[ 2025年07月 ] の記事一覧

2012.08.26

N.アームストロング元船長の死去ニュースと「1969年」

早朝のTVニュースを観ていると、「初の月面着陸の宇宙飛行士、N.アームストロング船長が死去」、が聞こえてきました。極めて印象深いので、急遽ブログの話題に入れました。19697月、米国アポロ計画を通して人類初の月面着陸に成功した宇宙船アポロ11号の船長として、彼は、同僚のE.オルドリン宇宙飛行士とともに同船から着陸船に乗り移って、月面に降り立った。

 当時テレビ画面に映し出された光景、すなわち地球の6分の1程度の重力環境の下でビーチボールが軽く飛び跳ねるように歩く姿や、月表面の土埃に残された靴底の跡型、それに「1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と語ったマイク音声は、今でも耳に覚えていることがらです。

 

1969』とは、歌手由紀さおり&音楽バンドピンク・マルティーニのコラボによるアルバムの名前、昨年度に世界20ヵ国以上でCD発売・デジタル配信されました。夜明けのスキャット(由紀さおり)、ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)、イズ・ザット・オール・ゼア・イズ?(ペギー・リー)といった日本が誇る同年の名曲が世界中に轟くことになり、私も研究室の作業BGMの1つとして愛聴います。

 

1969年」当時、私は広島で大学1回生から2回生へと移る時でした。先の由紀のスキャットを初めて聞いたのは、「大学会館・講堂」に持ち込んでいた携帯ラジオからです。その時参加していたのは「・・・に関する大学糾弾・討論集会」というもので、学生として教養部改革をまじめに議論するものでしたが、「大学当局の不当さ」そして「様々な社会悪の縮図が大学内に存在する」ことばかりが、純粋に私たちの多くに入りこんできました。全国を駆け巡っていた大学紛争の光景です。その年の2月24日に一部の学生による千田町教養部新館の封鎖、大学として68年度後期末試験の一時延期、それから夏の機動隊による封鎖解除要請までの間、大学に行くけれども授業は無い、大学に行くも行かぬも、読書するもしないも、誰と何を語り討論するかも自分次第、という日々をおよそ半年間過ごしました。

 

 後に学部を終えて教育学研究科に進み、教科教育学(体育科教育)を専攻してあらためて「1969年」に起こったことの意味合いについて考え、学んだことを、今も鮮明に覚えています。

1つは、当時の「教育内容の現代化・系統化」「科学教育の重視」と呼ばれたことです。それまでの教育過程に関する「児童・学習者中心主義」から「系統学習中心」への変化でした。米国のスプートニク・ショック(当時のソビエト連邦のスープトニク1号の打ち上げ成功のニュースによって合衆国が面目を失い、それに続く人工衛星計画「ヴァンガード計画」の失敗が全米を自信喪失・パニックに陥れた。それらを契機に米国が宇宙開発に本腰を入れるようになったこと)を背景とする、科学教育の改革(教育内容、方法、カリキュラムの全面見直し)が、我が国の自然科学教育にも大きな影響を与えていました。

 2つは、児童中心という名で「放任主義」に陥るのではなく、認識能力の成長に見合った動機づけの研究がカリキュラム運営の1つの大きな領域になる、と認められるに至ったことです。同じような環境、事件に晒されたとしても、それをどのように自分の目的意識の範疇に取り込んでくるか、が教育の結果を大きく左右します。

1969年に、「人と場所と素材のみを与える」にとどまった大学が、一方では結果として多くの学生に自己学習の貴重な機会を与えた事でした。

 先生が同じだから、プログラムが同じだから、それを行った量・時間が同じだから、同様の内容を同じ水準で個々人が学んだとは決して言えないことは、周知のことがらです。テストを行って100点以上と0点以下の「学力」情報については何も言っていないかのごとき「教科教育」ですが、もう少し巨視的なところでは、「教育の科学的な追及」が真に求められているところだと感じます。

 

 今日、学士課程カリキュラムの現代化、学習者中心の授業運営、大学院、特に前期課程でのカリキュラムの現代化は、大学教育改革においても古くて新しい課題です。元宇宙飛行士の死去ニュースから「1969」を思い起こし、自分の歩んだ道を少し振り返りました。

