[ 2013年02月 ] の記事一覧

2013.02.18

他大学交流

先週の火曜日に、当方の3回生ゼミ生と次年度ゼミ生となる2回生の合同チームで、早稲田大学矢内研究室に訪問し交流させてもらいました。学部生と始めて学外へ出かけての研究交流でしたが、事前にゼミ生の担当者のKズミ君が先方の学生さんと企画を十分に検討してくれていたので、所沢キャンパスの施設見学、相互の研究発表、グループワーク、懇親会と盛りだくさんの内容でしたが非常にスムーズかつ有意義な交流ができました。同世代で同じ分野を学ぶ者同士、意気投合するところ、お互いを刺激しあうところ、気づきを与えもらうところ、などなど濃厚な1日を過ごせました。今度は、矢内ゼミの皆さんにお越し頂いて引き続き交流を続けたいとゼミ生も願っているところです。

 翌日の水曜日は、私は仕事のため同行できませんでしたがJISSの袴田先生にお世話になり、JISS NTSの施設紹介をしてもらい、国内のトップ選手の強化拠点とスポーツ科学のサポートに触れて大いに盛り上がったようです。近い将来、こちらでお世話になる、あるいはお世話する、選手、研究者が誕生するのを楽しみにしています。

<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

上記の交流を得て、ゼミ生が成長するきっかけを得たように感じました。やはり時には学外で交流することで、自らの学びの再確認し、課題をみつけ、今後の方向性を得られるようです。次にあったときのゼミ生の成長した顔をみるのがが楽しみです。

【忠】




2013.02.17

お百姓さんの物の見方・考え方

本日の早朝、雪で地上がうっすらと斑なだけでなく、水たまりが完全に凍っていました。久しぶりに自宅近くをウォーキング。目に入った田園風景は、実り盛んな時期に比べると様相が全く異なっていました。既に荒々しく掘り起こされている土に加え、畑の多くには、引き抜かれ切り落とされた野菜とその枝葉、すなわちカブラ、人参、大根、白菜、等々の残骸が、白、クリーム、茶色のマーブル状の異様な姿に映りました。

 本来なら籠に収穫され、箱詰めの後にそれらは出荷されるはずでした。成長の不揃い、土中の石などによる曲がり、支柱や柵、日当たりなどによる傷と変色、などが原因です。規格に合わなくて商品としての価値がない、「難もの、キズもの」としばしば呼ばれます。私たち素人からすれば、それらは立派な作物です。サラダ、煮物、鍋などの最適材料(新鮮さ、味、栄養、大きさ等)だと感じます。でもプロのお百姓さんに言わせれば、それらの事情は全く違うのだそうです。

 それぞれの野菜としては同じでも、その基本に加えて「規格適合性とみばえ」が価値(ブランド)を創り出し、価格を維持します。そしてそれらの規格外品は価値を下げ、値崩れを起こす害悪とみられます。従って、良い種子を見極め入手し、床土を準備、施肥、種蒔きと発芽誘発、苗育てとその後の生育の世話、それに収穫までの過程で、いかに満足のいく(規格品としてブランドを維持する)収穫率を上げるのかが、プロの課題・プロたる所以だそうです。言われてみれば当然のことですが、そのおかげで丸々と太った野菜をタダで頂くこともしばしばですが・・・。

 

 プロのお百姓さんや年輩の素人百姓の人達とたまに談笑しますが、異口同音に次のように言います。「同じように耕し施肥した畝に、同じような種を、同じように蒔いて、水のやり方も世話の仕方も同じようにしたつもり」でも、毎年、「生育の良い時もあれば悪い時も、また同じ畝でさえも良く伸びるのとそうでないのが現れる」のだそうです。

 何でも自分の専門の勉強や実践に結びつけて物を言うのも恐縮ですが、野菜(植物全般でも)を育てることは、スポーツの選手を育てたり、職人さんを育てたりする、相対的に長期の「支える活動」(指導やコーチング)に似ています。

 

 どのような種子・苗も世話をしなければ確実にマイナスの影響が必ず現れます。けれども、たとえ世話を懸命に(最大限の情熱をもって)行っても、同じ効果が全ての種子・苗に現れないし、同じ畝・土の範囲でも異なります。育ちが悪い・遅いからといって性急に肥料をやり過ぎれば、根元から肥料負けを起こして枯れていきます。だから、必要だとわかっていても肥料の与え方に「気長さ」と「毎回手続き更新」のような工夫が要求されます。少し大きくなれば株分けして、それぞれが縦と横に伸びられるように根元から独立させてやります。さらに、同じ畝や鉢にずっと植えておくのでなく、古い土や床から新しいところに場所を変えてやり、吸収すべき周囲環境の養分に対する適応力を引き出していくことが行われます。

