就職活動のみならず、カウンセリングにおける自己洞察や自己理解といった自己の分析手法としてよく用いられるのが、「ジョハリの窓」です。
これは、そもそも心理学者のジョセフ・ルフトとハリー・インガムが、円滑なコミュニケーションを進めるために「対人関係における気づきのグラフモデル」として発表したもので、ジョセフとハリーの2人の名前にちなんで、「ジョハリの窓」と呼ばれています。
ジョハリの窓は、自己のことを自分と他者との二側面から、知っているか否かを問い、それを4つの窓で表現します。自分が気づいていることであり、かつ他者も知っているという部分が「開放の窓」、自分自身が知っていながら、他者がそのことについて知らないという部分が「秘密の窓」、自分では気づいていないことを、他者が知っているという部分が「盲点の窓」、そして自分も他者も知らないという部分が「未知の窓」と呼ばれています。
このような分析ツールを用いて、自己理解を促す、つまり、自分を表現する上で、自分自身のことをどのように捉えているのか、また他者からはどのように思われているのかを理解することによって、自己客観化を図ることができます。
そこで重要なのは、「開放の窓」を広げる工夫です。つまり、顕在化している自分自身のことを適切に表現するとともに、まだ気づいていない、あるいは表現し切れず、顕在化していない潜在的な部分の扉を開こうとすることが重要です。その「開放の窓」を広げるためには、3つの方略が考えられます。
1つめは、自分の殻に閉じこもらず、自分のことを積極的に開示して、「秘密の窓」を狭めることです。それが2つめの方略につながるのですが、自己を開示し、他者とのコミュニケーションを図った上で、自分自身では見えない部分を他者から指摘してもらうことです。そして、その助言を自分にフィードバックし、内在化する、つまり、「盲点の窓」を狭める工夫が必要です。最後の方略は、自己開示と自己への気づきによって広げられた「開放の窓」に乗じて、未知の世界、新しいことにチャレンジすることです。
学生の交友関係は、互いを傷つけないように、「相手のことをおもんばかって…」というよりは、自己を防衛するために、本来、相手に進言すべきことも避けて通りがちです。しかもそれは、いつも仲良く「連んでいる友達」であっても同様の傾向が見られます。
そういう私も、未だに人見知りをするため、「秘密の窓」が狭まらず、潜在能力が開花しません。それは、単に潜在能力がもうないからかもしれませんが…(笑)。
学生時代に、参加したセミナーで(社会人ばかりの方が参加する研究会に恩師の金魚の糞としてひっついていった際に…)、物怖じしている私の姿を見た恩師に、「何も失うもののない学生が、何してんねん!」と強く叱責されたことがあります。それから自分で「スイッチ」を入れて、勇気を振り絞り、他者との交流を試みるようになりました。もちろん、そのおかげで、ネットワークが広がるだけでなく、社会人の方々から自分では全く気づいていないことなどを数多く学びました。
その恩師からは、「同じヤツとばかり連むな」とよくいわれたこともあって、いまでは学生に、それを受け売りで伝えています。
我々の学部の学生は、仲間意識が強い反面、それが徒となり、いつも同じメンバーと連み、新しい関係性を紡ぐことに若干欠ける部分が見られます。
「開放の窓」をどのように広げるか…その工夫が重要です。
Jin
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