タイトルから「いかなる関連か?」、と怪訝にも読み進めていただいた読者の皆さん、1969年だけに留まらない「思考の巡り」を紹介しました。

宇宙飛行士と言えば、本ブログのブロガーの一人「忠」先生がよく二言目には出す言葉で、心身の鍛練、頭脳の訓練、それに自己啓発が求められる分野で、学部や大学院で学んでもらう貴重なロールモデルとして、私たちも時々紹介します。この後期には、JAXA元宇宙飛行士の山崎直子さんが客員教授として何回か講義・講演してくれます。今から私も楽しみにしています。

 

【善】

 

 

2012.08.25

日本体育学会第63回大会(2)

昨日の【ハル】先生のブログに引き続き、8/22-24にかけて東海大学において開催された【日本体育学会第63回大会】について感じたことを書きたいと思います。

今回の学会大会を通して私が一番感じたことは【東海大学体育学部の結束力】です。今回の体育学会では、演題数が約660、学会への参加者は約2100名で した。また、同じ時間帯に15もの専門領域における研究発表が同時に進行していますので、受け入れ側のスタッフの苦労は大変なものです。


しかし、今回の当番校の東海大学の大会運営、チームワークは見事なものでした。それもそのはず、この3日間のために2年前から時間をかけて準備をされてき たとのことです。また、体育学部の59名の教員、約280名の学生スタッフが今回の大会運営に携わっていらっしゃいました。まさに、東海大学体育学部の総力を挙げた学会開催だったかと思います。


今回、特に印象に残った点として、学生スタッフをまとめる教員の方々のリーダーシップ、そして、学生スタッフの動きの良さです。学会会場に入ると、どの学 生も元気に挨拶をしてくれました。大会受付ブースでは、柔道の井上康生先生(シドニーオリンピック柔道金メダリスト)が終日対応にあたっていらっしゃいま した。また、目的の教室を探してうろうろしていると、即座に周りの学生スタッフが声をかけてくれました。ちなみに、私は運動生理学の専門領域で研究発表があったために朝早くに会場に到着したのですが、そこで目にしたのは開始1時間以上前から10名弱の学生スタッフが入念に機器のチェックや諸々の準備をしている光景でした。他にもたくさんの例がありますが、3日間を通して、本当に気持ちの良い対応でした。組織委員会委員長の山下泰裕先生が「おもてなしの心をもって受け入れます」と常々おっしゃっていましたが、まさにその通りの運営でした。


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さて、この体育学会、次年度は私達、立命館大学が担当です。8/28-30にかけて、2000名以上の関係者がびわこ・くさつキャンパスに集結します。今 回感じたような「おもてなしの心」に満ちた受け入れができるかどうか、これはスポーツ健康科学部の教員、学生がいかに結集できるかにかかっています。参加者の記憶に残るような、素晴らしい大会になるように、私自身、積極的に準備に関わっていきたいと思います。


GOTO

2012.08.24

日本体育学会第63回大会

残暑の厳しい中、22日~24日に渡り標記の学会が東海大学湘南キャンパスで開催されています。体育哲学、体育史、体育心理学、運動生理学以下、介護福祉・健康づくりにいたる15の専門領域から成り立っている学会は、人文・社会・自然科学のすべての分野に関係している総合科学を代表する分野といえます。筆者が初めてデビューした当時(丁度40年前)と比較したら隔世の感がありますが、専門分野の細分化に伴う弊害が指摘されてから久しく、統合化が叫ばれながらもむしろ細分化の道を辿り、世に言う蛸壺化現象を呈しているといえます。しかしだからこそ、この種の全国大会(参加者数は約3,000人程度?)での情報交換が意味を持つのかもしれません。来年は本学が開催校となります。その準備も含め、岡本先生、真田先生を中心に諸先生方が東海大学の開催状況の実態を詳細にチェックされています。また、伊坂先生の号令?に基づき、発表演題数の一割強(約100題)は本学の院生、教員で占め、立命館大学スポーツ健康科学部の勢いを示めそうと、皆さん

張り切っています。

 今回、体育心理学の専門領域では、院生の亀井君が「調子の良さに関する精神生理学的研究」で、福村さんが「運動部位への触覚の付加が運動学習効果に与える影響」でデビューしました。問題点を含みながらも出席者の関心を引き、多くの質問にも適切?にこなし、堂々たるデビューでした。修論が楽しみです。(老ブロガー・ハル)

2012.08.23

研究の内容(その2)

Hamaです。

これまでの研究の例、その1

「筋血管の若返りに関する研究」

 

 この研究の背景:最近、身体活動の低下(極端な場合には,廃用症候群)による変化と老化は共通した特徴があることがわかってきました。

 

