[ 2013年03月 ] の記事一覧

2013.03.11

R-Sportsプログラム

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限られた場所でもおこなえる『R-Sportsプログラム』が刊行されました。写真はその表紙です。2年前の今日、東日本大震災が発生し、甚大な被害が発生したことを忘れている人はいないでしょう。いまだ復帰のかなわない現状の中で、仮設住宅暮らしを強いられている大勢の方がおられます。その仮設住宅の多くは、学校の校庭にも建てられています。早期の復興を願いつつ、校庭での身体活動が制限されたこどもたちの健やかな成長のために、立命館大学スポーツ健康科学部がお手伝いできることは何か?と問いかけ、岩手県にある中学校の現状把握と協力のものとにできあがったのが、この『R-Sportsプログラム』です。その中心的役割は、【moto】先生が担ってくれました。実際に現地でこのプログラムを実施してもらい、持久力、筋力、柔軟性が高まることも検証されています。このプログラムが、これからの復興を担う子どもたちの健やかな成長の一助になれば、と学部教職員一同心より願いを込めております。

 

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<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

インテグレーションコアとラルカディアをつなぐ103m廊下でのスプリント実験です。屋内で風の影響もなくできる実験環境は魅力いっぱいです。でも準備には多くの人手が要ります。今回の井guchi君(M1)の実験には、研究室以外の学部生の応援が多数ありました。協力してもらいながら、スポーツパフォーマンスの測定現場と研究手法にふれてもらいました。興味ある方は是非お手伝いをお願いします。

【忠】

 




 

2013.03.10

東京五輪雑感あれこれ

2020年夏期五輪招致を目指す東京都の開催計画を調査する、国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の視察が4日に始まりました。97日のIOC総会投票日まで、他の候補都市(マドリッド、イスタンブール)との約半年間の招致レースが本格化したわけです。先週の各社メディアでは、政財界のトップ、皇室、五輪メダリスト等を大量に動員し、「オール・ジャパン」でのアピールと「おもてなし」が精力的に行われた様子が、詳しく報道されていました。都市開催が原則だと言うものの、オリンピックは、開催することは勿論このような招致レースに参加し勝ち残ることさえも「一大国家プロジェクト」の様相を呈していること、に私はあらためて驚きを感じます。

いくつかの特番やニュースの中で取り上げられ周知のことがらですが、今次開催に辿りつけば、東京五輪は2回目です。初回は1964年(昭和39年)で、その時私は中学3年生でした。その東京五輪が様々な分野での日本の「戦後復興」と「独自な飛躍」とを国際的にアッピールする絶好の機会であったこと、またスポーツもその大きな潮流に乗っていたこと等々を、後々の「体育教育コース」の学生になってから「スポーツ社会学・スポーツ史」等の科目の勉強を通して知りました。

スポーツの研究・教育を通して五輪のことを意識するのはそうかけ離れたことではなくなりました。立命館学園の学生、OB・OGが日本の五輪代表選手、役員になるのは、今や珍しいことではありません。メダリストになっている先輩達もいます。スポーツ健康科学部の卒業生や現役学生がやがてそうなることや、スポーツ関連諸科学や多様な仕事を通じて五輪に関わる人たちが多く排出されることが期待されます。

 

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ところで私の研究室には一枚のパネル写真が掛けてあります。初回東京五輪のときに作成された数種類のうちの1つです。これはかつて私が文学部所属だった時の先輩の先生(百田丈二名誉教授)から頂いたものです。私が立命館に赴任した当時(1978年)は衣笠、保健体育教室講師控室(後に体育課事務室)に掛けてありました。その衣笠に来る前は広小路体育館(現京都府立医大体育館、京都御所東側鴨川沿い)にありました。東京の初回五輪時に自転車競技関連の競技役員として同先生は関わり、余っていたポスターの何枚かをパネルにしたものの1枚だということでした。

