帰省中の8月9日午前中、石巻に隣接する漁港・女川にて「戦没者慰霊祭」に参加した。1945年8月9日は、長崎の「原爆の日」だ。しかし、その同じ時に、当時東北地方有数の「軍港」であった女川も空襲を受けている。その時の軍関係の生存者や遺族の方々が「慰霊碑」を建立し、現在でも細々とではあるが「慰霊祭」を行っている。
私たちにとっては思わぬ「因縁」での「慰霊祭」への参加だった。実は、女川空襲の際に撃墜されたカナダ空軍・グレー大尉の「慰霊碑」も女川にはある。
第二次世界大戦におけるカナダ空軍「最後の戦死者」であって、「ビクトリア勲章」も授与された「英雄」だ。そのグレー大尉を伯父とするカナダの研究者と1995年以来交流があって、その「縁」で女川のグレー大尉の「慰霊碑」も知ることになった。
先の「慰霊祭」には、「女川空襲」の際に撃沈された海防艦「あまくさ」の乗組員の方が参列していて、当時の様子を知ることが出来た。私たちが知るグレー大尉の戦闘機は、この「あまくさ」からの対空射撃で撃墜されたようだ。
「慰霊祭」が終了した時、主催者側の事務局長という方に、「実は、私たちはグレー大尉との縁でこの慰霊祭に参加しているんです。」と話したら、「あのグレー大尉ですか? ええっ、どういうことですか?」と、事の外驚いていた。
女川町の広報誌には、「グレー大尉の一件」が詳細に載せられていて、小学校の学習教材としても用いられているという。この「慰霊碑」は、3.11の地震で崖崩れを起こした岬の途中にある崎山公園から、現在は町立病院横の小公園に移設されていて、「東日本大震災」後の、女川町の復興の様子を眼下に見ることになる。
ところで、「卒業研究」で、「東日本大震災」に関連した「人々の健康意識」を題材として論文を書きたいという学生がいる。「東日本大震災」から2年半になる「被災地」の実情について、石巻周辺の限られた情報ではあるが、しっかり伝えなければならない。と同時に、是非、「実態把握」のために「現地」に足を運んでもらいたいと思う。
校門前の山に避難して、子どもたちは全員無事だった谷川小学校も、津波に襲われた校舎は完全に撤去されていた。震災後、破壊された校舎を曝しながら、グラウンドが「瓦礫集積場」となっていた渡波の石巻市立女子商業高校は、瓦礫はもちろん撤去され、校舎も移転のためにすっかり更地になっていた。津波に襲われるとともに火災まで起こして「無残な」姿を曝していた門脇(かどのわき)小学校は、校舎全体がカバーで覆われていたし、同じ地域の市民病院は、建物がすっかり撤去されていて、周辺には緑の草花が生い茂っていた。一方、仮設住宅での生活は依然として続いているし、街の中心部に人々の姿は少ない。こうした「被災地」での光景に直接触れることも、研究作業としては重要だろう。 mm生