後期の授業が始まった。前期にはなかった講義科目を3つ担当する。まだ「受講者名簿」が出来ていないので、受講生の数は定かでないが、最初の「基礎調査」に回答を寄せた数でみると、「現代人とヘルスケア」が2クラスで、266人と216人、「学校保健論」が122人だった。夫々、中心となる「場」や「対象」に違いはあるが、現代日本の健康をとりまく諸事情を紐解きながら、その中心テーマは、「健康の社会化」というところにある。
確かに、健康の主体は私たち1人ひとりの「心や体」の問題であり、子どもたちのそれである。しかし、「人とコトとモノとの関係性」が言われるように、私たちは、1人で生きている訳ではない。周囲の人々との様々な関係は勿論のこと、歴史や伝統、習慣、規則、法律等々、さまざまな「事柄」との関係も蜜である。そして、「衣食住」とそれに付随するさまざまなモノがなければならない。考えてみれば、当たり前のことのようだが、結構この「関係性」を見落としてしまう。そんなことをじっくりと見据えながら、健康ということの重要性について、落ち着いて考えて行きたい、というのがこの「テーマ」に込められた思いだ。
これだけでも、結構「回りくどい」話だと思うのだが、講義の最初に触れるのは「地球の時代」の健康を考えるといったことで、学生をほとんどカオスの世界に引きずり込んでしまう。そのくせ、学生には「授業内容を良く整理して、是非コスモスの世界を形成して下さい」などと言うものだから、皆一様に「開いた口が塞がらない」といった風だ。 「地球の時代」とは何事なのだろうか。「健康とは何か」から始まって「健康の三原則に則った健康づくり」に至るまで、いわゆる「健康の主人公」である私たちが生存している場がどこなのか、その足元に目を向けてみようとする試みだ。そして、人類存続の基盤である地球環境との関わりにおける「時間的・空間的視野の拡大」によって今日の健康問題を把握してみようという意図を持っている。それは、地球環境の下で人間が「身の丈」に見合った生き方をすることの必要性について考えることになる。
例えば、小田 亮『ヒトは環境を壊す動物である』(ちくま新書、2004年)は、「環境破壊を生み出しているのもわたしたち人間だということです。人間ほど大規模に環境を改変してしまった種は他にいません。環境問題は人間にとっての問題・・・人間の本性がどのようなものであるのかについて理解」(p.8)することが鍵だと言っているし、遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』(光文社新書、2006年)では、「私たちヒトとは、地球の生き物として、一体何をしでかした存在なのか」(p.215) との問いかけをしている。
例えば、地球温暖化による問題として、①健康への直接的な影響 ②気候の変化 ③海水の膨張や極氷の溶解による海面の上昇 ④森林での植生の変化(生態系全体の変化) ⑤食料生産への影響、などかあり、結局は、「生活の場」における人間生活への影響となって降り懸かってくる問題であり、健康問題だ。しかし、仮に地球温暖化の被害があったとして、その顕在化は、50年先100年先であり、被害者は次世代そして次々世代ということになるし、私たちの「生活の場」から遠く離れたところであればあるほど「身に降りかかる問題」として自覚することは難しい。
それ自体が簡単ではない「地球環境問題」とわが身の「健康問題」を、
どのように繋ぎ合わせて考えていけるのか? 受講生には、身近で具体的な
健康問題にもじっくり目を向けながら、落ち着いた学びをしていってほし
いものだ。 mm生