このパネル写真が立命館大学ともつ関連はもう一つあります。添付の写真からは判別できませんが、それは、右下に小さく「photed by Osamu Hayasaki」と書いてあることです。このポスター作製の写真家は、早崎 治(はやさき おさむ)氏で、人名録には次のように説明されています。すなわち、〔日本広告写真家協会元会長。京都府京都市生まれ。立命館中学校・高等学校、立命館大学経済学部卒業。大学在学中は写真部に所属、写真に熱中し写真雑誌への投稿を始める。卒業後、写真評論家重森弘淹の紹介で広告制作会社「ライトパブリシティ」入社。東京オリンピックの一連のポスター(196263年:亀倉雄策と共同製作)が反響を呼び、イタリアで開催されたポスター展でもグランプリ。その後、「早崎スタジオ」を設立。商業広告写真を中心に、幅広く活躍。19931111日、取材中の転落事故により死去。〕とあります。

 同氏を直接知るOB・OGの教職員の人々もすでに退職しておられるはずです。ポスターを通じて五輪に関わり、その名も国際的になっていた立命館OBの存在の意義を少しは肌で感じていました。そのせいもあって私は研究室にずっと掛け続けたのかもしれません。第2回目の東京五輪開催の実現の成否にかかわらず、私はインテグレーションコアの何処かにひっそりと掛けてやりたい気がします。それによって、このポスターが新たな「立命スポーツ」姿を目撃するはず、と私は思います。

 

【善】

 

 

2013.03.09

FD研修

FD(Faculty Development)という言葉をご存知でしょうか? FDとは「教員が授業内容、授業方法、教材などを改善し向上させるための取り組み」のことを指します。以前の大学では、教員が授業を行い学生を評価するのみでしたが、現在では、学生も教員の授業内容や授業方法を評価する取り組みが一般化しています。この授業評価のシステムもFDの一環になります。

昨日は、スポーツ健康科学部の全教員を対象に、9時から17時半まで丸1日をかけ、FD研修が行われました。「基礎演習」や「研究入門」といった小集団科目の授業内容や今後の改善点、附属校との連携、進路就職情報の現状把握や課題確認、そして、2020年に向けた教育・人材育成目標など、グループワークを取り入れながら盛りだくさんの内容で構成されていました。

このFD研修、他大学においても実施されており特に珍しいものではありません。しかし、学部の全教員が集まり、丸1日かけて徹底的に「いかにして質の高い教育を提供できるか」という点を知恵を出し合って議論するという取り組みはあまり聞いたことがありません。また、教員だけでなく、学部事務室で直接的に学生をサポートして下さっている職員の方々もFD研修には参加されています。

このブログでもこれまでお伝えした通り、立命館大学スポーツ健康科学部にはたくさんのアピールできる点があります。たとえば、MRIや低酸素室など最先端の施設機器、そして、遺伝子からヒト全身、社会との繋がりまですべてを網羅した最新の研究が展開されています。また、英語の学習プログラムも大変良く整備され、自分の考えを英語で伝える能力を高めるためのプロジェクト発信型の取り組みが行われています。入学説明会などでは、私もこれらの点をアピールしています。

しかし、最も誇れる点というのは、最先端の設備といった「ハード面」ではなく、教育の質を高めよう、社会をリードする人材を育成しようという強い志をもった教職員のチームクーワだと感じています。設備や教室はお金をかければ整備できます。けれども,円滑な組織や人の繋がり、チームワークはいくらお金を投資しても簡単には構築することができないものです。

今後、私達が解決すべき課題は多数ありますが、高い志をもったスポーツ健康科学部というチームの中で「教育」について1日考え、大変充実した時間を過ごすことができました。しかし、大事なことはこの取り組みを学部・大学院生に対して還元すること、来月からの授業開始に向けて良い機会になりました。

GOTO

2013.03.08

資格更新を終えて

先日、2度目となる5年ごとの資格(臨床発達心理士)更新審査合格の通知が送られてきました。筆者にとっては数少ない最初の資格でもありました。取得してから10年になりますが、この5年間は私的な事情によりコンスタントに研修時間が取れず、2年間で5年分の研修を受けるのに幾度も東京に出かけたりしたので、今回の通知は格別でした。元々、資格と適性や能力は別であると、資格ブームに異を唱え、定年後"資格や免許は無くても生きていける"といった本でも書こうかなどと粋がっていましたが、前任校で附属中等教育学校長併任となった時に、対保護者対策として、教員免許を持っていない身だったもので、種々の判断・決定の説明責任を果たすのには必要かと、宗旨替えをしてしまいました。

