2016.06.01

平和

1回生の小クラス(基礎演習クラス)も、まだ(もう?)2か月ですが、ずいぶんと馴染んできました。高校までと違って、自分で動かないと何も始まらないことや、スポーツや自分の夢に向かって突き進む隣近所の友だちを目の前にし、人としての刺激、知的な刺激、自分らしくあるための刺激…などなどを受けながら過ごしているようです。

先日は、教室を飛び出して、3クラス合同で衣笠キャンパスにある「平和ミュージアム」に出かけてきました。いつもと違うキャンパスに集合でしたので、バスの路線に迷ってしまった学生もいましたが、無事に見学することはできました。

最初に、戦争とスポーツとの関わりについてお話しいただき、その後、ボランティアガイドの方々に各コーナーで説明を頂きました。ここ数年は、学生たちの戦争・平和に対する意識が強くなってきているようだとおっしゃっていました。ただ、まだまだ新聞を読まず、社会情勢のことに疎い学生も…と。
これからの社会を創るのは、間違いなくこの世代の学生たちですし、“ふつう”に生活できて笑い合えることが一番幸せだということ、それが維持できる社会・世界を強く支える存在であってほしいと思います。



ミュージアムの中には、目の前にいる学生たちと当時同じくらいの年齢の方の、とても才能豊かな絵が残されていました。そこには、飢餓死されたとも記されていました。食べ盛りの、本当ならどれだけでも好きなことをして活躍してもよかったはずなのに…と、改めて戦争の惨さを思います。この絵が今の時代にも生きていることに、何とも言えない想いがします。
泥まみれになったリュックを、母親が手洗いしたというものも残されていました。どんな思いで、こんなにきれいになるまでごあごあしそうなリュックを手洗いしたのだろうと、子どもを想う親御さんの愛情の深さを思います。

貴重な展示物の数々を、学生たちが自分の足で歩いて、時間をかけて一つ一つ見ていたこと、時間が足りず、また見学に来たいという学生がいたことは、この機会が十分に活かされたような気がしました。
大学にこのようなミュージアムがあること、ガイドの皆さんのご尽力は本当に貴重なものだと思います。

“ふつう”がふつうでなくなったときの喪失感だけは、可能ならば(努力でなんとかなることならば)、だれにも味わってもらいたくないものです。



見学を済ませて、授業に間に合うように、自分たちのキャンパスまでバスでみんな揃って小旅行です。
何かを記憶に留めてもらえることを願っています。

ippo