 これまで、予防医学や治療医学では「骨格筋の健康」は、このテーマが生命に直接関わることが少ないので着目されることは少なかったのです。でも、骨格筋は体において約40%の重量を占めており、体最大の臓器なのです。最近、「骨格筋の健康」は糖尿病等の生活習慣病の予防に深く係わっていることが分かり、「骨格筋の健康」を維持増進することが、重視されています。

 身体活動の低下を調べる方法として、様々なものが用いられていますが、ベッドレスト実験(24時間ベッドで過ごす)は被験者に対する負担が大きいし、加齢変化の観察は数年に渡り縦断的に行う必要があり、大変です。宇宙滞在は極度の変化を引き起こす点で有用ですが、人を対象とした研究機会は極度に限られています。

 そこで、これまで私たちは、骨格筋と末梢血管の機能低下モデルとして、非利き手側の前腕固定を用いて検討してきました。このモデルを用いた検討は少ないのですが、その利点は、全身的な活動低下を最小限にした状態での筋血管系変化を特異的に観察でき、下肢の固定に比べても日常生活での制限が少なく被験者への負担が小さいことが挙げられます。

 

次回は、この研究の具体的な結果をお話しします。

 

【今週の1shot!!

どこのなんと言う塔でしょう??

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2012.08.22

学び続ける教師たち

おはようございます。ma34です。

先週土日と、母校である京大・教育学研究科が主催している
「E.FORUM全国スクール・リーダー育成研修」という研修会に参加してきました。

E.FORUMのHPはこちら

この研修会は、全国の小・中・高等学校の先生方が集まり、
カリキュラム開発・授業改善をめざした実践交流や、
「パフォーマンス評価」の研究についての講義が行われます。

※パフォーマンス評価とは、わかりやすくいうと、
 いわゆる普通の「テスト」といわれる選択式のテストなどの「客観テスト」でのみ能力を測るのではなく、
 より真正性の高い(現実的な文脈の中での)課題を児童生徒に与えて総合的な力を測ろう、
 というものです。(わかりやすく言えていない!?)

 たとえば、数学では。

 企業の商品開発担当者になったと仮定して、
 「商品(チョコなど)がなるべく沢山入り、
 かつ展開したときに表面積が一番小さくてすむ、箱の形を考えましょう」

 という課題に挑戦したりします。
 そうした総合的な課題を解決しようとするなかで、
 テストで測られる基礎的な知識やスキルが
 しっかりと活用できているのかどうかも測ることができるというわけです。

この研修会には、院生の時からスタッフとして関わっておりますが、
毎回、全国の熱心な現場の先生方が集まってこられるので
私も沢山勉強になる機会として毎年楽しみにしています。

今回は国語、算数・数学、理科、社会、英語、総論(体育、家庭科など)で各分科会を開き、
私は英語科の司会・コーディネーターを務めさせていただきました。

英語科ではスピーチやディスカッションなど、
パフォーマンス課題に近い活動は多く行われている方だとは思います。
けれども、現場ではなかなかそうした課題に取り組むことが難しいという声も聞きます。
その中で、この研修会に集まった先生方は先進的に、そしてパワフルに理論を学び、
実践を行っていらっしゃいます。

議論の中身は書くとまた長くなるので、またの機会に。。。

でも、現場の先生は夏休みだからといって休んでいるのではなく、
本当に常に学び続けているのだなあ!と感動した私でした。
私も負けないように日々勉強をしていきたいと思います!

ma34.
 






2012.08.21

キャリアを考える(1)

さて、夏なので、将来ビジョンを考えてみよう!ということで、
今回はキャリアを考える、をネタに、ブログを書きます。

キャリアというのは、日本語ではキャリアアップ、などと言った使われ方もして、
仕事や職歴を変える、というイメージもありますが、
本当のキャリアの概念では、これは違います。

キャリアには、まず2種類あって、
一つがライフキャリア
もう一つがワークキャリア
です。

ワーク、つまり仕事のキャリアを指すワークキャリアでは、
生涯のうち、もっとも多くの時間を過ごす可能性の高い仕事と自分自身の在り方、
について考えていきます。

一方で、ライフ、つまり生涯のキャリアを指すライフキャリアでは、
人生をどう充実させていくのか、について考えていきます。




現在、多くの使われ方はワークキャリアを主にしていますが、
やはり仕事は人生の多くを占めています。

1週間が168時間。
うち、仕事で使う時間が8時間5日労働だとすると、40時間。
4分の1ほどを実際の仕事時間に使います。
これ以外にも片道1時間かかって仕事に通うとすると、50時間。
残業なども含めると、およそ1週間の3分の1ぐらいは仕事に使っている計算になるでしょうか。