先程、資格と適性や能力は別と書きましたが、少し次元が異なるかも知れませんが教育の効果についても言えるのではないかと思います。一般には教える側の経験に比例して教育効果は高くなると思われていますが、必ずしもそうではなく、経験の浅い、何かと戸惑うことの多い新人の先生(管理職としては不安がありますが)のクラスに活気があり、生徒が熱心に取り組んでいる場面を観、経験知?以上に教える側の人間性の大切さを感じることがありました。(老ブロガー・ハル)

2013.03.07

運動と健康についてのエビデンス(証拠)その9

 Hamaです。

 今回は、身体活動度と前立腺癌予防との関連についてお話します。

 まず先にお断りしておきますが、実はこれらの関係については、はっきりしていない部分もあります。

 一般的には、身体活動度が高いと、約30%程度、前立腺癌の危険性が低下します。

 また、心肺機能が高い(おそらく日常的に活動的な生活を送っている)人たちは、その機能が低い人たちに較べて前立腺癌になる危険が70%程度低くなるとされています。

 しかし、身体活動と前立腺癌との関連は見られないとする研究もあります。研究していてもいつもクリアカットな結果がでるものではないのですね。

 今回は結論がはっきりしないデータを紹介しましたが、今後研究が進んで身体活動度と前立腺癌との関連が明らかになることでしょう。

【参考文献】
Physical activity and urologic cancers.
Wolin KY, Stoll C. Urol Oncol. 2012 Sep;30(5):729-34.


【Hama】


2013.03.06

アメリカの教室から

おはようございます。ma34です。
 
一昨日まで一週間、アメリカのアリゾナ州ツーソン(Tucson)という町に行っておりました。
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ここは、私が研究対象としているWhole Languageの発祥の地といえるところです。
Whole Languageとは、ホリスティックな(全体的な、人間的な、というとわかりやすいでしょうか)言語教育を志向する考え方の一つで、1980年代にアメリカ国語教育において盛り上がりを見せ、途中色々な批判に遭いながらも、現在のアメリカ国語教育の根底に流れている考え方を築いたものだと言えます。


  簡単に言えば、ドリルやワークブックを使いながら、知識や細かな技術を教えこんでから物語を初めて読みましょう、というのではなく、そうした表面的な知識や技術を強調せず、何よりも読むこと、書くことなどの言語の豊かさ、面白さを感じ、子どもの主体性を尊重した活動のなかで自然と知識や技術の習得を目指しましょう!という考えです。
(簡単に言えていますでしょうか?】

  今回の訪問では、小学校での授業見学、短大での外国語教育の授業見学、幼稚園年長さんの課外活動などの他、Whole Languageの第一人者、Ken Goodman(アリゾナ大学名誉教授)も訪問し、インタビューを行いました。

  とくに私が印象的だったのは、小学校の授業、幼稚園の授業です。
  一つは、WLの教師であっても、アメリカ全体を覆う「学力テスト」の圧力によって、テスト対策の授業を「やはりやらねばならない」と感じ、たとえば文章を読んで「同義語」の選択肢を選ばせるためのストラテジーに焦点化する時間があったりしました。
  テストの結果に翻弄される、学校や教師の実態が少し垣間見れる時間でした。

  けれども、やはり、子どもの主体性、子どもの生活のストーリーの中で、読み書きの指導が統合化されていることはWhole Languageを掲げる教師の授業だなあと感じました。
 たとえば、クラス・学校全体でエコに取り組む活動をしているのですが、そのなかで、子どもたちが学校の他の子どもに意識を高めてほしいという思いから、ビデオメッセージを作り、構内で流す準備をしていました。
 2年生の二人のペアを観察していましたが、「鉛筆の使い方」というタイトルで、コマ割りやスクリプトを話し合いながら、作っていました。こういう活動のなかで、必然的に言葉についても意識が向き、どんな風に言えば伝わりやすいかな?どういう言葉を使ったらいいのかな?と、教師の絶妙な支援のもと、作っていく様子が見られました。

