2011.06.30
[ 2011年06月 ] の記事一覧
2011.06.29
「健康でないと病気にも罹れない!」??
2008年6月30日に腹腔鏡術による胃3分の2切除をしてから3年が経つ。
2007年度1年間の学外研修のために健康診断を受けてなかったもので、帰国して間も無くの4月初めに「人間ドック」に入った。胃中央上部に「怪しい影」が見つかり、内視鏡での検査をすることに。担当の医師とモニターを見ながらの検査だった。その先生は、「あっ、これはガンでしょうね!?」と「あっけらかん」と言ってくれた。正式には、内視鏡検査後程なくして、件の先生から電話にて「告知」されるということに。
1年間の海外生活のうち、7-8月とフィンランド・タンペレに滞在したのだが、好んで通った湖畔の公衆サウナの体重計に乗った時に半ば「覚悟」は決まっていた。出発前に72kg程あった体重が65kgに満たなかったのだから。
主治医(執刀医)が「慌てることはないので、手術は夏休みにしましょうか?」と言ってくれたが、「留学前から約束していた仕事があってキャンセルでない。出来るだけ早くしてください」ということで決定したのが、6月30日だった。「休講」は、各講義とも1回だけにしたかったので、兎に角、早く退院出来る「腹腔鏡術」を選択した。そう言えば拙著『「地球の時代」の健康を考える』でも「腹腔鏡術」のことに触れさせてもらったのは1995年。医療技術も格段に進んだ状況の下で、当の主治医(執刀医)の場合も、すでに2000回以上の実績があるとのこと。
「俎板の上の鯉」よろしく何の不安もなかったが、「休講1回だけ」の方が余程気に掛かっていた。主治医曰く「80歳のご婦人が8日間で退院というのが最短記録だけど、男は結構痛みに弱くてね・・・まあ、頑張ってみますか」!? また、金曜日に入院して月曜日の手術を迎えるまでが緊張の連続だった。「腹腔鏡術中の万一の事故」とか「輸血による肝炎の可能性」とか、「人によっては全身麻酔が術中持続しないことがある」?などなどの話を聴いた上で「同意」するのだった。後から聴くと、全て同席していた妻の方が卒倒するほどの「怖い」話だったが、私の緊張の理由は他にあった。
金・土・日と相部屋の他の手術予定の患者さんたちが、「血糖値が高い」「熱が出てきた」などの理由で、手術が延期になるのだった。兎に角、体調を万全にして予定通り月曜日に執刀してもらわないと。術後は、翌日集中治療室から病室に動くことから「リハビリ」が始まる。ベッドで上体を起こす時の引き攣るような痛みは大変だったが、「8日で退院しなければ。」の一念が勝っていた。
復帰した最初の講義中に、こうした「顛末」を紹介したことに対して、講義終了後に遣って来た学生が、いみじくも発した言葉が「先生、健康でないと、病気にも罹れませんね!」だった。藤松忠夫氏の『健康のためなら死んでもいいーなぜ「命より大切な健康」なのかー』(ゾディアック叢書、2000年)という興味深い書物もあったが、学生が私に掛けてくれたこの言葉、蓋し至言だ。 mm生
2011.06.28
ペース配分。
2011.06.27
キャリアデザイン
入道雲がもくもくと立ち上る季節となりました。先週中盤から夏本番を感じます。【香】先生が、「きれいな雲なので」と語りながら、インテグレーション・コア6Fから琵琶湖の上に元気よくあらわれた入道雲の写真を撮っていました。そのうちご紹介があるでしょう。
先週の「スポーツ健康科学セミナーⅡ」のゲストスピーカーには、公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団の事務局長として、この財団を立ち上げた岸川さんにお越し頂きました。本学の先生方の多くもこの財団の研究助成に採択されており、馴染みの深い財団です。
今回のお話しは、表題にあるように、キャリアを考える内容でした。岸川さんのヤマハ発動機での仕事、体験、公益財団法人ヤマハ発動機スポーツ振興財団を立ち上げから現在までの道のりの中で経験し、考えてこられたことを密度濃くまとめて頂きました。
まず、キャリアデザインについて、人生と仕事について次のような時間比率から、
仕事時間 : 自分時間 : 寝る時間 = 1 : 1 : 1
仕事時間 : 自分時間 = 1 : 1 (人生の3分の2)
仕事時間 + 自分時間 = 人生 (自分らしくどう生きるか)
の式が成り立つことからキャリアデザインについての考え方を示され、その中で、そのキャリアデザインを人生のキャリアデザイン、仕事のキャリアデザインに分けてその内容を説明しました。
① 人生のキャリアデザイン
= 納得いく人生 → 生活・結婚・家庭・子供・親戚・地域・・・・
仕事・顧客・協力者・部下・会社・・・
社会的責任 ・・・人間的成長 ・・・