そしてまた、睡眠など必要な時間を除くと。。。
一日の自由に使える時間のほとんどは、仕事の時間、となってきます。
そのため、働き方や仕事と、自分の生き方との関わり、
つまりワークキャリアが重要となってきます。

今は人生が80年ちょっとで、そのうち60歳定年だとしても、
現役の大卒で38年間働くことができて、
およそ半分が働く期間。
定年延長なども含むと40年を越えていきます。
つまり、人生の半分が仕事に関わる。

けっこう長い時間がワークキャリアに関わってきますので、
10年後の自分、をイメージしながらキャリアを積み重ねていく、
そんな必要もあります。
短期的ではなく、長期的な視点、がものすごく重要な視点になります。

そして、天職はなくて、自分が就いた仕事や自分が楽しいと思う働き方、
また楽しく働ける仲間、と共に働いて、自分を成長させていく、
ということが大切で、今、何の仕事に就くのか、というのはそこまで重要ではありません。

10年も経てば、経験と共に、やりたいことも変わって行きますので。

そんなこんなで、そろそろ長さが良くなってきました。
タイトルを見てもらえればわかりますが、
あてにならない連載物です(笑
また、機会がきたら、続き、経験から来る仕事の見つけ方、
について話していきます。

ではでは。

PS:お盆。。。お墓参り、という伝統はありましたが、いつまで続くのかなぁ。。。

2012.08.20

桃太郎館

先日、岡山に出かけてきました。その際に、桃太郎にまつわるものを展示した桃太郎館を訪ねてみました。

Fの展示室には、錯視を利用しただまし絵、ならびに写真のような鏡を使ったおもしろ体験コーナーがありました。

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Fの展示室には、「桃太郎」にまつわる本、映像などの展示がありました。その中で、桃太郎の話の中には、人間が幸福に暮らすための5大要素が含まれているとの解説がありました。その5つとは次のものです。

①桃太郎=健康=人的資源

②きび団子=富=物的資源

③犬=仁・忠誠心

④猿=智・知能

⑤雉=勇・行動力

幸福についての考え方は、人それぞれですが、やはり「健康」が一番です。健康な身体で持って、人間力、能力を高めて、事にあたることが、幸福につながることになる、ということを考えさせられました。

幸福の礎となる「健康」を理論と実践で学ぶ、本学のスポーツ健康科学部は、スポーツ、教育の分野に限らず個人、組織、社会の健康をうみだす人材を養成します。「桃太郎」のようなリーダーシップを発揮して、鬼退治というチャレンジングな事業に邁進できる人材です。

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<<今週のちょっと、もっと、ほっとな話>>

残暑厳しい日々が続いています。皆様も体調管理にはくれぐれもお気をつけて下さい。4月に来たチャッピーをつれて、希望ヶ丘へ行ってきました。暑い日差しのせいか、高大な芝生広場も人がまばらでした。クロスカントリーレースにも使われ、オリンピック選手もトレーニングに使う芝生広場です。是非、訪ねてみて下さい。もう少し涼しい時期が良いかもしれません。

【忠】

 

 

 

 

 

2012.08.19

全力と無気力

94回全国高校野球選手権大会が、本日でベスト8の出そろう所まで進んでいます。前半はオリンピック放送の影に潜んでいたようでしたが、最近また、投・打や試合展開で直接・間接的に観る者の興味を惹きつけています。毎夏繰り広げられるこの大会の面白さや関心の広さは、長年大会関係者によって築きあげられてきたイベント開催方式、すなわち地方予選(都道府県単位別、一部は複数地域)、抽選による代表校対戦、予選・本戦を通したトーナメント方式によって支えられていると言えます。

 

 甲子園大会の優勝校は、全国のおよそ4千弱チームのなかでこの夏一度も負けなかったチームだ、ともよく言われます。「負ければ終わり、一試合毎、一場面毎に、各成員が準備したもの(クラブ活動、練習・トレーニングの成果)を出し切ること」、これらは選手・指導者・関係者や応援者もみんな同じ思いであり、選手宣誓に「正々堂々、スポーツマンシップに則り、全力プレイ」という語が差し挟まれても、拍手こそすれおかしいという人は極めて稀だと思われます。このような共通の狙いや目標が共有されて、「プレイヤーの直向きな行動」や「懸命プレイ」、「偶発的な名プレイや試合展開のドラマ」が、多くの人々に肯定的に評価・鑑賞されていると考えられます。私も今までとこれからもその一人で有り続けるでしょう。

