2019.03.31
[ 2019年03月 ] の記事一覧
2019.03.30
旅立ちの季節、JR南草津駅のあたたかいメッセージ
先週、びわこ・くさつキャンパス(BKC)で卒業式・修了式が執り行われました。
卒業したのは学生さんだけではありません。
昨年の春、同じタイミングでスポーツ健康科学部の教員に着任した、
もう一人のDr.Yも立命館大学を卒業し、次のステップへと進まれました。
たった一年の間に、本当に多くの時間を共にし、語り合い、豊かな時間を過ごしました。
最後の日となった卒業式の日、一緒に帰るのかなと思っていたのですが、
お互いのするべき用事を片付けて、あっさりと別々に帰路に就きました。
卒業式の日、JR南草津駅を利用された方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか。
そして、JR南草津駅のあたたかいメッセージに気づかれた方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか。
昨年春、着任してから、JR南草津の駅で働く方々が、
そして大学まで運んでくださるバスの運転手の方々が
BKCで何かしら試合やイベントがある際に、大学名やチーム名が入ったユニフォームを着用して
お仕事をいただく方法はないかものだろうかと思っています。
札幌市では市の職員の方々が北海道日本ハムファイターズのユニフォームを着て
仕事に携われる期間を設けられています。
JR仙台駅では、試合開催日に駅のショップの方々が
東北楽天ゴールデンイーグルスのユニフォームを着てお店に立たれています。
駅についた瞬間から、イーグルスがある街なんだと思います。
いずれのケースも自発的にというより、球団さんからの働きかけがあったのでしょうが、
ユニフォームを着てお仕事をされている方々はどこか誇らしげです。
二つのチームともに地域社会に溶け込み、地域の誇りとして必要とされ
応援されていることがうかがえます。
立命館大学のスポーツチームが、大学の枠を超えて地域のチームになるには、
と考えると、私たちができる最初の一歩は、
一人一人がいつも利用する駅の方々、バスの運転手さんなどに
「おはようございます」、「ありがとうございます」と
言葉としてお伝えしていくことの積み重ねなのではないかと思います。
とても遠いような話に聞こえるかもしれませんが、
BKCに通う者たちが、地域にとって「親愛なる他者になる」ことはとても重要なことなのだと思います。
ゆ
写真はJR南草津駅
撮影:ゆ
写真の無断転載はご遠慮ください。
#JR南草津の方々、ありがとうございました。
#今年度も明日で終わり。
#さくら咲く4月が始まります。
2019.03.29
英語教育の話 その3
みなさん、こんばんは、遅めの更新、嶋村です。今日も前回に引き続き英語教育の話をしたいと思います。
突然ですが、みなさんは微分積分が得意ですか?僕は全くわかりません(笑)。僕は高校で文系を選んだので、途中で難しい数学とさよならしました(文系数学は勉強しましたが)。けれども、世の中に、例えば解の公式を覚えていて今でも使える人ってどれくらいいるのでしょうか。結局数学って使わないと忘れるし、それはそれで今生きていて大して困っていません。同様に国語文法の活用や助詞の用法をいろいろ覚えてはいませんが、別に困らないし日本語は話せます。昔都道府県の県庁所在地をせっせと覚えたんですが、細かい地方はちょっと忘れてしまいました。大政奉還はうちの近所の二条城が舞台となったそうですが、何年に行われたか知ってますか?
