[ Tue ] の記事一覧

2018.12.04

添削の難しさ

この時期は、どうしても卒業論文の話題が多くなってしまいます。
今日は、何十本の卒業論文を指導しても頭を抱えてしまう添削について。

毎日のように次々と送られてくる卒業論文。
中には、「Ver.10」と記されているものもあります。
10回目の提出ということですね。

提出初回は、論文全体の流れがおかしくないか、論理性があるかなどをみます。
ここでは、細かい文法はあまりチェックせず、「主語と述語があってないよ」
「『を』ではなくて『は』だよね」「以降、同様だから自分で修正してね」
などなど、大まかな、そしてできるだけ執筆者本人が気づいて修正するように
助言します。

次のステップでは、出てきた結果の解釈に論理性があるかをしっかりみます。
例えば、何かと何かに相関があった場合、その関係性を説明できる根拠があるか、
ただ単に、関係があったという事実を重要視していないかを話し合います。
多くの場合、関係があったという「事実」を重要視しており、その関係性が
なぜ生じるのかを考察できません。これでは、研究とは呼べなくなってしまいます。

この段階を経て、大詰めに入っていくわけですが、執筆者の学生も疲労と焦りが
蓄積されていく時期にもなります。文章の「て・に・を・は」が乱れに乱れ、
同じことばの乱用が始まります。きっと、疲れもピークで、文字が目に入って
いないのかもしれません。「考えられる」「考えられる」「考えれる」と、
何十回も「考えられる」が使われていたりします。
これをどんどん添削していくと、紙面はもうまっかっか(赤字ばかり)。

これでは、誰の論文かわからなくなってしまうので、「これではいかん」と
思いなおし、最初から添削のやり直し。また、初回のころの添削方法に戻り、
できるだけ自分でおかしさを見つけて修正するように助言します。

そんなこんなで、気づけば「Ver.10」。
そろそろ仕上がりそうな数名。
執筆者のためにも私のためにも「Ver.15」あたりでの提出を目指します。

2018.11.27

質的研究に対する誤解

卒業論文が佳境に入った11月のある日、まだテーマの決まらない学生のやり取り。

A:どうしよう~。まだテーマが決まらない。
B:え~、もう時間ないよ。卒業できないやん。
A:そうなんだよぉ。焦るばっかりで、泣きそうになる。
C:じゃあ、インタビューでもすればいいじゃん。
B:それ、いいんちゃう?パって、話聴いてまとめたらいいやん。
A:そうかなぁ…でも、そんなんで卒論になるんかな?
C:なるよ~。
B:なると思うよ~。
A:でも、習ってないし、やり方わからんよぉ。

どう思いますか?ここには、3つのおかしさがあります。

1つ目。
11月なのに、論文のテーマが決まっていない。
もちろん、ここからの追い込みも可能でしょうが、いくらなんでも提出1か月前に
論文のテーマが決まっていないのは、どうしたものかと頭を抱えてしまいます。

2つ目。
インタビューでもすればいい。
こんな風に考えている学生は、少なくありません。
この場面以外でも、このような発言を耳にすることが多くあります。
インタビューによる質的研究は、そんなに簡単なものではありません。

3つ目。
習ってないし、やり方わからない。
みなさん、質的(定性的)研究方法についても習っているはずです。
定量的研究方法ほどの深さではないかもしれませんが、習っています。
この場合、覚えていないという表現が正しいのですが、記憶に残っていないという
事実を私たち教える側も受け止めなければいけないのかもしれません。


インタビュー、あるいは、対話を用いた定性的研究では、アンケートの回答からは
引き出せないものを引き出すという魅力と意義があります。
そのためには、熟考した質問と対話の構成・流れを必要とします。
実施中には、対話のタイミング、対話の相手の諸言動への注視と流れの変更など、
状況の変化に応じて、対話者に緊張感を覚えさせず、しかし瞬時の判断を要します。
また、分析・考察段階では、膨大な対話の逐語録の作成、その中には、言葉が出る
までの空白の時間測定までもが含まれる場合もあります。そののち、何度も何度も
逐語録を読み直し、また録音した対話を聞き返し、相手が意味することを慎重に
ひも解いていきます。また、一人よがりの考察にならないように、第三者の検証、
擦り合わせ、修正などの過程が入ってきます。

「インタビューでも」という認識をもう少し修正したいと思った会話でした。


2018.11.20

睡眠時間

みなさんは、毎日、何時間寝ますか?
4時間か5時間で、すっきりするひと
7時間か8時間で、心身ともにやる気がみなぎるひと
9時間か10時間で、フル回転できるひと

ひとは、等しく、1日24時間という枠組みの中で生活しています。
それをベースにして、一般的な就労時間が8時間と決められたり、
義務教育(学校)の始業・終業時刻が定められたりします。
もっと言えば、残業の時間や課題の量もこれにより規定されます。