 

 けれども一方で、地方大会の一回戦などでは、上記のような「手に汗握る」展開とは全く異なる状況、すなわちラグビー試合も顔負けの一方的スコアがしばしば出現しています。その最高は、1998718日の青森県大会で記録されました。翌日の日刊スポーツの一面も飾った歴史的な試合で、東奥義塾高校対深浦高校、得点表のような進行で前者の7回コールド勝ちでした。

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 東奥義塾は、従来の一方的スコア記録(72)50点上回る122点を挙げ、攻撃の内訳もまた凄いものでした。打者延149人、ヒット86、四死球36、本塁打7、三塁打21、二塁打31、そして盗塁78。三振1。これを1チームが1試合で記録してしまったのですから、「手を抜かない、真剣、全力のプレイ発揮」が行われた、本当に凄い試合だったと想像されます。負けた深浦は打者25人がノーヒットで、アウト21のうち16が三振でした。因みに試合時間は3時間47分、プロ野球の少し長い試合と変わりないものでした。

 

 公式記録の公認やチャンピオンシップの決定は、スポーツが肥大・高度化する過程で重要なポイントであり、競争の公正・平等性、客観性を高める努力がスポーツ界で数多く行われてきたことは周知のことがらです。男女の別だけでなく安全性をも配慮した、格闘技等での「体重別階級性」、昇り詰めるに従って力量が一層高くなる者(チーム)同士の対戦になるというトーナメントの性質を配慮した「シード制」、選手の安全面と試合展開の一方性排除を考慮した(チーム競技での)「上位、中位、下位等のグループ制」等々は、種目の多様さを考慮すれば、ごく一部にしかすぎません。

 高校野球にもう一度戻れば、常連、強豪、伝統校と呼ばれる全国数十校の事前準備の状況(従ってスタート・ライン)と例年1回戦で姿を消す高校のそれとの間には、極めて大きな落差があります。その結果として、野球のゲームや個人の記録からすれば、驚き、呆れと同時に不審の念が多くの人びとを縛ります。

 勝敗結果や感動的プレイが、ゲームや運動課題をめぐる対戦者同士の公正なゼロ・サムゲームが展開されることを通して生み出されることは事実ですが、先例のように出発地点が異なりかつ目的地点への到達努力の発揮が100%求められることを忠実に実践すれば、野球ゲームの面白さ・醍醐味などがかえって失われるという結果になります。

 選手、指導者、学校・地域・家族等関係者や多くの周辺ファンには、強いチームであっても弱小のチームであっても、そのような違いを越えてそれぞれその時点・地点で「サポート」することの価値・意義づけのあることは、私も十分認めます。

 

 だからこそ、「勝ちや記録」に努力する選手に対しては勿論、それをサポートする様々なレベルの人びとに対してさえも、イベントをマネジメントする側、特に「競技を運営(審判を含む)する委員会」の働きが今日重要性を増している、また専門的にも注目されていると感じます。今回のオリンピックでも話題になった「無気力試合」、ある報道では次のように書いています。「ニュース映像などからもわかるように、試合中のブーイングは確かに凄まじいものがあった。だが、心の底から不満を訴えている声よりも、ブーイングを楽しんでいる方が多かったのが真実。本当に怒っていたのは、あまりバドミントンを知らない一般層のみ。実際は笑いながら見ている観客が圧倒的だった。」読み方によっては、スポーツは特別に観るモノではない、と言っているようである。「する者」「関わり、支える人」についてはそれでいいが、観る者については見方を限定できない「ショー・ビジネス」としての性質には、全く触れていません。「無気力」と「全力」では、「する」側の人びとにとって全く論理は逆ですが、「文化の価値が多くに認められる」ことにとっては、同じように消極的に働いている、と私には思えてなりません。

 結局、大問題となって、中国、インドネシア、韓国の2ペアの合計4ペアを失格処分にして、「スポーツの価値」「一般の人々の賛同」を守ったように見えます。だが、一般の人々に分かり易い「整理と理解」のレベルの追求など、スポーツ関係者が引き受けた「研究課題」には大きなものがあるのではないか、と私には感じられます。

 

【善】

 