 日本でも、総合学習ではこのような様子が見られるかと思います。けれども、各教科がそうした活動に有機的に結び付けられてはいないのではないでしょうか。
 今回見学した授業では、子どもたちのエコ活動・自然についての学習を軸に、国語や算数(たとえばサボテンガーデンの観察をした時間を足してみる)、理科(構内に新たに植える植物について学び、提案することや、サボテンガーデンの季節の移ろいを観察する)、美術(自然の移り変わりを作品にする)・・・など、教師の計画という視点から、かつ子どもの活動、思考という視点からも、すべてつながりをもったものとなっていました。

 今回の出張では、色々な刺激をもらい、日本の学校教育を相対化して見る視点を色々と手に入れることができたように思います。
 途中、カメラの不具合やICレコーダーをどこかに落として大捜索してもらう、というお決まりの私のドジ場面もありましたが、何とか無事に終えられてホッとしています。

 4月からの授業場面などでもお話ができるとよいと思っています。

 長くなりましたので、とりあえず今日はここまでにします★

  今日はこれからmoza先生とO友先生とともに愛媛出張です。そんな日の朝なのに、先日の情熱大陸「命の授業」を見ていたら、涙が止まらなくなりました。
 高校の実践で、受精卵から育てた鶏を、自らの手で解体して食べる実践です。
 色々考えつつ見ましたが、生徒さんたちの思いや表情に突き動かされ・・・
 今日はこのまま、泣きはらした目で出張です^^

 命の授業についても、いつかまた書きたいと思っています。
 スポ健での大事なテーマの一つだと思うのですよね・・・。

 それでは、みなさまも良い一日を。


 ma34.


2013.03.05

出張が続く・・・

不思議なもので、出張は、最初に企画始めた時は楽しいのですが、
だんだん重なってくると、苦痛を感じてきたり・・・(笑

先々週金曜日は、有馬温泉観光協会へヒアリング(日帰り)
先週火曜日夕方から木曜日は、鹿児島で運動とコミュニティに関するヒアリング(2泊3日)
金曜日は浜松へサービスラーニングの打ち合わせで出張(日帰り)

明日、明後日は愛媛で子どもの運動に関わるヒアリング(1泊2日)
来週の水・木はアジア太平洋大学で大学生協の会議(1泊2日)

です・・・

そうこうするうちに、2014年度の新入生が入学するまで、
残すところ2週間。

ほとんどの出張が移動時間が長く、現地滞在が短い、
というスケジュールで・・・

ついでに、年度の終わりになっているので、飲み会も多く・・・

いや、こんなことを書くんじゃなかった・・・




さて、最近TPPの話が世の中で多く出ています。

TPPは単純に言えば、国の間の壁を低くして、
モノや情報の流れを良くしていこう、というものになります。

賛成する人は、日本の国は輸出・輸入がよりスムーズにされることで、
国自体が良くなっていく、と考えていて、
反対する人は、開放する事だけでなく、将来も見据えた上で、
戦略的に保護していく事も重要だ、ということになっています。

特に、農業がどうあるべきか、という話と関わってきます。
現在、米を輸入する際にかかる関税が、778%かかっています。
1000円の米を輸入すると、1000円+7780円(関税)=8780円になります。

これだけ見ると、関税はない方が良いのではないか、と思うかもしれませんが、
食料の自給率、つまり日本国内で生産されない物は、
平成23年度でカロリーベース39%、生産額ベースで66%です。
(参考 http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/pdf/23slide.pdf)
つまり、安価な輸入食料が日本で生産されたものよりも量が多い、
ということになります。

当然、スーパーに行けば、輸入牛肉と国産牛肉の価格差は大きく、
日常的に買う物は輸入牛肉が多いと思います。
だから、食べ物が安くなれば良いので、関税は廃止した方が良い、
と言うこともできると思います。

ただ、輸入している食料は、世界中で取りあっているモノも多く、
ちょっとした天候の不順で、価格が大幅に上がっていきます。
最近では、大豆も中国の購入量が増え、価格は上昇している傾向にあります。
以前にも、小麦価格の上昇から、小麦を使っている製品の多くが、
値上げがされた時がありました。