 

 人間の運動の学習を指導したり支援したりする営みは、動物を育てたり芸を仕込む・仕付けるのと同じように考えられてきた気がします。運動学習の研究の一部は確かに動物を被験体とする運動学習の研究から導かれているし、動物調教のいくつかの方法にすでに具体化されています。しかし、指導や調教の中間過程や結果として生じた「規格外、ブランド価値を高めない」人、コト、ものに対しては、お百姓さんの野菜作りの「結果処理」と同じようになってしまっているような気がします。しかし一方では、育てる側(お百姓さんやコーチ・指導者・調教師など)の仕事内容、個人としての喜びや楽しみ、やり甲斐等が共通に語られることも、重要な点です。

 農業の方が「等結果」をもたらすべく「毎年、工夫する」ことが当たり前だが、なかなかそうはならないことが常識になっている、と思われます。相手にするのが植物だからというだけではない、と私は感じます。場所や施肥、水分、日照など環境要因を緩やかに変え、評価スパンを長めに見ている、と思われます。「人間の運動の学習を指導したり支援したりする営み」を対象に研究するという立場で現在欠けている観点は、このことがらではないかと私は思います。

 

【善】

 

 

2013.02.16

修士論文の公聴会が開催されました

 大学院の修士課程(博士課程前期)では、2年間の学びの集大成として修士論文を作成します。この修士論文、1週間や2週間で完成するものではなく、まず実験や調査を行い、それらを分析し、数ヶ月かけて論文の形にまとめる一つの作品です。

今週の木曜日・金曜日には、今年度末での修了を目指す修士2回生が全教員の前でプレゼンテーションを行う「公聴会」が開催されました。発表時間は12分、ボリュームたっぷりの修士論文の内容を発表するには若干時間の足りない院生もいましたが、2年間の学びの成果が充分に発揮されていたと思います。また、印象的だったのが、多くの院生がプレゼンテーションの最後に謝辞のスライドを設けて、指導を受けた先生方や研究遂行に協力をしてくれた仲間に対する感謝の気持ちを述べたことです。大半の学生は学部卒業後に就職する中で、大学院に進学をして研究を行うためには自身の強い意志力に加え、周りの理解・協力・応援が必要です。修士論文を提出した今、これまで自分を支えてくれた方々への感謝の気持ちが素直に出ていたのでしょう。とても良い光景でした。

修士論文を提出した院生
の皆さん、お疲れ様でした。

 

GOTO

2013.02.15

春は名のみの・・・・

 とうに立春は過ぎたのに、毎朝、寒い、冷たい、冷えると口癖のようにいっているうちに、今日の日差しは春近しを思わせる陽気になりました。キャンパス内を走っていると桜の木の蕾の膨らみに、春の予感を感じさせられます。

 最近キャンパス内で学内企業説明会が開かれているのを目にします。この光景を見る度に、さすが伝統ある立命館大学を実感します。これまで在職した大学では、企業が大学に説明に来てくれる(それも大企業が)などということはあり得なかったことでした。学生はこの意味(企業から期待されている大学の学生であること)を十分に理解しているのだろうかと思ったりしています。自信とプライドを自己の行動の原動力にして欲しいと願っています。

人生は絶え間ない選択の連続と言われます。当然、自分が積極的に選んだにせよ不本意な境遇というか状況に置かれることはよくあることです。自分のために世の中があるわけではないのですから。そんな場合、過去の選択を悔やまず、今ここでできること坦々と(淡々でしょうか?)続けているうちに、状況認知が全く別世界のようにガラッと変わってしまうような面白さや、自分自身気がつかなかった能力を発見することができ、生きがいとなってくることがあります。適性は探すものではなく、創るもの。(老ブロガー・ハル)

2013.02.14

運動と健康についてのエビデンス(証拠)その6

 Hamaです。
 今回は、体を動かしていると、循環器系疾患になりにくいというデータの中でも、
特に脳血管の予防効果について、お話します。

 今回紹介するのは、23件の研究を分析した、いわゆるメタアナリシスのデータをお示しします。

 活動的な人、もしくは体力のある人は、活動的でない人よりも25%から64%程度、
脳卒中の発症率や死亡率が低下することが分かりました。

 脳卒中には、出血性タイプの脳出血及びくも膜下出血と虚血性タイプの脳梗塞がありますが、
身体活動は、どちらのタイプのものも、危険性を低下させるようです。
身体活動は、高強度でなくても中程度でも効果があるようです。

