[ Tue ] の記事一覧

2018.09.25

秋学期スタート

明日、9月26日(水)から、秋学期がスタートします。
学生のみなさんは、どんな夏休みを過ごしたのでしょうか。
部活動、アルバイトが生活の中心になった人も多いことでしょう。

秋学期は、始まったと思ったら、あっという間に過ぎてしまう、そんな学期です。
また、4回生にとっては、大学生活学業面での集大成となる卒業論文の提出があります。
卒業論文の提出まで、もう3か月を切っていることが頭の片隅にあるでしょうか
一週間ほど前から、バタバタと卒業論文について相談のメールが届いています。

その内容から、進捗状況に差が出始める時期であることがわかります。
進んでいる人は、論文の構成や書き方に関すること。
少しゆっくりペースの人は、データ収集に関すること。
マイペースの人は、テーマに関すること。

みなさんは、どのあたりにいますか?
卒業論文に視点を当て、時間の流れを眺めると、本当に「あっ」という間に時間が
経ってしまいます。早め早めの準備をしてほしいと思います。

27日から専門演習が始まります。すぐに中間発表もあります。
やはり、秋学期は、学生も教員も卒業論文中心の生活になりそうです。
二人三脚、あるいは、ゼミ生全員の脚で完成まで楽しみたいと思います。

2018.09.18

2週間経っても

9月4日の台風から今日で2週間。
周辺で被害のあったすべての家にまだブルーシートがかけられています。
吹き飛んだ瓦も外壁もガレージのドアも、そのままの状態。

近所の人と道で会っても、話題は台風のことに尽き、ため息ばかりです。
どの家も、業者さんが修繕に入るのは、数カ月先という状態です。
ひどいところは、来年の春と言われ、他の業者さんを探しておられます。

車のガラスを修理しようにも、ガラス工場が電話に出ないようで、修理屋さんも
対応に追われていました。私が持って行ったときには、すでに、修理待ちの車で
駐車場が溢れていました。

その間にも、雨が降り続け、二次被害も続出しています。
しみ込んだ雨により、我が家の隣家のベランダが倒壊し、また瓦礫の山です。
どこも大変だから…とわかっているものの、茫然としてしまいます。

ホームセンターには、トタンの波板が1枚も残っておらず、懐中電灯も完売。
手に入らなかったブルーシートは、少しずつ入荷し始めているようです。

確かに、かなりの風と雨に見舞われ、被害も小さくはなかったのでしょうが、
もっと大きな災害が起きている場所があり、どのように復旧していくのかと
考えてしまいます。

被害そのもののストレスはもちろん大きいのですが、なかなか修繕のめどが
立たず、被害の現状を維持したままの生活が人の気持ちを暗くするのだと、
実感しました。

そんな中、始まった岸和田のだんじり。
私の村でも10月にだんじり祭りがあります。
被害を受けた祭り小屋を青年団が片づけ、近辺の道路すべてに提灯が設置
され、落ち込む多くの人の気持ちを少しだけ明るく照らしたようです。

来週から秋学期が始まります。
気持ちを切り替えて、学生たちとの時間を楽しみたいと思います。

2018.09.11

自然との共生

4日(火)午後2時すぎ、私の住む堺を台風21号が通過しました。
1時間半ほど、強い雨と風が続きました。しっかりと鍵を閉めた
雨戸はすぐに開き、木の葉や土、その他いろいろなものがガラス
に打ちつけられ、風圧で今にもガラスが割れそうな状態でした。
家全体が揺れ、どうなることかとひやひやした時間でした。

少し雨風が弱まり、ほっとするのも束の間。
外で人の声がしたので出てみると、家の周辺の世界が変わっていました。
どこから??としか言いようのない、鉄板、トタン、スチールなど
があちこちの玄関先に積り、道路は瓦や外壁が散乱していました。

弱まったとはいえ風は強かったのですが、外に出ていた数人が、そこら
ここらでなびいているガレージのアコーデオンドアを閉め直したり、
大きな鉄板類をわきに寄せたり、気づいていない近所に屋根や外壁が
飛んでいることを伝えたり。

それが終わると、みな呆然となり、明日を待つことになりました。
夕方からはまた強い雨と風が戻り、落ち着かない夜を過ごした翌朝、
被害の全貌が見え始めてきました。もう唖然とするしかない状態。
大量の瓦と外壁、鉄板、トタン、プランターなど、どこから手を
つけていいかわからないくらいの物が家の敷地や道路に。屋根の上
にはやはり巨大な鉄板がひっかかり、薄い紙のように揺れていました。