② 仕事のキャリアデザイン
= キャリア(人生の仕事の部分)+デザイン(創造する)
↓
『 自分の人生の仕事の部分を、自分で自分らしく作り上げていく』
仕事のキャリアを積み上げる上で、『期待される社会人(企業人)の人間像』については、次の点をあげて説明があった。
1.現場感覚
2.コミュニケーション能力
3.洞察力
4.リーダーシップ
5.決断力
6.統治能力
7.先見性(正しい時代認識)
8.本質を探る能力
9.構想力
10.企画力
11.自分に厳しい眼
12.高邁な理念と実行力
13.人を動かす熱意・情熱
14.人脈(ネットワーク)
15人間的魅力
16.語学力
逆に、よろしくない態度としては、
・仕事をプロテクト、パス
・責任をとらない
・先送り
・事なかれ
・評論家
学生に向けては、横軸に所属する関係先・空間が示され、縦軸に年齢を取った図を示しながら、図の真ん中にある今の学生時代に体験すること学ぶことを明確にした上で、図の右上に向かってどのルートで進むのかを語ってもらいました。このことを考える上で、次の観点を持つことをアドバイスしてもらいました。
① 頭は柔らかく・視野を広く
② 物事の根本を考えるようにする
③ 視点を高く・自分の人生を考える・世代を考える・どんな時代を生きるのか
(世界と日本と自分)
そして、最後に、「夢・目標にチャレンジすると光が見えてくる。次がみえる」。もし、見つけにくい時には、何かにトライして一歩踏み出すことを積極的に行うと何かがみえてくる、と明快なアドバイスと激励を頂きまいた。
企業人として社会人として、素敵なキャリアを歩まれた岸川さんの貴重な経験・体験・仕事を通じたエッセンスの詰まった講演を頂きました。ありがとうございました。
【忠】
2011.06.26
TOEIC-IP 団体受験が行われました
みなさん、いかがお過ごしですか。
今週、スポーツ健康科学部の学生は、
6/22 (水) 〜 6/24(金) に、1回生・2回生ともに、
TOEIC-IP を受験しました。
私も、木村講師・山本講師の助けを借りながら、
試験監督補助を務めていました。
スポーツ健康科学部の学生は、現在、
年2回、TOEIC-IP を受験しているのですが、
これは、びわこ・くさつキャンパスにある
学部の中でも、生命・薬学部と並び、
最も恵まれた環境にあります。
この事からも、スポーツ健康科学部で、
英語が非常に重視されていることが分かります。
一人一人の学生が、それぞれの目標を達成し、
スポーツ健康科学部での、学びの成果が
出て欲しいものです。
それでは、また。失礼致します。
敦
2011.06.25
女子陸上部長距離チームを応援
今回は、私のスポーツ指導実習授業の受講者の渡部未来(わたなべみく)さん(スポーツ健康科学部1回生)に課外活動の様子を聞いてみました。
渡部さんは、女子陸上部に所属する長距離部門の選手です。高等学校時代、1500m種目で国体3位になるほどの実力のある選手です。
私は渡部さんにお話を聞いてみたいと思ったのは、体育館を走り回るランニングフォームを観察して、奇麗なフォームだな・・と、そしてこれまでの長距離選手にないバネの強さを感じたからです。その為、疲労による怪我のケアにも十分気をつけてほしいと願うこともお話を聞きたいと思ったもう一つの理由でした。
渡部さんは小学校から中学までバレーボールの選手で活躍しており、たまたま中学校時代で陸上の試合に出場したところ(陸上競技部のメンバーが少なくバレー部へ出場の依頼があったそうです)、地区大会から勝っていくことで長距離の魅力を感じたそうです。
高校から長距離の練習を本格的に始めたそうですが、バレーボールを続けていても活躍するだろうな~と感じる選手です。
スポーツ指導実習授業のバレーボール種目において、男子学生以上のスパークを打つ姿に驚きました。
多くの男子学生は彼女のサーブとスパイクをレシーブできなくて、涙、涙、悔し涙。
ところで、女子陸上部長距離選手は、基本的に合宿所生活をしているそうです。部屋は個室だそうですが、栄養面に配慮した食事管理が徹底しており選手らは非常に大変気に入っているようです。自宅生並の門限がある程度で、点呼で起床し点呼で消灯するといった生活環境ではないそうです。
朝5時に起床し5時30分頃にクインススタジアムに集合し、各自の準備運動後、約1時間程度の合同練習を行っています。今日は10kmのペースランニングを行ったそうです。1km4分ペースでのスタートで、中盤は1km3分40秒ペースのランニングだったそうです。朝からかなり速いペースなので、毎日このプログラムをこなす選手らは本当に凄いと驚きました。でも毎日のことだから特に大変ではないですよと簡単に答えてくれました。