 脳卒中は、やはり生活習慣と関連しますので、食事面では、カロリーオーバー、
塩分の取り過ぎ、脂肪の取り過ぎ、喫煙、過労やストレス過剰にならないようにすることは必要です。

 また、脳梗塞の予防には、脱水にならないことも大切なので、十分な水分補給にも
気を付けて下さい。

【参考文献】
 Physical activity and stroke risk: a meta-analysis. Lee CD, Folsom AR, Blair SN. Stroke. 2003 Oct;34(10):2475-81.




2013.02.13

小学校外国語活動の全国的な研究会に参加しました。

おはようございます。ma34です。

 

先週の金曜日、土曜日と、京都市で開かれた全国小学校英語活動実践研究大会に行って来ました。金曜日は公開授業の参観、土曜日は全体会(文科省の教科調査官による講演)、分科会と、大変充実した会でした。

 

小学校外国語活動は、小学校5年生・6年生で週一時間(年35時間)、平成23年度より行われています。今年は2年目となり、改めて「小学校」だからこその「外国語活動」の位置づけを考える内容となっていました。

 

中学校以降の英語教育につながる縦のつながり、そして小学校教育の一環としての横のつながりを持つ外国語活動。ただ英語のリスニング力、スピーキング力を育成するということが目的なのではなく、「コミュニケーションって楽しい」「私と違う考えもあるのだ、もっと知りたい」「もっと伝えあいたい」という思いを高める、「コミュニケーション能力の素地」を身につけることこそが目的だと言われています。

 

私自身は、とくに小学校・中学校をつなぐ入門期のカリキュラムにおいて、つまずきが多くなる英語の文字指導をどのように取り入れていくかを常々考えておりますが、どうしても「教える」「指導」という面に意識が向きがちです。けれども、今回の研究会を通して、

 

1.子どもたちのコミュニケーションの必然性の中で文字指導(「書くこと」の指導)を位置づけること

(たいてい「書くこと」は必然的な目的をもった活動と結びつかず、ドリル的な位置づけが多いのですが、たとえばALTにメッセージカードを送ろうという目的を持った活動であれば、子どもも書く内容にこだわり、文字にもこだわるようになります)

2.teachable moment (学習者が学びたいと思うその瞬間=その瞬間こそ指導の絶好の機会)を意識すること

が重要だと学びました。これは教育においてすべてに当てはまるかとも思います。

 

そして、小学校の授業を拝見すると毎回思うことですが、やはり小学校の先生方は、子どもの興味関心を掴んだ教材開発、そして指導言(発問や指示など)が秀逸です。大学生を対象とした授業でも参考になる工夫が多く見られます。そのようなところも、今後も引き続き大いに学んでいきたいと思いました。教員を目指している学生さんは、ぜひ小学校現場で先生方のそうした工夫に注目してみてくださいね。

 

Ma34.

2013.02.12

教員の2月

教員の2月は、けっこう忙しいかもしれません。
スケジュールを見ると、すでに平日で完全に空いているのが1日。
土曜日は、2日を除いて全て埋まっていました・・・
なんとなく、年々、忙しくなっている・・・という気がしています。

それはさておき、最近、ちょっと色々と関わりがあって、
理美容の通信教育の学費を聞きました。
滋賀では3年で74万円。
年間18万円+入学金20万円。
ちょっとびっくり・・・
これなら資格を取ろうかなぁ、と少し心が動いたり・・・

それはさておき、
(このフレーズ、今日は2回目・・・)
最近の悩み?になりますが、
受動的な学びの姿勢を、どうしたら能動的なものに変えれるのだろう、
と思っています。




当然、今に始まった事ではなくて、
昔からそうだったと思うのですが、
聞く事=学習
と思っている人が多くいます。

私自身は、それとは違って、
考える事+行動する事=学習
になるのだと思っています。

当然、考えて行動する前に知識が必要なのですが、
その知識を得て満足している人が多いなぁ、と思います。

一方で、行動する事をする人は、
関連する知識を集めずに、どうしたらいいのだろう?
と知識を全て人に聞いて身に付けた気分になる、
という人が多いのですが。

本来の知識の体系は、関係ないと思うものも、
色々と関係していて、幅広い知識のベースと、
その上に立つ専門性が必要となります。
このあたりも、あまり意識されていないなぁ、と。

