今日、全国高校野球選手権大会が沖縄県代表の興南高校が、春夏連覇によって、4028校の頂点に立ち、幕を閉じました。
決勝戦へと駒を進めた興南高校と東海大相模高校だけでなく、どのチームもよく鍛え上げられており、白球を追いかける選手のひたむきな姿を見ると、本当にすがすがしい気持ちになります。もちろん、選手だけでなく、スタンドで選手の活躍を祈り続けて炎天下で応援し続ける人々の姿にも心を打たれます。
先日、夜のニュースのスポーツコーナーでたまたま目にした選手のインタビューに、私は心を打たれました。それは、準々決勝で、これまで力投をし続けるエースに変わって、甲子園のマウンドに先発した報徳高校の1年生投手が勝利した試合後のインタビューで、「これまでお世話になった3年生の先輩方と1日でも長く一緒に野球ができればという想いを込めて、マウンドでは投球しました!」というものです。
こんなこといえるかぁ~?という気持ちになりつつも(笑)、その堂々としたインタビューの受け答えは、本当に圧巻でした。
おおむね、インタビューを受ける全ての選手に共通していますが、とにかく、堂々としており、また的確な受け答えをしていることに驚かされます。
私は、社会人になってから、何度か地方テレビに生放送で出演させてもらうチャンスをいただきましたが、絶対に番組を見直したくないという悲惨なものでした...(笑)。目が泳いでいる様子が、おわかりのことでしょう...(笑)。恥を忍んでの、1枚のショット...です。
まぁ、甲子園という晴れ舞台に立ち、そのような場を与えられた選手は、その経験を、是非、次の進路先や社会で生かしてもらいたいと思います...。
まぁ、それにしても、猛暑、猛暑、猛暑...
いくら鍛えている選手でもその消耗度は、はかり知ることができないものと思います。特に、チームを背負うエースは、一人で1試合あたり120球から150球の投球を繰り返し、勝ち進めば勝ち進むほど、連戦連投と体力の消耗はおろか、肩や肘といった身体への負担は尋常ではありません。
当事者にとっては、人生をかけた大一番かもしれませんし、大会に対する強い想いを選手だけでなく、監督、コーチ、学校、保護者などが抱いていることは、もちろん、わかっていますが、「スポーツ振興」、いや「競技力向上」という観点に立っても、1名が短期間に繰り返し投球し続けることは、決して望ましいこととは思えません。
実は、私も高校時代は、甲子園を目指していました。
中学生の時にブラスバンド部でオーボエを吹いていたのですが、ずっと野球部、そして甲子園にあこがれていた私は、高校生になって、両親を欺き、突如、丸坊主になって硬式野球部に入部しました。
ところが野球部に入部したものの、その練習の過酷さになかなか適応できず、高校3年間で、肩、肘、腰...ケガや故障が絶えませんでした。
エースだった親友の陰で、私は、たいした活躍もできず、やるせない気持ちや不完全燃焼という想い、また野球に対して、主体的に向き合っていなかった自分自身に腹立たしさを感じ、大学に進学後も野球を続け、そして今でもまだ年に1~2回は、マウンドに立つことがあります。
私たちがスポーツから離脱していく理由は、どのような点にあるのでしょうか?
ケガ、バーンアウト(燃え尽き症候群)、種目の向き不向き、興味・関心の薄れ...?生涯スポーツ社会なのに?
1924年の干支であった「甲子(きのえね)」にちなんで、名付けられた甲子園...。
80年以上もの歴史を刻むこの大会で、甲子園という晴れ舞台に立ち、あふれんばかりの可能性を持ち備えながら、野球から離れていった選手がこれまで、何十万人、いや何百万人もいるのか?
この場所が、将来の日本プロ野球界を背負って立つ人材のデビューの場ではなく、全国4000校を超える高校野球児の力と技、そして魂とプライドを戦わせる聖地であるために、大会の持つ意味、選手の育成や起用方法など、今一度、改めて関係者に考えてもらいたいと思います。