3月1日(土曜日)、妻と小学校5年生の双子の孫と一緒に「永遠の0」を観てきた。
健太郎(三浦春馬)が、祖母・松乃の葬儀の日に、祖父・賢一郎(夏八木勲)とは別に「血縁上の祖父」がいることを知らされるところから物語は始まった。本当の祖父は宮部久蔵(岡田准一)。「太平洋戦争」で零戦パイロットとして戦い、終戦直前に特攻出撃で不帰の客となっていた。本当の祖父のことを知りたいと、かつての戦友を訪ね歩く健太郎に返ってくる宮部評は「海軍一の臆病者」。仲間から「臆病者」と蔑まれ、天才的な操縦技術を持ちながら生還することにのみ執着した本当の意味はどこにあったのか。そして、「家族のもとへ必ず還って来る」と誓った宮部がなぜ特攻を選んだのか。
賢一郎が松乃を見送りながら「大仰過ぎる」程に泣き崩れる最初の火葬場でのシーン。数多くの同様の場面を経験してきている者にとって共感を呼ぶものではあっても、その真の意味合いについて思いを巡らせるまでには至らなかった。しかし、それは、健太郎が祖父の最期を知る人物に辿り着いて知ることになった「衝撃の事実」によって、実に「暗示的」なものだったのだと気付かされる。
一緒の孫たちにはかなり難しい映画だったと思う。本人たちが「観たい」と言ったものだったが、「戦争の時代」と「平和な時代」とを行き来しながらの「深い思いや意味」について、子どもたちの感性として、どれだけのことを受け止めてくれたのだろうか。
そう言えば、孫たちがまだ低学年だった頃、静岡県・焼津市を訪ねて、「民俗資料館」で「第五福竜丸」の資料展示を一緒に観たことがある。「"永遠の0"の時代」から僅かの時期の、「衝撃の事件」だったビキニ環礁水爆実験でのこと。幼い2人は、その時、どれだけのことを感じ取ってくれたのだったか。そんなことも思い出していた。
3月1日は、「ビキニ・死の灰」事件から60年目の日。焼津市では「被災60年3・1ビキニデー集会」(原水爆禁止世界大会など主催)が例年にない参加者のもとで開かれたようだ。そして、「今まであまりしゃべらなかったが、自分の生きている間に」との思いで元乗組員の池田正穂さん(81)も、当時のことを話し始めたと言う。
「死の灰」を浴びるという「過酷な経験」をした池田さんが重い口を開いて語りだすことと、「永遠の0」の中で、健太郎の訪問を受けて宮部を語るかつての戦友たちの姿とが重なって、「平和な時代」に「核廃絶」はもちろんのこと、「平和であればこそ」の意味を噛み締めることの大切さを感じることになった。 mm生