[ Tue ] の記事一覧

2018.07.17

うれしいお便り

今朝、メールを確認してみると、卒業生からうれしいお便り。

今年3月に1年延長で卒業した彼は、新しい職場でがんばっています。
毎日、くたくたになりながら、時には職場の人・お客さんから
つらいことばを投げかけられることもあるそうです。

自分一人でできる仕事も増え、帰宅時間も遅くなり、すぐに寝てし
まうため、近況報告が遅くなりましたと書いていました。

また、大学時代の勉強不足から失敗も多く、でも少しの成功も
あり、がんばれますとも書いてありました。

どのことばも、とてもうれしく読んでいましたが、特に卒業論文に
ついて書かれたことば「がんばれ!」とつぶやいていました。

「つらく、しんどい時に、卒業論文を読み返し、本当に支えになって
います。卒業論文を書いてよかった」と書かれていました。

彼の卒業論文は、「重度の疾患をもったこどものいる家族の思い」という
テーマです。彼が小学生の頃に、お姉さんが非常に稀な癌にかかりました。
長い闘病生活を送り、亡くなられたのですが、闘病中もお姉さんの他界後も
彼も家族もお姉さんのことを語ることはなかったそうです。

発病から現在まで、様々な思いを秘めてきた彼は、重度の疾患のある子ども
をもった家族、特に、そのきょうだいへの告知や家族がどのようにして
向き合っていくのか、当事者である彼と彼の家族の思いを執筆しました。

卒業論文の執筆過程で、彼が想像もしなかったご両親やきょうだいの思い
に触れ、また、彼自身も幼少期のさびしさを伝えたそうです。
これまでしたことのなかった会話をたくさん、たくさんしたと教えてくれました。
卒業論文が、彼の家族の新しい形を作ってくれたとも言っていました。

障がいや疾患のある子どものいる家族。
当事者である障がいや疾患のある子ども自身がつらく、大変なのは
もちろんです。ご両親ももちろん必死です。そのきょうだいを気に
かけていないわけなどあるはずもないのですが、それでも多くの
きょうだいたちが、さみしさや、憤り、悲しさなどと自分の中で
葛藤を繰り返しています。

彼の論文は、そういう当事者にしかわからない心の内を冷静に
描き出した貴重なものになりました。

先週も書きましたが、たかが卒論・されど卒論。
彼も、それを実感したようです。

2018.07.10

したいこと。できること。

4回生+過年度生のみなさん、卒業論文の進捗状況はいかがでしょうか。

就職活動が一段落し、本腰を入れ始めた人もいるでしょう。
就職活動と並行しながら、テーマ決めに焦りを感じている人もいるでしょう。

私はいつもゼミの学生たちに同じことを言います。
「自分が『本当に』したいテーマが見つかった時点で、卒業論文は4割終わっている。
次に、それが『できるテーマ』であった時点で6割終わっている」

ゼミ生は、どうしてテーマが決まった時点で4割も終わっている?と怪訝そうな顔をします。
ここで大事なことは、「テーマが決まった」ではなく、「本当にしたいことが見つかった」
です。卒業論文は卒業要件ですから、決まらないと卒業論文は執筆できず、そうなると
必然的に卒業はできなくなるため、どんな形であれテーマは決まるものです。
ただ、それだけでは4割もは終わっていません。
「本当にしたいこと」が見つかれば、モチベーションは持続します。その意味で、4割が終わっています。

次に、少々難問が待っています。
「したいこと」が「できること」か、という問題です。

まずはじめに、どんなに「したいこと」でも、すでに多くの研究がしつくされ、知見が得られて
いれば、「したい」研究にどのような意味を見出すのかが問われます。

2つ目に、「したい」研究に倫理的な問題を含んでいる場合は、実施が困難です。
例えば…
実験等であれば、協力してくださる対象者の方に、身体的な危険が少しでもある場合。
インタビューや対話であれば、「話す」「語る」ことにより、協力者の方に精神的な
ダメージ・つらさを与える場合。

