早朝のTVニュースを観ていると、「初の月面着陸の宇宙飛行士、N.アームストロング船長が死去」、が聞こえてきました。極めて印象深いので、急遽ブログの話題に入れました。1969年7月、米国アポロ計画を通して人類初の月面着陸に成功した宇宙船アポロ11号の船長として、彼は、同僚のE.オルドリン宇宙飛行士とともに同船から着陸船に乗り移って、月面に降り立った。
当時テレビ画面に映し出された光景、すなわち地球の6分の1程度の重力環境の下でビーチボールが軽く飛び跳ねるように歩く姿や、月表面の土埃に残された靴底の跡型、それに「1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」と語ったマイク音声は、今でも耳に覚えていることがらです。
『1969』とは、歌手由紀さおり&音楽バンドピンク・マルティーニのコラボによるアルバムの名前、昨年度に世界20ヵ国以上でCD発売・デジタル配信されました。夜明けのスキャット(由紀さおり)、ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)、イズ・ザット・オール・ゼア・イズ?(ペギー・リー)といった日本が誇る同年の名曲が世界中に轟くことになり、私も研究室の作業BGMの1つとして愛聴います。
「1969年」当時、私は広島で大学1回生から2回生へと移る時でした。先の由紀のスキャットを初めて聞いたのは、「大学会館・講堂」に持ち込んでいた携帯ラジオからです。その時参加していたのは「・・・に関する大学糾弾・討論集会」というもので、学生として教養部改革をまじめに議論するものでしたが、「大学当局の不当さ」そして「様々な社会悪の縮図が大学内に存在する」ことばかりが、純粋に私たちの多くに入りこんできました。全国を駆け巡っていた大学紛争の光景です。その年の2月24日に一部の学生による千田町教養部新館の封鎖、大学として68年度後期末試験の一時延期、それから夏の機動隊による封鎖解除要請までの間、大学に行くけれども授業は無い、大学に行くも行かぬも、読書するもしないも、誰と何を語り討論するかも自分次第、という日々をおよそ半年間過ごしました。
後に学部を終えて教育学研究科に進み、教科教育学(体育科教育)を専攻してあらためて「1969年」に起こったことの意味合いについて考え、学んだことを、今も鮮明に覚えています。
1つは、当時の「教育内容の現代化・系統化」「科学教育の重視」と呼ばれたことです。それまでの教育過程に関する「児童・学習者中心主義」から「系統学習中心」への変化でした。米国のスプートニク・ショック(当時のソビエト連邦のスープトニク1号の打ち上げ成功のニュースによって合衆国が面目を失い、それに続く人工衛星計画「ヴァンガード計画」の失敗が全米を自信喪失・パニックに陥れた。それらを契機に米国が宇宙開発に本腰を入れるようになったこと)を背景とする、科学教育の改革(教育内容、方法、カリキュラムの全面見直し)が、我が国の自然科学教育にも大きな影響を与えていました。
2つは、児童中心という名で「放任主義」に陥るのではなく、認識能力の成長に見合った動機づけの研究がカリキュラム運営の1つの大きな領域になる、と認められるに至ったことです。同じような環境、事件に晒されたとしても、それをどのように自分の目的意識の範疇に取り込んでくるか、が教育の結果を大きく左右します。
1969年に、「人と場所と素材のみを与える」にとどまった大学が、一方では結果として多くの学生に自己学習の貴重な機会を与えた事でした。
先生が同じだから、プログラムが同じだから、それを行った量・時間が同じだから、同様の内容を同じ水準で個々人が学んだとは決して言えないことは、周知のことがらです。テストを行って100点以上と0点以下の「学力」情報については何も言っていないかのごとき「教科教育」ですが、もう少し巨視的なところでは、「教育の科学的な追及」が真に求められているところだと感じます。
今日、学士課程カリキュラムの現代化、学習者中心の授業運営、大学院、特に前期課程でのカリキュラムの現代化は、大学教育改革においても古くて新しい課題です。元宇宙飛行士の死去ニュースから「1969」を思い起こし、自分の歩んだ道を少し振り返りました。
タイトルから「いかなる関連か?」、と怪訝にも読み進めていただいた読者の皆さん、1969年だけに留まらない「思考の巡り」を紹介しました。
宇宙飛行士と言えば、本ブログのブロガーの一人「忠」先生がよく二言目には出す言葉で、心身の鍛練、頭脳の訓練、それに自己啓発が求められる分野で、学部や大学院で学んでもらう貴重なロールモデルとして、私たちも時々紹介します。この後期には、JAXA元宇宙飛行士の山崎直子さんが客員教授として何回か講義・講演してくれます。今から私も楽しみにしています。
【善】