3月19日、宮城県女川町に行ってきた。ご存知の通り、「東日本大震災」に際して、最も被害の甚大だった地域の一つだ。昨年6月に訪れた時に、一階天井まで津波に呑まれた高台にある町立病院も目の当たりにしたのだが、ここの標高は16mだという。正式の測定で、最高約35mの津波が押し寄せたというのだから無理も無い話しだ。
前回来た時とは違い、瓦礫の処理は、港周辺を中心にしてすっかり進んでいた。もちろん、昼過ぎだというのに、人の行き来はなく、ひっそりとしたものだ。人の往来を促すような建物や商店、港湾施設の復旧が覚束ない状態なのだから、当然と言えば当然だ。
今回訪問した目的は、東北福祉大学で開催される第9回日本教育保健学会の講演をしていただく、女川町の前教育長との打ち合わせにあった。「東日本大震災がもたらしたものーその教訓と課題ー」と題する講演は学会の1日目、3月24日だ。演者の持ち時間は1時間。学会当日、「一期一会」的に話しを傾聴するだけでも十分価値はあるのだろうが、「3.11」から1年が経過した中での貴重な話を1時間に凝縮するのは、余りにも勿体無い気がする。座長としての責務は、限られた時間での講演では語り尽くせない「本当の思い」の出来るだけ多くを、学会に参加した方々に伝えること。そのためには、座長である私が、先ずは演者と直接向き合って話を聴き、肌身に沁みた理解をもつことが大切だとの思いを強く持ったのだった。
仮設町役場の一区画にある教育委員会で、用意していただいた資料に基づいて一通りお話を聴いただけでも約2時間を要した。それでも、かなり端折ったもので、地域の教育行政を束ねる立場として体験した過酷なまでの状況とその後一年間に亘る復旧・復興へ向けた取り組みについて語り始めれば、時間はいくらあっても足りないくらいだ。
私との打ち合わせで話されたこと全部を学会参加者にも聴いてほしい。しかし、時間が限られている。「資料の半分程は、当日も資料として添えるだけにして、重点的に語る部分に的を絞って頂きたい」旨の難題を前教育長は、快く受け止めてくれた。
打ち合わせの途中では、3冊の書籍を紹介していただいたが、その内の2冊は、学会の講演に合わせて、是非参加者に読んでほしいものだ。1冊は阿蘇品 蔵『まげねっちゃ<負けないぞ>』(青志社、2012/3)、もう1冊は山中 勉『みあげれば がれきの上に こいのぼり』(遊行社、2012/3)だ。この2冊、より「臨場感」も持って講演を稔りあるものとしてくれるはずだ。何とか、出版社に掛け合って、当日販売できるようにしたいものだ。
蛇足ながら、打ち合わせが終了して別れ際、改めて前教育長の略歴を聴いたところ、母校石巻高校の9期先輩だということがわかった。そして、女川の教育長を勤める前職が私の母校である石巻小学校の校長だったという。加えて、教育委員会付きの課長は4期後輩だった。「地元の縁」か、という思いを持ちながら仮設の町役場を後にした。 mm生