この知識のベースが、いわゆる教養と呼ばれるもので、
物の見方や考え方を拡げるためのベースにもなります。

どうしたら、身につけるように促す事ができるんだろう??
というのが考えつつ、何も思い浮かばず、
悩んでいる、というところです。

中途半端ですが、ではでは。
PS:今月末に鹿児島まで行ってきます。
研究でヒアリングをするのが主ですが、数年前に大学を卒業したOBと会ってきます。
ゼミ生でもなく、基礎演習を担当したこともなく、どこで関わり始めたのかも全く覚えていないのですが、
今回、アポを取ってくれたり、と色々してくれています。
本当に、彼とはどこで会って、仲良くなったんだろう・・・

2013.02.11

修士論文口頭試問

先週は、修士論文の口頭試問の期間でした。修士2年間の総まとめとして書き上げた「修士論文」が、主査と副査の先生方によって内容と修士の学位に相応しい学力をつけたかどうか試験されます。

 

スポーツ健康科学は、学際分野であるので、領域の異なる先生も審査に加わります。同じ領域の学識豊かな先生からの鋭くかつ厳しい質問に対して、また他の分野の先生からの思わぬ切り口の質問に対しても、これまでの研究の成果から的確かつ論理的に説明することが求められます。

 

口頭試問を受ける院生にとっては相当なプレッシャーですが、この関門をくぐらなければなりません。今回担当したところでは、各自精一杯のプレゼント、筋の通った質疑応答をみることができ、2年間の成長を頼もしくみることができました。終わってからの「解放された顔」は何とも言えないものがありました。ただし、公聴会、投稿論文作成などを含め、残された期間で、さらにチャレンジを続けて、自らを高めてくれるでしょう。

 

<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

ある財団の助成に関わっていますが、今回、スポーツ健康科学部に関係するPDの2名(Oga鰆、East田)の採択が決まりました。研究には費用がかかりますが、その費用を獲得するためには、研究としての魅力と実行力、そして貢献が問われます。二人の研究成果に大いに期待しています。

【忠】

 

 

2013.02.10

「ウミを出す」のは大学か

本日の朝日新聞に、大阪市立桜宮高校バスケ部の「顧問暴力・体罰」問題に関し、2つの小記事がありました。1つは運動部の指導の刷新を目指す市教育員会が、同市に本拠を置くプロバスケットチーム「大阪エヴェッサ」に協力を求めるというものです。同チームが部活現場に指導者を派遣し、ヘッドコーチの元NBAシカゴ・ブルズで活躍したB.カートライト氏も練習の節目に訪問。「練習の組み立てなど、部活動全般にわたって指導」と記事にあります。他の1つは、同高校バスケ部の保護者有志の方々(30名位)が、集会を開かれたという記事です。「勝てるチームにして欲しいという気持ちが、何よりも優先していたのではないか」、「技術の向上も必要だが、人間的な成長を第1に」、を柱とする声明が読み上げられたという知らせです。

 それぞれの立場から今回の問題事件・事故の教訓を見出し、これからの改革の方向と内容とを可能な限り模索していこうという動きです。けれどもこの1週間のニュース・記事をみれば、同じことが繰り返されています。過去のことがらかもしれませんが、多くの都道府県教育委員会で体罰の有無について調査に乗り出し、数々の報告がなされています。それらを読めば、拙速、特効、確実かの議論を越えて、この「暴力・体罰問題」の本質の根深さが身に沁みてきます。

最近8日の朝日記事でもBKCの位置する滋賀県公立33校で、44人の教師らが体罰を加え、計168人の児童・生徒が被害を受けていることが明らかにされました。それによると、中学・高校の部活動中が最も多いのですが、授業や学校行事中も20件含まれている、とのことです。私立学校はこの調査対象外になっていますから、部活や行事のユニークさ厳しさ等が売りになっていればいるほど、この傾向が大であることが示唆されます。

 

同紙連載の「暴力とスポーツ下」(27日)においても「戦前からのウミ取り除け」と題して、1925年の「陸軍現役将校学校配属令」による軍の将校や下士官の旧制中学・師範学校への配属、彼らによる軍事教練(体操、武道とともに体育に当たるものを構成)を学校体育・スポーツのもつ暴力容認体質の形成・存続への大きな要因として取り上げています。それが効率的に選手を生産する方法となって、一度染みついた威圧と服従による指導法がなかなか消えない、と指摘しています。

 