昨夜、あるご家族と会食しました。
高校1年生のお子さんの話題になりました。
彼の特性のひとつが、過疲労が故に必要となる10時間以上の睡眠でした。
最低でも10時間の睡眠が必要なのですが、寝つきまでに、2時間あるいは
それ以上を要するようです。そうなると、単純に計算しても、12時間は
睡眠のために費やさなければなりません。朝7時に起きようと思えば、
夜の7時には床につかなければならない計算になります。

どうでしょう?
容易に想像がつくと思うのですが、高等学校の現行のカリキュラムでは、
生活がうまくいきません。部活動をする時間も、級友たちと放課後に遊ぶ
時間も、帰宅後に宿題をする時間もありません。

ただ、このような睡眠に関することは、「見えるもの」ではなく、理解
してもらえないストレスを抱えていました。長い睡眠時間が必要である
ことは、往々にして軽い問題、ひどいときには「怠け者」のような捉え
られかたをします。「見えないもの」に対するひとの理解や配慮は得ら
れにくく、苦しんでいるひとが多いということを知っていただけたらと。

ひとは、身長や体重や体格、髪の色や目の色、爪の形や手足の形、全て
が異なるように、睡眠時間も異なります。24時間が平等に与えられる
ことと、その時間枠で個々が活動できる時間や内容が同じであることは
異なります。さまざまな特性をもつひとがいること、「見えない」から
苦しむひとがいること、そんなことに少し思考を巡らせてほしいと思います。

2018.11.13

発達障がい

みなさんは、「発達障がい」ということばを耳にしたことがありますか?
テレビや報道、書籍などでも、このことばを見聞きすることが多くなって
きていると思います。

ただ、好ましいことであると同時に、ことばだけが歩き出し、理解が追い
ついていかない。あるいは、誤った理解、誤解を生むことにもなっています。
もっというと、表面的なメッセージが、人々を理解した気にさせてしまう
という現象も少なからず起きているように思います。

「発達障がい」といっても、その枠組みには、さまざまな特性のあるひと
が含まれています。また、その枠組みさえも、日本と他国の基準は異なります。
さらに、その中に含まれる「障がい」の種類や名称が変更されることもあります。
例えば、「アスペルガー症候群」の名称がなくなり、「自閉症スペクトラム」
に統合されました。この他にも「自閉症スペクトラム」に統合されたものも
あるのですが、要するに、障がいの名称が変わったということになります。
単純に障がいが統合されるわけではなく、新たな障がいカテゴリーができたり、
すでにあった障がいカテゴリーの診断基準が見直されたりします。

区別されていた障がいの統合、新たなカテゴリーの認定がなされるということは、
「アスペルガー症候群」診断されていたひとが、「自閉症スペクトラム」とは診断
されずに、別の障がいと診断が変わることもあります。

当事者の特性や日々の生活における困りや社会での生きづらさには、何も変化が
生じていないにもかかわらず、外部からつけられる障がい名だけが変わるという
不可思議さ。障がいの診断基準のあいまいさも含め、名称をつけることの意味を
どのように考えるか、もう少し慎重になすべきではと感じずにはいられません。

NHKが「発達障がい」の特集を2週間にわたり放映します。
これですべてが理解できるとは思えませんが、すべての番組を通して観ると、
少し「発達障がい」のことがわかるかもしれません。
https://www.nhk.or.jp/kenko/special/hattatsu/sp_1.html
https://www.nhk.or.jp/kenko/assets/special/hattatsu_onairschedule.pdf

2018.11.06

少しずつ…

前に、「たかが卒業論文、されど卒業論文」という内容を書きました。
重篤な疾患と障がいのある子の幼いきょうだいの気持ちとその家族の
あり方について、長い闘病生活を送り、他界したのお姉さんの死を経験
したご自身のライフヒストリーを卒業論文として書き上げました。

大学を退学することも考えていた彼は、このテーマを取り上げると決意
してから、驚くほどに日々変わっていきました。ご家族がお姉さんのこと
を話題にしたことは一度もなく、彼の中には大きなしこりのようなわから
なさがドカンと腰をおろしていました。小学校4年生からつもりにつもった
さびしさは、成人しても消えなかったと言います。

お姉さんの死から4年、卒業論文にこのテーマを取り上げ、ご両親、妹さん
と何度も何度も対話を繰り返しました。彼がはじめてきくご両親や妹さんの
気持ち、吐き出すことにできなかった自身の気持ちも少し表現できたよう。
今年のお正月には、仕上がった卒業論文をご両親に渡し、また語り合えた
ようです。家族がまた家族になったような気がすると話してくれたことが
とても印象に残っています。