その他にも「できる」を成立させる要件は、かかる費用のことなどいろいろありますが、
どの教員も、この倫理的な側面に対し非常に慎重に考えます。
その結果、どれだけ学生が「したい」と思っても「できる」からは外れてしまいます。

早い時期から卒業論文に向けて取り組み、準備してきた学生は、この「したい」が強く
「できない」ことにがっくりと肩を落とすことも少なくありません。
また、テーマを一から考える、「したい」と「できる」のバランスにナーバスになる
人も出てきます。卒業論文へのモチベーションを下げてしまう人もいます。

そんなときは、思考の転換をしてみてほしいと思います。
「できること」を「したいこと」に近づける工夫をしてみてほしいと思います。
もちろん、少しでも興味があることが大前提の「できること」の中に、わくわくすること
がないか、これって社会にどんな風に役に立つだろうか、こんなことわかれば楽しいだろうな、
などなど、「できること」の中に、きっと「したいこと」も隠れています。

「したいこと」と「できること」が完全に重なることが一番いいのでしょうが、実際は、
「したいこと」と「できること」のせめぎ合いとバランスだと思います。

今年度の卒業論文提出まで、残すところ、ちょうど5か月になりました。

「たかが卒論、されど卒論」
30年も昔、自分の人生でまた読み直したくなるような、卒業論文を書きたいと、
繰り返しつぶやいてきた言葉を思い出します。

みなさんも、楽しみながら、今後の人生で「大切に」「愛せる」卒業論文を
仕上げてください!

2018.07.03

古きよきもの

私の暮らす堺の伝統産業は、刃物・自転車・染物です。

鋼(はがね)の包丁は、だんだん使われなくなり、ステンレスが主流になってきています。
鋼は錆びやすく、敬遠されがちですが、やっぱり鋼の包丁の切れ味は抜群です。
ハンドル部分は朴の木(ほうのき)が一般的で、刃とハンドルをつなぐ口輪部分は、牛の
角でできています。自分の手にぴったりはまるものを探せば、切れ味と重なり、さらに
心地よく切ることができます。菜切(なっきり)、ペティ、出刃、刺身、この4つがあれば
家庭での料理にはほぼ対応できます。それぞれ、食材にあった包丁が作られてきたことに
感心します。本当に使いやすい。

家の近くに石津川という川があります。私が幼い時には、ここで染物の洗い作業がされて
いました。染めた生地の洗い流しをする作業ですが、川を汚染すること、川の汚れ、工場
の減少などによりその風景は姿を消しました。日本てぬぐいで有名な「毛穴(けな)町」
すぐ近くにあり、数件の工房が残っています。主に、さらしや日本手拭い、風呂敷を制
および製作しています。

日本てぬぐいは本当に便利です。
私たちが幼いころ、おしめには日本てぬぐいが使われていました。
今は、いろいろなオムツが販売され、若い人にはピンとこないかもしれないですね。
ただ、私の日常には日本てぬぐいが多く登場します。ぬか床の空気調整のために掛布とし、
お風呂での洗い、食材の水絞り、など用途は様々です。中でも、体を洗うには優しく
最適な布です。化繊のゴワゴワしたタオルは、確かに汚れをこすり落としますが、必要な
油分までもを取ってしまいます。日本手拭いはきめが細かいので、こすり落とさず、吸着
させて落とす感じがします。

大判でしっかりした風呂敷は、隅をくくり合わせて買い物用マイバックにしています。

古いものがだんだんとなくなり、便利な新しいものに変わっていきますが、古いものの中
には便利なもの、工夫次第で楽しく使えるものがたくさんあります。新しいものの便利さ
の恩恵も受けながら、古いものの価値も残したいと思います。



2018.06.26

バタフライ大人気

「スポーツ指導実習(水泳)」の授業では、泳ぎをどう教えるか、
どのようにコースを使えば有効か、体のどの部分を支えるかなど、
指導の視点および実際の指導スキルを学びます。

基本的には、受講生自身の泳力を高めることには視点を置いてい
ませんが、少なくとも、それぞれが実感し、泳ぎの構造がどうな
っているか、どの動きが難しいかなどを知ることが重要です。
また、どこを支えてもらうと泳ぎやすいかをペアになり探ること
も指導能力を向上させる鍵となります。