以上の問いに「いや。。。」と答えた人は学校教育を批判しないといけませんね、つまり「俺が数学ができないのは学校教育が悪いんだ!」って(笑)。しかし、僕の知る限りそういうことはなさそうです。「現状を受けて日本の数学教育の改革をしなければならない」なんて聞いたことがありません。しかし、この点で英語は不思議でみなさん熱心に批判をなさるそうです。「なんで英語だけ?」って思いませんか?こういう意見は先週のブログで紹介した雑誌にもありました。
結局我々が学校で学んでいるのは教科としての英語なんですよね。なのでそれを実生活で使うかどうかは意識していないと思います。中学校の先生が、日本人の英語で this is a pen を「でぃすいずあぺ~ん」と言っても問題がないわけです。だって、我々は英語という教科を学んでいるわけですから。別にそれを実生活で使うかどうかは人それぞれですし、多分、日本に住んでいる多くの人が「英語を話せないと生活に困る!」みたいなことはないでしょうね。翻訳機も充実してますし(笑)教科としての英語、すなわち我々は英語という言語の仕組みを勉強しています。主語がどれだとか不定詞はああだこうだっていう具合ですね。こんなことをしていてはもちろん英語を話すということに直接関係ないかも知れませんが、しかし言語に対する「気付き」を持つことができます。この「気付き」は英語というよりは母語の方にあるべきだと僕は思っていて、つまり英語を通して日本語を見つめ直すということなんですね。言語(英語)の仕組みを語る上で言語(日本語)を使っているということを理解していない連中が、やれコミュニケーションだ、グローバル化で英語は必須だ、だからとにかく話すことが大事なんだ、文法はいらないとか愚かなことを言うわけですね。他の言語を理解する時に必要な知識を記述する言語をメタ言語ということが出来ますが、このメタ言語的な力が大事だと思います。これは結局(才能と)努力で身につけるしかありません。数学が得意な人がいるように英語が得意な人がいる。それでいいんじゃないでしょうか。僕は英語を話さないと困るという状況になったのは大学院に行き始めてからで 20 代の後半でした。まあそれなりに英語が使えています。なので、どれだけ早く始めたかではなく、どれだけ、メタ言語的な能力も含めて、学習する能力が高いかによるのだと思います(別に僕自身が頭がいいって言っているわけではないですよ 笑)。なので、今回文科省がやろうとしている改革は結局何にも変えないと思っています。出来る子は出来るし出来ない子は出来ません。例えば、小学5年生に微分・積分を教えたいと思いますか?まあうまくいくかも知れないしそうじゃないかも知れません。そんなもんです。なので、まず冷静になって基礎的な思考力や学力を養ったほうがいいと思います。
僕は自分の娘にピアノを習わせたいと思っていますが、多分それは自分がピアノを弾けないからです。けれど英語を早いうちから学ばせようとは思いません。だって、自分はどうすれば英語を話せるようになるのか知っているわけですし、どの程度のレベルの英語を話すべきかも知っています。なので、今の英語教育改革は何ていうか「自分の子供を英語が話せるようにしたい」、「英語が話せないとダメなんだ」っていう何も知らない国民の恐怖心というか劣等感を煽るような気がして気持ち悪いですね(笑)。
まあ今日はこの辺で。来週からはもう少し楽しい話をしたいと思います。。。
2019.03.28
3月も、もうすぐ終わります。
2019.03.27
ボート競技 高校選抜!!
先週の週末、ボート部長として、学生時代、経営学部で同期であった
ボート部監督とともに、静岡県浜松市の天竜ボート場に行ってきました。
天竜ボート場では、「第30回 全国高等学校選抜ボート大会」が行われて
いました。
この大会は、高校生の大会としては「インカレ」に次いで、二番目に大きな
大会で、全国の強豪校が集います。
私は、ボート競技の未経験者ですが、全国の高等学校の顧問・監督の先生と
お話をすると、高校ごとの課外活動に対する考え方や部の特徴がよくわかります。
そして同時に、立命館スポーツ憲章を持つ、立命館大学のスポーツの考え方に
ついても理解していただきます。
ボート競技に限らず、こうしたプロセスを通じて、立命館スポーツの理念は全国に
広がって行くのです。
Apollo
2019.03.26
人間ドックとモチベーション
2019.03.25
旅立ちの日
2019.03.24