2012.08.18

レポートを読んで感じたこと

先日【moza】先生のブログにもありましたように、夏休みに入り教員は前期の成績評価(試験採点)を行っています。私も大人数の授業を複数担当していたこともあり、ここ最近は採点の毎日です。


今日はその中で、感じたことを書きたいと思います。おもにスポ健3回生が受講をしていた【エクササイズプログラミング論】では、学期末に【枚数無制限】【書式自由】というかなりヘビーなレポートを課しました。3つの論題に対して、具体的なトレーニングメニューや体力の評価方法をまとめるという内容だったのですが、2ページのコンパクトなレポートから20ページを超える力作、自作のイラスト入りのレポートなど様々な内容でした。約160名のレポートで総ページ数は1000ページは楽に超えるものでしたので、その中でいろいろと感じることがありました。


まず3回生になると、レポートを書く能力に個人間で大きな差が出てきています。特に「読みやすさ」、この点に大きな違いがみられます。もちろん内容が一番ですが、常に読み手のことを考えレポートを書くことは非常に大事なことです(これはレポートだけでなく、プレゼンテーションでも同様です)。そのためには1ページあたりの行数や行間スペースに十分に吟味する必要があります。また、適度に見出しをつける、重要なところは太字にするといった工夫もして欲しいところです。内容は優れているのにも関わらず、行間スペースが狭かったり改行がなされていないために、とくかく読みづらい・・・こういったレポートがありました。


その他残念だったことは、独自性(オリジナリティ)に乏しいレポートが多かったことです。例えば、今回、大学ラグビー選手を対象にしたトレーニングの年間計画に関わる論題を出したのですが、本学体育会ラグビー部で用いているトレーニング内容ををほぼそのまま(おそらくHPなどに記載されている内容をもとにして)書いているレポート、私の授業レジュメに記載されている内容をそのまま書き写したレポート、関連書籍に記載されているトレーニング例をそのまま引用していると思われるレポートが目につきました(160人分のレポートを読んでいると、明らかに引用箇所が同一と思われる似たような図表が幾つも出てきます)。そこに書かれている内容は適切かもしれませんが、これでは授業を受けた意味がありません。「15回の授業を通して何を学んだのですか?」と逆に問いかけたくなりました。資料はあくまで参考にするものであって、授業で学んだ知識をもとに独自のレポートを作成して欲しかったです。当然、この点は今回の成績評価に強く反映させています。


ただ、多くのレポートは時間をかけて書き上げられており、この3年間の確かな成長を感じることのできる優れた内容でした。また、提出期限の何週間も前から私の所に質問に来たり、関連する書籍・文献を十分に調べ、何度もブラッシュアップさせながらレポートを仕上げた学生もいます。やはり時間をかけただけのこともあり、彼ら・彼女らのレポートの内容は素晴らしく、読んでいて楽しく、そして嬉しくなりました。


スポ健の皆さんは今後も、様々な場面でレポートを書く機会があると思います。ぜひ質の高いレポートを書くことができるように、チャレンジしてみましょう。

GOTO

2012.08.17

ロンドンオリンピックが終わり

 選手の活躍に一喜一憂しつつ睡眠不足の2週間が瞬く間に過ぎてしまい,ふと気づいたら名ばかりの残暑の厳しい立秋に入っていました.獲得メダル数がこれまでの大会で最高と報道されているように,この間の日本人選手の活躍には目を見張るものがありました.金メダル数こそは少なかったものの,銀メダル,銅メダル数の多さは"次(継ぎ)"を期待させるに十分な健闘であったといえます.本当にお疲れさまでした.

 筆者が体育学部学生時代(40年程前),ハンマー投げの授業で指導教授(60歳を超えておられたと思います)のそのフォームの美しさに魅了され,"スポーツは芸術だ!"だと思わずつぶやいたことを,テレビ観戦しながら想い出しました.一般に美しさは人を魅了しますが,スポーツは更に深い感動をよび,人生のすべてをかけさせる何かがあるように思えます.勝負に勝つことだけが目的ではないことはいうまでもありませんが,試合に出る以上,全力を尽くし,勝つことを目標として長い間たゆまぬ努力を,人並み以上のトレーニングを重ねてきた人だけが示し得る普遍的な美しさが,感動を呼ぶ強い力となっているように思えます.スポーツは一段と科学の戦いの様相を呈してきましたが,それだけでは感心こそすれ魅了する力にはなりえません.この"力"にどのような要因が強く関与するのかの問いに答えるのもスポーツ心理学の役割かもしれません.