1月10日は、年末に何とか書き上げた雑誌論文の推敲を要請されて、その最終〆切の日。「環境問題と健康教育」のどの部分をどのように書き改めようか思い悩みながら、久しぶりに「朝食」を摂りに生協食堂へ。いつものように、学生たちが「てんこ盛り」のご飯を一生懸命頬張っているのを目にしながら、ふと日本の食料自給率のことが頭を過ぎった。
食料自給率は、国内の食料消費のうち、国産品でどれだけ賄われているかを示す指標だ。品目別に自給率を見ると、米は98%、野菜は77%、魚介類は60%となるが、油脂類は3%、小麦は3%、畜産物は16%だという。生協の「朝食」はもちろん、上手に調理された食品が好きなだけ(もちろん必要なお金を払えばの話。)食卓に並ぶ。しかし、昨年9月の農林水産省発表によるカロリーベースで自給率39%という数値が教えてくれるのは、口にする食物の大半が輸入食品だということだ。そのような食料事情の下で、私たちは、「グルメ」を謳歌し、賞味期限がわずかに過ぎてしまった「コンビニ弁当」を惜しげもなく捨てるという「飽食」も味わっている。実に興味深い話だ。
ところで、鶴見良行『バナナと日本人』(岩波新書、一九八二年)は、バナナを通して多くのことを教えてくれた。私たちが「価格」や「栄養」や「安全性」だけに関心をもって口にするバナナの生産現場では、農家や労働者が搾取され、貧しくなっていること、そして、空中や地上で撒布されたり地中に注入されたりする農薬で人々の健康が害されること、さらには川と海に流れ大地に沁みこんだ農薬が環境を害することなどだ。
また、村井吉敬『エビと日本人』(岩波新書、一九八八年)は、世界有数の養殖エビ輸入国である日本が考えなければならない環境問題を気付かせてくれた。東南アジアのマングローブ林の伐採の最大の原因がエビ養殖池の造成にあるという。そうだとすれば、私たちが比較的安価で大量に食することのできるエビの背後に広大なマングローブ林の犠牲がある(村井吉敬「食料 エビの風景」窪田順平編『モノの越境と地球環境問題』昭和堂、2009年、p.34-35)ことになる。
バナナやエビを介して、私たちは食卓からでは見え難い、さまざまなことを学ぶことができた。食べる側と供給する側の距離の大きな隔たりは、自分たちの食べる物が、「どこで、だれが、どのように作り、どのように流通しているのか」について知ることができない状況を生み出す。そして、それが、地球規模での健康問題といったことにまで広がっていくということだ。
ここまで来て、以前「現代人とヘルスケア」の講義内容に引き寄せて、栄養・食に纏わる話を書いたのを思い出す。似たような内容であることはどうぞご容赦いただきたい。そして、結局、「環境問題と健康教育」の「推敲」原稿の方は、食料自給率や輸入食品の問題に触れること無く送ることとなった。これで「了」としたいところだ。 mm生