夕方は、4時30分からの練習スタートで、朝より早いペースでの10km以上のランニングと200mランニングの繰り返し(インターバルトレーニング)などを今週は行っているそうです。
渡部さんは、将来「運動嫌いな子供を対象としたスポーツ教室のインストラクター」になることを目標に勉強しているそうです。というのは、渡部さん自身が子供の時に喘息を持っており運動嫌いだったそうです。しかし、ご両親の勧めもありいろんな競技を行った結果、喘息も治りまたスポーツが面白くなり現在に至っているそうです。その経験を子供らに教えたいそうです。
お話を聞かせていただき、将来立命館のチームを引っ張ってくれる選手だなと心身の強さを感じました。
この夏4回生の田中華江さん(チームキャプテン)を目標に練習して、仙台での大学女子駅伝をはじめ都道府県対抗駅伝や世界向けての大会で活躍してくれることを願っています。
今回は、渡部さんにお話を聞きましたが、女子陸上部は本学で1~2番を争う花形チームです。秋にはスポーツ健康科学部の仲間が、仙台の街(10月23日 杜の都全日本大学女子駅伝)で活躍した様子などを伝えたいと思っています。
今日は本当に暑い一日です。
朝9時30分にお話を伺ったのですが、汗だく。
午後からの練習、熱中症には気をつけてくださいね。
でもクインススタジアムの緑は最高でした。
【shine】
2011.06.24
Gクラス白熱教室、白熱セミナー
2011.06.23
演じる。
私はプレゼンが苦手です。
幼稚園教諭になりたくて短大に入学しましたが、学生時代、部活のトレーニングや授業の疑問から、研究の謎解きにはまっていった結果、今にいたっています。研究結果を伝えるためには、プレゼンで研究を分かりやすく伝えることが大変重要になります。どうすれば、万人に分かりやすく説明できるか、思考錯誤の連続です。特に、学会発表において大勢の人の前で研究報告や、限られた時間内で端的に分かりやすく伝える能力が重要で、時と場合によっては、自分を売り込むための手段にもなります。無理やり学会発表しなくても、論文を書いた方が業績になるのですが、プレッシャーを感じながら研究報告するきっかけと、次の実験へのステップになるので、敢えて発表するようにしています。また、発表することで同じような研究をしているグループとディスカッションでき、新たな研究の方向性に気づくのも、大きなメリットになってきます。
スライド作りの原点は大学院修士の発表会でした。紙芝居作りのように、プレゼンのスライドをつくり、プレゼンが苦手な私は指導教員の先生の前での発表や、同期の仲間や先輩からもアドバイスを頂きながら何度も練習し、自覚しない間に丸暗記していたことが懐かしいです(暗記は全く無意味ですが)。
そんなことを振り返りながら、今週の火曜日はラン智タイムFDセミナーで、Sanada先生司会のもと、研究トピックスの報告を担当させていただきました。(研究内容の報告については、論文が通ってからブログで?!と思っています)ちょうど昨年の今頃、NS研究会で発表させて頂いた際、忠先生から「プレゼンしている自分を演じればいいんよ」と、アドバイスいただいたことを思い出しました。「演じる」簡単な響きですが、私には困難を極めます。このアドバイスを頂いてから、重要なプレゼンのたびにその言葉を思い出します。今週のプレゼンは好きな研究のことだったにもかかわらず、納得いく発表にならなかったのですが、先生方がたくさんの質問、コメント、アドバイスをくださったお陰で、とても楽しい刺激と次の実験へのステップが明確になった気がしています。ご意見をくださったことにとても感謝しています。1つ1つの意見を大切に次へ進みたいと思っています。ありがとうございました。
「能力がなくても、一流を目指して努力を重ねることで、限りなく一流に近づくことができる」ような気がしています。生物学的に考えてみると、「努力を継続できる力は、能力がない者に備わって行く能力」なのでは?などと都合良く思うようにしています。
今年度は、大学院の1期生が2年間の集大成である修士論文の完成を目指します。発表会はまだ先ですが、スポ健初の修了生を陰から密かに応援しています!香
助教部屋の靴入れです。昨年、伸先生が買ってきてくださいました。先日、キム哲先生が名前をはってくださいました。ありがとうございます〜。結構気に入ってます(^-^)
「ブログに載せてくださいよ〜」というリクエストにお答えして、掲載しました。
1番上:キム哲先生
2段目:伸先生
3段目:私。
研究分野も性格も、全く異なる助教3人トリオですが、時折、いろんな話を展開しつつ、自然体で仲良くやっています。
キム哲先生も伸先生もプレゼン能力は非常に素晴らしいのでお手本にさせてもらっています。
2011.06.22
3月11日から100日が過ぎて!?
