基礎演習における「ゼミナール大会」への準備も本来なら「佳境」の域に達する頃。本番は12月14日、古い人間であれば、「赤穂浪士討ち入り」が思い起こされて、「プレゼンテーションしっかり頑張れ。」などと発破も掛けたくなるが、今時の学生にそれは通用しないだろう。もちろん、学生が「ゼミナール大会」でのプレゼンテーションに「入れ込んで」いない訳ではない。クラスの中では、「絶対、最優秀賞取るぞ!」と意気込んでいるところもある。そんな学生には、担当教員である私の方が、「まあまあ、そう力まないで。その前に遣るべきことがあるでしょう。」と嗜めていたりする。
確かに、「ゼミナール大会」は「総合力」での勝負になる。その大きな関門が明日に迫った「論文」の提出だ。プレゼンテーションの成否は、何よりも基礎作業を積み重ねての「論文」作成に拠っている。我がクラスの場合、こちらの方が心配ではある。
早いグループは10日も前に、一応の「論文」作成を終えて「手直し作業」のために研究室にやってきた。5人のグループで、結構『和気藹々』と研究活動をすすめていた。但し、「論文完成」という域には達しておらず、却って、大きな課題が「露呈」したりした。どのように上手くまとまりのある「論文」として仕上げていくのか、楽しみなところである。
他の2つのグループは、先週の木曜日に一応「論文の素材」を書き上げて研究室にやってきた。グループ員が分担した箇所の記述が完了したという段階での来室だった。
研究テーマから課題の設定、研究方法・対象、結論の導き方、吟味すればするほど時間を要することばかりだ。「もう一週間早くきていれば、良い論文にも結びつくものを。」と思いつつ、最低限の「手直し」と「論文」としての体裁を整えることを言うに留めておいた。
残りの2つのグループが提出日直前の今日遣って来た。まだ、「完成」していた訳でもない。何とか分担した部分が記述されていて、これから代表者がまとめていくという段階だった。まとめをする2人の力量からすれば何とか「論文」としての体裁は保たれるのだろう。内容のこともあるが、問題は、グループのメンバーが「目的意識的主体的」に研究活動・「論文」作成に向けて努力を傾けたのかどうかということだ。
「ゼミナール大会」は、まさしく研究における「組織性・集団性」が問われ、その結果が現れる場だ。本当の意味で「佳境」の域に達して、各グループ挙って「論文」提出を完了させ、「ゼミナール大会」本番でのプレゼンテーションでも奮闘することを願うばかりだ。 mm生