[ 2010年05月 ] の記事一覧

2010.05.01

敗者は、必ず復活する!

WBC世界バンタム級王者の長谷川穂積選手が、衝撃のTKO負けで、王者から陥落しました。

私は、ボクシングや格闘技に精通しているわけではありませんが、小さい頃にアントニオ猪木さんにあこがれて以来、プロレスだけでなく、ボクシングや一世を風靡した総合格闘技まで、テレビで試合が中継される際には、比較的観戦しています。といっても単なる格闘技の一ファンにしか過ぎないのですが、素人の私の目から見ても長谷川選手のスピード、パワー、テクニックは超一流で、日本人でこれ以上のボクサーは二度とは現れないと誰もが思うぐらいの絶対的な王者として彼は君臨していました。

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昨日、テレビ中継が行われている時間帯は、大学でまだ仕事をしていたので、携帯電話を握りしめ、ワンセグにかぶりつきながら、長谷川選手の応援をしていました。もう皆さんもご存じの通り、4ラウンドの残り10秒前までは、長谷川選手が有利に試合を進めていたのですが、その瞬間...チャレンジャーの左フックが2度、王者のあごを的確に捉え、ゴングが鳴るたった1秒前の2分59秒にレフリーストップが宣告され、絶対王者はその座を明け渡すことになりました。

誰もがその目を疑うほどの出来事でしたが、長谷川選手はタイトルマッチに敗れ、敗者となってしまいました。10度も防衛を重ねた王者であり、王者は敗れる度にその進退、つまり引退を問われるのですが、昨晩のスポーツニュース、また今朝のスポーツ新聞などをチェックすると、本当に悔しい気持ちをにじませながら、再起を誓っていたようなので、一ファンの私も安堵しました...。

スポーツに携わってきた皆さんは、当然、勝者の経験も敗者の経験も両方味わってきたことでしょう。ただ、勝ち負けが明確なスポーツの場合、そのほとんどの場合が、勝者ではなく、敗者となります。例えば、私が行っていた高校野球、全国制覇を遂げ、頂点に君臨する学校はたった1校のみであり、約4000校以上のチームは、結果的に全て敗者となります。

では、敗者となった我々は、負けた経験から何を学ぶべきなのでしょうか?

 




 アメリカの有名なコラムニスト、B.グリーンの作品で『失格の烙印』というものがあります。各界で成功している人々の多くには、ある共通の体験があり、その体験とは、少年時代、人生のすべてをかけていた"スポーツ"で、失格者の烙印を押された、ということが記されています。ある者は、選抜テスト合格者リストに自分の名を見つけられず、ある者は、コーチから直接言い渡され、とにかくそれまで生活の中心だったスポーツを、第三者の判断によって断ち切られてしまった経験がある、というのです。その一文には...

 『それがどういった精神的影響をもたらすのかはわからない......ただ、その日を境にして、これまでの自分の野心が桁外れに大きいものになったことだけは確かだ。今日まで必要以上に仕事をこなし、任務を引き受け、時間をつぎ込んできたことも事実だ。もちろん、そのすべてが、二度と自分を足切りすることなど許さない、二度と他人に失格の烙印など押させない、という決意からくるものなのかどうかはわからない。だが、一因であることにはまちがいがない。そしてどうやら、他の多くの人たちにも同じことがいえるようである。』

 楽しければそれでいい、いまどき根性や熱血なんてものは流行らない。それでも苦しい練習、つらい試練に立ち向かわせる何か、得られる何かがスポーツにはあるのではないではないか?友情とか連帯感だけじゃない、もっと荒々しく、強靱な、生きていくための何かが...。

 いまの君たちはどうか?スポーツのみならず、何かにがむしゃらに打ち込んだり、物事に熱中したり、涙が止まらないほど感動し、心ふるえるような体験をしているか?

 『感動することは、いくつになっても大切だ。そして毎日ではなくても、節目節目で内省することも大切だ。さらには感動や内省がいい形で、自身のアクションにつながることがより大切だ。』私の尊敬する神戸大学の金井先生がこのようなことをおっしゃっています。

 君たちは日々を振り返ることもなく、無駄に時間を費やしていないか?また失敗を避けるため、脇道ばかりを歩いてはいないか?

 もちろん順風満帆であればそれに越したことはなく、望んで失敗しろとはいいませんが、敗者になることや挫折することを極度に恐れすぎるばかりに、人間にとって大切な「果敢なる闘志」というものまでも見失ってはいないでしょうか?たった一度の失敗や、失敗しそうになれば、「もういいんです。どうせダメなんです。」なんてことを照れ隠しのように繰り返す人が多いように思われますが、そんな簡単に自分の人生、あきらめられるわけがない。私自身、スポーツのみならず、様々な場面で幾たびとなく失格者の烙印を押されたことがあります。でもその度に、その悔しさをバネにし、もう一度やり直したり、なにくそ!という気持ちで、チャレンジしています。

 長谷川選手の涙の記者会見を見て、私は敗者の彼からまた違う形でエネルギーをもらいました。このゴールデンウィークの間、我が立命館大学でも一握りの勝者と数多くの敗者が生まれていることと思います。敗者よ、へこたれることなく、果敢なる闘志を抱き、がんばれ!また長谷川選手も王座に返り咲くべく、がんばれ!敗者は、必ず復活する!