長く障がいのある子や大人、その家族、そのきょうだいをテーマにしてきま
したが、すぐそばにいて何度も聞き返すことのできるゼミ生であり、また
きょうだい自身が書いた論文の内容に、はっとさせられることばかりでした。

同じ立場の多くの人に読んでいただきたいという欲求にかられ、教育系の
学会誌に投稿してみました。原著論文としての扱いは難しいが、内容は大変
貴重であり、ケーススタディ(資料)としての掲載という結果でした。
ただ、取り組みそのものについては、一定の高評価をいただきました。
看護や哲学では少しずつ認められつつある「当事者研究」ですが、まだまだ
その価値を押し上げるだけの研究手法が確立されていないことに加え、主観
を問題視されるところに留まっています。とても残念に思います。
それでも、ゆっくり、少しずつ、ほんとうに少しずつですが、私の領域のあり
方も変わってきていることを実感できたことをうれしく思っています。

2018.10.30

バランス

ついこの間、お正月のおとそを楽しんだと思っていたら、
あっという間に、今年も残すところ2か月と数日になりました。
本当に「あっ」という間に時間が流れていくように感じます。

10月も残りわずかということは…
卒業論文提出まで、1か月と少しということになります。
4回生の皆さんは、どんな風に時間を使っているでしょうか。

ゼミのみなさんは、無事に就職も決まり、ほっとしています。
ただ、ここ数年、難しいと思うことがあります。

3回生も終わらない時期から、修学との両立に苦労しながら
数か月の就職活動の末、内定をいただくことになります。
これでほっと卒業まで、最後の学生生活を謳歌し、卒業論文
にも本腰を入れられると思いきや、内定先の企業から、就職
前の様々な知識の習得、資格試験合格のリクエスト。決して、
強制的にではないようですが、学生の立場からすると必死に
向き合います。

その結果、卒業論文にかける時間は減少の一途。
完全に手が止まってしまう人もいて、真っ青な、悲壮な顔を
しています。「どうしよう」という声があちこちから…

確かに次のステップである仕事、そこに向き合う姿勢は大切
です。が、卒業しないことには、次のステップにも進めません。
卒業のためには、卒業論文の提出が必須ですので、どう両立
していくかが大きな課題となります。

残っている授業、次のステップへの準備、卒業論文執筆、
大変なことだと思いますが、うまくバランスをとりながら、
大学生活最後の数か月を有意義に後悔なく過ごしてほしいと
願っています。バランスを大切に。

2018.10.23

だんじり祭り

9月中旬の岸和田だんじり祭りを皮切りに、泉州ではあちこちの
村でだんじり祭りが開催されます。私の住む村近隣、すぐ近くの
地域では、10月はじめの週末から、3週連続でだんじり祭りが
ありました。その最後が、私の住む町を含めた八か村でなるお祭り。

昔は、今別々に実施している3地域が同じ日に開催していたのですが、
縄張り争い?というか、開催経路など決められておらず、どこかで
2台が鉢合わせるとすぐに喧嘩が始まっていました。どんどん規制が
厳しくなったことと、巨大なだんじりを動かせるだけの若者の数が
いなくなったことなどから、互いの地域が曳き手として助っ人参加
しなければ開催が難しくなってきました。

まだまだ勢いがあり、お祭り存続の危機ではありませんが、スタイルは
大きく変わってきています。
晴天にも恵まれたこともあり、まず、私が参加していたことりに考えら
れないほどの人・人・人。地元の人ではなく、大勢の見物人でした。
脚立を持った人たちが陣取り合戦。道路に侵入する人たちを世話人と
呼ばれる人たちが歩道に戻すのに苦労していました。

また、昔にはなかったアナウンス。「彫師はXXXX、デザインは…」と
放送が流れ、1台ずつの紹介です。順番を待ち、1台ずつなんて、考え
られませんでした。時代とともに変化するお祭りを実感しました。

だんじり祭りと育った私は、結局、笛と太鼓の音に誘われ、6回も見に
行き、ほとんど仕事は手につかずの週末でした。


2018.10.16

学び続ける

今年の春から、定期的に教員仲間3人で勉強会をしています。
テーマは、「組織論」。
二クラス・ルーマンの著書「公式組織の機能とその派生的問題」を
熟読する形式で進めています。これは、哲学分野での購読方法です。

メンバーの一人は、哲学の教員で「スピノザ」の研究者であり、また
社会システム論に興味関心が強い。
もう一人のメンバーは、マネジメントの教員。そして、私は教育分野。
それぞれが、異なる角度から、「組織」に興味を抱き、勉強会が発足
しました。私の興味は、「組織」のわからなさが出発点です。目に見え
ない、手で触れることも、感じることもできない「組織」であるのに、
日常では、毎日のように耳にすることばでもあります。私にとっては
得体のしれないという表現がしっくりくる「組織」、その「組織」と
「ひと」との関係を考えてみたいと思っています。