そこで、近大4泳法を一通り習得するのですが、多くの受講生が
苦戦するのは、背泳ぎとバタフライです。

背泳ぎは、25mプールのあちこちで泳ぎ止まる姿が見られます。
経験のある人も多いかと思いますが、鼻から水が… そして、
ツ~ン… 鼻を押さえ、首の付け根をトントンと、ツ~ンが
去るのを待っています。先日は、鼻血のアクシデントも。

バタフライは、イルカのようなドルフィンキックに手こずります。
なかなかうねりを出せない。出せても、手とのタイミングが合わ
ず、やはり苦戦します。最後の仕上げの呼吸も、タイミングを
合わせるのが至難の業。

それでも、今学期の受講生には、なぜかバタフライが大人気です。
「好きな泳ぎで25m」の合図に、全員が一斉にバタフライをした
のには驚きました!
「えぅ、バタフライ?しかも、ウォーミングアップで…」

受講生に理由を訊くと、気持ちがいいという答えが返ってきます。
ひとかき・ツーキックでグイっと進むことができる気持ちよさと
そのせいで一番楽に泳げると言います。確かに、よく見ると、
背泳ぎやクロールで苦戦している受講生、特に男子の受講生が
バタフライでは力強く、グイグイ進んでいます。

一度に両手で水をとらえることにより、クロールよりも推進力
があるように感じるのかもしれません。呼吸数が少ないことも
あり、バランスを崩さないこともその要因だと思います。

そして何より、テレビなどで観る「かっこいい」と彼らが言う
バラフライを自分が泳いでいる!それがまたモチベーションを
アップさせています。

授業では泳ぎの撮影をしているので、刻々と変化する自身の映
像を確認できることもいい効果をもたらしていると思います。

これまでは、最後に回していたバタフライをもう少し早い時期
に実施してみようと思います。

2018.06.19

非常時の家族連絡網

昨日の地震で非常時の安否確認とともに、家族の連絡網の必要性を感じました。

グラグラっと揺れたとき、私は当然ながらすでに出勤。
揺れが収まって真っ先にしたのは、80キロ離れた自宅にいる母の安否確認。
携帯から携帯へ、携帯から固定へ、固定から携帯へ、固定から固定へと、
何度も何度も電話しても通じず。何度目かでやっと通じた携帯から固定も
声は聞こえたのですが、すぐに切れてしまいました。
こういうとき、声が聞こえた安心よりも、「かすかな声だった」という妄想の
方が勝り、さらに不安が増すということも実感しました。

阪神淡路大震災で、3軒の家を失い、一週間、倒れた書棚の間にうずくまっていた
祖母のことが鮮明を思い出され、次に電話がつながるまでの数分間は生きた心地
がしませんでした。多くの人が同じ気持ちになったのではないでしょうか。

さて、夜帰宅すると、午前中いっぱい、安否確認の電話で大変だったと言う母。
よく話を聞いてみると、地震直後から、兄、弟、義理姉、義理妹、姪っ子、甥っ子と
それぞれが心配して電話をしてきてくれたそうです。それぞれ仕事を持っており、
学校に通っており、安否に関する横の連絡がとれていない状態でした。

もちろん、それぞれが心配してくれることはとてもありがたいのですが、
気持ちが揺れたせいもあり、少し落ち着きたかったこともあるのでしょうが、
なかなか大変だったようです。

この出来事があり、もしかしたら、家族の中の「連絡網」が必要ではないかと
感じました。あちこちから次々に安否確認をするのではなく、安否確認をする
者の順序と流れを決めた方がいいように思いました。
非常時に、一番目に連絡する者を決め、そこから順に連絡していく。
その後、少し落ち着いたころを見計らって、それぞれが連絡する。

ただでさえ、電話回線がパンクしている状態の中、4人も5人もが一人へ
電話していたら、繋がるものも繋がらないのではないかと思います。
情報の受け取り方、受け止め方もそれぞれ異なることも考えると、
「連絡網」が有効ではないかと強く感じています。

今回は、大事に至らなかったのですが、混乱すればするほど、冷静さが
必要となり、その冷静さの一つとしても有効ではないでしょうか。

みなさんは、非常時の決めごとを家族でされていますか?