卒業式&博士学位授与式
2019.03.23
スーパーラグビー観戦者調査
今年も2月16日(土)のシンガポール国立競技場での試合を開幕戦として、
スーパーラグビー、サンウルブズの4年目のシーズンが始まりました。
サンウルブズは、立ち上げ時から
観戦者調査のご依頼をいただいております。
とはいえ、一人ではできませんので、
博士課程で在籍していた早稲田大学の松岡宏高教授の
研究室の事業としてお受けしております。
今シーズンは、これまでに違う観戦者調査の在り方なども検討しながら、
複数回、調査を実施することになっています。
これまで同研究室内において、
ラグビートップリーグ、日本選手権などの調査を実施しています。
そのため、リーグやチームのご意向も反映させながら調査のタイミングを決定し、
項目を作成するプロセスは時間を要しますが、
試合日の調査の実施に関しては院生にお任せしておけば
調査票の印刷から当日の調査員の配置、
調査票の配布回収とすべてテキパキとオペレーションをしてくれます。
昨年から、私たちの研究仲間にサンウルブズの元チームマネージャーも
博士課程の社会人大学生として参画しており、
よりチームの状況やスーパーラグビーの動向を把握しながら
進めることができています。
これまで私たちが関わってきたラグビーの調査では、
2015年のラグビーワールドカップ以降、
20代、30代の女性観戦者が増えたという傾向が明らかになっています。
サンウルブズ戦は、トップリーグよりもチケット価格は高いのですが
データより、価格に対して高いという意識は低く、
トップリーグよりもやや若い層が観戦する傾向もみられています。
立命館大学スポーツ健康科学研究科の同期だったKちゃんから、
「サンウルブズ戦に来ていて、アンケート用紙をもらいました!」という連絡を頂きました。
Kちゃんは、最近になってラグビーのファンになり、
始めてサンウルブズ戦にはトップリーグとは異なる面白さがあったとのことです。
この度、スーパーリーグにリーグの変遷に伴い、
サンウルブズにとって、厳しい判断が下されました。
立ち上げのときからのチームスタッフの姿を想うと
とても胸が痛いです。
しかしながら、未だ今シーズンの試合は続きます。
スーパーラグビーは、世界最高峰のリーグです。
国内で世界トップレベルのラグビーが観戦できる貴重な機会です。
今シーズン是非一人でも多くの方に試合会場に足を運んでいただき、
検討するサンウルブズの姿をご覧いただきたいです。
ゆ
サンウルブズのスケジュールはこちらから
https://sunwolves.or.jp/schedule/2019/
写真は3月16日土曜日のレッズ戦
撮影:ゆ
写真の無断転載はご遠慮ください。
#試合は惜敗
#次こそは!
#次回、初のナイター試合で調査です
2019.03.22
英語教育の話 その2
みなさん、こんばんは、嶋村です。今日は前回に引き続き英語教育の話をしようと思いますが、その前にちょっと別の話を。。。
まず今日は卒業式と卒業パーティーだったそうですね。まあ僕はゼミも持ってないし、おめでたい場所に行っても余計な一言でおめでたい雰囲気に水を差す性格なので、自宅待機しております(笑)とりあえず卒業される学生さん、おめでとうございます。これからの人生色々大変だと思いますが、自分が納得いくようなものになるように過ごされることを願っております。僕も色々もがいている最中です。
さて、卒業される学生さんは新たなスタートを切りますが、昨日自身の人生のサイクルに一区切りをつけた人がいました。プロ野球選手のイチローさんですね。僕はスポ健ではおそらく No. 1 にスポーツ好きではないのですが、まあ父親の影響で野球は時々見ます。父親は東京出身なので、嶋村家は基本的に巨人ファンです。そんな私が興味がある数少ないスポーツの野球ですが、イチロー選手の活躍でおそらく僕が最初に知ったのは中学3年生くらいの時で、彼が初めて年間 200 本以上ヒットを打った時でした。その後メジャーリーグに行っても NHK の衛星放送でしばしば中継を見ていたのを思い出します。僕自身は 39 歳になり 40 歳も見えてきましたが、ものすごく長い時間一流の選手として活躍されてきたのだなあと思うと、その努力やストイックな姿勢に感銘を受けざるを得ません。引退に関して「後悔はない」という事らしいですが、自分が今の研究者のキャリアの一線から退く時に同じようなことが言えるようになりたいと昨日の引退会見を見ていて感じました。ま、僕の言語学の仕事なんて大したことないですが、一応気持ちの問題ね(笑)