初日から停電のお宅(うちは2日目から)は、もう何日も不便な生活
をしています。追い打ちをかけるような大雨が、傷ついた家の隙間から
浸水し、ベランダが落ちる家も。

信号機はそっぽ向いて、ほとんど役に立っていません。停電の影響か、
交差のタイミングがおかしいようで、大渋滞。

高齢独居の方の多い村。声を掛け合い、手を出し合い、今日で4日目。
そろそろ疲れも出始め、疲れた顔をしているご近所さんが増えてきて
います。地域の集会所も会館も停電で稼働していない状態。
雨も止まず、それぞれが家に籠らざるを得ない。

自分たちでできることが少なくなってきています。
電気の復旧を待つ、業者さんが屋根にシートをかけにきてくれるのを待つ、
天候の回復を待つ。待つ・待つ・待つの状態です。

一日も早く、人のわいわい・がやがやする村に戻ることを願いつつ、
また今日も片づけの日です。

(9月8日記)

2018.09.04

24時間テレビ

先日、今年の3月に卒業した学生からメールが届きました。

24時間テレビを観て、考えている・疑問をもっている自分に気づき
メールをしてくれたとのことでした。何度かメールをしたうちの
一部を転載します。

  24時間テレビを見ていて、感動を貰えた
  や勇気が出たなどのセリフが飛び交って
  いる様子を見て、この特集を本当に
  放送すべきなのか物凄く考えます。

  特集と同じようにような症状を
  持っている方たちはどんな思いで
  番組を見ているのかを考えます。

  これから東京オリンピックに向けて、
  パラリンピックなどの放送が多く増えると
  思いますが、立ち止まって考え
  続けて行きたいと思います。

担当している授業のひとつに「アダプテッド・スポーツ論」という
講義があります。この講義では、とにかく考える、とことん考える、
あたりまえに思っていないか考える、まずは疑問をもってみるを中心に
置き、考え→話し→まとめ→考え→話し→まとめ・・・の繰り返しを
します。
そうやって考えていく中で、ひとがひとの尊厳・自身の尊厳を学んでいく
と思っています。考えない・立ち止まらないひとが多くなればなるほど、
ひとの尊厳は奪われていくものです。そういう意味を込め、熟考にねらい
を定めたこの講義を受けた学生からのメールにほっとしました。
何よりも、考えている自身に気づき、考え続けようとする姿をうれしく
思いました。




2018.08.28

専門演習での研修

先週、8月20日から22日まで、専門演習の一環として、
琉球大学との研修交流会を実施してきました。

初日は、沖縄本島北部の方で施設見学を実施しました。
2日目は、琉球大学教育学部の学生さんたちと、卒業論文中間発表(4回生)
および卒業論文構想発表(3回生)会でした。この発表会が研修のメインで
あるため、ゼミの学生たちは、がんばって発表準備をしてくれました。

いつもは、ゼミの中での発表・意見交換で、だんだん活発なやりとりが
できなくなっていくのですが、他大学の学生からの新しい視点での助言は
非常に刺激的で、気持ちも引き締まったようです。

3日目は、本島南部にある南城市の「糸数アブチラガマ」に行きました。
「アブ」は、自然にできた深い縦の洞穴
「チラ」は、崖
「ガマ」は、洞窟やくぼみ

http://abuchiragama.com/

沖縄戦時に、もともとは集落住民の避難場所であったのですが、戦況の悪化に
より、日本軍の陣地豪や倉庫としての使用が始まり、その後は、陸軍病院分院
として使用された歴史があります。

全長270メートルのガマの中は、真っ暗で、それぞれが懐中電灯を持って入り
ました。中には川が流れ、ひんやりとしています。途中、ガイドさんの指示で、
全員が懐中電灯を消したのですが、とても不安な精神状態になります。そんな
真っ暗な中で、多くの人がただ死を待っていた。
学生たちそれぞれの心に、それぞれの思いをもったようです。

今年は、例年にもまして、充実した内容の研修となりました。

この美しい景色を全員で堪能してきました。


2018.08.21

ことばの難しさ

「障がい」「多様性」「個性」を「理解する」「認める」という
施策の文言やスローガンを見聞きすることがさらに増えています。
最近では大学の理念にも、これらが掲げられるようになりました。
見聞きする機会が増えれば増えるほど、妙な違和感ばかりを覚える
ようになっています。

そこで、「障がい」「多様性」「個性」を「理解する」「認める」
とはどういうことか、その先に「共生」「共生社会」があるのか、
それは、どういう形で感じられ、どうなれば達成とされるのか、
という問いを立て、人びとの誤解や勘違い、消費されていくことば
と内実の異なりについて論を進めています。

