていいですよね。書いてるうちに新しいひらめきがあることもあるし、頭の中の整理ができます。


というわけで、特に書く事がないので、この辺で今週は終わりにしたいと思いますが、まあ学校も始まったし、ネタは多分ちょこちょこ出てくると思うので、適宜印象に残った出来事をこれからも書いていきたいともいます。ではまた来週。

2019.04.05

新入生オリエンテーション

いつも遅めの更新、嶋村です。


前回までは英語教育の話で色々言いたい放題書いたと思いますが、まあ、まとめると英語ができるやつはそれはそれでできないやつそれで良いじゃないかってことです。あはは、すみません。投げやりで。でも僕はたまたま英語が話せるようになりましたが、出来るならピアノでリストの「ラ・カンパネラ」を弾いてみたかったし、100 m を 10 秒くらいで走りたかったし、数学者や物理学者になってみたかったけど、まあこうなっちゃたんで仕方ないです。ちなみにそれでも教科として英語を勉強するのは教科しての英語を勉強することに意味があるからじゃないでしょうか。外国語を勉強することで母語への気づきがありますし、分析的な思考も含めて学習能力の向上にも繋がると思います。なので、そういったことを無視してくだらないコミュニケーション重視の、ある一部の無知な連中を満足させるだけの英語教育の改悪はやめて欲しいです。


というわけで今日も言いたい放題言ったので違う話をしたいと思います。今週は新入生のオリエンテーションがありました。写真を少し載せておきます。新入生を迎えるにあたって、在学生の学生さんはオリジナルのパーカーを作って新入生を色々サポートして頑張っていました。


 (Koji)20190405-01 (Koji)20190405-02


さて僕自身は新年度から早速やらかしてしまいまして、オリエンテーションの新年度の先生の集まり遅刻してしまいました。。。まあ言い訳するとバス(あとバスを待つ列)が死ぬほど混んでいて、全部合わせると1時間くらいかかっちゃって余裕で間に合うつもりで来たつもりがしっかり遅刻をして他の先生や事務の方に迷惑をかけてしまいました。すみません。。。まあけど当日は「バスが遅れたし、僕は悪くないも~ん」て思ってましたが、学部長先生が挨拶の冒頭に「いかなる理由があっても遅刻なので、大人はちゃんと余裕を持って行動しよう」との旨のお話があり、耳が痛いことになってしまいました。とほほ。。。


まあしかし以前も書いたかもしれませんが、(個性の強い人の多い、そして天邪鬼が多い)文学部出身の僕に比べるとスポ健の先生はきっちりしていますね。僕が社会的な「きっちり」度でスポ健の先生方に近づけるかは知りませんが、スポ健を卒業するまでには世の中を斜に見ている捻くれ者のこの性格をなんとかできたら良いなとも思います。しかし、一方でこれは僕の個性なのでこれはこれで良いかなとも思ってます。まあ自分に疲れますけど。。。というわけで、今年度もこのブログを担当することになってしまいました。。。こんな僕ですがよろしくお願いします。


またまた。

2019.03.29

英語教育の話 その3

みなさん、こんばんは、遅めの更新、嶋村です。今日も前回に引き続き英語教育の話をしたいと思います。


突然ですが、みなさんは微分積分が得意ですか?僕は全くわかりません(笑)。僕は高校で文系を選んだので、途中で難しい数学とさよならしました(文系数学は勉強しましたが)。けれども、世の中に、例えば解の公式を覚えていて今でも使える人ってどれくらいいるのでしょうか。結局数学って使わないと忘れるし、それはそれで今生きていて大して困っていません。同様に国語文法の活用や助詞の用法をいろいろ覚えてはいませんが、別に困らないし日本語は話せます。昔都道府県の県庁所在地をせっせと覚えたんですが、細かい地方はちょっと忘れてしまいました。大政奉還はうちの近所の二条城が舞台となったそうですが、何年に行われたか知ってますか?