閑話休題、英語教育の話ですね。今日は英語教育と「グローバル化」の話をしたいと思います。ところで英語教育の話でブログを書いてみようと思ったのは、実は奥さんが買ってきた雑誌でこの話題の特集が組まれていたからです。集英社がクォータリーで出している kotoba という雑誌があり、最新号の特集は「日本人と英語」という内容でした。様々な英語教育に関する専門家のインタビューや対談が掲載されています。たくさん面白い記事があったのですが、その中で九州大学の政治学者、施さんのインタビューはとても面白いものでした。彼によると現在日本で見られる政官財一体によるグローバル化の推進とは、「土着」から「普遍」への一方通行的な変化を推し進める流れであるそうです。日本において言語的に言えば「土着」とは日本語で「普遍」とは英語です。しかし、施さんはこのグローバル史観は非常に浅薄であると警鐘を鳴らしています。というのも歴史的に近代化とは全く逆の流れ、すなわち「普遍」から「土着」へ推移してきたというのです。例えば、中世西欧諸国のエリート層の言語はラテン語であり、一部の人々しか解することができませんでしたが、ラテン語により高度な知の体系が記述されていたそうです。しかしそのラテン語が土着の言語(ドイツ語、フランス語など)に翻訳される事で一般庶民の社会参加が可能になり近代化が進んだという事だそうです。先日杉田玄白の解体新書の翻訳の話が NHK で放送されていましたが、日本の近代化も過去の偉人たちが外国の書物を一生懸命に翻訳し、それが世の中に広まることによってもたらされたのだと思います。話を元に戻すと、施さんが訴えているのは、今我々が目撃している英語教育の改革への流れは一部のエリート(グローバル企業や投資家)による力が一般国民の民主的な民意を超えた結果であるということだそうです。英語を話せる人材は必要ですし、もしその人材が賃金の安い国から雇えれば企業としては助かりますよね。日本も海外からの労働者を受け入れようとしているそうですが、そのような政策への反動は世界中で見られているのはみなさん後存知の通りですね(Brexit とか)。
僕が以上のような議論を読んで感じたのは、やはり今の英語教育の改革とは政治・産業界からの詭弁的な説明による教育のことを全く無視したトップダウン的な改革ではないのかということですね。現場の人間から言わせてもらうと、今行われている英語改革はおそらくなんの結果ももたらさないでしょう(この辺の話はまた来週)。グローバルな人材とかコミュニーケーション能力とか見た目はファンシーな言葉がしばしば使われますが、結局国民がこれらの用語の明確な定義をわかっていないと思います。例えば「グローバル化」って何ですかと質問されても、正確に定義することなんて難しいのではないでしょうか。先日紹介した文科省のホームページには東京オリンピックのことが書かれてありました。あるいは、インバウンド需要でたくさんの海外からの観光客が日本を訪れるということを言及してもいいかもしれません。しかしこれら全て上辺の話で、本当の真意が別にある、すなわち施さんのいうようなところにあれば我々一般市民は騙されるいるということになります。あるいは英語教育改革によって教育産業を儲けさせることになるかもしれません(笑)
またコミュニーケーション能力といっても結局企業で必要とされている英語能力なのだとすれば、別に英語を話せなくてもいいのではないでしょうか。最近はさまざまアプリが開発されており、ややもすれば英語を話せなくても意思疎通が可能な時代になってきました。結局のところ「英語ができる」というのが、世間の人にとって「ペラペラ」ということを想起させてしまうことに問題があるのではないかと思います。僕から言わせれば「ペラペラ」なる必要はありません。どんな形であれ、たとえアプリ使った意思疎通であれ、コミュニーケーションは出来ます。どっかの企業のお偉いさんが、「うちは会議は全て英語だ」と言ったって、通訳を介せばいいじゃない、あるいはアプリを使えばいいじゃないと思ってしまいますね。じゃあ、なぜ学校教育でなぜ英語を勉強する必要があるのでしょうか。英語を勉強しなくてもいい時代になるのなら、僕の大学における存在価値は(今のことろ)無くなってしまうわけです(笑)
続きはまた来週。あ、ちなみに今日も何か新しい写真があるわけではありません(苦笑)。。。