5月の連休の時と同様、今回もJR石巻駅前の「駅レンタカー」が使えた。こうしたこと一つ一つが「復旧」の兆しではある。第一そして第二内海橋を越えて、旧北上川河口付近東岸の湊地区:にはいった。牧山の裾野と旧北上川に挟まれた比較的幅の狭い地域だけに被害が大きかったようだ。そして、渡波地域に至る幹線道路は一部陥没していて土砂に埋まり、轍も出来るほどの荒れた道になっていた。自動車の走行もまま為らないところがあった。道路から川岸沿いの建物の被害が特に大きい。湊地区を経由して、サンフアン・パークに向かう途中にあるのが渡波地区だ。石巻湾に面していて津波の被害はやはり甚大だ。海岸から1キロ弱の幹線道路沿いの建物は軒並み津波に浚われてしまっている。道路も陥没したりして、ところどころで渋滞している。
「サンファンパーク」は、伊達政宗の命を受けた支倉常長ら「慶長の遣欧使節」が乗船して、メキシコまで太平洋の波濤を越えていった500石船・サンファン・バウティスタ号が復元されて台座に収まって展示されているところだ。今回の津波で、マストを折るなどの被害があったようだが、しっかりと台座におさまっていた。公園内の博物館は、地震の被害があったようだが、現在も避難場所として使われている。一度逆戻りして牡鹿半島の尾根伝いを走る「コバルトライン」を走って行こうとしたが、入り口から少し入ったところで「通行止め」だった。「コバルトライン」入り口から少し北に位置する女川を経由して、海岸道路沿いに谷川に向かうことにした。
女川の被害については、凡そ把握していたつもりだったが、眼前に広がってきたのは「瓦礫の原」。岸壁付近の建物は跡形なく浚われてしまっている。かなりの高台まで、建物はほとんど残っていない。湾口が広く奥に萎んだ女川の地形が、殊更、津波の被害を大きくしたようだ。町役場も、高台にある小学校を借りて臨時の業務をこなしているという。そして、標高37メートルほどのところにある町立医療センターの1階部分まで津波が押し寄せたというのである。情けないことに、こうした「惨状」を目の当たりにして、それ以上奥の谷川まで行く気力が失せてしまった。「がっくり」して石巻まで戻った。またまた、目的を果たせなかった。
今回もそうだが、現地の人々や若い自衛隊員の何人かと話が出来たりしていて、「災害」の深刻さということについては、「臨場感」をもって考えることができる。そして、例えば学校保健制度を裏打ちする「学校保健安全法」のとくに「安全」は、どこまでの守備範囲として「想定」されていて、それが今回の大震災に際しては、どのように「効力」を発揮することになったのか、といった点での研究者としての関心が頭を擡げたりもする。しかし、そうした想いをどのように復旧・復興まで繋げていけるのか。「為す術を持たず」といったところだ。
メディアの映像で何度も映し出された門脇小学校は、階下部分は津波ですっかり破壊されており、加えて火災によって完全に「廃墟」と化している。現在、学校機能は、裏手の山に続く鰐山にある門脇中学校の校舎を借りて何とか果たされている。小学校を背にして周辺を眺めると、一面「瓦礫の原」。約1㎞先に広がる雲雀野海岸からの津波をまともに受けてしまった地域だ。この付近には、拠点病院としての石巻市立病院があるが、周辺は依然として瓦礫の山で、この間の雨の影響だろう、道路も「泥んこのでこぼこ道」と化しているのだ。
少しの「救い」は、馴染みの蒲鉾屋、菓子屋そして床屋などが営業を再開し出しているということだ。 mm生
2011.06.21