2018.06.12

Hair Donation

週末、髪の毛を31cmカットしました。
耳の下、ギリギリくらいの長さになりました。
この31cmには理由があります。

みなさんは、Hair Donation(ヘア・ドネーション)という
活動をご存じでしょうか?

ヘア・ドネーションとは…
頭皮・頭髪に関わる何らかの病気が原因で髪の毛を失い、
ウィッグ(かつら)を必要としている子ども達に、
医療用ウィッグの原料となる毛髪を間接的に提供することです。
(Hair Donation HPから)

さまざまな病気、特に、小児がんの抗がん剤治療により、
髪の毛が抜けてしまった18歳以下の子どもたちにかつらを
提供している活動です。

なぜ、人工毛ではなく、人毛でしょうか?
ファッションウィッグであれば、高温でコテを巻いたり、ある程度
乱暴に扱うこともできます。ただし、そこには自然さがありません。
一方、人毛は、手触りや見た目は自然ですです。ふわっと風にも
なびくようです。ただ、当然ですが、髪の毛自体は再生しないため、
気分により短くはできても、伸ばすことはできません。

それでも、多くの子どもたちが、人毛でできたウィッグを待っています。
かなり多くの人がその順番を待っているようです。
その理由は、1人分のウィッグを作るのに、30人分の髪の毛が必要となり、
なかなか順番が回ってこないそうです。

一人ひとりの頭の形に合わせ、その子にあった、ぴったりフィットする
ウィッグができあがります。
好みの髪型にカットしてもらっている子どもたちのとてもうれしそうな
顔を以前テレビ番組で観てから、今回で3回目の提供となりました。
提供する髪は、カラーしていても、パーマをかけていても、どんなに
痛んでいてもいいのですが、できるだけ痛まないように、伸ばしている
間はいつもお団子にしてくくっています。紫外線から保護しているせいか
カットした髪は、割とサラサラしています。

31cm以下でも提供ができるようですので、みなさんも髪の毛を切る際は、
提供してみてはいかがでしょうか。協賛しているヘアサロンがたくさん
あります。お近くのサロンを探してみてください。

https://www.jhdac.org/index.html

2018.06.05

うれしい光景

少し前の週末、ごった返す駅構内でのできごとです。

私の前を歩く人たちにどことなく不思議な感じがしたので、
しばらくその後ろを歩いていました。

ご高齢のご婦人の周囲をなんとなく囲むように歩く、数名の高校生らしき男の子たち。
ほんの一瞬、「もしや、よからぬことをするのでは!」との思いが頭をよぎったのですが、
そういう雰囲気では一切なく、ごく自然に、楽し気に、会話をしながら歩いています。
でも、その歩調はとてもゆっくりと、そのご婦人のスピードにまるで合わせるかのようです。

その光景に惹きつけられ、そのまま彼らと同じ方向に歩きました。
ご婦人が改札を出て、待ち合わせの方と合流すると、高校生らしき男の子たちは、
別の方向へ歩き出しました。

そのとき、ピンときました!
彼らは、杖をついて歩くご婦人をそれとなくガードしながら歩いていたのです。

杖をついた小柄なご婦人は、誰かの体が少しでも当たれば、転倒してしまいます。
スマートフォンを見ながら歩いている人、イヤホンをつけて歩いている人が多く、
小柄な・杖をついて歩くご婦人に注意が向く人は多くありません。


これまで、サポートが必要な方をサポートする光景は何度も見てきましたが、
このような光景に出くわしたことがなく、気持ちが昂りました。

この機会を逃すまいと、彼らの後を追って、突撃インタビューをしました。
さっき私が見た光景について、ご婦人をガードしていたのではないか訊ねました。
私の突然の出現と質問にぎょっとした様子でしたが、答えてくれました。

彼らの通う高等学校のある先生が、次第に筋力が低下していく難病になったそうです。
2年間でみるみる筋力が低下し、歩くことも次第に難しくなっているそうです。
先生の歩行が難しくなるに伴い、先生の周囲には、先生を転倒から守る生徒の
クッションの壁ができ始めたそうです。「人間の肉壁」とも言っていました。