が、入り口で、迷路に入ってしまい、グルグルと同じところを巡って
いるようで、なかなか抜け出られません。

「知る」には、「理解する」が含まれる。
「認める」には、「知覚する」が含まれる。
「わかる」にも、「認識する」にも、「理解する」が含まれる。
「認知」には、「認める」が含まれる。

ことばは、互いが互いを補完し合い、同じ意味にもとれる場合もある。
しかし、異なる意味をもつから、異なることばとして存在している。
今のようにことばが整理され、辞書が作られる以前は、地方により、
身分階級により、おなじことを意味する異なることばが使われていたが、
整理され続けてきた現代のことばには、まったく同じ意味やニュアンス
であることはない。そうすると、上述したことばも、特有の意味をもつ。
また、同じことばでも使われる文脈により、とらえ方が変わる。
さらにやっかいなことに、私たちが日常使用することばが、辞書の定義
には当てはまらない、別の意味として表出されていることも多々ある。

これら、一つひとつのことばについて、何冊もの辞書と格闘しながら、
整理を進めてすでに5日が経っています。早く抜け出たいものです。

2018.08.14

変わりゆくお祭り

徳島の名物「阿波踊り」が揺れていましたね。
主催の実行委員会と踊り手のグループ「有名連」が対立し、
実行委員会決定の4つに分かれた「総踊り」の後、1500人
による「総踊り」が決行されたようですね。実行委員会も
静観し、大きな混乱もなく、観客からは大きな拍手が。

ニュース、新聞からは、両者の同じ思いが伝わります。
どちらも「阿波踊り」を大切にし、守り続けたいという
思いがにじみ出ています。ただ、赤字続きのこのお祭りを
続けるための採算に関する戦略が異なるようです。

ちょうど、この数日、私の村でも、盆踊りのためのやぐら
設営が始まっていました。昔は、非常に大きな規模で実施
されていたのですが、年々その規模は縮小されてきました。
2日間あったお祭りも1日になり、踊り手の様相もすっかり
変化しています。浴衣を着る人が少なく、踊れる人の数も
どんどん少なくなっています。

そんな中、村の青年団が一生懸命盛り上げています。
会場の設営、慣れない浴衣を着て踊りの練習、近隣の交通
整理、飲料水の提供などなど。この村に、こんなに若者が
いたかと思う人数ですが、実は、あちこちから助っ人が集まって
きています。どこの村も若者が減り、様々な行事が1つの村
単位では成り立たなくなっており、互いに助け合いながら
お祭りも成功しています。

9月から10月にかけて、岸和田・泉州地域のあちこちで実施
される「だんじり祭り」も然り。私が幼いころは、あちこちの
地域が同日に実施していました。動く範囲は決められてはいます
が、村と村のだんじりが出会えば、大騒動になっていました。
今はそんなこともなく、まず曳くことができるか・できないか、
それが一番の課題になっています。そのため、盆踊り同様、
実施日をずらし、曳き手があちこりから助っ人として集まります。

ここにもまた同じように祭りを大切にし、この上なく愛している
若者の姿があります。

盆踊りが終われば、だんじりの練習が始まります。毎晩、太鼓や笛
の音色が10月まで続きます。年末には、青年団の「火の用心」の
声が村を巡回します。

様々なことに対し無関心になっていると言われる若者たちですが、
こんな姿を見ていると、少し違うような気もしてきます。無関心
というよりは、興味の限定なのかもしれません。

みなさんの地域のお祭りは、どのように運営されていますか。

2018.08.07

伝統芸能

先日、能と狂言を観てきました。
暑い日にもかかわらず、満席に近い状態。
年齢層は非常に高く、一緒に行った20代の子は、珍しがられました。

狂言は、とても分かりやすく、笑いの箇所で笑うことができたのですが、
能は、あらすじを読んでいましたが、ほとんど理解できませんでした。
少しつらかったのは、横笛の甲高く、割れる・かすれるような音。
鼓や謡いは、筋が通っており、甲高くもなく、心地よい音色でした。

能のよさを理解することが難しかったのですが、人による上手さの違い
は分かりました。

声量のある若い人の謡いよりも、もう80歳を超しているかと思われる方
の謡いの方が、美しく聞こえます。

力強い若い人の鼓の音よりも、やはり70歳後半の方の音が美くしい。
まっすぐに響き、途切れるように終わってしまう前者の音が、後者では、
深みがあり、余韻が残るのです。