もし、世界的な穀物を巡る競争の中で、日本が買い負けたら、
日本国内に食品が入らなくなり、危機に陥る、という可能性もあります。
そのため、一定の保護をして、何かあった時のための食料を確保しよう、
という保護する、という考え方もできます。

これは、立場が違う考え方なので、どちらが正しいとは言い切れません。
むしろ、その人が何を基盤に考えているのか、という考え方の違い、
によるものになります。

私自身は、安全や消費の側面から見ると、
地産地消と言われるようなできる限り地域で生産し、消費していく、
と言う方が望ましいと思ってはいるのですが。

今日はこのあたりで。
ではでは。

PS:宴会が多すぎ・・・先々週は2日、先週は3日、今週は1日。
財布も貧乏になっていきます(T_T)
2次会控え目で3月末まで走りきってみます・・・

2013.03.04

草原の椅子

宮本輝氏原作の同名小説が映画化され話題となっています。宮本輝氏の作品には以前から刺激をもらっており、考え方にも影響を受けています。『草原の椅子』も小説で読んでおり、ある年代に達した大人たちが後半生をどのように生きるのか、過ごすのかを考えさせられました。同時に、小説にもでてくるフンザの砂漠をみてみたいという気にさせられました。今回、いままでどの国も、どの映画会社も行っていない、フンザでの撮影によって映画化された『草原の椅子』で、7000m級の山々に囲まれた砂漠を鑑賞できました。映像の中の見たこともない景色は脳を活性化してくれたようで、これからの仕事、教育、研究、人生についてのチャレンジを喚起してくれました。

<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

銀座の松坂屋裏のフェルメール・センター銀座で開催中の「あっぱれ北斎!光の王国」を鑑賞してきました。日本が生んだ天才絵師と称される北斎の『冨嶽三十六景』などがリクリエイトという手法で当時の色が再現されています。初めて作品をみて、その構成と手法に魅了されました。ヨーロッパの印象派に影響を与えたといわれるのも納得です。チャンスがあれば是非に。

【忠】

 

 

 

 

2013.03.03

スローに

先週金曜日のスポーツ健康科学セミナーで、田中宏暁教授(福岡大学)によるスロージョギングのお話を聞く機会を得ました。スローステップとともに同語は、先生たちによる造語だとのこと。また有酸素性能力の維持・脂肪を燃焼させるエンジンとしての筋肉量の維持が熟年・高齢者にとっては重要なこと、それに瞬間的運動強度の弱い超スロージョギングであってもかなり効果が期待できること、さらに運動の仕方への提言だけでなく参加者が楽しく継続的に参画できるイベントや望ましい運動習慣形成への助言まで、先生たちのグループの研究と幅広い取り組みについて、興味深いお話を聞かせていただきました。

 門外漢の私ですが、ジョギングと有酸素性作業能の関連など「やっていて・できる」と思っていましたが、「できても」「分かっていなかった」ということが分かりました。

 

私が研究関心をもつ「運動学習の指導過程」についても、同じことが言えるように感じました。従来、「できる」→「分かる」→「分かって・できる」→「分ち伝える」という風に、運動動作発達や習熟過程を表現してきました。また、体育授業の1単元という極短期間でなく、少なくとも2~3年間以上の長期に渡る「学習者の自己変容」の段階的移行を仮定してきました。

「できる」は「手続き的知識」とおおいに関係しています。歩く・走る・ステップを踏むなどの移動・律動運動やヒモ結び・把握・投捕のような操作運動は、模倣と反復によって「自分自身を纏め上げていく」ことに重点が置かれます。何とかことができたとしても、いかに組織化しているかが自分で十分意識化されていません。増してや他の人が分かる形で言語的に説明することはかなり困難です。

