2018.03.10

だれもが、いつでも、どこでもスポーツを

 標題は奈良県のスポーツ振興の為のキャッチフレーズの一つですが、活き活きと安心して健やかに暮らせる健康長寿奈良県をめざし、スポーツによって生活をより充実したものとすることをねらったものです。その施策の一つに、“子どもを健やかに育むスポーツの推進“があげられています。

先日、その展開事業の一つとして、暖かな初春の陽を浴びて県内39の市町村対抗子ども駅伝大会(参加資格;県内在住5~6年生男女児童)が橿原運動公園で開催されました(写真)。大会の運営には、橿原高校をはじめとする地元の多数の高校生がボランティアとして参加してくれ、大いに盛り上げてくれました。選手達が男女チーム一丸となって襷をつないでいく姿は真剣そのもので感動を覚えるものでしたし、その日の活躍は小学時代の想い出となる大会になったのではないかと思います。



  学校の垣根を越えた各市町村の代表ではありますが、北部の都市部では個々にチーム編成が可能なものの、南部の過疎地域では複数の村でチーム編成を行うなどの苦労もあったようですが、チーム成績にそのようなハンディーが必ずしも影響してないように思えました。多くの子供たちは学校ではなく、日頃、総合型地域スポーツクラブに参加しており、そのクラブの数や充実度がそのまま各市町村の成績に表れたような感じでした。異年齢の子ども達に広い運動経験の機会を提供し、選手の育成を目指していく総合型地域スポーツクラブの存在が益々重要になってくると思います(地域の部活とも言われています)。特に施設面よりも指導者の存在が重要であり、それを支える財政的な基盤創りをいかに進めるかが重要な課題となると思われますが、何よりもどのような哲学をもって指導に携わるか(理念)が最も大切と思われます。賛否両論があるかと思いますが、早期に能力発掘=タレント発掘?の一環として、子どものスポーツ英才教育として位置づけるのか、遊びの延長としてスポーツの楽しさや他者との交わりの中で育まれる社会文化的価値の享受として位置づけるのかによりその性格は異なってくると思います。保護者や子ども達の多様なニーズに応えられるだけの資質のある指導者の存在が重要となると思いますが、その育成は、筆者の地元奈良県でのスポーツ振興審議会でも重要な検討課題の一つになっています。(老ブロガー・ハル)