また、立ち姿の美しさにも違いがありました。立っている、そのものの
姿が、芯がありつつ柔らかい。これが、熟練者の方の姿でした。

芸歴20年は、結構長いと思うのですが、美しく見え、聞こえた方たちの
芸歴は60年以上でした。芸歴が長ければ、必ずうまくなるというものでは
ないと思います。70歳を超えて舞台に立ち続けられるということ自体が、
その方たちの上手さなのだと思いました。

ただ、やっぱり、私には難しく、なかなか面白さを感じるというところ
には到達しませんでした。年に2回鑑賞する文楽は、字幕があるという
理由もありますが、ストーリーが分かりやすく、観る観点が多様で、
何度でも足を運びたくなるのですが。。。

月に一度は、こういう催しに足を運びたいと思います。


2018.07.31

野菜の共生

「異常気象」「災害級の猛暑」
このことばを聞かない日はないくらい、暑い日が続いています。
人への影響は、連日の救急搬送の多さなどからもはっきりとしています。

5月にも書きましたが、早い時期での例年からの気候の変動(ずれ)は、
野菜の成長にも大きな影響を及ぼしました。

例年であれば、
オクラは、暑さのせいで上に上にと成長し、横芽を多く出さずすでに終了。
バジルは、巨大な葉となり、やや硬め。
豆類は、葉が焼けてしまい、実がならず。
ナスとしし唐は、背が伸びないまま、実の色も濃くならない。
とうもろこしは、背がぐんぐんと伸びますが、受粉と実の成長がちぐはぐ。

今年は、とにかく野菜へのダメージがひどく、例年通りの収穫は、きゅうり
とゴーヤくらいです。また、例年にはないよい出来は、トマトです。
収穫は減少ですが、家で消費するには十分すぎるくらいあるので、毎日毎日
近所のお家へ、せっせとおすそ分け歩きしています。

どの野菜も苦戦をしていますが、今年の新しい試みにより、ナスとトマトが
背丈は伸び悩んではいるものの、病気にかかっていません。それは…

種を蒔き、芽が苗へと成長し、ポットから地植えに定植するときの工夫です。
それぞれの苗の根と同じスペースにネギを一緒に植えました。
ネギを一緒に植えることで、ネギの根とそれぞれの根が地中で絡みあうことで、
ネギの殺菌作用がナスとトマトを病気から守ってくれるのです。

ネギは、ナスやトマトの根と絡み合うことで、より強くたつことができます。
また、ナスやトマトの枝や葉が、ガンガンの直射日光を遮り、柔らかいネギ
になります。お互いがお互いの強みを発揮し、お互いを守っているようです。
他にも、トマトとバジルも、互いを認め合い、ばっちり共生しています。

人間界ではなかなか実現しない「共生」ですが、野菜の世界ではいろいろな
形での共存、共生が成り立っています。自然界から学ぶことは多いですね。

2018.07.24

最後の水泳授業

先週の金曜日にスポーツ指導実習(水泳)の最後の授業が終わりました。
今学期は、時間割の都合上、受講生の数がとても少なくなりました。
1時限目も2時限目も8名ずつという、過去にない少なさでした。

開講初日は、あまりにも人数が少ないことに加え、介護等体験などの
公欠で数回欠席する受講生がいることも分かっており、どうしようか
迷いました。2つのクラスを1つにまとめようと受講生とも相談しましたが、
各クラス8名でスタートすることになりました。

教育機関におけるスポーツ実技の授業は、受講生が各種目を楽しむこと、
技能を向上させることに重点を置いています。もちろん、それ以外の目的
もたくさんあります。

しかし、本学部のスポーツ指導実習は、指導力・指導実践力の向上に重点を
置いています。そのため、授業も「指導者役-生徒役」という立場から実践
形式で進められています。8名のうち、半数が介護等体験のため欠席した回も
あり、どうなることかとヒヤヒヤした時もありましたが、どちらのクラスも
とてもいい雰囲気となり、各受講生が人数の少なさをカバーしてくれました。

実際の指導場面では、この少ない人数を指導するような恵まれた環境はありま
せんが、受講生の人数が少なかったからこそ修得した内容もあったように感じ
ています。受講生の人数に合わせた授業の作り方をこの2つのクラスから新たに
学びました。

2つのクラスのうち、1時限目のクラスでの記念写真。左端は、学外講師として
来ていただいている、グンゼスポーツ南草津店の「今枝コーチ」です。
全員で受けた、45分間のアクアレッスンは、くたくたになりましたが、受講生、
ES(補助の学生)を含め、私も楽しく、心地よく疲れました。