以上の問いに「いや。。。」と答えた人は学校教育を批判しないといけませんね、つまり「俺が数学ができないのは学校教育が悪いんだ!」って(笑)。しかし、僕の知る限りそういうことはなさそうです。「現状を受けて日本の数学教育の改革をしなければならない」なんて聞いたことがありません。しかし、この点で英語は不思議でみなさん熱心に批判をなさるそうです。「なんで英語だけ?」って思いませんか?こういう意見は先週のブログで紹介した雑誌にもありました。


結局我々が学校で学んでいるのは教科としての英語なんですよね。なのでそれを実生活で使うかどうかは意識していないと思います。中学校の先生が、日本人の英語で this is a pen を「でぃすいずあぺ~ん」と言っても問題がないわけです。だって、我々は英語という教科を学んでいるわけですから。別にそれを実生活で使うかどうかは人それぞれですし、多分、日本に住んでいる多くの人が「英語を話せないと生活に困る!」みたいなことはないでしょうね。翻訳機も充実してますし(笑)教科としての英語、すなわち我々は英語という言語の仕組みを勉強しています。主語がどれだとか不定詞はああだこうだっていう具合ですね。こんなことをしていてはもちろん英語を話すということに直接関係ないかも知れませんが、しかし言語に対する「気付き」を持つことができます。この「気付き」は英語というよりは母語の方にあるべきだと僕は思っていて、つまり英語を通して日本語を見つめ直すということなんですね。言語(英語)の仕組みを語る上で言語(日本語)を使っているということを理解していない連中が、やれコミュニケーションだ、グローバル化で英語は必須だ、だからとにかく話すことが大事なんだ、文法はいらないとか愚かなことを言うわけですね。他の言語を理解する時に必要な知識を記述する言語をメタ言語ということが出来ますが、このメタ言語的な力が大事だと思います。これは結局(才能と)努力で身につけるしかありません。数学が得意な人がいるように英語が得意な人がいる。それでいいんじゃないでしょうか。僕は英語を話さないと困るという状況になったのは大学院に行き始めてからで 20 代の後半でした。まあそれなりに英語が使えています。なので、どれだけ早く始めたかではなく、どれだけ、メタ言語的な能力も含めて、学習する能力が高いかによるのだと思います(別に僕自身が頭がいいって言っているわけではないですよ 笑)。なので、今回文科省がやろうとしている改革は結局何にも変えないと思っています。出来る子は出来るし出来ない子は出来ません。例えば、小学5年生に微分・積分を教えたいと思いますか?まあうまくいくかも知れないしそうじゃないかも知れません。そんなもんです。なので、まず冷静になって基礎的な思考力や学力を養ったほうがいいと思います。


僕は自分の娘にピアノを習わせたいと思っていますが、多分それは自分がピアノを弾けないからです。けれど英語を早いうちから学ばせようとは思いません。だって、自分はどうすれば英語を話せるようになるのか知っているわけですし、どの程度のレベルの英語を話すべきかも知っています。なので、今の英語教育改革は何ていうか「自分の子供を英語が話せるようにしたい」、「英語が話せないとダメなんだ」っていう何も知らない国民の恐怖心というか劣等感を煽るような気がして気持ち悪いですね(笑)。


まあ今日はこの辺で。来週からはもう少し楽しい話をしたいと思います。。。

2019.03.22

英語教育の話 その2

みなさん、こんばんは、嶋村です。今日は前回に引き続き英語教育の話をしようと思いますが、その前にちょっと別の話を。。。


まず今日は卒業式と卒業パーティーだったそうですね。まあ僕はゼミも持ってないし、おめでたい場所に行っても余計な一言でおめでたい雰囲気に水を差す性格なので、自宅待機しております(笑)とりあえず卒業される学生さん、おめでとうございます。これからの人生色々大変だと思いますが、自分が納得いくようなものになるように過ごされることを願っております。僕も色々もがいている最中です。


さて、卒業される学生さんは新たなスタートを切りますが、昨日自身の人生のサイクルに一区切りをつけた人がいました。プロ野球選手のイチローさんですね。僕はスポ健ではおそらく No. 1 にスポーツ好きではないのですが、まあ父親の影響で野球は時々見ます。父親は東京出身なので、嶋村家は基本的に巨人ファンです。そんな私が興味がある数少ないスポーツの野球ですが、イチロー選手の活躍でおそらく僕が最初に知ったのは中学3年生くらいの時で、彼が初めて年間 200 本以上ヒットを打った時でした。その後メジャーリーグに行っても NHK の衛星放送でしばしば中継を見ていたのを思い出します。僕自身は 39 歳になり 40 歳も見えてきましたが、ものすごく長い時間一流の選手として活躍されてきたのだなあと思うと、その努力やストイックな姿勢に感銘を受けざるを得ません。引退に関して「後悔はない」という事らしいですが、自分が今の研究者のキャリアの一線から退く時に同じようなことが言えるようになりたいと昨日の引退会見を見ていて感じました。ま、僕の言語学の仕事なんて大したことないですが、一応気持ちの問題ね(笑)