度々指摘される「日本のスポーツの土台は学校が担ってきた」ということをもう一度、私たちは考え直してみる必要がある、と私は思います。戦後日本のスポーツ復興は1964年の東京オリンピックで、それが競技力向上に拍車をかけました。企業がスポーツ選手を抱え、大学がスポーツ選手を抱えると同時に育て、その双方に選手を送り込むために原石を鍛え、磨き、選別するのが、中等教育段階の指導者の果たす大きな役目でした。そしてそれらの指導者は戦後新制大学の教員あるいは専門的指導者の養成課程を経て、育成されてきました。スポーツがここまで国際化され、組織・技術、科学、人材に至るまで何が優れているかの世界標準がこれほど明白な世界はありません。少なくとも、結果としての成果をみる見方についてはそうです。

何故に日本のスポーツが、あるいはもう少し限定的に「体育教師」が、暴力を振っても容認されてきたのか。部を強くして学校を有名にするという実績・功績に対してそうだったのでしょうか。

ここではいちいち資料で跡づけられませんが、20年ほど前からの一時期中学、高校が荒れた時、同じように「行き過ぎた」教師の暴力・体罰の報道がしばしばみられました。この時の教師というのは、そのほとんどが体育教師あるいは部活指導の中心となる教師(稀に他教科の担当)でした。教科指導や学校行事をまっとうに行う前提としての「生活指導」が極めて弱体化、希薄化した時期には、中には無茶苦茶な生徒が現れ、勝手し放題のことも度々でした。その前面に立ち向かっていったのはそのような教師たちだったと思われます。他の先生からは子どものコントロールの仕方をよく心得ている、頼りがいのある同僚でした。その半面、スポーツ指導のなかで「許されていた」あるいは経験済みの方法を「荒れる生徒」に無反省に適用していった痕跡が、多くみられました。

 

中学・高校内での教員としてだけでなく、都道府県のスポーツ競技団体の役員の多くは部活指導者の体育教師達で占められています。夜間だけでなく午後から行われる競技組織団体の各会合に頻繁に顔を出すことが、一体どうして可能なのでしょうか。部活指導や生活指導、それに学校行事運営等を通じて、学校内での体育教員たちの様々な連携があり、他の教科担当の教員との共存共栄関係がある程度確立、存続、無変化のままにあることが、見過ごされているのではないでしょうか。

大学は指導者の養成だけでなく、彼らの教え子である学生あるいは学生アスリートを再び「指導者の卵」として預かるところでもあります。最初の方に述べた「戦前からのウミを取り除く」のは、ひょっとして大学に向かって言われていること、また内部の教学のどこかにそれらが潜んでいるということ、なのかも知れません。「学校」「競技界」「選手」のために、と当たり前に言われ、行われていること一つひとつにチェックをかけることが必要、と私はつくづく感じます。


【善】



 

2013.02.09

試験を採点しながら

1月下旬〜2月上旬に行われた定期試験の結果を今、採点しています。先週までにすべての採点を終わらせるつもりだったのですが、体調を完全に崩して1週間近く寝込んでしまい、すっかり予定が遅れてしまいました。体力づくりや健康づくりのトレーニング法を授業で教えている立場でありながら、自らが病気になってしまい恥ずかしい限りです。。。。


というわけで、ここ数日、後期に定期試験を行った科目約550人分の採点を行っています。答案用紙にして、全部で2750枚。。。。なかなか量です(ちなみに、昨年のこの時期は4500枚以上の答案を抱えていましたので、今年はかなり少ないです)。


採点をするときはまずは模範解答をつくります。ただし、学生の皆さんの思考は柔軟で、問題作成者の私の予想を遙かに超えた名答(迷答?)が続出しますので、穴埋め問題にしても、複数の正解例を準備しておきます。あとは集中して、静かな研究室でただひたすら採点を続ける・・・これのみです。


採点は単純作業なのですが、逆に、自分自身の授業内容の振り返りの場でもあります。受講生の点数が思わしくないということは、すわわち授業内での説明がわからづらかったということを意味しますので、学生と同時に、私自身も一緒に採点されているようにいつも感じています。


かなりのスピードでテンポよく採点をしていますが、時折、完璧な素晴らしい答案に出会います。また、勉強したことを、記述欄にびっしり書いてくる答案をみると、よく勉強したなあと思わず褒めてあげたくなることも・・・逆に、授業で教えたことがまったく書けていない答案に出会った時には・・・コーヒーを入れて気分転換です。

これから、採点結果をもとに成績を報告します。学生の皆さんの手元に成績が届くのは3月のガイダンス時、それまで楽しみに待っていて下さい。

GOTO