2018.03.03

弥生三月

 ここ数日穏やかな早春の陽光に誘われ、昼食後キャンパス内を散策しながら、枯れた芝生の間から名も知らない緑の野草の芽吹きに春の気配を感じています。3月に入る頃には高校生の卒業式がほぼ終わるせいか、いつもの通勤電車で会う高校生の数も少なくなり、代わりに真新しい黒い鞄を持ったリクルートスーツ姿の大学生が、会社説明会に出席のためか、スマホの操作をしている光景を見かけるようになりました。

 先日閉会したピョンチャン・冬季オリンピックで魅せた選手の活躍の余韻がまだ続いていますが、我々の世代では冬季オリンピックというと47年前に開催された札幌オリンピックでの、“日の丸飛行隊”と呼ばれた笠谷、金野、青地の3選手が70メートル級ジャンプで金、銀、銅のメダルを独占し、3本の日の丸が掲揚された場面が今なお鮮明に思い出されます。また、この大会は、アマチュアリズムの権化ともいわれた当時のIOC会長(アベリー・ブランデージ)と、FIS(国際スキー連盟)をはじめとする競技力向上のために商業化を推進するグループとの対立が明らかになった点でも、体育史的には今日の商業化への分岐点になった大会とも言えるのではないか思います。多くの世界大会への出場、競技力の向上には多額の費用を必要とすることは明白であり、スポーツの発展は一人スポーツ界の発展・興隆だけでなく、社会経済的な発展、社会環境の豊かさにもつながることは、スポーツ関連産業数兆円と言われていることからも明らかです。原理主義的な狭いアマチュアリズムでは、スポーツはごく一部の特権的な階層(ステート・アマも含め)のみで行われ、今日のような発展は望めなかったのではないかと思います。

 まだ、少なくなったとはいえ遠くの山々は雪を頂いており、時折冷たい風が通り抜ける中、学内では、多くのクラブが来シーズンの活躍に向けて本格的な練習が始まっています(写真)。毎年繰り返される光景とはいえ、人は入れ替わり、また、昨日と違う自分の取り組みを実感しつつ日々の練習に励む姿には、一つの区切りと新たな挑戦に向けた元気がもらえます。(老ブロガー・ハル)