閑話休題、英語教育の話ですね。今日は英語教育と「グローバル化」の話をしたいと思います。ところで英語教育の話でブログを書いてみようと思ったのは、実は奥さんが買ってきた雑誌でこの話題の特集が組まれていたからです。集英社がクォータリーで出している kotoba という雑誌があり、最新号の特集は「日本人と英語」という内容でした。様々な英語教育に関する専門家のインタビューや対談が掲載されています。たくさん面白い記事があったのですが、その中で九州大学の政治学者、施さんのインタビューはとても面白いものでした。彼によると現在日本で見られる政官財一体によるグローバル化の推進とは、「土着」から「普遍」への一方通行的な変化を推し進める流れであるそうです。日本において言語的に言えば「土着」とは日本語で「普遍」とは英語です。しかし、施さんはこのグローバル史観は非常に浅薄であると警鐘を鳴らしています。というのも歴史的に近代化とは全く逆の流れ、すなわち「普遍」から「土着」へ推移してきたというのです。例えば、中世西欧諸国のエリート層の言語はラテン語であり、一部の人々しか解することができませんでしたが、ラテン語により高度な知の体系が記述されていたそうです。しかしそのラテン語が土着の言語(ドイツ語、フランス語など)に翻訳される事で一般庶民の社会参加が可能になり近代化が進んだという事だそうです。先日杉田玄白の解体新書の翻訳の話が NHK で放送されていましたが、日本の近代化も過去の偉人たちが外国の書物を一生懸命に翻訳し、それが世の中に広まることによってもたらされたのだと思います。話を元に戻すと、施さんが訴えているのは、今我々が目撃している英語教育の改革への流れは一部のエリート(グローバル企業や投資家)による力が一般国民の民主的な民意を超えた結果であるということだそうです。英語を話せる人材は必要ですし、もしその人材が賃金の安い国から雇えれば企業としては助かりますよね。日本も海外からの労働者を受け入れようとしているそうですが、そのような政策への反動は世界中で見られているのはみなさん後存知の通りですね(Brexit とか)。


僕が以上のような議論を読んで感じたのは、やはり今の英語教育の改革とは政治・産業界からの詭弁的な説明による教育のことを全く無視したトップダウン的な改革ではないのかということですね。現場の人間から言わせてもらうと、今行われている英語改革はおそらくなんの結果ももたらさないでしょう(この辺の話はまた来週)。グローバルな人材とかコミュニーケーション能力とか見た目はファンシーな言葉がしばしば使われますが、結局国民がこれらの用語の明確な定義をわかっていないと思います。例えば「グローバル化」って何ですかと質問されても、正確に定義することなんて難しいのではないでしょうか。先日紹介した文科省のホームページには東京オリンピックのことが書かれてありました。あるいは、インバウンド需要でたくさんの海外からの観光客が日本を訪れるということを言及してもいいかもしれません。しかしこれら全て上辺の話で、本当の真意が別にある、すなわち施さんのいうようなところにあれば我々一般市民は騙されるいるということになります。あるいは英語教育改革によって教育産業を儲けさせることになるかもしれません(笑)


またコミュニーケーション能力といっても結局企業で必要とされている英語能力なのだとすれば、別に英語を話せなくてもいいのではないでしょうか。最近はさまざまアプリが開発されており、ややもすれば英語を話せなくても意思疎通が可能な時代になってきました。結局のところ「英語ができる」というのが、世間の人にとって「ペラペラ」ということを想起させてしまうことに問題があるのではないかと思います。僕から言わせれば「ペラペラ」なる必要はありません。どんな形であれ、たとえアプリ使った意思疎通であれ、コミュニーケーションは出来ます。どっかの企業のお偉いさんが、「うちは会議は全て英語だ」と言ったって、通訳を介せばいいじゃない、あるいはアプリを使えばいいじゃないと思ってしまいますね。じゃあ、なぜ学校教育でなぜ英語を勉強する必要があるのでしょうか。英語を勉強しなくてもいい時代になるのなら、僕の大学における存在価値は(今のことろ)無くなってしまうわけです(笑)


続きはまた来週。あ、ちなみに今日も何か新しい写真があるわけではありません(苦笑)。。。