「『歩けるうちは自分の足で歩きたい』と言った先生のことばが頭に残っている」
と、彼らの一人が話してくれました。
また、別の子は、「先生は自分の足で歩きたいから、先回りした手伝いはしない」
と、話してくれました。

このような環境の中、駅構内で目の前にいたご婦人に対し、彼らは、自然に
自らがクッションのような壁となる歩行をしたようです。

「あんまり意識してないけど、まあそんな感じに勝手になるかなあ」
「別に急いでないし、ちょっとゆっくり歩くだけだから」

とても穏やかな気持ちになりました。
私は、障がいや特性、障がいや特性のあるひと、に関する講義を担当していますが、
その伝え方にいつも苦戦しています。講義だけでは、イメージに留まり、現実的な
こととして実感されにくく、とても行動変容にまでは届きません。

彼らとの出会いにより、「生の体験」や「接すること」には敵わないとの思いが
強くなり、私自身の無力さを禁じえませんが、同時に、さらなる工夫をしなければ
と、改めて気持ちが引き締まりました。



2018.05.29

変わりゆく地域

「地域」ということばからみなさんは、何を想像しますか?
地域ということばはよく耳にしますが、どこからどこまでを指すのか、ピンとこないままでいました。
でも、最近、自分の住んでいる、小さな村の中でのひととひととの関係が「地域」かなと思います。

私の住んでいる場所は、大阪市内から30分ほどにある、もとからそこに住んでいる「地のひと」と45年ほど前に新興住宅地として開発された「地でないひと」が暮らす小さな丁番地です。
町という範囲には、1丁と2丁がありますが、入り組んだ私道に囲まれた1丁の番地の中に30世帯ほどが暮らしています。

現在、私にとって実感できる「地域」は、この30世帯ほどが織りなすひととひととの関係、ひとの行為とひとの行為がつむぐ連鎖のようなものです。

私が中学生・高校生の時代には、この地域をとても煩わしいものと感じていました。
自治会活動が盛んで、様々な催しへの参加は義務で、あちこちの井戸端会議からは、その場にいない人の陰口が聞こえてくる。
また、そこでは、ヒエラルヒーが色濃い人間関係が展開されており、窮屈さを感じていました。

その空気が、ここ5年くらいの間に、なんとなく変化し始めました。
あれこれとその理由を考えていたのですが、その大きな理由として、君臨していたボスのような存在の人が、そのようなポジションが、薄らいでいってるからです。村の若者がどんどん外に出ていき、10年前あたりから老齢化が加速しています。そのような環境の中、誰かがボスになり力をもったり、ボスの機嫌をうかがったり、違うボスをたてた別集団の組織化ができなくなったりしていったように思います。

すると…
ヒエラルヒーは崩れだし、だれもが同じ位置で、だれもが助け合う関係が出てきました。
助け合うというよりは、お互いがお互いを見守る・気にかけると言った方が適切かもしれません。

家の外を箒ではいているとき、買い物に行くために村の私道を歩くとき、どこかの家の雨戸が閉まっていれば、ちょっと気に留める。翌日も雨戸が閉まっていれば、「〇〇さんちの雨戸閉まったままだけど、旅行中かなんか?」と、道であった村のひとに聞いてみる。誰も知らなければ「いますか~」と声をかける。

老齢になり、車を運転しなくなったひとに「いつでも車を出すから、遠慮せず言ってくださいね」と声がかかる。

若い世代がちらほら戻り始め、あまり見られなくなった、子どもが外で走る回る、ミニだんじりを曳く楽し気な声が響くようになりました。そうすると、おじいちゃん、おばあちゃんも外に出てきて、その姿を眺めています。

こんなふうに、互いが互いを気にかける関係では、上下関係も、強いリーダーシップ性も、ヒエラルヒーも存在しなくなっているように思います。強い絆というものではなく、ゆる~く、でも繋がっている。そんな空気はとても心地よく、この5年ほどは、自分の住むこの村「地域」がどんどん好きになっています。