次の「分かる」段階への移行はかなり複雑で、個人差、条件差が大きいと考えられています。ある程度できればそれなりでいいのですが、「周囲の文化環境」によって人々の経験がここから大きく異なっていくと仮定されます。もっとあの人のように上手くなりたい(ロールモデル)、このような状況の不成功やミスを克服したい等々、プレイや運動目標に対する個々人の注意の焦点が多様化・特定化、分散化していきます。一時的に下手くそになったり、時には目標変更や放棄などが生じたりします。初心・初級段階の技術水準なら、ある程度の期間さえ継続すれば、ほとんどの人がここをクリアするはずと思われます。けれども中級段階に達するまでの数年間が問題で、「成功例だけが結果として報告」「勝利・記録達成の結果をもたらせた内容・方法が指導方策として注目」される状況です。

次の「分かって・できる」段階は当然、前の段階と重なっています。中学後半から高校生、時には大学低回生までがその範囲に入ると仮定されます。ここでの特徴は、「教えられ、反復したことを再現する」ことだけでなく、「目の前の新奇な事態に対応する自己イメージを強く描き、対応の仕方を変化させる」ことだと仮定されます。自分勝手な思い込み、他の人のプレイやその考え方に対する強い要求が出現し、個々人にとってもそのコントロールが「人格発達の課題」になるところです。ミスに対する指導者との意見の食い違いが生じたり、指導者にとっては反抗的態度に映ったりすることがしばしばです。競技は好きだがクラブを外れ、その時の自分の段階にあった競技環境を得られず、競技自体から外れてしまった人がかなりいることも予想されます。

 

最後には、「分ち伝える」ということです。高校生や大学生の競技選手が、小学生や中学生にその競技の相手や指導補助を行っている姿を見かけ、その後の感想・競技やプレイ自体への新たな気付き等々を述べているのを耳にします。これが学習の最終段階かは、1つの仮説に過ぎません。でも、文化の継承・発展という観点からは「スポーツ教育」の基盤の1つであるあると考えられます。何もスポーツの教育・指導機関の指導者という形ではなく、多くの人々が親、地域住民、文化組織団体の実践者・関係者として世代を越えた関わりをもつと仮定されます。

日本国憲法の第25条にいう「健康で文化的な最低限度の生活」のレベルを保証することへの貢献や、生涯に渡るそれの実現が「教育」の大きな課題だと仮定すれば、冒頭紹介した、「スロー」ということはいくら強調されてもされ過ぎということはありません。運動(運動競技)は早く・上手く・強くなることに値打ちがあり、それを実現するのが「クラブ・練習、コーチング・指導者」だという具合に、(親・本人・指導者・社会風潮等から)一元的・効果効率化が求められていることが、昨今の「体罰・暴力問題」「部活・スポーツ離れ」を起こしている大元ではないかと、数々の識者から報告されています。運動学習の初期の段階をもっと「スローに」「多様に」「楽しく・継続」できるようにする意味ははかり知れないと思われます。そのことを田中先生のお話を聞いて強く感じました。ありがとうございました。

 

【善】

 

 

2013.03.02

4月からの授業に備えて

先日、国立スポーツ科学センターを訪問した際に、日本のスポーツ科学の発展を担う人材育成に関する話題になりました。とても内容の濃い話で、私自身、今後何をすべきか改めて考えさせられるとても良い機会になりました。

さて、3月に入り、次年度の授業開始まで約1ヶ月となりました。4月からはスポーツ健康科学部の学生に対して、「スポーツトレーニング論」と「エクササイズプログラミング論」を担当します。昨年も両授業を担当し、自分なりに授業内容を工夫はしましたが、改善の余地のある内容でした(あくまで自己評価です)。2月、3月の間に時間をかけて、じっくりと授業内容を練り直そうと考えていたのですが、相変わらずばたばたしているうちに、あっという間に3月になってしまいました。


ちなみに、1つ問題が・・・。「スポーツトレーニング論」と「エクササイズプログラミン グ論」、次年度は同じ曜日に開講です。多くの学生が両授業を受講していますので、授業展開を工夫しないと飽きられてしまうでしょう。。。いかにして、2 つの授業を連動させるか・・今朝は早朝から頭をひねっています。ただ、悩んでいるわけではなく、楽しみながらアイデアを出しています。私は、トレーニング科学分野の研究者としても勝負していますが、やはり一番大切にすべきものは普段の授業です。4月に向けて、しっかり準備したいと思います。

GOTO