勉強会の進め方は、取り上げた書籍を一行一行、あるいは、一節一節、
丁寧に読解していく、哲学分野で一般的な熟読方式です。
約2時間の間に1ページ読み進められるかどうかという熟読のしかたです。
1回の勉強会で2ページ以上進んだことがない分、非常に深く思考します。

3人のそれぞれの領域に引きつけることもしながら、書かれている内容の
それぞれの意味解釈を交換します。ときには、まったく解釈が異なることも
ありますが、そこには新しい視点、思考との出会いがあり、わくわくします。

わからないことも多く、苦戦もしていますが、まったく異なる領域について、
まったく異なる領域のひととともに学ぶ楽しさと大切さを実感しています。



2018.10.09

うれしいお知らせ

毎年、夏から今ごの時期は、教員採用合否の報告にドキドキします。
水泳対策講座でがんばった現役学生のみなさんからは、残念ながら
合格者が出ませんでした。一年目は、一次試験をなかなか通過でき
ないというのが、現状です。教員免許に必要な単位を取得するだけ
で精いっぱいの現状と言った方がいいかもしれません。

これまでの私のゼミ生にも数名、教員志望者がいましたが、全員、
一年目は残念な結果となりました。3月には卒業していく彼らが
その後、どうしているのか分からなくなる場合も少なくありません。

ちょうど去年の今ごろ、「先生、合格しました!」と、2017年3月
に卒業したゼミ生から嬉しいメールが入りました。彼女は、教師と
して毎日忙しい生活を送りながら、競技も続けており、今年の国体
では、セーリング競技で優勝しました。
https://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2018/1004/k1.html

そして、今年。また「先生、合格しました!出世祝いしてください」
との嬉しいメール。出世祝い?かどうかは別として、「おめでとう」
の10連呼のメールを返信しました。彼は、卒業後、特別支援学校教員
免許を取得しました。大学時代は、部活一色だったので、とても大変
だったと聞きました。卒業論文では、障がいのある子の運動指導を
取り上げ、とてもいい論文を提出した彼は、きっといい教師になると
思います。

そして、もう一人。証券会社を退職し、地元で講師をしながら教師を
目指しているとの連絡がありました。昨年も今年も一次試験を通過し
ているので、来年こそは。

この3人は、同級生でした。在学中から、教師一本と決めていた人、
周囲の内定が決まっていく中、気持ちが揺れる人、教師ではない道を
選択し、方向転換する人、それぞれが悩みながら、最終的に決めた
教師という道。今から、いろいろなことが待ち受けていると思います。
真摯な姿勢を忘れずに、楽しみながら、成長してほしいと願っています。


2018.10.02

履修登録方法の変更

今学期から、履修登録の方法が変更になり、これまで春学期・秋学期の
履修登録を春学期に一括していたものが、それぞれの学期はじめに登録
することになりました。システムの変更にトラブルやドタバタはつきも
のですが、ご多分に漏れず、いろいろなことが生じています。

<うっかり未登録>
抽選・選考科目では、本登録に先駆けた予備登録が必要ですが、うっかり
が続出しました。定員30名のクラスの受講生は当初20名。予備登録期間
終了直後から、「失念していた。受講したい」との問い合わせが次々と。
結果、最終的には定員いっぱいと定員オーバーのクラスとなりました。

<原因不明>
本学の「スポーツ方法実習」は、いつも定員オーバーで、多くのクラスで
抽選が行われていました。条件づけをしない抽選なので、2クラスを受講
できる学生がいる一方、毎学期抽選にもれ、数年待ったという学生もいます。
それが、今学期は、ほとんどといっていいほどのクラスで定員割れが起き
る事態となりました。上記同様、うっかりミスなのか、あるいは、春学期
に取得できた単位を確認し、必要ないと判断したのか、今のところ、原因
が判っていません。現在、追加募集を行っていますが、どの程度定員近く
まで埋まるか想像がつかない状況です。

私が担当している「アダプテッド・スポーツ(水・2)」も、先週の初回
授業では、5名の登録者でした。このクラスでは、さまざまな種目を取り
上げますが、私を入れて6名でできることは限られてしまいます。今週、
追加募集により受講生が増えていることを願うばかりです。

<受講生数の予測困難>
最後に、教員側の苦労です。どのクラスも受講生の人数が不明です。初回
の授業で資料を南部用意すればいいのか、頭を抱えてしまいました。ひと
まず、前年と同数分を準備しましたが、曜日が移動していることもあり、
すべて予想を外れました。多すぎた授業、少なすぎた授業、てんてこ舞い。

やっぱり、変更にはトラブルがつきもの。
学生も教員も、新しいシステムに慣れるには、もう少し時間がかかりそうです。