みなさんの「地域」は何を指しますか。そこではどんな変化が起こっていますか。


2018.05.22

「国民年金と障害基礎年金」

「国民年金と障害基礎年金」

20歳以上のみなさんは、毎月国民年金を支払っていますか?
よくあるのは、大学に入学し、一人暮らしを始めた人が支払い開始をうっかり見逃してしまうケースです。
国民年金支払い開始の通知は、住民票のある住所に届きます。
そのため、大学への入学に伴い、一人暮らしを始めた市(区)役所に移している場合、その住所に支払い通知が送られ、保護者の方も気づかないことが多くあります。
結果的に、未払い(滞納)となり、その期間分の保険料が減額され支給、あるいは不支給ということが起こります。

しかし、それ以上に大変なことが起きるのをみなさんはご存じでしょうか。

国民年金に加入している間に、一定の障害の状態になった場合、「障害基礎年金」を受給できるのですが、その条件として「国民年金」の納付があります。
例えば、学生のみなさんが、事故やスポーツなどにより、けがを負い、障害の状態となった場合、その初診日の「前日」において、下記の要件を満たしていなければ「障害基礎年金」を受給することができません。
(1)初診日のある月の前々月までの公的年金の加入期間の2/3以上の期間について、保険料が納付または免除されていること
(2)初診日において65歳未満であり、初診日のある月の前々月までの1年間に保険料の未納がないこと

この2つの条件ですが、うっかり忘れていたという理由は一切受けつけてくれません。
条件に記されているように、国民年金には「免除」という仕組みが申請制で設けられています。
また、大学生の間は、「学生納付特例制度」を利用することができます。

ご自身の国民年金の状況、様々な年金の仕組みとしなければならないことを確認してみてはどうでしょうか。
http://www.nenkin.go.jp/index.html

2018.05.15

「根を張る」と「地に足をつける」

今年の春は本当におかしな気候が続いていますが、
みなさん、体調を崩されていないでしょうか。

先週に引き続き、野菜の発芽とひとについてお話します。
今年の発芽率が芳しくないのは、先週お話した通りですが、
こんな悪条件にも負けず、がんばって芽を出している野菜たち。

どれも、見た目には同じように発芽しているのですが、
数日経つと、ヘタッとしてしまう芽があります。

ヘタッとしてしまった苗のポットを開いてみると…
「根」らしきものがありません。

小さい・小さい芽ですが、ゆっくりと伸びている芽のポットをそ~っと開いてみると…
先ほどのポットのように土がパラパラと崩れず、「根」が土に絡み始めています。

土から上の、目に見える表面的な部分は同じでしたが、
「根を張っている」かどうかに大きな違いがありました。

次に、すでに畑に定植した苗。
定植時に一番小さくて、枯れてしまうかもしれないと心配した苗がいくつかありました。
定植から2週間の間、小さな苗の成長スピードは、他の苗と比べて少しゆっくり。
ただ、不思議なことに、ほとんど虫に食べられていません。
他の苗が今のこの苗と同じくらいの大きさの時には、虫に食べられ始め、
葉が残っていないものもあります。

そこで、確認をすることにしました。本当はやってはいけないのですが、好奇心が勝ります。
苗の周囲を大きく掘り起こしてみると…
やっぱり「根!」なんです。
虫のついていない苗は「根」は、芽の大きさからは驚くほど土にどっかり張りついています。
成長スピードは速かったけど、虫に食べられてしまった苗の「根」は、か細~い。

ひとも同じですね。
背伸びをするばかりでは、表面上は勢いよくても、内実が伴わないためいつか崩れます。
まずは、「地に足をつける」ことが大切ではないでしょうか。
大学の学習の中で言えば、まずは基礎を確実に修得することだと言えます。
小さな芽が大きな芽を追い抜く姿は、ひとで譬えられる「大器晩成」に似ていますが、
そこにも「地に足をつく」「基礎をおさえる」という「根を張る」下地があるように思います。

新年度が始まり2か月が終了するまであとわずかになりました。
みなさん、それぞれにとって「根を張る」「地に足をつける」とは何を意味しますか。